3:地獄。
「地獄というのは分かった。お前の逸脱したサマを見りゃ納得せざるを得ないからな」
「あら、理解が早いのね。もっと動揺するかと思っていたのだけれど」
動揺してたまるか。
私はこれまで幾度となく命のやり取りを繰り返してきた。
相手が格上であろうと、手段を選ばず討ち滅ぼしてきたのだ。
なら、それは相手が鬼とて例外ではない。
腕っぷしで敵わなければ、別の方法で優位に立つまでだ。
「鬼女。お前、私に用があってここに来たんじゃないのか? とりあえずこの状況はフェアじゃない、まずは手足の鎖を千切っちゃくれねぇか」
「......本当に肝が据わってるのね。恐怖を感じていない、訳ではないと思うけれど。その自信は一体どこから沸いてくるのかしら」
疑惑が生まれた瞬間の心の緩みを、私は決して見逃さない。
切り込むなら今だ。
「恐怖だ? そんなもんがどうした、生きてる以上対等だろうが。それとも何だ。お前少し腕っぷしが強いからって舐めてんじゃねぇだろうな」
深呼吸を一つ。
「ふざけんじゃねぇぞこの野郎が! 今すぐ鎖切らんとその腕ブチ抜いて引きずり廻すぞ、コラ」
「......少し落ち着いて頂戴な。そんなに騒がなくても切ってあげるわよ」
鬼女は棍棒のような右腕をゆっくりと持ち上げ、四肢へ繋がれた鎖に向けて軽く振り下ろしていった。
(こいつ、蚊を振り落とすくらいの動作で鎖を切れるのね......)
一歩間違えればスクラップと化していたかも知れないが、ひとまず虚勢というハッタリは成功したようだ。
そもそも、虚勢を張っていたという事を見透かされていそうではあるが。
だが、それで構わない。
私の言葉に従い、行動したという事実が何よりも重要なのだ。
「さて、これで落ち着いて話ができるかしら」
「あぁ。これで対等の立場だ、そろそろお前がここに来た理由を聞かせて貰おうか」
「そうね。本当はあなたを処分しにここへ来たんだけれど、気が変わったわ......」
そう言うと鬼は独房の出口へ進みながら、しなやかな左腕で私を手招きした。
「ついてらっしゃい。会わせたい方がいるわ」
「それは一体どんなヤツだ」
「ふふ、少なくとも私よりチョロくはないわよ。あまり失礼な態度は取らないようにね。それに......」
鬼は右腕で独房の出口を吹き飛ばした。
「あなたは私に生かされている、ということを忘れないようにね。個人的に気に入ったから殺さないであげているだけよ」
成る程、やはり虚勢は見透かされていたということか。
なら、ここで反発するのは愚作だろう。コイツをこれ以上丸め込むのは至難の技だ。
敵意は感じられないし、ここで一つ協力の姿勢を示しておくのがベストだろう。
「あぁ、んなコト分かってるよ」
薄暗い独房を抜けて外に出ると、絵に描いたような地獄の光景が広がっていた。
空は灰色の雲に覆われ、大地は干上がり草の一つも映えていない。
「足元に気をつけてね。その辺、とても脆いから」
「あ? って、おいマジかよ......」
土を踏み締めた感触に違和感を感じてとっさに後退ると、案の定地面が抜け落ちて大穴が出来上がっていた。
そこら中が落とし穴になっているのだろう。
おまけに大穴の底では、どす黒い溶岩がねっとりと脈動している。
落ちれば間違いなく即死。
(いや、地獄だから死なない? 痛みから一生解放されない、的な罰を背負うことになるのかな)
死という概念の先にあるのが地獄だとしたら、ここで死に直結する傷や痛みを受けた場合はどうなるのだろうか。
どんなに血を流そうと肉体が傷つけられようとも、意識が途絶えず痛覚のみを感じる世界。
だとすれば、ここは正に地獄だ。
「あら、何を惚けているの?」
「別に惚けちゃいねぇよ。それよりもさ、お前に痛みってあるのか?」
「私に? 面白いことを聞くのね。 ……そうね、その内身を持って理解するんじゃないかしら」
(私が、身を持って……)
「ほら、無駄口を叩いてる暇があれば足を動かしなさいな」
「言われなくても分かってるよ」
鬼女に促されるまま、私は嘘みたいな景色が広がる世界を歩き続けた。