最終話
◇
ごくり、と生唾を飲み込む。
ベッドの端に腰掛けて着せられたナイトドレスの上から羽織らされたローブを必死で前で掻き合せる。
心の平穏のために、ただ一心に床を見つめていた。
リンドルムはと言うと、ベッドの真ん中に陣取りゆったりと足を伸ばして酒を口に含んでいる。
その余裕がさらに私を追い詰めていた。
背後からの視線が痛いほど突き刺さる。
頑なにそちらを見ないことに気付いているのだろう。
その上で、自分の存在を意識させるように音を立ててグラスをサイドテーブルに置いた。
「……っ」
「セリーナ」
「な、なんだ?」
上擦った声になった。
「ははっ、そこまで意識してもらえるとは光栄だな。毎晩一緒に寝ているのにいつまで経っても恥ずかしがってくれるとは。そんなに俺を喜ばせたいのか?」
「ち、違う!」
「俺のことが好きすぎて意識してしまうんだろう?」
「そ、それは、ちが……わないけど……」
「っぐ……!」
嘘はつけないが堂々と口にできなくて尻すぼみになってしまった。
リンドルムの呻き声がして心配になり、そろりと後ろを振り返ると片手で目元を覆って震えていた。
「ど、どうした? 大丈夫か?」
「ああ」と一言だけ返して、リンドルムはそのまま大きな息を吐いた。
それを確認すると即座に視線を床に戻す。
「今のはわざとではないんだろうなぁ。セリーナは本当にずるい」
「なんの話だ?」
「俺の妻が可愛すぎるって話だ」
よくわからん。今の会話のどこにそんなのあった?
「じゃ、じゃあそれに免じて今夜はーー」
「そうだな。今夜は無理をさせてしまうかもな」
引くつもりのない様子に青くなればいいのか赤くなればいいのか。
ほんの少しの動きにも過敏に反応してしまう私を気遣ってか、話しかけながらゆっくりと距離を詰めてくる。
「さて、と。捕まえた」
真後ろに気配を感じても身動きひとつ取れず、そのまま後ろから抱き竦められた。
ローブを羽織っていても、すぐに体温も指の感触までも生々しく伝わってくる。
「っ、まっーー」
「待たない。これ以上はもう無理だ。わかるだろう?」
「うっ」
「毎晩俺がどれだけ我慢していたか」
「……うぅ、知ってる」
毎夜毎夜思い知らされている。あらゆる方法で。
「セリーナ。俺は約束を守った。君は破るつもりなのか?」
悲しげにそう問われて罪悪感からつい咄嗟に口走る。
「お、女に二言はない! もうリンドルムの好きにしてくれ!」
叫ぶようにそう言って振り返ると、それはそれは満面の笑みがそこにあった。
その瞬間、自分の発言の不味さに気付いて青褪める。
「良かった。セリーナの言う通り、好きにさせてもらおうか」
「ひっ、い、今のは言葉の綾で! 本当に好きにしていいわけじゃなくて!」
「撤回不可だ。安心しろ。……君は何もしなくていい」
恐怖すら感じるほどの優しい声で、私の抵抗する力を根こそぎ奪っていった。
明け方になってもその翌日になっても寝室から二人が出てくることはなかった。
◇
一面に広がる空の下。
小さな金色がこちらに駆けてくる。
「お母さま!」
「リゼル、どしたー?」
4歳となる可愛らしい我が子を抱き上げる。
それなりに重くなってきたので、そろそろ抱き上げるのも難しくなりそうだ。
「みてみて! はなかんむり! あげるー!」
そう言って私の頭に花冠を乗せると頬にキスをしてきた。
「えへへ、ぼくのおひめさま! けっこんしてくれますか?」
「ははは! ああ、よろこーー」
「駄目だ。セリーナは俺の妻だ」
割り込んできたリンドルムは大変不機嫌な顔だった。
それに対するリゼルの顔も不満げで、唇を尖らせて抗議する。
「えぇーーー!! ぼくのお母さまなのに!」
「リンドルム、大人げないぞ」
窘めるも取りつく島もなく、私に厳しい目を向ける。
「君も冗談とはいえ俺以外の求婚を受けないでくれ」
「だが、息子だぞ?」
「それでも、だ」
腕を組んで、ご機嫌斜めな様子に苦笑が漏れる。
リンドルムの機嫌を取ろうと、地面にリゼルを下ろすとそのまま小さな手でしがみついてきた。
「でもお母さまはぼくのこと好きだよね!?」
「もちろん大好きだ!」
ぎゅっと抱きしめる。
息子が勝ち誇った顔でリンドルムを見ているとも知らずにそのまま頬擦りをする。
リンドルムが奪うようにリゼルを軽々抱き上げた。
「だが、俺のことは愛しているだろう?」
「はは、当たり前だろう?」
嫉妬を隠しきれていないリンドルムに愛しさが込み上げた。
その頬に手を伸ばし、キスをして微笑みかける。
「もちろん愛してるとも」
「もう一回」
少し機嫌が治ったようで、甘えるようにおねだりされる。
くすくすと笑みをこぼして、もう一度口付ける。
「俺も愛している」
「うん、知ってるよ」
リゼルを抱き上げたまま私を抱き寄せると、リンドルムは何度も繰り返しキスを落としてくる。
「お父さまあまえんぼー」
「本当にな。リゼルはお父様に似たな?」
「お母さまにだけあまえてるんだもん!」
「ほー? じゃあリリアに言って、甘やかすのをやめさせないとな」
「えーっ! やだ!!」
リゼルの大好きな乳母の名前を口にすると途端にイヤイヤと首を横に振る。
家族の笑い声が青空に響く。
出会った頃は、まさかこんな結末になるとは思わなかった。
ただ、親友としてそばにいたいと願っただけだったのに。
決して、来ないと思っていた。
考えないようにしていた未来がこの手にある。
私の想いは変わらずまっすぐにリンドルムに向かっていて、共に笑い合える幸せを噛み締めた。
彼の好きだったあのお気に入りの場所で今日も私達は愛を囁き合う。
最後までお読みいただきありがとうございました!
楽しんでいただけましたでしょうか。
まだ書きたい話もありましたが、ここで完結とします。
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