28 トレジャー領到着2
恰幅の良い中年の女性だ。服装を見るに、先ほどまで農作業に勤しんでいたのだろう。
女性は俺達の前に立つと、開口一番に喜色に溢れた声を出す。
「誰かと思ってたら、リサちゃんじゃないかい! お帰り、その方達は学園の友達かい?」
「わ、アレクシアおばさん! ただいま!」
釣られるように笑顔となったリサ嬢は、嬉々として女性に近付く――のを、俺は急いで止めた。
なんという無防備。本当についてきて良かったと思える瞬間であった。相手が病原体に感染している可能性を考えれば、先ほどのリサ嬢のようにハグをしようなどと考えてはいけない。
俺は訳が分からないといった顔のリサ嬢を自分が座っていた切り株に座らせると、代わりに女性の正面に立つ。
『今のはナイスプレイだったぞ。ついでに情報収集といこうじゃないか』
「え、えぇと……貴方は?」
「初めまして、リサ嬢の友人のニコライ・ビエフだ。少し話を聞きたいんだが、いいだろうか?」
「ビエフ? ……あ、あのビエフ伯爵ですか!?」
なんとなく予想していたが、やはり農民である彼女は我が家のことを知っていた。このトレジャー領でもビエフ式土壌改良は生かされていると、レイチェル様の報告書にもあった通りだ。
「伯爵は父だよ。だから、そう気構えないでほしい」
「で、ですが、ビエフ家には男児が一人と……。跡継ぎ様ですよね?」
『意外と博識っぽいな。これはいい、絶対に逃がすなよ』
「まあ、その辺は一度片隅にでも置いといてくれ。それより、トレジャー男爵が病に伏せるようになったと聞いた。これは間違いないか?」
「は、はい。その通りです。……男爵様のお見舞いですか?」
女性は窺うように聞いてくる。その態度は、見舞い以上を期待しているように見えた。
少し悪い予感がしてきた。伝え聞く状況よりも悪いのかもしれない。
「……一応、その予定だ。もしかして、奇病を患う者が増えているのか?」
「はい……。二年ほど前から始まったのですが、今年は特に酷いんです。毎日田んぼに出ていた老人達は、もう殆ど全員が動けないようになっています。最近は私達の年代まで……」
『やはり原因は田んぼにあるのか? 田んぼに関わる病気……うーん、もっと詳しく』
「流行し始めた頃から何か変わり始めた事はないか? 例えば水の味が変わったとか、土の色が変わったとか。どんな些細な事でも構わない、教えてくれ」
俺が強い興味を示しているのが伝わったのだろう、女性の顔が少しだけ晴れる。身内以外の誰かに、この問題を知ってもらいたかったようだ。
やはり、この病気は農民にとって深刻なもので間違いなさそうだ。貴族や他領の者に伝わらないのを、歯痒く思っていたに違いない。
「水も土も変化はありませんでした。他に変わった事といえば、稲の食害が増えたくらいで……」
「食害? 何かが稲を食べるのか?」
「はい、最近になって急に増え始めたんです。一度田んぼを見てもらえますか?」
田んぼへ向かう女性の後に続き、水面を見る。
そして、俺は言葉を失った。
「この貝です。数年前から凄く増えて、今では稲まで食べるようになって……」
『うげぇ、これは気持ち悪いな』
女性が指差す先には、水面を超えて稲にしがみ付く無数の黒い巻貝。水中の方はもっと酷く、一部では黒い絨毯と化している。明らかに異常な繁殖具合だ。
「これはまた……。この貝が増え始めたのと病気が広まり始めたのは同時期なのか?」
「あ……そうです! 実は奇病自体は昔からあったんですが、もっと数が少なかったんです。言われてみれば、確かに貝が増えてからだと思います!」
『なら、貝が増えた原因に病気の理由があるのか、貝そのものが病原体を持っているかだな。よしよし、かなり絞れてきたぞ』
内なる神は女性の言葉に思う部分があるようだった。次に聞くべき内容として、ポンポンと色々な事を仰られている。
俺は促されるままに神の質問を口にした。
『貝が増え始める前に何か変化があったかを聞いてくれ』
「貝が増える前に何か変わった事はないか?」
「そ、その……土壌改良の一環として、冬に堆肥と貝殻を砕いた物を撒き始めました。ただ、どのくらい撒いたらいいのかが分からなくて……」
『ふむふむ、なら原因はカルシウムっぽいな。おそらく、この土地は元から石灰分が十分にあったんだ。今が過剰な状態になってるのかもしれん』
「あー……撒きすぎたのかもしれないな。貝殻は来年から撒かない方がいい。作物の成長が悪くなった時だけにしてくれ」
そう言いながら、俺は内心で冷や汗を掻く。まさかウチの土壌改良法でこんな問題が生まれていたとは思わなかった。
これは技術に対する知識が不足している証拠な訳で、この地にビエフ式土壌改良が十分な形で伝わっていないことを意味している。要するに、トレジャー領に技術を教えに来た役人の怠慢だ。そして、その辺を徹底しなかったウチと王家にも責任がある。頭が痛くなってきた。
とはいえ、今はそれが問題ではない。彼女とこの地の農民達には申し訳ないが、後で対応させてもらおう。
『加減は間違えたみたいだが、ビエフ領と同じ方法なんだろ? となると、やっぱり貝が問題っぽいな。淡水の貝だと、肝吸虫や広東住血線虫が有名どころだ。淡水貝やそれを食べる魚を生で食うと感染する。あと、農作業の後で手指の消毒が不十分だったり』
「この貝は食用にされているのか?」
「いえ、何分こんなに小さい貝ですから。一部の家では堆肥に混ぜたりしているみたいですけど、私の家ではしていないです」
「田んぼに手を入れた後、よく手を洗っているか?」
「ど、どうでしょうか? 自分ではそうしているつもりですけど……」
『ふむふむ。ニコライ、もうマスクは必要なさそうだぞ』
内なる神がそう仰ってくれ、安堵しながらマスクを外す。真夏に口元を覆うのは予想以上に息苦しかったので、ようやく解放された心地だ。
外したマスクでパタパタと顔を扇いでいると、女性の顔が見る間に赤くなっていく。
違う、そうじゃない。俺が例のブドウジュースで容姿を上げたのは、オバチャンにモテるためではない。レイチェル様に振り向いてほしいからなのに……。
少しゲンナリしたものを感じながら、気を取り直して女性に質問を続ける。どうやら内なる神は病気の正体を特定しつつあるようだ。
『乙女ゲーのシナリオライターでも知っている、もしくは調べてすぐに出てくるような田んぼの病気。そして、原因は貝の可能性……。よし、最後の質問だ。田んぼの泥でかぶれたことがないか聞いてくれ』
「泥ですか? 貝は関係ないような……」
「泥がどうかしたんですか?」
「ああいや、泥で皮膚が爛れたりしたことがあるかと思って」
『爛れるんじゃない、虫刺されみたいになるんだ』
「虫に刺されたみたいになったことは?」
「ああ、それはしょっちゅうですよ。ヒルもいますし、噛まれない方が珍しいですから」
女性はそう言って、ズボンの裾をたくし上げる。
見ると、足首付近には無数の傷があった。大きいものだと小指の爪程度、小さいものだと針の先ほどだ。
『小さい方をよく見るといい。傷が表面だけで止まっているかどうかだな。一応、手袋はしたままで』
「少し見せてくれるか?」
俺がそう聞くと、女性は恥ずかしそうに頷いた。なんだこの乙女っぽい反応、まるで俺が口説いているように見えるだろうが。
嫌な気配を感じて振り返ると、リサ嬢が若干戦慄しながらこっちを見ている。ヤベーもんを見たとでも言いたげだ。本当にやめてくれ。
「こほん、足の傷を見てるだけだから。変な勘違いはしないように」
「でも、アレクシアおばさん赤くなってますよ?」
「貴女も妙な反応はしないように。というか、しないでくれ……」
そう嘆願するも、女性は「あ、アナタですって!?」と言って過剰に反応するばかり。
これはさっさと終わらせるべきだ。寝取り仲間のリサ嬢ならまだしも、レイチェル様に見られようものなら腹を切りたくなる。俺ほど一途な人間もそうそう居ないというのに、こんな勘違いは御免だ。
俺は無心となり、ややこしい女性の足首を見つめる。内なる神は俺と視界を共有しているので、これが確信になればと祈るばかりだ。
『うーん、やっぱり内部まで傷が続いてるっぽいな』
「蚊に刺されたようにも見えますが……」
『いんや、もう確定したぞ。この女の腹を見ろ、少し膨らんでるだろ?』
「むむ、確かに食べすぎのようです」
『違う違う、これ腹水だから。もう症状出てるから。この世界の人間が特別頑丈なのか寄生虫自体のマイルド調整が原因かは知らんが、本人は平気っぽいけどな。十中八九、日本住血吸虫をモデルにした寄生虫が原因だ』
「き、寄生虫ですか!?」
『そうだよ。皮膚を食い破って寄生してくるヤツ。本家本元は死人が出るほど危険な寄生虫だ。そういえば、ビジュアルファンブックの没案にもあった気がするわ。天然痘の方じゃなくて良かった良かった』
聞くからに無茶苦茶な寄生虫だ。生肉を食べたとかならまだしも、そんな能動的に寄生してくるなんて聞いたことがない。しかも神界のオリジナルは死人まで出すというのだから、この世界では対処不可能な寄生虫に思えてくる。
『よし。とりあえず現地では水に近付かない、飲み水や食べ物は加熱する、トイレはいつも清潔に、を心掛けよう。それで感染は防げるはずだ』
だというのに、内なる神は余裕だった。これが人間と神の意識の差なのだろう。もう解決への糸口が見えているに違いない。
やはり、内なる神は神である。彼の導きを辿れば、誰も感染することなく事態を解決できそうだ。
「流石でございます。では、すぐにでも寄生虫が原因だとトレジャー男爵に報告しましょう。水遊びしている殿下も回収して……あっ」
『忘れてた……。今のアイツ、レイチェルと一緒に居るんだよな?』
猛烈に嫌な予感を内なる神と共有しながら、殿下達の方を見る。殿下だけならまだしも、そこにレイチェル様が加わると何が起こるか分からない。
震える視線の先には、デカいカニを得意顔で握り締め、女中さんから足を拭いてもらっている殿下の姿が。
「見ろニコライ、こんなに大きいカニを捕まえたぞ!」
「で、殿下?」
「しかし、水中に虫がいたらしい。おかげで足が虫刺されだらけだ。軟膏か何か持っていないか?」
「殿下ぁぁああああああ!?」
「おい、早く軟膏をくれ。痒くて仕方がない」
『あ~あ……』
トレジャー領初日、到着して僅か一時間足らず。
殿下が感染した。
ストックがヤバいです(;´Д`)