6
◇
今から21年前。
カーディルがまだ12歳の時に騎士団に入団した。
あの日は朝から天気が良くて、時間を忘れるほど暖かな陽射しだった。
微睡の中で何度も誰かの声を聞いた気がするが、俺の瞼は一瞬の光を受け入れてはすぐ閉ざすというのを繰り返していた。
まあ有体に言えばうっかり寝坊した。
「初日から遅刻する奴があるか!」
「申し訳ありませーん!」
あご髭の生えた筋骨隆々の教官は厳つい顔を更に険しく顰めて人相悪く私を睨み据える。まるで犯罪者のような悪人面だ。
反省文を提出することを条件にどうにか許しを得て、リンドルムをルームメイトとして紹介された。
「リンドルムだ。よろしく」
その眩しさに目を瞠った。
太陽のように鮮やかな金髪と抜けるような青空をそのまま切り取ったような瞳。
生粋のお貴族様といった風貌だ。
黒髪にコーラルの瞳というパッとしない色合いの俺にはあまりにも遠い存在に見えた。
それにこの顔は見覚えがある。
「あ、ヴェルズ公爵家のリンドルム様?」
「そうだ。だが堅苦しいのは好まない。ルームメイトになるしな。リンドルムでいい」
人好きのする爽やかな笑顔に警戒を解き、差し出された手を握り返す。
「わかった。俺はハルミット男爵家のカーディルだ。よろしく!」
こうして俺たちは出会った。
◇
それから3年後。
15歳の成人を迎える頃にはリンドルムとは親友と呼べるような関係になっていた。
何をするにもウマがあって、剣の腕も良くて、何より公爵家だと言うのに何も驕った部分がなく気の良い男だった。
「リンドルム! これ食えよ」
「むぐ!」
訓練の途中休憩で段差に腰掛けているリンドルムの正面に立ち、口にクッキーを突っ込む。
「うまいか?」
隣に腰掛けた俺を睨みつけながらもお行儀のいいことにきちんと飲み込んでから俺の頭を叩いた。
「カーディル、いきなり口に突っ込むな!」
「あっはは! 悪い悪い」
「まあ、うまいからいいけど。これ誰からの差し入れだ?」
「うまいか! よかった! 俺が作ったんだよ。うち貧乏男爵だからさ、昔からたまに妹にクッキー作ってたんだ」
「お前が? へー。俺甘いの苦手だけどこれは食える」
そう言って次を差し出せと手で催促される。
その手に袋ごと乗せる。
「お。気に入ったか? 残り全部やるよ。腹ごしらえが済んだらもうひと試合するぞ!」
「ああ、今度は勝つ。でもお前何でそんな強いんだよ。10本やって3本取れればいい方とかおかしいだろ」
「他のやつなら1本取れるか取れないかだし、お前も強いだろ。それに何でって言われても才能としか言えねぇかなー」
頭の後ろで手を組んで空を見上げて寝っ転がる。
「くそ、否定できん。貧乏男爵って言うくらいだから高名な騎士に師事してたわけじゃないんだろう?」
「あー師事するとか無理無理。うち金ないし。クッキー買えないくらいだぞ? うちの貧乏具合を甘く見るなよ」
寝転がったまま笑い声を上げてリンドルムに指を突きつける。
「人を指すな」と指をはたき落とされ、少し真面目な顔をしたリンドルムに問いかけられる。
「なあ、カーディル。そんなに強くなってどうするんだ?」
「どうするって守るためだろ。それ以外にあるか?」
「王国一強くなるとか、大会で優勝して賞金獲得とか近衛騎士になるとかいろいろあるだろ」
「あー、まあ金稼げるのは大事だけどさ、やっぱそれ以前に俺が騎士を目指すのは守るためなんだよな」
「王族とか?」
体を起こして「いや」と緩く首を振る。
「民を。弱き者を。俺の助けを必要とする者のために剣を振るう。剣を手にした時にそう誓ったんだ。リンドルム、お前は?」
「……俺はただ親に言われて入団しただけなんだ。お前のような信念も何もない。情けない話だが」
苦笑して肩をすくめるリンドルムの肩を組んでぽんぽんと叩く。
「情けなくないだろ。あの地獄の訓練から逃げ出さずに正騎士になったんだ。十分根性あるだろ」
「まあ、確かに。真夏の無人島2週間サバイバルは死ぬかと思った。お前と組んでなきゃ死んでたな」
「真冬の寒中水泳もな。心臓が止まるかと思った」
当時を思い出して二人して顔を見合わせると同時に吹き出す。
「ははっ、本当にもう二度としたくないな! …………でも、守るため、か。うん。俺もカーディルみたいに助けを求める人のために力を振るうよ。折角それなりに強くなったからな。お前の理想の手助けをしてやる。この剣に誓おう」
「リンドルムならそう言ってくれると思ってた!」
互いの拳同士を軽くぶつけ笑い合う。
俺の青春にはいつもこの屈託のない笑顔と輝かんばかりの金色と青い瞳があった。
◇
17歳になり、週末は下町で飲んだ後はリンドルムの家で飲み直すのが定番になった。
男爵家とは規模が違う、邸というより城のような公爵家を最初に見た時は開いた口が塞がらなかった。
「これ父上のとっておき」
「お。飲んでいいのかー? 怒られない?」
心配して声をかけるが、リンドルムは気にしたそぶりもなく躊躇いなくボトルを開ける。
「大丈夫。父上、俺よりお前のこと好きだから。お前に飲ませたって言ったら許してくれるさ。カーディルを息子にしたいって話してたぞ」
「まーじかー。照れるな」
「お祖父様もお前は剣の腕も良いし、素直だからうちに欲しいって言ってたな。従姉妹と結婚させようかってこの間、叔母と母上を交えて話していたから賛同しておいた。うちの従姉妹は美人だし性格もいいぞ。どうだ、結婚しないか?」
少し身を乗り出していたずらに笑うリンドルムに手を振る。
「え、なんかめっちゃ皆乗り気だな!? でも光栄だけど俺は男爵くらいがちょうどいいよ。リンドルムからそれ以上話が進まないよう上手いことしといてくれ」
「わかった。お前と親族になるのも楽しそうだったんだけどな」
「今更高位貴族のマナーなんて覚えらんないし無理」
「そうか。まあお前は自由な方が性に合ってるだろうな」
「そういうことだ」と小さく笑う。
「今度の休みにさ、新しい剣帯買いに行こうと思ってるんだけど、リンドルムもそろそろ買い換えどきだろ?」
「ああ。一緒に行こう」
そう言って交わした約束は果たされることはなかった。
事件が起きたのはこの僅か4日後のことだった。
◇
空は快晴。
その日は風もなく茹だるように暑い日だった。
1年も半分過ぎたその日、街に魔物が出た。
一体や二体ではなく、数十体が突如として現れた。
明らかに人為的に騎士が少ない西の街外れから狙われた。
そこに騎士を派遣した後、中央に南に北に東にと各地に魔物が出現する。
拡大していく恐慌状態。
最悪なことに現れた魔物は狼のような見た目で足が速く、獰猛な種類だった。
怪我人の報告が上がり、騎士の要請も各地でされる。治癒魔法士の出動要請も引っ切り無しにきている。
被害は拡大していくばかりで手が足りない状況だった。
「リンドルム、カーディル! お前たち二人は被害の酷い西地区へ向え! 先行している第四部隊と合流しろ! 魔物の数が多い。聞いたところによると統率されたような動きも見られる。合流するまでは戦闘は避けろ! 無駄死にするなよ!」
「「は!」」
第二部隊隊長の指示で西地区へ向かう。
その途中で視界の端に何かが揺れた。
それが気にかかり足を止める。
「カーディル?」
それが何か認めた瞬間、即座に方向転換した。
「待て! カーディル! 隊長命令を忘れたのか!?」
引き止めるリンドルムには恐らく見えていないのだろう。
倒壊した家屋の手前に狼の魔物が群がっている。
その奥に、何があるか。
目が合った。
絶望に染まった二対の目と。
助けなければ、と体は勝手に動く。
間に合うか、間に合わないか。
後少し。一歩でも早く。この手を。この剣を伸ばして。切り裂かなくては。
早く。早く。早く早く早く早く。
焦る耳に届いたのは水気を帯びた何かを引き千切る音だった。
つんざく悲鳴に思考は真っ白に染まる。
目の前の光景に次第に走る速度が落ちた。
惰性で何歩か進んだ後、力無く足が止まる。
小型の狼の魔物が複数体で食い散らし、肉塊に変わる親子だったもの。
一体の魔物がこちらに気付き、威嚇するように口を開く。
その歯や口周りは肉片と血で汚れている。
服の切れ端だけが吐き捨てられたのを見て胸の内からドス黒いものが湧き起こった。
止めてしまっていた足が、また加速をつけて一息に魔物に切り掛かる。
こちらを威嚇していた魔物が飛びかかってくるのを即座に首を切り飛ばし、食事に夢中だった魔物は背後から胴を二つに分断すると呆気なく事切れる。
逃げようとした残り二体の魔物をリンドルムが少し離れたところで仕留めたのを確認して、食事の残骸と成り果てた親子だったものを前に膝を突く。
目の前に助けを求める人がいたのに。
目が合ったのに。絶対助けるつもりだったのに。
ーーそう放心していたのが、間違いだった。
「カーディル! もう一体! 右後方だ!!」
リンドルムの声にハッと顔を上げる。
物陰にもう一体隠れていた。
先ほどよりも大型の狼のような魔物だった。
おそらく子供達の狩りを見守るために離れた場所にいたのだろう。
剣を構えるより早く、魔物は大きく口を開け、鋭く尖った牙を俺の右腹に突き立て、そのまま食いちぎった。
「がっ……!」
腹の半分持って行かれた。
ぼたぼたと血が勢いよく流れ落ち、そこに小さな肉片が混じっている。
最後の気力を振り絞り横薙ぎに一閃して狼の首を刎ねる。
その勢いのまま剣は俺の手から抜け、少し離れた場所に飛んでーー落ちた。
金属が跳ねる音がやけに耳に残った。
ああ、俺死ぬんだ。
騎士の命と言われる剣が手から離れたからだろうか。
なぜか妙に素直にそれを受け入れられた。
「カーディル!」
リンドルムが近づき、俺を抱き起こして震える手でポーションを飲ませようとするのを手で制する。
「……おいおい、こ、零れてる、ぞ。無駄に……なるから、よせ。自分に、使え」
どうにか口元に笑みを浮かべるが声が震えて、掠れている。
「嫌だ! もしかしたらっ、もしかしたらポーションを飲めば助かるかもしれないだろ! 治癒魔法士が来るまで保てば……!」
「リンドルム……無理だ。助からない。わかる、だろ? こんな……状況だ。下級騎士一人に……治癒魔法士は、動かない……」
言い聞かせるように腹に力を込めて一言一言区切って言うがリンドルムは聞き分けのない子供のように何度も首を横に振る。
「それなら公爵家の権力を使ってーー」
「ありがとう。リンドルム。最期に……お前が、看取って、くれるなら、こんなに幸せなこと、はないな……俺の勝手で……危険な目に遭わせて、悪かった……」
景色が薄暗く霞んでいく。
目を開けていることもできなくなり、ゆっくり伏せると「カーディル……」と弱々しく名を呼ぶ声が聞こえた。
「……なあ、親友。幸せになれよ。お前と過ごせて……楽しかった」
そうしてカーディルは17歳の生涯を閉じた。