26 主人公パワー
トレジャー領まではティアビス家の馬車を利用することになった。馬車は三台で、一台はリサ嬢とレイチェル様と女中さん、もう一台は俺と殿下、そして余りに荷物を載せる形で旅路を進んでいた。
殿下のファンに堕ちた女中さんは、あれから休憩の度に殿下になぜ碌な護衛も連れずにで出掛けているのかと詰問しているようだ。俺からしてみれば彼女の行動は殿下と話したいだけに見えるのだが、誰も言えないことをズバズバ言ってくれるのは胸がすく。是非とも殿下に思い知らせてやってほしい。
そんな珍道中はお忍びという面もあり、殿下が困っている以外はのんびりしたものだ。王都から三日という日程も、何事もなく二日が過ぎている。
「あのジーナという女中、痛い所をグサグサと……」
「それだけ今回の殿下の行動は問題があったということです。俺はもう何も言いませんが、やはり少しは省みていただかなくては」
「貴様もあの女中を宥めてほしいのだが?」
「侯爵家の三女だと聞きました。しかも彼女の方が年上ですから、難しいですね」
明日の昼には目的地に着くという夜、殿下と俺は宿のロビーでくつろぎながら例のブドウジュースを飲んでいる。四角いテーブルを挟んだ二つソファーにそれぞれ腰掛け、完全なリラックスモードだ。
ちなみに、俺は今回このジュースを持ってきていない。犯人は殿下である。どれだけ気に入っているのだろうか。
「参ったものだ。あちらが正論である以上、私も上手く言い返せん。しかし、ああまで肝が据わっているのは面白くあるがな」
「公爵家の女中ですからね。肝が据わっていなければ務まらない部分もあるのでしょう」
「まるで城の女中頭のようだ。あのような者はそうそう見ないぞ」
「まあ、怒られる原因は殿下にあります。甘んじて受け入れてください」
俺がそう言うと、殿下はまたグビグビとベータ印のブドウジュースを飲んで話を誤魔化す。……そんな風に普段からガブ飲みしているからジーナさんを虜にするのだ。
ベータ謹製のブドウジュースには、容姿を上げる効果がある。殿下はもう容姿の上限値と思われていたが、女性から見た魅力には上限値というものが存在しないのかもしれない。ジーナさんは殿下の被害者と言えよう。
「しかし、このジュースは本当に美味い。リサも気に入っているようだ。早くまとまった数が流通するようになれば良いのだが」
「まだ試験段階ですよ。いずれは今育てている品種と入れ替えていくと聞いていますが、色々と問題があるそうです」
「……少しビエフ領に住みたくなってきたぞ。貴様の故郷では元のブドウを食べられるのだろう?」
『食い意地が張ってやがる』
「品種登録が済めば、王都の近くでも栽培できるようになるかと。とはいえ、登録には時間とそれなりの金額が必要と聞きます。家族もそこで二の足を踏んでいるようです」
「難しいところだな。登録にしても作地面積を増やすにしても、領内の諸事を置いて進める訳にもいかない、か。貴様の家が古くからの伯爵家であれば、金銭的な余裕もあったのだろうが……」
実際に殿下の言う通り、今のビエフ領は様々な事でお金を必要としている。昇爵によって与えられた土地の道路整備や耕作放棄地の再利用、移住者の増加によって生まれる諸問題の解決、流通網の拡大と人件費。
特にベータが携わる部分は機密事項の塊でもあるので、その規模を広めるには特に人員の質とお金が必要になる。加えて緊急性が求められるものではないというのもあり、後回しとなっていた。
「今は発展による歪が生まれないよう、そちらに注力している形です」
「やはり先立つ物は金か。世知辛いものだな」
「ですが、追々は解決できるかと思います。いずれは輸出も考えておりますので」
「それはいいな。この国の新たな名産品になるのは間違いないだろう」
輸出用には何の効果も持っていない品種を用意するつもりだ。勿論、開発はベータである。俺の妹は世界一の妹なのだ。
そんなこんなな話をしていると、柱時計が九つ鳴いた。どうやら二時間近くも話していたようだ。こうも時間を忘れて過ごせるとは、友達と旅行って本当に素晴らしい。一年前の俺からは全く想像できなかった。
「あっ、また二人でそのジュース飲んでる! あたしにも分けてください!」
「リ、リサ……貴女は本当に物怖じというものを……」
俺がしみじみとしていると、姦しい声が聞こえてきた。見ると、レイチェル様とリサ嬢が寝間着姿でこちらにやって来ている。
本当に旅行って最高だ。二人でお風呂に入ってきたばかりらしいレイチェル様は、上気した頬がとても美しい。白を基調とした寝間着も最高である。これはガン見してしまうのも仕方がないと言えよう。
「ふ、ふむ。ふ、二人も一緒に飲むといい。いや、ニコライと君達を誘おうと話していたところだったのだ」
などと、殿下は訳の分からない供述をしだした。明らかな嘘である。さっきまでビエフ領の話をしていただろうに。
殿下の視線は、リサ嬢に釘付けだ。凄まじいまでの目力で風呂上がりの彼女を見ている。……よし、俺はああも分かり易い状態にならないように気を付けよう。
「……本当に殿下はわたくし達を?」
「リップサービスです。あまり本気で受け取らない方が良いかと」
「むぅ、なかなか上手くいきませんわね……」
流石に殿下の横に座るのは気が引けるのか、レイチェル様は俺と同じソファーに座ってきた。殿下の向かいというのもありそうだ。ナイス殿下、俺は貴方に一生ついていくぞ。
リサ嬢は丸椅子を持ってきて、下座を作って座っている。何気に殿下寄りに椅子を設置した辺り、彼女は殿下に御酌がしたいようだ。なかなか甲斐甲斐しいものがある。
「この旅行でわたくしが殿下の一番のお友達になろうというのに、どうしてもリサのペースに巻き込まれてしまいますわ。ニコライ、わたくしは上手くやれていますわよね?」
「上々かと思われます。まあ、今回はリサ嬢が主役ですからね。あまり多くを求めず、程々がよろしいかと。それに、彼女は特別というか何というか……」
「ええ、確かにリサは特別なようですわ。あの破天荒に見えて絶妙な距離感、わたくしも学ぶべき部分がありますもの」
こしょこしょと俺に耳打ちするレイチェル様。うーん、フワリと漂う石鹸の香りと耳をくすぐる吐息で俺は大ダメージだ。旅行って本当に素晴らしい。
そして、リサ嬢をガン見する殿下に気付いていないのも平常運転だ。もしかすると、彼女の意識にも内なる神の仰る『運命の強制力』が働いているのかもしれない。
『一応、リサの様子も聞いておいてくれ。本来は起こり得ないルートだからな』
「ところで、リサ嬢はどんな感じですか? やはり御父上のことで心労があるとは思うのですが」
「いえ、やはりわたくし達が一緒に来たというのが大きかったようですわ。程々な息抜きができているのでしょうね。今日は湯舟では泳いでいましたわよ」
「それは良かった」
実はリサ嬢、旅行の初日はとんでもなく落ち込んでいた。一刻も早く帰ろうという焦りが周囲の人間にも丸分かりで、かなり酷い状態だったのだ。
そして、だからこそ今回はレイチェル様が同伴してくれて本当に良かったと思える。これでもし俺と殿下しか同伴していなかったら、おそらくリサ嬢の回復はもっと遅かったに違いない。
今のレイチェル様は俺が何を言わずとも学園の授業の時と同じようにリサ嬢を律し、支えてくれる存在のようだ。宿の部屋も一緒なので、良い相談相手になってくれているのだろう。
「これ本当に美味しいですよね。最初に飲んだ時はこう、ギュギューンって感じがしましたし、近付くとピカピカ光りますし」
「何故リサが近付くと光るのだろうな? はは、本当に不思議だ」
なんだか殿下と二人だけの空間を作っているリサ嬢は、一見すると何事もないように見える。これがレイチェル様のおかげだと、殿下にも気付いてほしいような気付いてほしくないような……。
そう思いながら、俺は二人の様子を盗み見た。
殿下は笑いながら、優しい瞳でリサ嬢を見つめている。
リサ嬢はベータ印のブドウジュースに手を近付けたり離したりしてピカピカ光らせて――――なんだこれ、明らかにおかしいだろ。
「なんですかこれ!? え、リサ嬢? 殿下?」
「な、何事ですのこれは!?」
「あ、食べ物で遊んじゃいけませんよね。ごめんなさい……」
「まあ、二人ともそう言ってやるな。見ていて面白いだろう?」
不可解な現象を「面白い」の一言で片付ける殿下は、リサ嬢の手を取ってブドウジュースに近付けたり遠ざけたりしてみせる。その度にジュースは怪しく光り、意味不明な明滅を繰り返す。
俺とレイチェル様は新手の手品でも見せられているような気分だった。
『へぇ、本当に面白いな。主人公だから分かるようになってるのか。そういえば、ゲームでも近付くと有用なアイテムが光ったんだよな』
「なんですか、その出鱈目な能力は……」
『ちょっと実験してみようぜ』
内なる神に促され、リサ嬢に今度は水が入っているコップを渡してみる。
すると、全く光らない。他の物を渡してみても同様だった。どうやらこの付近にある物だと、例のジュース以外は光らないようだ。
「一体いつからこんな現象が? このジュースが初めてだったりする?」
「え、えっと……学園に入ってからですけど……。最初は王都で売ってるクッキーだったと思います」
『ストーリー開始と同時か。妥当なところだな』
「待てニコライ、それだけではないぞ。リサに飲ませるともっと不思議な事になる」
殿下はそう言うと、リサ嬢にジュースを飲むように仕向ける。若干リサ嬢が恥ずかしそうにしているのが謎だ。
「わ、笑わないでくださいよ?」
リサ嬢は俺とレイチェル様の顔を見ながらコップを煽る。
そして次の瞬間、「ブブーッ!」という何故か残念な気持ちになる不思議な音が響いた。丁度リサ嬢の頭上の辺りからだ。ますます意味が分からない。
『これ以上は容姿が上がらないってサインだよ。いやまあ、現実になると酷いもんだわコレ』
「な、なるほど。これは確かに……」
「なんですの今の音は? もの凄く力が抜ける音ですわね」
「う~……レイチェル様、笑わないでくれたのは嬉しいんですけど、そういう反応も恥ずかしいです」
「貴女の不思議人間っぷりには毎回驚かされてきましたけれど、今のが一番不思議でしたわ。何故あんな音が鳴るのかしら?」
「あたしが知りたいくらいです……」
リサ嬢は恥ずかしそうにしながら音を響かせ続ける。やはりベータのブドウジュースの魅力には勝てないらしい。次第に物珍しさが転じて面白くなってきた俺達は、その後もリサ嬢にジュースを飲ませ続けた。
宿のロビーに残念な音が響く度、誰かの口元が緩む。リサ嬢も美味しいジュースがたらふく飲めるなら、とヤケクソ気味にコップを受け取っていた。
旅の夜は更けていく。その後もリサ嬢が無限の胃袋を持つことに驚かされた小さな宴会は、女中のジーナさんが登場するまで続いた。