27 トレジャー領到着1
9000字あったので二分割ですん
ガタゴトと朝から馬車に揺られること五時間、ようやく俺達は領境を跨いだ。
車窓に映るのは、どこまでも広がる田園風景。事前の調査でトレジャー領が稲作に力を入れていると分かっていたが、実際に景色として見ると圧巻であった。
小さな風が吹く度、サラサラと緑の水面が揺れる。ビエフ領は野菜中心だったので、同じ耕作地帯でも全く違う印象を受けた。ビエフ領が多彩さで楽しませる景色なら、トレジャー領は統一された美といったところだろうか。冬は水を抜いてキャベツなどを育てているらしいので、今の季節だからこそ見られた景色でもある。
「興味深い資料だった。レイチェルに礼を言っておいてくれ」
「はい。殿下が感謝されていると分かれば、レイチェル様もお喜びになるかと」
殿下は俺が貸したレイチェル様のトレジャー領に関する資料を読み終わると、ゴロリと席に横たわる。おそらく尻が痛くなってきたのだろう。彼も今回で馬車の長旅を嘗めると尻を破壊されると気付けたようだ。
レイチェル様の資料が枕代わりにされそうな雰囲気があったので、慌てて回収する。長旅でものぐさになった殿下には、こんな貴重な物を枕にする資格などない。
「貴様のクッションを貸してくれてもいいんだぞ?」
「俺の尻を乗せたクッションですから、殿下にはとてもとても」
「私はそんな細かい事は気にしない。いい加減に貸してくれ」
「申し訳ありませんが、先ほどオナラをしてしまいました。それでも良いと仰るのなら構いませんが?」
「なっ!? ……もういい、私が悪かった。帰りはリサの家からクッションを貰ってこよう」
よし、妖怪クッション強請りを退治できたぞ。恐ろしい強敵だった。
ふて寝を開始する殿下を尻目に、俺は出発前にレイチェル様から貰った資料に視線を落とす。これを含めて病気の症状やおおよその進行速度などは分かったが、未だに病気の感染経路は不明のままだ。どう広がっているのかが分からないのだから、治療法などさっぱり分からない。
しかし、俺はこれを絶対に解決しなくてはならない。治療法は勿論、できれば感染経路を特定して潰す必要がある。そうしなければ、いつかリサ嬢がこの病気を患い、世界が炎に包まれるかもしれないのだから。
現地に着いてからというもの、浮かれていた心は鳴りを潜めた。先ずはどうレイチェル様達の身を守るかで頭が一杯だ。内なる神が導いてくれるとはいえ、責任は重大である。
『まあそう思い詰めるな。幼馴染ルートの病気はアイテム一つで解決したんだから、今回も似たようなもんだろ』
「そう仰られてましても……。万が一レイチェル様やリサ嬢が感染しようものなら、俺は腹を切らねばなりません」
『王太子と公爵令嬢が病気の流行地に赴くなんて、普通に考えたらあり得ないだろ。だから、まだ世界は乙女ゲーで間違いない。俺は数々の恋愛シミュレーションを攻略してきた男だぞ。特にエロゲーには自信がある』
気負いすぎる俺を心配してくれたのか、内なる神は自信満々な態度でそう仰った。流石だ、『エロゲー』なるものは神界の『R18』という制約で教えてもらえないが、きっと知識を育む素晴らしいものに違いない。
『ちなみに、幼馴染ルートの病気はモチーフがマラリアだった。蚊が媒介する病気だ。地球でのオリジナルはヤバすぎるからマイルド調整されてたけどな』
「蚊が媒介するのですか!? そんな病気、誰も防げませんよ!」
『ところがどっこい、この世界だとリサの家の裏山で採れる鉱石で全部解決するんだな。砕いて飲ませると瞬時に完治、石を蚊が発生する水辺に沈めると病原体を媒介しない蚊に早変わりだ。シナリオライターは徹夜明けだったのかもしれん』
「で、では、これは創造神様が下した試練なのですね? そして、必ず魔法のような解決法がある、と」
『俺はそう睨んでる。というか、今回の病気も死人が出てない時点でマイルド調整されてる気がするんだよ。自力で動けなくなる病気で死人が出ない方がおかしいと思うんだわ』
「なるほど……確かに、そう思えてきました! 神よ、ありがとうございます!」
『シンプルに考えればいい。病気を治す方法……おそらく何らかのアイテムだろうが、その発見と感染経路の特定が目標だ。治療法が分かれば強気に動けるし、感染経路が分かれば対策も取れる』
内なる神はそう仰って、俺の行動指針を二つに絞ってくれた。
なるほど、感染してもすぐに治せる方法が存在するなら、そこまで恐れる必要はない。問題はそれを早期に見付けられるかだが、内なる神の声には確かな自信があるようだった。
「では、トレジャー邸に到着し次第、リサ嬢の御父上から話を――おっと」
「うぐっ!?」
俺が意気込みを新たにした矢先、馬車が大きく揺れた。どうやらまた地面の凹凸を拾ってしまったらしい。
横になっていた殿下はその衝撃を全身で味わったようで、モゾモゾと身じろぎながら呻いている。悪路を進む馬車の中で寝るからそうなるのだ。
「……もう駄目だ、少し休憩しよう。おい、馬車を停めてくれ!」
殿下が音を上げると、御者は言われるがままに馬車を路肩に停めた。前を進んでいた俺達が停まれば、もちろん後続のレイチェル様達も停まる。目的地は目の前だが、ここで昼休憩を取ることに決まった。
各々は馬車から出てくると、思い思いの格好で体を伸ばしている。トレジャー領は畦道ばかりで、馬車の移動には適していない。殿下は勿論のこと、女性陣もお疲れのご様子だ。
俺は念のためにマスクと手袋を全員に配ると、近くにあった切り株の上に腰を下ろす。
ティアビス家の馬車は誰が見ても貴族用の物だと分かるからだろう、田んぼで作業をしていた農民達が何事かとこちらを見ている。
「ニコライ君、ありがとうございます。あたし、もう朝から腰が痛くて痛くて」
俺が農民達の視線に少し居心地を悪くしていると、リサ嬢がそう声を掛けてきた。
見ると、彼女は老婆のように自分の腰を摩っている。女性用の馬車にはレイチェル様が乗っていたので、俺の独断でクッションの類を優先して回したのだが、彼女には足りなかったのかもしれない。
「いや、休憩を取ったのは殿下の判断だよ。お礼なら殿下に言うといい」
「そうなんですか? でも、ニコライ君のおかげで賑やかな帰省になったんです。あたし一人で帰っていたら、ずっと落ち込んだままだったと思います。だから、やっぱりお礼を言わせてください」
「あー……うん、なら言葉だけ貰っておく。それより、リサ嬢がその様子なら、レイチェル様もしんどそうにしてたのか?」
俺が今一番気になる事を問うと、リサ嬢は微妙な笑顔で笑う。どうやらこの旅路の中で、俺の気持ちは彼女に筒抜けになってしまったようだ。寝取り男と寝取り女、通じ合う部分があったのではなかろうか。
「少し、ですけどね。ニコライ君がそう言うだろうと思って、クッションまみれにしておきました」
「いや、そこまで気を使ってくれなくても……」
「レイチェル様も心配してくれたんです。だから、これもお礼みたいなもんですよ。それより……ニコライ君の方は、殿下にクッションを渡してくれなかったんですよね?」
「どうせ王様になったら視察とかで馬車の長旅も経験するだろ? 今の内に予習しておく方が良いに決まってる」
元々は俺とリサ嬢だけの予定に無理矢理首を突っ込んできたのだから、これは必要な処置である。俺は悪くない。そして、レイチェル様はもっと悪くない。
そんな思いを籠めて適当な言い訳を口にすると、リサ嬢は目を丸くした。
「……ニコライ君、最近は殿下に容赦ないですよね。王太子殿下ですよ?」
「君にだけは言われたくない。殿下が好き放題するから、俺もだんだんと適当になるんだよ。それに、人前ではちゃんと敬ってる……敬ってない?」
「ま、まあ、人前では畏まってるように見えますけど……。なんだか旅を始める前よりも、もっと仲良くなってません?」
言われてみれば、そう見られるのも不思議ではない。まあ、あんな狭い空間で長い時間を共有したのだから、お互いに遠慮というものが消え去るのも仕方ないだろう。
殿下はクッションを寄越せだの面白い話を聞かせろだのクッションを寄越せだので、断り続けると不貞腐れる始末。俺も俺で病気のことを考えるのを邪魔され続けたせいで、結構ぞんざいな態度を取っていたように思う。
特に、今朝のオナラをしたのはどちらかという争いは非常に不毛だった。俺に記憶がないのだから、犯人は間違いなく殿下だ。
「レイチェル様と一緒の方が楽しそうで羨ましいんだけど?」
「むぅ。ニコライ君だから言いますけど、あたしも殿下と一緒の方が良かったです。レイチェル様と一緒なのも楽しいですけど」
「よくもまあ、そんなにハッキリと……」
リサ嬢の清々しいまでの寝取り根性に、今度は俺が目を丸くする番だった。なんだこの子、強すぎる。
「だって、ニコライ君って気付いてますよね? あたしが殿下のこと好きなの」
「いやまあ……うん、気付いてた」
「だったら、そう思うのも分かりますよね? 在学中だけでも一緒に居たいって思うのも。あたし、これが初恋なんです。殿下にはレイチェル様が居るのは分かりますけど、せめて覚えていてもらいたいって……思っちゃうんです!」
そう言い切ったリサ嬢は、ムフーと鼻息を荒くする。凄まじいアグレッシブさだ。野生のイノシシを彷彿とさせる。
俺の寝取りはレイチェル様が不幸な未来を歩まぬようにという信念があるのに対し、彼女の寝取りは心の赴くままらしい。一応は在学中に見る夢と割り切っているようだが、一般人ではここまでの精神強度を持てないだろう。流石は未来の聖女様だ。
「ニコライ君が望むなら、今すぐにでも席を交換しますよ。はい、あたしはそうすべきだと思います」
『コイツ、能動的に喋るとグイグイ来るのな。ゲームじゃ分からんかったわ』
「いやいやいや、年頃の男女が一緒の馬車に乗るってヤバいだろ! 何も起こらなかったとしても、周囲にはどう見られるかを考えないと……」
「だって、あっち見てくださいよ! 二人であんなに楽しそうにしてるし!」
少し焦った顔のリサ嬢は、自分の後方を指さす。
そこには水路にザブザブと素足で立ち入る殿下と、慌てているレイチェル様と女中さんの姿があった。……また殿下が他人様を困らせているようにしか見えない。
「あれは殿下がはしゃいでるだけだよ。好きにさせたらいい」
「でも、殿下のあんな顔は滅多にないと思うし……」
「ここまで透明な水は王都じゃ見ないから、物珍しいんじゃないか? 別にレイチェル様と話しているのが理由じゃないと思うんだけど」
「う、う~ん……そう言われれば、そんな気も……」
「そうなんだよ。実際、あのレイチェル様の顔は焦ってるだけだから」
隙あらばいつも見ている俺だからこそ分かる。今のレイチェル様の顔は、焦りの一色だ。もう少しで目がグルグルしだすに違いない。
殿下にしても、意識は足元の綺麗な水に集中しているようだ。今もタガメを捕まえたと喜んでいる。お忍びというのもあり、油断しまくりの童心丸出し状態だ。俺からしてみれば、水路を荒らされた農民の方が心配である。
そう考えていると、こちらに近付いてくる人影があった。