31 天敵
レイチェル様が俺の服を着てくれなかった。
それでも、俺は心の何処かで期待をしていたのだと思う。普段とは違うレイチェル様の姿を、この目に焼き付けようと。
「リサ、普段はこの格好なんですの?」
「そうですよ。学園では違いますけど、スカートだと動きにくいですから」
「確かに動きやすいとは思いますが……変わったズボンですわね」
チョイチョイと自らが穿くズボンを引っ張るレイチェル様。
彼女がそうと知らずに穿いているのは、オーバーオールと呼ばれるものだ。ズボンとエプロンが合体したようなその服は、オッチャンオバチャンが農作業で着ているアレ。これに長靴と手袋を着用するものだから、一気に玄人感が増している。
おかしい。レイチェル様が世界一可愛い農民みたいになっているが、俺が求めていたものとは違う気がしてならない。もっとこう、着慣れないとか、素朴な感じで来ると思っていたのだが……。
「あ! レイチェル様、このキノコ光りますよ!」
「また見付けたんですの!? ニコライ、これはどうなのかしら?」
『それ攻略対象の好感度下げるキノコだわ。本当はルート分岐で役立つんだけどなぁ』
「嫌いな相手に食べさせるキノコのようです」
「外れですわね。リサ、今度はあっちを探しますわよ」
「はい、レイチェル様!」
トレジャー領内を歩き回ること数時間、もうレイチェル様は探索のプロと化しつつあった。リサ嬢を連れてのっしのっしと草叢に分け入る姿は、公爵令嬢のそれではない。でもやっぱり可愛い。
そして、本来はレイチェル様を諫める役目の人間はというと……。
「ニコライ様、ドングリなどの木の実を一通り拾ってきました。見てください、籠一杯です。早くリサ様に見てもらいましょう」
「またとんでもない量を拾ってきましたね……」
「この瞬間にもアルバート殿下が苦しんでおられると思えばこそ、私も全力で事に当たらねばなりません。ニコライ様には、その証人となっていただきます」
ティアビス家の女中であるジーナさんは、木の実で山盛りになった籠を俺に押し付けると、新たな空の籠を持って去っていく。もはやレイチェル様に構う様子など微塵もない。
自国の王太子の危機なのだから、彼女の行為自体は間違っていない。……間違っていないのだが、欲望に忠実すぎる。
『意外とアイテム判定の物って多かったんだな……。これは少し手間取りそうだ』
「既に十個は見付けていますからね。とはいえ、どれも大した効果を持っていないようですが」
本腰を上げて探してみると、リサ嬢が光らせられる物は思った以上に見付かった。
ただ、それらは先のキノコ同様に外ればかりだ。運動神経が少し上がるとか、学力が下がるとか、今回の目的とは掛け離れた効能の物しか見付かっていない。それでも万が一があるかもしれないので一応は取ってあるのだが、内なる神は期待していないようだった。
「何も見付からないよりはマシでしょうか?」
『今は、な。リサ達のモチベーション維持に役立っているとは思う。だが、こうもコンスタントに見付かると、後々に響きそうな気がしてくるんだわ。早く見付かるといいんだけどな』
確かに、この状況が続けば光る物を見付けても喜べないようになるかもしれない。そうなると探索への意気込みも低下してくるし、精神的に追い詰められるだろう。
「まあ、今はレイチェル様が引っ張ってくれているようですし……と、もう戻ってきたようですね」
『リサが立ち入るには厳しい場所だったのかもな。ありゃ収穫なしの顔だ』
レイチェル様は植え込みの中や草叢を楽々に進める天性の才能があるが、リサ嬢にはそれがない。こちらに戻ってくる二人の顔を見るに、リサ嬢では進むだけで精いっぱいになる草叢だったようだ。
まあ、そういう場所は後で俺が調べればいい。今日は探索初日なのだから、二人が無理をする必要はないだろう。
「駄目でしたわ。少し笹が濃すぎて探しにくかったのよね」
「明日は草刈り道具も持ってくるべきかもしれませんね。ああ、さっきジーナさんが大量の木の実を持ってきてくれましたよ」
「あら、それなら休憩も兼ねてリサに見てもらいましょうか」
藪漕ぎが想定外のヘビーさだったのか、リサ嬢はお疲れ気味だ。まあ、無理もない。高密度の草叢を掻き分けながら進むのは、予想以上に体力を消耗する。一般的な貴族家の令嬢では、こうなるのが当然だった。
リサ嬢はレイチェル様の言葉で少し嬉しそうな表情を作ると、籠の前に座り込む。そして、ジーナさんの成果を一つ一つ手に取って調べ始めた。
「夏休み中に解決する、とニコライは言いましたけれど、あくまでも理想の話なのでしょう? 殿下と男爵を安心させるための」
リサ嬢の様子を見ながら、レイチェル様がそう聞いてくる。
まあ、彼女がそう思うのは当たり前だ。この病気の症状は一月二月で劇的に進行するものではなく、もっと長い期間を要する。現地人とレイチェル様が調べた内容を照らし合わせると、最低でも半年程度は無症状で過ごせるのだから。
とはいえ、内なる神と俺はそれでは不味いと理解している。……のだが、それを伝えるのは難しいし、レイチェル様やリサ嬢へのプレッシャーになりかねない。実際の時間が有限だと知れば、余計な焦りも出てくるだろう。
俺は少し悩み、頭を掻きながら彼女の問いに頷いた。
「そうですね。ただ、学園に間に合わせたいというのは本当です。このままでは殿下とリサ嬢がトレジャー領から離れられない状態になるので」
「……国王陛下のお耳にも入りますからね。どのような形で陛下に持っていくかを考えないと、トレジャー家の進退にも影響が……。でしたら、他にも耳当たりの良い内容を用意する必要があるかもしれませんわね」
レイチェル様はごちるように呟き、田んぼの方へと歩を進める。治療法さえ見付かればどうとでもなると思っている俺とは違い、やはり外聞などへの配慮はお手の物なのだろう、リサ嬢と探索している間にも色々と考えていてくれたようだ。
レイチェル様の隣に並び、一緒になって水面を眺める。ちくしょう、大量繁殖している貝が邪魔で反射するレイチェル様の顔に集中できない。
「この貝への対策は何か考えていますの?」
『日本住血吸虫を媒介したミヤイリガイと近縁の種だと考えるなら、同じく水路をコンクリートなんかで固めるのがいいだろうな。単純に隠れ家が減るし、流れが早くなって貝が住みにくくなる。どうせ田んぼは干すしな』
「貝にとっての生息環境悪化が最善手でしょう。水路を工事して固め、水流を強めるのが良いかと」
「それでは時間が掛かるのではなくて?」
『だから百年掛かるかもって話なんだ。水中の生物を駆除するのは大変なんだぞ。これが魚だったらもうお手上げレベルだからな』
「……下手をすると百年掛かりの大事業になると思います」
「百年……」
もっと短い期間で済むと思っていたのか、レイチェル様の眉根が寄る。百年後ともなれば、もう孫や曾孫の世代に持ち越しだ。そんな表情を作りたくなるのも当然と言える。
俺がそう考えていると、ふとレイチェル様と目が合った。まだ何か聞きたそうな顔をしている。
「ねぇ、本当にこの貝が病気を広めているのよね?」
「間違いないと思います。ですから、繁殖できない環境を――」
「それなら、全部食べてもらえば良いのではないかしら?」
一瞬、食用にはされていないという話を伝え忘れたのかと思った。
しかし、どうやらレイチェル様には別の考えがあるらしい。彼女の中では妙案なのか、目がキラキラしている。
「何か考えがおありのようですが、お聞きしても?」
「ええ、ギオッゾ達に食べてもらえばいいんですわ! だって、わたくしが作っている餌は貝とエビで出来ているんですもの!」
「ギオッゾ? ……ああ、レイチェル様が可愛がっているフグですか?」
「そうですの! もう可愛くて可愛くて。ニコライもあの子達に餌をあげれば、可愛さが分かると思いますわ」
何事かと思えば、ペットの自慢話であった。
というか、あの時に撒いていた餌はレイチェル様の手作りだったようだ。可愛さを感じる前に嫉妬心が湧いてくる。あのフグ達はなんて良い暮らしをしているのか。
しかし、腸が煮えくり返る俺とは対照的に、内なる神は彼女の話に好意的な反応を示している。
『ほう、生物兵器か。フグって貝が好きなのか?』
「むぐぐ、フグの分際でレイチェル様の手料理を……」
『とりあえず落ち着け。レイチェルの話が確かなら、案外良い案かもしれん。あの淡水フグは体も小さかったし、この辺の環境なら食べ物をある程度限定できるかもしれないぞ』
「むむむ?」
内なる神曰く、どうやらあのクソフグ共は有効な対策となる可能性を秘めているらしい。あのまん丸で小さな体が良い方向に働くかもしれないそうだ。
『上手いこと選択的に食べるようなら、この貝にとっての天敵の誕生だ。実験してみる価値がありそうだぞ』
「どうですの、ニコライ? ギオッゾの家族達はティアビス領に一杯住んでいて、ドブでも暮らせるくらい丈夫ですわよ」
「ドブで暮らすフグに先を越されるなんて……いえ、一度実験してみましょう。流石はレイチェル様、素晴らしい発想力です」
口ではそう言いながらも、俺は対抗心を抱かずにいられなかった。真にレイチェル様を笑顔にするのが、あのクソフグ共であってはならない。俺はフグ如きに負ける訳にはいかないのである。
しかし、その七日後。
学園までフグを迎えに行かされたジーナさんが不貞腐れる中、彼らは驚くべき成果を見せつけた。
大きな盥にトレジャー領周辺の水生生物達と一緒に入れられたフグ共は、他の魚やカニに怯えながら隅っこに逃げ、そこで同じく怯えていた子エビと貝ばかり食べ始めたのである。大きなエビにもビビるくせに、逃げない小エビと貝にはどこまでも横暴。そんな畜生共であった。
『小エビもフグの危険性に気付き始めたみたいだな。もう逃げるようになったぞ。これなら試験放流しても大丈夫そうだ』
「見なさいニコライ、ギオッゾとアクレオッゾの子供達の見事な食べっぷり! なんて可愛いのかしら!」
「お、おのれ……これで勝ったと思うなよ……」
「ニコライ様、このフグ達を連れてきたのは私です。殿下にもそうお伝えください。絶対にお伝えください」
ただ、突然見えた光明とは裏腹に、肝心の治療法は見付からないままだった。
日に日に沈んでいくリサ嬢の表情に気付きながら、俺は気の利いた台詞が思い付かず、ただ彼女が奇跡を起こしてくれるのを祈るばかり。内なる神も『ここはリサの力を信じる時だ』と仰るだけで、彼女に全てを委ねている節があった。
しかし、奇跡なんてものが早々に起こるはずもない。その後のフグ共の増援が到着するまでの日々は、成果の上がらない探索に費やされていく。
そうして、気付けば夏休み終了まで十日を切っていた。
気付けば十万字を超えました。
文字数的な折り返し地点は過ぎたと思います。
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