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 辺りに魔物の血の匂いが充満している。

 酷い匂いに鼻を押さえて、子供の姿を見落とさぬよう念入りに見渡す。


「見つけた!」


 ここから少し離れた木のそばにしゃがんでいる姿を見つけた。そしてその後ろにいる熊に似た魔物の姿も。

 いつ襲われるか分かったものではない。


 そのまま剣を握りしめて駆け出す。



 大丈夫だ。間に合う。


 いや、間に合わない。


 相反する脳内の結論に頭が軋む。


 脳裏にこだまする悲鳴。


 咽せ返るような血の匂い。


 子供を守る母親の姿。


 手に持った剣が抜け落ちた瞬間。


 それは前世だったか、今見えているものなのか。


 景色が重なり視界が揺れる。


 記憶が混濁するのを頭を振りかぶってどうにか正気を保った。


 今度こそ間に合ってみせる!


 真剣の重さに令嬢の細腕はそう何度も耐えられないだろう。


 一撃で仕留める。


 魔物にしては小さめの3mほどの大きさだ。

 熊の魔物も私の姿を捉え、武器を認識したのか敵意を剥き出しに爪を振りかぶってきた。

 右に左にと爪を避け、土を蹴り跳躍する。

 狙い違わず眉間に一突き入れると、噴き出した血を頭から浴びて視界が血で遮られる。

 息絶える寸前まで私を切り裂かんと爪を伸ばしてきたが、顔を蹴り飛ばして剣を引き抜いて距離を取った。

 動かなくなったのを確認し、短くなったドレスの裾で雑に顔を拭う。


 血が目に染みて、何度か瞬きを繰り返してどうにか視界を確保すると子供のそばに駆け寄る。


 その背後を見た瞬間ーー背筋が凍った。


 先ほどの魔物より二回りは大きい魔物がいた。

 親子か番だったのだろうか。魔物の特徴は酷似していた。

 酷く興奮した様子で鼻息荒く今にもこちらに飛びかかってきそうだ。


 ああ、こんなところまであの日を準え(なぞら)なくてもいいのに。


 幸い子供は気づいていない。

 できる限り優しく聞こえるよう震えが伝わらないように激しく脈打つ胸を押さえて呼吸を整える。

 ともすれば叫びそうになるのを抑えるだけでも今の私には途轍もなく困難なことだった。


「いいか、僕。振り向かずにここから離れるんだ。あの救護テントの旗が見えるな? そこでお母さんが心配している。ーーさあ、走って」


「うんっ」


 子供の足音が遠ざかる。

 魔物が追うそぶりも見せなかったことに安堵したが、これで狙いが熊の魔物の血を浴びた私だと確信した。


 呼吸が浅くなっているのを自覚して、落ち着かせるように深呼吸を繰り返す。

 決して目を離さぬよう、間合いをとって剣をだらりと構える。


 いや、でかいな。跳んでも届くか? 微妙だな。正直ちょい厳しい。

 ナイフはあと1本だけだ。

 そもそもこの大きさだと急所に届く前に失速して威力が落ちるか。なら、ナイフは最終手段だ。

 あーリンドルム来てくんないかなぁ、なんて泣き言を言ったら怒られるかな。


 強がって笑みを浮かべてみるも前世と同じ状況に震えが起きる。

 心臓を鷲掴みにされるようだ。


 それでもあの誓いのままに剣を取ろう。


 例え戦う力を殆ど失っていても。


 民を。弱き者を。見捨てて逃げることなどできない。


 だって私は、騎士(カーディル)だから。


 死角に入り込み、左から脇を狙う。


「ぐっ! うわ、かってぇ! なんだこれ!? 獣のくせに固すぎんだろ!」


 体毛が硬く滑って剣が通らない。

 こういうタイプの魔物だと狙うのはやっぱり目や口か。うーん、どうやって跳ぶか。


 離れて観察していると、四つ足で急速に距離を縮められた。

 右手の鋭い爪を振りかぶられ、慌ててバックステップで距離を取ろうとしたが、騎士時代のそれと勘違いした私の速度では回避が僅かに間に合わなかった。


 腹に突き刺さる魔物の腕。


 それは抜かれることなく、そのまま私ごと上に持ち上げられた。


「ぐっ……う……」


 剣は手放してたまるか。


 意地でも離すまいと剣を握る手に力を込める。


「はっ、だが、これで、届くぞっ」


 振り払われる前に、目を狙う。

 もう眉間を刺し貫くような力は残っていなかった。


「くたばれ……っ!」


 右目に真っ直ぐ突き立てる。


 奥に、奥に。もっと深く。こいつが動きを止めるまで。刺し込まなければ。


 剣を振り払おうと魔物は体を大きくのけ反らせ、右に左にと顔を振る。


「ぐっ、あぁっ!」


 腹に刺さった腕が更に穴を広げていく。

 あまりの痛みに意識が飛びそうになる。


 は、こりゃ内臓ズタズタだな。


 頭の一部が冷静に自分の死期を悟っていた。


 力が足りない。


 ああ、今世も男であったなら。


 言っても詮無い事を。だが、願わずにはいられなかった。


 どのくらい経ったのか。


 私には永遠とも一瞬とも感じるような時間だった。


 震える手は剣を掴んでいると言うより、もはやただ辛うじて触れているだけだった。


 でも、まだこの手に剣がある。


 それだけで私は諦めないでいられた。

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