二つめ。欲望を抑えつけるのが人間。本能のままに生きるモノが獣。
川沿いにあるとある小さな喫茶店…。
ログハウスのように建てられたそこには今日もまた旅人がやってきていた。
「君! この皿は君が焼いたのかい!?」
「ええ…そうですが、なにか?」
恰幅の良いその旅人は興奮した目でそのカウンターの前に立っていた青年…年の頃は十八、九歳と言ったところである。髪の毛はぼさぼさで、肩の上までちょっと伸びている長さである。
「そうだ! これほどの皿を焼ける技術があれば、君はとてもいい陶芸家…いや、アーティストになれる!」
旅人は上気した目でその青年を見た。するとその時、
「テレス君どうしたの〜?」
寝ぼけ眼でカウンターの奥から栗色の髪をぼさぼさにしながら地味な色のフレアスカートを着た女の子が出てきた。気怠さの中にも無垢のかわいさ…そんなモノが潜んでいそうなかわいさだった。
「お嬢さん! あんたからも言ってあげてください! 私と一緒に大きな町に行こうって!」
「…ぅえ〜? テレス君…どっかいっちゃうの…?」
寝ぼけた声で首をかしげながらその女の子は言った。
「行かないよ。僕はどこにも」
そういってその青年…テレスは少女に向かって柔らかな、しかし強い決意を込めた笑みを返した。
「お願いだ! 一緒に来てくれ! なんならその女の子も一緒に来てもいい!」
その旅人は必死にテレスに頼んだ。
「…私もどこかに行くの?」
「行かないよ」
怯えた表情で少女が言ったとき、即座にテレスは言った。
「僕はどこにも行かない。アリスをもう、どこかにおいていくなんて事はもうしないから…」
そういってテレスは少女…アリスの手を握った。アリスはテレスの手のぬくもりを感じて少しほっとしたような顔を浮かべていた。
「だ…だめだ! 君は私と一緒に町に来るべきだ! こんなところで才能を埋もれさせるわけにはいかん!」
その旅人はアリスの手を強引につかみ、そのまま自分の所にたぐり寄せた。
そして首筋に腰の辺りから抜き取ったナイフをアリスの首筋に当てた。
鈍色の光が獰猛そうに、血を欲しているかのようにアリスの首筋を映している。
「さ…さぁ! 私と一緒に来るんだ! そ、そそそそそうじゃないと、こ、この女の子の命はほ、保証できないぞ!」
そう言っていたが、その旅人は恐らく初めてナイフを扱ったのだろう。歯がかちかちと音を立て、額にはうっすらと汗が浮かんでいた。ナイフを握っている手は小刻みに震えていた。
そしてアリスは怯え始めた。
「いや…いやぁぁぁあああっ!」
そしてその旅人の腕の中でもがき始めた。
「暴れるな! あの少年が…君の彼氏が私と一緒に来てくれれば、全ては丸く収まるんだ!」
「一つ忠告させてもらいましょう。僕はアリスの恋人、ではなく保護者だと言うことです」
そう言った後、テレスは半ばやれやれとしながら「分かりました」といった後、
「ここにおいてあるのは全部僕が焼いた皿です。そんなに欲しければ好きなだけどうぞ。持って行ってください」
テレスがそう言った後、その旅人は目が変わった。
「…いいんだな?」
「ええ」
「…ホントに良いんだな?」
「ええ。好きなだけ。どうぞ持って行ってください」
そう言った後、その旅人はアリスを床に放り出し、そのまま目の前にある食器棚へと一直線に向かっていった。
そして食器棚を開けると同時に、手当たり次第皿を持っていた鞄に詰め込み始めた。「私の皿だ」「私のモノだ」「誰にもやらん」「誰のモノでもない」「私の皿だ」「私の」「私の」「私の」…そんな譫言をいいつつ、鞄がはち切れそうになるほど詰め込んだあと、その旅人は喫茶店から出て行った。
旅人があわただしく出て行った後のドアにくくりつけてある鐘が、静寂を告げるかのように鳴った。
「アリス」
テレスは目の前で縮こまっているアリスを見た。
アリスは膝を抱え込み、下を向き、手を強く握っていた。肩は震え、怯えていた。
「もう、いないよ。怖くないよ」
そしてテレスは一拍おいて静かに言った。
「僕がいつまでも、アリスのそばにいるからね」
あの旅人はどこに行ったのかは誰も知らない。
ある人によれば、近くの町で大成功を収めたとか、
ある人によれば、どこかの谷で落ちてしまって死んでいたとか、
本当のことは誰も知らない。
そして、僕が知ることじゃない。




