学校の高嶺の花に「私の彼氏になって」と言われてから、本命の子に嫌われたのだが
俺は高二の時からずっと気になっている子がいる。
だが三年生になり、もう六月にかかった頃、最近その子の様子が何かおかしいのだ。正確には何かを、いや、俺を避けているような……感じがするのだ。正直、理由はなんとなくわかる。多分それは俺のせいだと。俺があのような話に乗っかからなければこのようなことにはなっていなかったはずだ。
俺は……どうすれば……どう、すれば…………。
◇◆◇
「──ねえ、華柳冬稀?」
ん……? 俺?
五限が終わり、休憩時間にかかった教室は喧騒であふれる。
「ん? なんだ? てかなんでフルネーム!?」
「だって全然気づいてくれないんだもん」
俺の隣の席に座っている子、言い換えればクラスメート、または幼馴染とも呼べる存在の女子、朝霧紫晞が俺の瞳を覗き込むように声を掛ける。
その宝石のように透き通った紫の瞳に覗き込まれると、流石の俺でもドキッとしてしまう。
なんとか精神を落ち着かせ、俺は紫晞の正面を向いた。
「ごめんごめん、わりぃ、考え事してたわ。で、なんだ?」
紫晞はむーっと頬を膨らませ、何か不満だという態度を見せつけてくる。
え……俺なんか大事な話を聞いてなかったとか? てか紫晞のその顔はアウトだろ! 俺の精神が持たねぇ、なんだよ、可愛すぎだろ。
「ん、まあいい。で、冬稀大丈夫? 最近考え事が多いみたいだけど……」
うっ、顔とかに出てるのか? ただ単に紫晞の感が鋭いのか……。
まあなんにせよ、紫晞には迷惑を掛けたくない。俺の問題を人に押し付けたりするのだけはなんとか阻止せねば。ここは適当にごまかしておくか。
「そうか? ん〜、確かに最近はバミューダトライアングルの仕組みはどうなってるんだろう、とかよく考えるなぁ」
「冬稀」
氷の様に冷え切った紫晞の声。
俺はわかる。紫晞と幼稚園からの幼馴染だからこそわかる。紫晞だけは怒らせてはいけない事を。怒ったらその先俺にも見当がつかない。
ここは素直に謝って本当の事を言おう。うん、そうしよう。俺が死ぬ前にな。
「すいませんでした。いや、何かな〜ちょっと後輩と?ちょっと関係が拗れちゃったり?しちゃったわけですが……」
「そうだろうと思ってたよ。どうせ瀬田紗香さんのことでしょ?」
俺の脳裏には紫晞が言う瀬田紗香の顔が貼り付く。
軽音楽部の、俺の後輩……瀬田紗香……。紫晞が言う通り俺が先程から考えている子だった。
「…………」
「その沈黙は肯定と捉えても良いのよね?」
「ああ、そうだ。はは、紫晞に隠し事はできねぇな」
本当に紫晞に隠し事をできた試しがない。というかそもそも隠し事をしようなんてあまり思わないのだが。
「何年一緒にいると思ってるの」
もうかれこれ17年くらいか? そう考えると長いもんだなぁ。かなりお世話になってるしなー。いつか何か買ってあげるか。
紫晞は続ける。あのいつもは無口な紫晞なのだが、俺の前だけは口数が多い。俺のことをちゃんと考えてくれている証拠だ。
「冬稀、そんなに我慢しなくても良いのよ。ありがとう、私の事なんてそんなに気にしなくても良いんだよ」
突然の礼。その礼が何に対しての礼なのかはわかる。
◆◇◆
──それは俺達が三年生に進級した頃だった。
偶々帰り道に紫晞と会った時だ。紫晞と俺の家は隣同士な訳で正直こういうことはよくある。なので平然としながら、当たり前のように隣同士を歩きながら自宅を目指す。
「ねえ、冬稀」
大して話題のない俺達だが、その日は珍しく紫晞が話を持ち出した。
「ん?」
「私さ、結構美人だよね」
「ん? いきなりどした? まあ、そうだな。そこらにいる奴らよりは全然美人だな」
実際、紫晞は本当に隔絶の美人だ。美人という言葉で済ましたくないほどに。
長い脚に黒髪のロング。顔の鼻筋、目、骨格、どれをとっても自信満々に完璧だと言える。しかも学年一位を誇る頭脳に、部活で全国出場するくらいの成績を備えた脅威の文武両道なのだ。
学校の高嶺の花と呼ばれる紫晞はその美貌を目の当たりにした男子を虜にする。俺もその被害にあっていたくらいだ。
しかも紫晞にはその完璧な美貌だけではなく、多くの男子達までも虜にさせるだけのギャップを有していた。いわゆるギャップ萌えというやつだ。
紫晞は運動神経抜群で何でもこなせる活発な女の子の見えたのならそれは大きな間違いだ。そう、紫晞はそこまで活発な女の子ではなく、怠そうな目をし特にしたい事もなさそうな口数の少ない女の子なのだ。自己主張もせず、自分が出来る女だという事も自慢しない、それは誰もが想いを寄せてしまう性格を紫晞はしていた。
男子達が理想する女子が目の前に現れたらそれはもうたまらんだろう。
そして俺はその紫晞から「私美人だよね」という言葉を投げかけられたのだ。あの自分が美人だとわかっていないと思われていた紫晞の口から……。
俺の鼓動の脈が少し速くなるが、そこは幼馴染精神で平静を装う。
「私さ、こう見えてかなりの頻度で男子に告白されるの」
こう見えてって俺がどうみてると思ってるんだよ、と思いながらそこはスルーする。
男子からかなりの頻度で告白されているのは知っていた。俺が紫晞の幼馴染という立場からか、そこらにいる男子からよくそういう話を持ちかけられていたのだ。
ここは適当に誤魔化してやればいい。
「良かったじゃん。それだけ紫晞がかわいい証拠だよ」
「む、な、なによ……はぐらかさないで。そうじゃないの、私困っているのよ」
困る?あの紫晞から困るという言葉はあまり聞いたことがない。そして紫晞は嘘を吐かない。
「ん?それは告白でってことか?」
「そうよ、大して話したこともない男子が言い寄って来てすごく困ってるの。冬稀だから言うけどかなり不愉快なの」
ほうほう、俺が信頼されてる証拠だな。
「その話だが、俺に言われてもどうすることもできないぞ」
「うん、そういうと思った」
何だと!? 未来予知能力でも持ってるのか!?
そしてわかっていたなら言うな、そんな話。結構聞きづらいぞ俺的には。
「だから私がその解決策を考えてきたの」
ふむ、それならばいけるか。紫晞は無理な事とか言わないタイプだし。
「ふーん、どんな?」
紫晞は俺に息がかかるくらいに顔を近付ける。
ここまで近寄られたのは小学生以来か、不可抗力で俺の鼓動が高鳴る。これはヤバい、と一瞬で危険を察知する……が体が動かない。
遂に紫晞はその言葉を発する。
「冬稀、私の彼氏になって」
思考の停止。それは一瞬の時間俺の意識を奪った。
紫晞の耳が赤いような気がする。
世界が止まったような気がした。
少しの間が空き、遂に俺の口から言葉が出る。
「……は?」
出た言葉はそれだけ。
「だから私の彼氏になって」
大して期待もしていなかったその言葉。いや、少しは期待していたかも。確かに俺は朝霧紫晞の事が好きだ。だがそれは友達として、家族として的な意味だったような気がする。いや家族は違うか。
「う、うむ。ちょっと待て。近い」
「え……あ、ご、ごめん!!」
紫晞は顔を赤くさせ、咄嗟に身を引く。視線をキョロキョロと転がせてから、少し上目遣いで俺の方を見てくる。
「少し考えさせてくれ」
「え?」
何だその「え?」は。俺が直ぐに応えるとでも思っていたのか、わからない。紫晞が何を言いたいのかわからない。
一旦整理しよう。
まず紫晞は俺の事が好きで告白してきたのか。そんなはずはない。大して顔が良いわけでもない俺に紫晞が恋心を抱くなんて事は無いはずだ。
それと先程の話の流れから、紫晞は男子の告白が面倒なだけで、俺と付き合えば告白が無くなるんじゃないかと仮定してのことだろう。
いやそうだ。それしかない。完璧の人が並の人を好きになるわけがない。
それとそもそも俺はこの告白を受けとれない。
俺には……もう既に……
「……ごめん」
「……そっか。そんなに真剣に考えてくれるんだ、冬稀は……」
紫晞は一瞬表情が暗くなるも、すぐにいつもは見せない満面の笑みを浮かべる。
「ふふ、ありがとう。でも私が言いたいのはそういう事じゃ無いの」
「へ?」
どういうことだ? 何か俺は勘違いしてたのか? 勘違いしてたら一生の黒歴史になるぞ!?
「私が言いたいのは、冬稀に私の彼氏を名乗って欲しかっただけなの。いわば偽のカップルってやつ?」
「に、偽のカップル?」
「そう、偽のカップル。だから誰がどう思おうとも私達は本当の彼氏彼女の関係じゃない」
偽のカップル……。なんて俺は勘違いしていたのだ……。うぅ、恥ずい。
だが偽のカップルも悪く無いな。
「そうか……肩書きだけって事か。それならば不用意に紫晞に近づく奴も減るはずだしな」
「そうなの。ただ私は知らない男子達に告白されるのが嫌なだけ、だから冬稀にもう彼氏を名乗らせよう! て思いついたの。どう? 引き受ける?」
そ、それならば……いいか……。
紫晞の為になるし、大して俺に影響もなさそうだし。それに俺はまだあの子とのチャンスも……。
「うん、そうだな。紫晞の役に立つならいいぞ!」
「うん、ありがとう。じゃあ今日から君は私の偽の彼氏だね! よろしく」
「なんか、変な感じだな……けどまあ、よろしく」
ふむ、この関係もなかなか悪く無いな。
「冬稀」
「ん?」
「さっきの話だけど」
「ああ、どうした?」
「何で私の告白を断ったの?」
そこ突くか!? どう言ったら良いんだよ……俺に好きな人がいるなんてまだ紫晞には……
「どうしたの? そんなに焦って」
ああこれはヤバい。素直に言った方がまだ安全か。もうどうなっても知らない!!
「紫晞、落ち着いて聞けよ?」
「うん」
「俺にはな、ちょっと一昨年くらいから気になってる子がいてだな……」
「うんうん、それで?」
紫晞は笑顔でそう言うが、目が笑ってない。
「あー、ちょっと部活の後輩の女子がちょっとね」
「うんうん、もしかして瀬田紗香さん?」
「え!? 何で知ってるの!?」
「ふ〜ん、まあ勘づいてはいたんだけどね〜。冬稀の事なら何でも知ってるからね」
マジかよ。ヤベェな幼馴染って……。
「あの子どうなんだろ。まあ並の人間よりは可愛い子だよね」
な、並のってなんだよ。
「紗香さん私よりは可愛く無いけどね〜」
なんて言えば良いんだよ! クソ、これは走って帰るしか──
「私じゃダメだったんだ……」
小さな声でハッキリと。
「え、」
「ん?どうしたの?」
「今なんて──」
「何も言ってないよ? 幻聴じゃない?」
「いや、さっき──」
「うるさいなぁ、私喋るの苦手なの。そろそろ黙って」
何だと? それじゃ俺はこれから何か思い違いをして生きていかなければいけないのか!? おいおい、さっきの台詞はどういう意味だったんだよ!!
◆◇
「いや良いんだよ。別に俺も迷惑かかってないしな」
「本当に? それなら良いのだけど……」
「……でも、」
「ん?」
「……でも、もし……もし俺がその子のことを諦められなかったら」
「ん」
「その時は、応援してくれたら……その、嬉しいな」
「ふふ、面白い子だなぁ冬稀は……、そういうところが好きだな」
小さな声で。
「え? 今なんて?」
「良いよ。応援してあげる」
「おい……まあいっか。ありがとう、紫晞」
◇◆◇
HRを終えたあと、俺は部活に行く準備をする。
準備と言っても、ただ教科書などの荷物をカバンに入れていくだけなのだが。
ついでに紫晞に声かけておくか。
「紫晞、テニス頑張れよ」
「ん、冬稀もね」
いや〜なんとも心地の良い会話だろうか。
そんな事考えてる場合じゃない。早く部活に行かなければ。
部室の中には俺と他三人しかいない。
ギター、ベース、ドラム、キーボード……色々な音色が聴こえる。軽音楽部特有の音だ。
俺がギターに手を掛けたところでガラリとドアが開いた。
そこには無駄なものを飾らず、髪はゆるくふわっとし小柄でパッとしない少女がいた。
俺の心臓がドクンッと大きく脈を打つ。
この気持ちを隠すように俺は反射的にその子に声をかける。
「おっ、紗香じゃん! 待ってたんだよー。一緒にギターやろ!」
「冬稀先輩……」
その一つ年下の少女、瀬田紗香は俺の顔を見ると表情を少し曇らせた。
「今日はちょっと一人で練習したいなぁ、なんて」
「ええー! 俺ずっと紗香とギターすんの楽しみにしてたのにー」
「ふふ、冗談ですよ。やりましょ、ギター」
やっと紗香は何気ない笑顔を浮かべた。俺もその表情を見て一気に気が緩んだ。
「よっしゃー!」
◆
俺が紗香にこの感情が芽生えたのはいつだったのだろう。
それはちょうど一年前だったか。初夏の日差しがグラウンドに降り注ぎ、サッカー部の熱狂が燃え盛る。
そんな中、俺は部室でのんびりとギターを弾いていた。
1か月前までは静かだった部室。
新入生が入った軽音楽部はいつもと取って代わって賑やかになっていた。
だが、俺はその賑やかさが嫌いだった。
施設だけは整った軽音楽部。
その中で一番人気な楽器はやはりドラムだった。
新入部員が入った今、俺ら先輩達は後輩を想ってドラムセットを触っていない。だがそのせいか、ここ最近ある一つの問題が生じていた。そう、後輩同士のドラムの取り合いだ。初めはまあよくあることだな、とは思っていたのだが実は違う意味で、それはよくある問題だった。
虐めだ。
それも集団での虐め。か弱い女の子一人を……。
新入生が入って一か月目の部活。
一年の問題児、美奈子その他諸々が部室にはいなかった。
今日は来ないのだろうか……。
紗香は美奈子がいない今がチャンスだと思ったのか、ドラムセットに恐る恐る触れに行った。そしてスティックを手に取りスネアドラムをゆっくりと、味わうように、叩いた。
一瞬、紗香の顔に笑みが浮かんだような気がした。今思い返すと俺は紗香の笑みを見た記憶がない。紗香は今ままでどれ程の……。
と、廊下の方からいきなり話し声が聞こえてきた。それもだんだんと大きくなっていく。
「今日はなにするー? あたしはなんでもいんだけどさー」
「ドラムとかでいんじゃね?」
「やっぱ?」
面倒な奴らだ。俺にはあまり害はないのだが、見ていて腹が立つ。
紗香の方はというと、スティックを持ちながらあたふたとしている。多分その場を離れるか迷っているのだろう。
ガラガラっとついにドアが開いた。
結局紗香は退かなかった。
「え……、何やってんの? 紗香?」
「うーわ」「やばいねーこれ」
うむ、俺と同学年じゃなくてよかった。
紗香の顔に後悔が滲む。
「あんたそれやってたの? あんたの分際で? ははっ、笑わせないで」
美奈子の言葉に紗香は言い返す。
「どういうこと? 私の何がいけないの?」
そのカーストが高そうな陽キャ女子――美奈子は紗香の目をギラリと睨みつける。
「はあ?」
美奈子の後ろにいる男子達の顔に少し緊張が見えた。
美奈子はさも不愉快だと言わんばかりに紗香に言い放つ。
「あたしはねえ、あんたみたいな何の価値も無い人が嫌いなのよ。消えてくれる? 目障り」
分かっていないな。くそっ、頭にくる……。そっくりそのまま返してやりたいところだが、後輩にダサいところは見せられない。
「…………」
紗香はぐっと唇を噛み締める。
見てられねぇ。
「わ、私は──え?」
俺は紗香の手を引いた。
「俺の後ろに立ってて」
周りから視線を感じる。
だがそんなのは無視し、俺は美奈子に向き合った。
「な、なんなのよ。冬稀先輩……」
美奈子は俺の眼を見て一瞬たじろぐ。
「美奈子、君はどうして軽音に入った」
一言一言はっきりと、言い聞かせるように。
「は、入った理由?」
美奈子は少し下を向き、考える。
やがて前を向いて言った。
「楽しみたいから、かな」
「うん。大体の人がそう言うね。それもいい考えだ」
音楽は楽しむもの。
「でも、君は音楽を楽しみたいだけだよね。たったのそれだけの気持ちで入ったんだろ?」
「え、だから何?」
「楽しむことはいいこと。でもさ、人を不快な気持ちにはさせないでくれるかな?」
「は? そんなのあいつがさせてんでしょ?」
美奈子は紗香の方を見る。
「そうかな? 俺はそう思わないけど。俺らはな、音楽を愛している人が音楽を奏でるところが好きなんだ。音楽に興味がない人が奏でるのも好き」
周りの友達もうんうんと頷き、共感する。
俺を合わせ5人、音楽を愛し二年になっても軽音に通い続けた。
音楽だけが自分の取り柄のように、大事にしてきた部活だ。それを、こんな奴に崩されるわけにはいかない。
「君にはわからないと思うけど、紗香は音楽を愛しているよ。目を見たらわかる。紗香の奏でる音楽を俺達は好きだよ。邪魔しないでくれる?」
「は?」
ふむ、紗香より下に見られるのが嫌か。
「それに君みたいに音楽を愛してもいない人の、ただ自分の事しか考えない人の音楽は人を不快にさせるだけだよ」
美奈子とその後ろにいる男女は顔を歪める。相手が先輩という立場だからか、何も言わない。いや、言えないのかもしれない。
「実際、俺達は君達の行動がかなり不愉快だったよ」
うんうんと周りにいる先輩達も頷く。
ここまでの視線と自分の駄目なとこを指摘されると、屈辱で耐えられないだろう。
少しの間が開き、俺は最後の言葉を言う。
「美奈子、君は音楽を愛しているのか?」
美奈子は何も言えないらしく、五秒くらい経って動いた。
「あんた達、行くよ」
それだけ言って、美奈子は足早に出て行った。後ろにいた子もまた着いていく。でもその子達の顔は暗かった。おそらくその中に音楽が好きな人がいたのかもしれない。
「ふ、冬稀先輩。あ、ありがとうございます」
紗香が俺にお礼を言ってきた。
「うん、全然いいよ。助けたっていうか俺が言いたいことを言っただけだからね」
俺もスッキリしたし。
すると紗香は目元を濡らす、俯き加減に俺を呼んだ。
「冬稀……先輩……」
「紗香、何泣いてんだよ。一緒にやろ! ギター」
紗香は目元を拭い、俺の目を見た。それも初めて見る満面の笑みで。
「うん!」
あの後から美奈子は一度も軽音楽部に顔を出す事は無かった。
思えば俺が紗香を意識し始めたのはあの出来事からだったのかもな。
◇
「うん、いいね」
「そ、そうですか?」
「いやマジで。もう俺より上手いんじゃね?」
俺と紗香のギター練習は続いていた。
「それはないですよー」
「まあ俺より上手いは冗談だけど、本当に上手くなってる」
アーティストを目指している俺から見ても、紗香の成長速度は凄まじく速かった。これが才能ってやつか……。
「いえいえ、冬稀先輩が教えるの上手すぎるんですよ」
「えへへ、そうかな? 紗香の飲み込みが早すぎるだけじゃなくて?」
くそ、お世辞が上手い。
「本当に先輩って謙虚ですよね。もっと自信持っていいんですよ?」
「ありがとう、そういう君も自信ないんじゃないのかな?」
「うっ、バレたか……」
こういうやりとりがいいよな。何気ない会話。
俺は腕時計に目をやる。
おっと、もう6時か。やっぱ紗香と話してたら早いな……。
「いつの間にかもう六時前になってたわ。紗香との練習が楽しすぎて時間が早く感じるね」
「そうですね……。じゃあ私帰りますね」
ん? 暗く……。あれ、俺何かいけないこと言ったかな。
「うん」
紗香につられ俺もギターを仕舞う。
すると、紗香は帰る用意を済ませ足早に部室を出ようとした。
どういう事なのかさっぱりわからない。いや、もしや……。
いつものように俺は紗香を帰りに誘う。
「紗香、一緒に帰ろ!」
紗香の足が止まり、俺を向いた。暗い顔だった。
「でも、冬稀先輩の彼女さんに失礼だし……」
「えっ……」
やっぱりか。確かにそう捉えるのも無理は無い。むしろ俺が紗香にちゃんと伝えていないのが悪いな。
「ああ、それなら大丈夫だよ」
紗香は黙ったままだ。
「一緒に帰らないの?」
「来ないで!……先輩は……先輩は私の気持ちなんてわからないでしょ!」
……驚いた。初めて聞いた大きな声。
俺は紗香の事を何も考えていなかったのか。
「……ごめん。俺は……」
「帰る」
紗香は俺の言葉を遮り、部室を出ていってしまった。
「……紗香……」
◇◆◇
校門の前をとぼとぼと通り過ぎる。
紗香にあのような事を言われてから気がしょんぼりと、もう立ち直れる気がしない……。
「あ〜あ、やっぱ俺じゃダメか……」
「冬稀!」
はぁ、俺の名前が呼ばれる幻聴まで聞こえてきたよ。
「華柳冬稀!」
「んだよ」
流石に俺は後ろを向く。
そこには見慣れた顔の美女、朝霧紫晞がいた。
「お前……部活はどうした」
「終わったわよ、今何時だと思ってるの。それより何で歩くのがそんなにも遅いの?」
先程まで遠くにいた紫晞がもう俺の横に並んでいた。やはり運動部は脚が速いものだ。
「いや〜別に……」
「ふ〜ん、さては瀬田紗香さんに──」
「おーいおいおい、それ以上は言うな。俺の心が──」
「嫌われちゃったんでしょ〜」
「あああああ」
──来ないで!
あの台詞がフラッシュバックする。
う、うぅ……本当に俺は嫌われちゃったのかな……。
先に俺らの関係を説明しとけばよかった。
「紫晞、俺紗香に俺らがマジで付き合ってると思われちゃってるよ〜」
「そらそうでしょ、そうなるように仕組んでるのだから」
うぅ、じゃあもう紫晞のせいだ……。
「どうしたらいい?」
「どうも何も、早く自分の気持ちを伝えたら? 女はそういうの引きずるタイプだから、早く誤解を解いてあげなさい」
そうなのか、早くと言われても明日は休日だし、次会うのは月曜か。
もういっそ明日紗香を呼び出して誤解を解いてみるか? 早い方が良いらしいしな……。そうしよう、紗香なら来てくれるだろう。
いや、ちょっと紗香と俺2人はキツいぞ。今ですらやばい雰囲気なのに、しかもまだ2人で出掛けたりとかした事ないぞ。
こうなったら──
「紫晞、頼む! 明日俺に付き合ってくれ!」
「え? 私?」
「そうだ。紫晞がいなければ誤解も解けねぇし、気まずいし……」
「別に良いけど……」
「ありがとう! 紫晞ならそう言ってくれると思ったよ!」
「えっと、」
「本当にありがとな! 紫晞にはいつも世話になってばかりだぜ〜」
「手を……」
「いつかお礼しなきゃいけねぇな」
「離してくれないかな……」
「ん? 何か言ったか?」
「手を離してくれないかな」
紫晞が顔を赤らめ俺から視線を外す。
おっと、いつの間にか嬉しすぎて紫晞の手を掴んでいたようだ。
「ごめんごめん、つい嬉しすぎて」
「…………」
「どうした?」
「離さなくてもいいのに……」
ボソッと。
「え、なんて? 聞こえなかった」
「何でもない! それでどうするの明日、どこで待ち合わせするとか決めたの?」
紫晞はいつも通りの表情に戻り、せかせかとした態度に変わる。
「ふむ……まあ、どうにかなるさ」
場に任せば何とかなる。論を俺は唱えている。
「ねえ」
背筋に冷気がのぼった。
「はい申し訳ありません今考えます」
ふーもうすぐ死ぬところだった……。紫晞の前でふざけてはいけないからな……。
「えーとじゃあ俺の行きつけの場所に行こう」
「ん、じゃあその方向で」
よし、すごく順調だ。やっぱり紫晞はしっかりしてて頼もしいな。
「あー人生初の告白かぁ」
今まで大して気にした女子とかいなかったからな。ちょっと緊張してきた。
「え、なんて?」
「いやだから人生初の告白だなーって。結構緊張するもんなんだな」
「……告白って好きです、の告白?」
いきなり紫晞が驚いたような顔をして俺にそう問いかけてきた。
「何を言ってるんだ、それしかないだろ。自分の気持ちを伝えたらって言ったのは誰だよ」
「そうだけど……。本当に?」
「おう、もう俺は意志を堅めたからな」
「そう……」
◇◆◇
土曜日──俺は紫晞を連れて紗香との待ち合わせ場所の駅前に向かっていた。
昨夜、紗香に連絡したら『分かりました。』との返事で応答してくれたのだ。
「お、いたいた。てか早えな……」
駅前にはもう既に紗香が待っていた。流石にしっかりしてるだけあって早い。
俺は待たせてはいけない思いで、走って紗香のほうに向かった。
「はあはあ、ごめん、待ったよね。はあはあ体なまってるわー」
体育以外では運動してこなかったためか、身体が相当鈍ってる。
「う、ううん。待ってないよ」
うぅむ、まだ少しぎこちない感じがするな……。
まあでも来てくれたことには変わりないし、待ってないみたいだから別にいっか。
「良かった、てか紗香その服似合ってるね」
紗香らしく柄のついたTシャツに、淡いオレンジ色のスカート……。いかにも子供を思わせる服に俺は一瞬見惚れてしまっていた。
「え、あ、ありがとう……」
紗香は少し顔を赤くさせ、礼を言う。
段々と気温が暑くなってきているこの夏。少し紗香に外出はキツイか?
「大丈夫? 顔赤いよ?」
「む、見ないでよ」
俺、まだ嫌われているのか……。まあしょうがない。後でちゃんと俺の気持ちを伝えよう。
「ふ、冬稀先輩も似合ってるよ」
おっと、不意討ちだぞそれは。恥ずいな。というか俺何も服に気を使っていないのだが……。変な柄が入ったT-シャツに黒のパンツ。
いや適当すぎるだろ。全然何も思わず着てたわ。
「ん? そうか? 適当にあるの着てきただけなんだけどな。ありがとう。てか今何時だ?」
俺は腕時計を見る。
「え、まだ二時半じゃん。紗香早いなー」
驚いた。待ち合わせ時間より30分も早い……。いったい紗香は何時にここに来たんだよ。
「あの人って、紫晞先輩?」
いきなり紗香がある方向を向きながらそう聞いてくる。紫晞だ。
「ああ、そうだよ。紫晞〜! 早く来いよー!」
俺は遠くにいる紫晞に大きく見えるように手を振った。
運動部のくせして走らないとは一体どういうことだ。
紫晞は怠そうに返事する。
「わかったわかった、ちょっと待て」
そう言って小走りにこっちに向かってきた。
ふむ、何か今日はいつもと雰囲気がちがうんだよなぁ。服もそうだけど……。
今の季節が夏ということもあり、紫晞は白のワンピースを身に纏っていた。長い黒髪に白のワンピースがすごく似合っており、長い脚はより清楚さを際立たせている。横から見える紫晞の横顔、特に宝石のように透き通った紫の瞳は、幼馴染の俺ですらドキンとしてしまうくらいに美しかった。
うむ、俺は美女二人を連れていて良いのか? 知り合いに会わないことを願う……。
「よし、じゃあカフェ行くか! 俺の自慢なとこだぜ?」
「ん」
いつものように坦々とした紫晞の短い返事。
それから少し歩き、目的の場所に着いた。
「ここが俺の行きつけ、カモメcafeだ! 何故カモメなのかは知らないが。」
そこは普通のどこにでもあるようなカフェ。俺の行きつけの場所だ。何故かって? 安いからだ!
「入ろ入ろー」
「ん」
何も言わない紗香は少し心配な表情で俺についてくる。
カランカラン、と扉を開けた時特有の音が鳴る。
店員はいつもの言葉を言う。
「何名様ですか?」
「三名でーす」
「では、あちらの席でお願いします」
俺達は奥の席に案内される。
「ではごゆっくり〜」
俺は真っ先に奥のほうへと座った。そして俺の横に紫晞が。四人で囲むテーブルなので紗香は俺の目の前に座る。
「何頼む? 俺はミルクティかな」
「トマトジュース」
紫晞はやはり口数が少ない。だがこれがクールで良し。それに栄養重視でトマトジュース。そらみんなに好かれるわな。
紗香は少し考え、
「じゃあ私もミルクティで」
俺と同じものを頼む。
「はーい。店員さ〜ん!」
「はい、ご注文はなんでしょうか」
「ミルクティ二個と、トマトジュース一個で」
「かしこまりました。少々お待ちください〜」
そして店員は厨房の方へと戻っていった。
「そういえばあれだな。紗香と出かけるの初めてだな。なんか緊張するなー」
「そうですね。それに紫晞先輩も同じですし」
「そうだな、紫晞はいっつもこんなんだから気にしないでくれ。本当は紗香と喋りたいはずだから」
そう俺が言うと、紫晞は少し顔を赤らめた。
いや結構適当に言ったのだがあってたパターンか。
「冬稀先輩」
紗香が唐突に切り出してきた。
「ん?」
「私に言いたいことって……」
「ああ、そうだったな」
忘れていた……。ちょっと実は久しぶりのカフェでテンションが上がりすぎていたかも……。
店員が三人分のドリンクを持って来た。
「はい、ミルクティ二個とトマトジュースでーす。それではー」
店員は笑顔でドリンクを置いて、厨房に戻っていった。
「来た来た、はいどうぞー」
俺はドリンクをみんなの前に置いていく。
紫晞はもうトマトジュースを飲みだした。それにつられたのか、紗香も一口、ストローに口をつけミルクティを飲む。
「──!? 美味しい!」
「だろ? ここはミルクティがめっちゃ美味いんだ。それ以外は飲んだことないが……」
なんか今思えばミルクティ以外飲んだことがない。やべぇ、これじゃ行きつけ名乗れねぇぞ……。
だが確かにここのミルクティは美味しい。まろやかなコクに、甘く、勉強のお供に良いのだ。
そんなことはどうでもいい。早く言わなければ……。
「で、だ」
紗香はストローから口を離し、俺の方を向いた。
「単刀直入に言わしてくれ」
「うん……」
紫晞はトマトジュースを飲みながら、その瞳を紗香に向ける。
俺は意を決して言った。
「俺は紗香のことが好きだ! 俺と付き合ってください!」
頭を下げる。
もうどうなってもいい。嫌われててもいい。でもこの気持ちだけは伝えないと俺の気が済まねぇ。
「……え、え?」
紗香は戸惑う。流石に嫌ってる相手に告白されたらどう対処すればいいのかわからないだろう。
「えーと、う、浮気?」
うーむ、気まずいな……。どういえばいいのやら。
「あーそのことだが、俺実は紫晞と付き合っていないんだよな」
「え?」
紫晞もうんうんと頷いている。
「じゃあ、紫晞先輩とはどういうお関係で?」
「幼馴染だ」
「付き合っているはどうして言われてるの?」
そこで初めてまともに紫晞が口を開いた。
「私、男がずっと付きまとって来るの。それが嫌でちょっと冬稀に協力してもらっただけ」
紗香は今までとは違って驚いた表情を見せた。
前までずっと思っていたことが違うと否定されたからだろう。
そして少しの間が空き、紗香は口を開いた。
「わ、私は!」
「うん」
紗香は頭を下げ──
「私も冬稀先輩のことがずっと好きでした!!」
…………。う、そだろ……?
いや、でも薄々感じてはいた。
だがどうだ、期待してはいけない。紗香は俺の告白への返事をまだ言っていない。
「ありがとう。……返事……」
「あ、あ……」
熱い。心臓がうるさい。
紗香の眼にうっすらと雫が見えた。
「うっ、うぅ、わ、わたし……ぅ、ふゆきせんぱいと……」
紗香は子供のように顔を涙で濡らす。
「つきあいたい」
時が止まった。
いや、止まったように感じた。
俺がずっと願っていたことが叶ったから。
あの時、俺は紗香の手を引いていて良かった。
俺の行動は間違っていなかったのだと、今、はっきりとそう思えた。
「ありがとう。これからよろしくね、紗香」
紗香は涙ぐんだ笑顔で言う。
「うん!」
◇◆◇
「──ねえ、華柳冬稀?」
ん……? 俺?
五限が終わり、休憩時間にかかった教室は喧騒であふれる。
「ん? なんだ? てかなんでフルネーム!?」
「だって全然気づいてくれないんだもん」
横にいるのは朝霧紫晞。学校の高嶺の花であり俺の幼馴染でもある。
「ごめんごめん、わりぃ、考え事してたわ。で、なんだ?」
ん? 少しデジャブを感じた……。いや、気のせいか……。
「だから、最近紗香さんとはどうなの?」
「いや〜どうって言われても……実は前とあんま変わらないんだよなぁ」
「確かに。前からすごく仲良かったもんね」
「うん……」
「まあいいわ、見てなさいよ瀬田紗香さん。こっから私の逆転劇が……ッ」
「ど、どうしたんだ!? いつもの紫晞らしくないぞ!?」
「あ、ああ、ごめん。ちょっとね」
「そ、そう……」
「…………」
「…………」
「次の授業の準備をするわ」
そう言って紫晞は立ち上りロッカーの方へと行った。
「うーん、最近ちょっと紫晞の様子がおかしいんだよなぁ。まあいっか、いつか戻るだろ」
そして俺も次の授業の準備をするためロッカーに向かった。
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この作品は『私の好きな先輩は既に彼女がいて』(https://ncode.syosetu.com/n9067hj)のサイドストーリーとなっております。時間がよろしければ是非ご一読どうでしょうか。
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