11 ダークサイドクロニクル2
前話の続きです。
目の前には、あの絵画から飛び出してきたような美形。本来俺のような身分の者が近付けるような存在ではない方が、ほんの一歩離れた距離に居る。しかも、俺の肩をガッチリと掴みながら、だ。
慌ててその場で膝をついた。どうやらリサ嬢とのやり取りに不快なものを感じさせてしまったようで、冷や汗が止まらない。
というか、入学式でのやらかしのせいで心臓が止まりそうだ。
「ち、違うんです殿下! ニコライ君とはテスト結果の話をしていて……」
ちらり、とリサ嬢が俺に視線を寄越す。この言い訳を元に理由を考えろ、といった感じだろうか。
ありがたい。実は入学式での誤解を解いていた、とはこの場で言いたくなかった。
学園一の有名人かつ実質最高権力者の登場により、誰も彼もがこちらを見ている。変人の疑いがこれ以上深まれば、俺の心が確実に死ぬ。加えて、殿下はマジもんの被害者だ。絶対に入学式の出来事を思い出してほしくない。
「む、そうだったか。それは……いや待て、ニコライだと? 貴様がニコライ・ビエフなのか? あの入学式の時の?」
「はっ、……私がニコライ・ビエフでお間違いありません」
あ、もう手遅れだったわ。
さよなら、父さん母さんベータ。俺は一足早くこの世から追放されると思います。
「そうか、貴様があの時の……」
「入学式では取り返しのつかない失態をお見せしました。如何様な罰でも――」
「ははは! そうか、貴様がそうだったか! いやいや、あれは実に愉快だった。実は、私もあの答辞は緊張していたのだ。貴様のおかげで力が抜けたというのに、なにを咎める理由があるというのか」
「……は、はい?」
『乙女ゲーのメイン攻略キャラだぞ、すぐに刑罰を言い渡すような性格だったらプレイヤーが引くわ。もっとふんわりした性格に決まってんだろうが』
キョトンとする俺に、殿下は笑顔で告げる。
「しかも、学年首位だというではないか。リサもそうだが、貴様も相当な努力を積んだのであろう? さあ立て、貴様のような者が膝をつく必要などない。先ほどは悪い事をしてしまったな」
「い、いえ……殿下にそう言っていただけるとは、光栄に存じます」
「うむ、私も次は貴様達に負けないようにしなくてはな」
そういえば、前までは殿下がずっと一位をキープしていたのだった。今回の俺やリサ嬢のような全科目満点でこそなかったが、コンスタントに高得点を叩き出していたと記憶している。
そして、殿下の次がレイチェル様かどこぞの子爵家次男だった。毎回レイチェル様を応援していたのだが、今回はどうなっているのだろうか。
「ふむ、十二点も差を付けられたか。これは苦労しそうだ」
「……五科目で十二点ですから、殿下であればすぐかと」
「いや、私はそう思わない。最初と最後の一歩というのは、何事でも難しいものだ。貴様もそれは分かるだろう?」
「は、はい。過ぎた発言でした。お許しを」
「ふふ、そう畏まるな。此度の勝者は間違いなく貴様達だ」
「わーい! あたし、殿下に勝っちゃいました!」
「ちょっ、リサ嬢!?」
「ははは、やはりリサは面白いな。しかし、その頭の上のハンカチはなんなのだ?」
殿下は笑いながら、リサ嬢の頭に乗ったままだったハンカチを取った。驚くべきことに、リサ嬢の発言に全く不快感を感じていないようだ。
流石は未来の聖女様と思うべきか、それとも殿下の御心が広すぎるのか、判断に迷う光景であった。
『ほら見ろ、やっぱり個別ルートだ。お前が起こしたイレギュラー以外はイベント通りだからな。このゲームは成績が極端に落ちるとバッドエンドになるから、必然的にリサは勉強に励む。しかもリサの点数が一定以上だと首席が確定する』
「で、では内なる神よ、この結果も?」
『運命通りってことだよ。あ、記憶見とく?』
「是非お願いします」
声を潜め、内なる神と会話する。そして、目を閉じて神の記憶に飛び込んだ。
霞の中に浮かぶ、朧げな映像。
その中で、アルバート殿下とリサ嬢が現実の光景と全く同じやりとりをしている。唯一違うのは、そこに俺が居ないという点だけだ。
学年末テストの順位にしても、一位がリサ嬢で二位が殿下、三位が勤勉な子爵家次男で四位がレイチェル様。リサ嬢は満点でこそないが、やはり殿下とは十二点の開きがある。
この程度の誤差なら、完璧と言える未来予知だ。やはり内なる神は凄い。改めてそう思える。
「……おや?」
『お、気付いたか。そうそう、この場面は見られてるんだよ』
殿下の背後、かなり離れた植え込みから黄金の髪の毛が生えている。
あの髪を俺が見間違えるはずがない。あれは、レイチェル様の髪の毛だ。
「……マジですか?」
『マジマジ。ここはレイチェルがリサを要注意人物と強く認識するシーンでもあるからな』
慌てて目を開き、殿下の背後――神の記憶と同じ場所を見る。
居た、レイチェル様だ。本当に植え込みから頭だけを出し、殿下とリサ嬢を見ている。
レイチェル様の表情は、とても分かり易かった。寄せられた柳眉だけで「ぐぬぬ……」という幻聴が声として聞こえてくるほどだ。
なんという可憐で健気な御姿か。植え込みから頭が生えているようにも見えるので、緑の植え込みさえ可愛く見えてくる。
「ん? 先ほどから黙り込んでいるが、どうし……っ! もしや、私の背後に敵襲が!?」
「いえ、敵襲は流石に大袈裟かと……」
俺の様子を不審に思ったのだろう、殿下が振り返る。そして、殿下を上回る速度で植え込みに頭を引っ込めるレイチェル様。
なにあれ可愛い。まるでビエフ領のタヌキだ。とはいえ本物のタヌキは野菜やらブドウやらを食い荒らしていくので、実際はそんなに可愛くない。やはりレイチェル様の圧勝である。
しかし、公爵令嬢がタヌキの真似事とは……。彼女が望むのであれば、俺は幾らでも果物や野菜を用意するというのに。
「なんだ気のせいか。ニコライ、だったな。あの植え込みを気にしているようだが、何かあるのか?」
「いえ、気のせいだったようです。とんでもなく可愛いタヌキが居たような気がしたのですが、見間違いでした。本物のタヌキでは出せない可愛さでしたので」
「はは、この学園には流石にタヌキもやって来ないだろう。野良犬か野良猫ではないのか?」
「わぁ、どっちも大好きです!」
「ほう、そうだったのか。では、とちらかだけでも確かめてみるか?」
殿下がニコニコとした顔でそう言うと、ビクリと植え込みが揺れる。レイチェル様は間違いなく焦っていた。
不味い、あれは見つかりたくないという反応だ。なんとかしなければ。
「で、殿下、危険でございます! 犬猫は時に強烈な感染症を運びます! また、本気の野生動物は人間の手指など簡単に噛み千切るのです!」
「え、怖……。怖いです。えぇ……」
「いや、それこそ大袈裟ではないか? どこぞの家から逃げ出してきたのかもしれないのだから、そこまで警戒しなくとも――」
「が、がおー!」
「なんだ今の声は?」
殿下が胡乱な瞳で植え込みを見る。俺も今のはダメだと思う。
「や、やはり危険な動物かもしれません! ここは私めにお任せを!」
「ふ、ふむ。貴様は動物にも造詣が深いようだ。頼んだぞ」
「はっ! このニコライ、立派に役目を果たしてまいります!」
「お、おう……。そう気追う必要はないのだが……」
殿下が若干引いているような気がするが、勢いだけで押し込む。というか、今は俺がどう見られるかよりレイチェル様の方が大切だ。
腰を低くし、すり足で植え込みへと近付く。野生動物と化したレイチェル様を警戒させないためだ。ビエフ領の農民達も、確かこの方法でタヌキなんかを捕まえていた。
「が、がおー! がおー!」
「こ、怖くないですよ。私めは人畜無害な男でございます」
しかし、ダメ。
そういえば農民達がタヌキを捕まえていたこの近付き方、そもそも視覚外となる背後からだったわ。レイチェル様は凄まじく混乱しているようだが、俺も俺でヤバい。
とはいえ、この状況である。今更引き返すのも無理があり、俺は未だ威嚇を続けるレイチェル様に近付いた。
「がおー! ががおー!」
植え込みを覗き込むと、目をグルグルと回すレイチェル様の御姿が。
ダメだ、これは完全に野生へと戻られている。どうやら高貴なお方であろうと、極度の緊張状態では野生の本能が目覚めるようだ。
「……レイチェル・ティアビス様とお見受けします。どうかお静かに……私は貴方の味方でございます。必ずこの場をなんとかしますので、お心をお鎮めください」
「がお……ぉ?」
とはいえ、やはり人間は人間である。俺が人間の言葉で話し掛けると、レイチェル様は自分が人間だと思い出したようだった。
そして彼女は、その美しい顔を一気に赤色へと染め上げる。野生が失われた瞬間だ。このような過程を経て人間は猿から進化したのかもしれない。
「~っ! こ、こほん。ほ、本当ですの?」
「はい、ご安心ください。まだ殿下はレイチェル様を犬か猫だと思われているかと。せっかくのドレスが汚れてしまうとは思いますが、植え込みを伝ってお逃げください。私は逃げられたとご報告します」
「よ、良い作戦ですわ。では、そのように」
「はっ。ゆっくりと、決して物音を立てぬようにお願いします」
短いブリーフィングを交わすと、レイチェル様はコソコソと撤退を始めた。彼女には密偵の才能でもあるのか、滑らかな動きで遠ざかっていく。
……ヤバかった。あまりの綺麗可愛さで心臓がおかしなことになっている。たった少しの会話をしただけだというのに、レイチェル様の声が頭の中で何度も繰り返されている。彼女が本当にタヌキだったとしたら、俺は世界中のタヌキを保護しなければならなくなるところだ。それは一伯爵家の力では無理なので、本当に危なかった。
「お、おい……大丈夫か? 貴様、顔が赤いぞ。逃げられたようだが、そんなに危険な動物だったのか?」
「あ、殿下……」
「や、やっぱり猫とか犬じゃなかったんですか?」
気付けば、殿下とリサ嬢が傍に立っている。本当にギリギリのタイミングだったようだ。
赤いと言われた頬を隠したくて、両手で顔を覆う。顔に触れた指は小さく震えていて、レイチェル様とは違う意味で自分が緊張していたのだと気付いた。
「……これでも私は、腕に多少の自信があったのです。しかし、それが全く通用しない相手が存在するのだと知りました。あのような強敵がこの世に存在していたとは……」
『やっぱレイチェルは先生の最高傑作だわ。三次元になってもマジで可愛い』
ここまで自分が自分でなくなるという感覚は初めてだ。内なる神が降臨した時でさえ、先ほどのように心が乱れた覚えはない。
今にしても、殿下を前にしているのが些事にすら感じる。頭の中はレイチェル様の真っ赤な顔を思い出すのに必死だった。
「不味いぞ、リサ。ビエフ家は武家だ。どのような獣かは分からないが、その嫡男が手も足も出ないと言ったのだ……教員達に報告しておかねばならない」
「あ、あわわわわ……! あたし、すぐに報告してきます!」
「頼んだぞ。私もすぐに行く」
二人が何事かを話し合っているが、全く耳に入ってこない。恋とは、こうも厄介なものなのか。
「聞け、ニコライ。貴様はもう部屋に帰っていい。あとは私達に任せておけ」
「あ、はい……」
よく分からないまま、殿下に背を押された。どうやら部屋に戻れという意味らしい。
フラフラと、しかし妙に幸せな気分で自室へと足を進める。
明日から長期の休みに入るのが残念で仕方がない。せっかくレイチェル様と同じクラスになれるというのに、あんまりだ。帰省を楽しみにしてくれている家族には悪いが、早く時が過ぎてほしいと願ってしまう。
そうしてやってきた冬休み。
その僅か三日目にして、連休の延長が決定された。なんでも、学園で大きなトラブルが起こったらしい。
帰省の荷造りの中に、俺の涙がオマケとして詰められたのは秘密だ。
キリが悪い投稿はしたくなかったので、今日は文字数多めです。
某ウイルスではないと思うのですが、作者の咳が止まりません(;´Д`)
なので、明日の投稿は未定とさせてください。明後日は必ず投稿します。