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息すら止めていたようで息苦しさに呼吸を再開するとやっと思考が動き出す。
大丈夫。取り乱すな。これは親愛や友愛のキスだ。家族間や友人なら当たり前。落ち着け、セリーナ。深呼吸しろ。
自分に暗示をかけるように繰り返していると、そんな私の内心さえも読み取っているのかリンドルムはまた楽しげに笑う。
「それで、お願いなんだがな。同じ寝室で寝ること。それだけだ。な、セリーナ。簡単だろう?」
子供に語りかけるように優しい声色でされたお願いに落ち着きを取り戻したが、もっと凄いことを要求される可能性を考えていた私は呆気に取られた。
「えっ、それだけでいいのか? なんだ。簡単だな! やっぱなんだかんだ言ってもリンドルムは優しいな」
甘やかしてくれるリンドルムに照れたように笑いかけると、すんっと真顔になった。
「……………………」
「ん? ど、どうした?」
「いや、なんでも。今後絶対俺のいない夜会に行くな。伯爵同伴でも許さない。外出は全て俺が厳選した護衛をつける。わかったか?」
やけに真剣な様子なので素直に頷いておく。
「うん、いいけど。お前意外と束縛激しいタイプだったんだな」
「……そういう問題ではなく! あぁ、もう。本当に先が思いやられるな」
困ったような、それすら楽しんでいるような顔だった。
そんなリンドルムがおかしくて笑い声を上げた。
そこにーー
「おかえりなさいませ。落ち着かれましたかな。リンドルムぼっちゃま、セリーナ様。
おっと、失礼いたしました。旦那様、奥様」
「は」
聞こえてきた声に再度思考が停止した。
リンドルムに抱き上げられたまま、ぎぎぎ、と音が聞こえそうなぎこちない動きで首を回す。
エントランスには公爵家の使用人が勢揃いしていた。
リンドルムは平然としていることから気付いていたと思っていいだろう。
ずっとリンドルムの方ばかり見て話していたせいで私だけが気付かなかったのか!
というか、私の意識を逸らすために、あ、あんなことやこんなことしてたんじゃないだろうな!?
恨めしげに眼前の顔を睨みつけるがどこ吹く風だ。
「おっ前、絶対あとで覚えてろよ! とにかく下ろせ! 早くっ!」
「今更だろ」
「いいから下ろせ!」
不満そうに顔を歪めながらも渋々私を下ろして、すぐさま肩を抱く。
「……おい」
「これが最大限の譲歩だ」
そんなやり取りをしているとジェイムズさんがにこにこと満面の笑みを浮かべてゆっくりとこちらに近づいてくる。
それが死刑宣告や死神の足音に聞こえて慄いた。
「セリーナ様が初めておいでになる、このおめでたい日に我々がお出迎えしないはずございません。ええ、ええ。すべて皆で見ておりました。仲がよろしいようで何よりでございます」
「あ、ああああぁぁぁ! ち、ちが、あの、私っ、これはっ……!」
羞恥心が限界になり慌てふためく私に、分かってますとも、と優しい笑みを向けられた。
「ええ。全てぼっちゃま、いえ、旦那様が悪うございます。セリーナ様のお可愛らしい姿を見せつけたかったのでしょうな。本当に人が悪い」
そう言って首を振るとリンドルムに非難するような目を向けた。
それに少しバツが悪そうに顔を背ける姿に若干溜飲が下がる。
「セリーナ様は病み上がりですのに、全く。旦那様、手を出されるのは少し待って差し上げるのが大人の男ではありませんかな?」
「ジェイムズさん〜〜〜っ!」
頼りになる助け舟に指を組み合わせてキラキラした目を向ける。
リンドルムはややうんざりとした様子でジェイムズを半眼で見遣った。
「何でお前はそうセリーナの味方をする?」
「ほっほ。何を今更。私は昔から旦那様よりもカーディル様のお味方でございます。ご存知では? そして当然ながら今はセリーナ様のお味方でございます」
好々爺然としたジェイムズがあっさり言った言葉に二人して息を飲んだ。
「このおいぼれ、どれだけ歳をとってもカーディル様の輝きを忘れることはありません。よくリンドルムぼっちゃまを太陽だと仰っていましたが、内から輝きを放っていたのはあなた様の方でした。誰よりも温かで、お優しく、陽だまりのようにいつまでも鮮やかに私めの記憶の中に残っております」
「ジェイムズ。お前、最初から気づいてたのか。だから酒も菓子も……」
「ほっほ。歳だけは重ねておりますからなぁ」
しわしわの顔を更にくしゃっと歪めて嬉しそうに微笑む。
「さて、セリーナ様。ヴェルズ公爵家へようこそおいでくださいました。まずはお部屋にご案内いたしましょう」
ジェイムズさんはそうして私に優雅な一礼をしてみせた。