1:世知辛い。
「お嬢、お疲れ様です!」
「鬱陶しいわね。学校から帰ってきたくらいでいちいち騒がないで頂戴」
屈強な男達を軽くあしらい、私は自室へ足を運んだ。
この空間だけが唯一、私にとって心休まる場所。
制服を脱ぎ捨て、お気に入りの部屋着に着替えてベッドにダイブ。夕食までまだ少し時間もあるし、このまま少し寝てしまおう。
そんなことを考えていると、部屋の外からドタドタと無遠慮な足跡が聞こえてきた。
よし、無視しよう。
私は耳にイヤホンを差し込み、音量をマックスにして布団の中で籠城を開始した。
が、決死の籠城戦は一瞬で敗北を迎える。
イヤホンと掛布団をひっぺがされ、首根っこを捕まれた。
「遥香、ふざけとるのか?」
「お、親父......!」
私の父にして皆の父。
鷲ノ巣組三代目組長、鷲ノ巣玄三。
この男が来たということは、きっとそういうことなのだろう。
「お前がシメてる連中の収集がつかんのじゃ。ちとお灸を据えに行ってこい」
この世界、ノーという返事は許されない。
それは実の娘とて例外ではなかった。
「わかりました」
現場は河川敷だった。
中坊のいざこざは大抵こんな場所で行われる。ちょっと広目でちょっとひと目に着かない所がポイントなのだろう。
「相変わらず暇なのね......」
遠くから見た限り、人数は約10人。鷲ノ巣組がケツを持っている、どれも見知った顔ばかりだ。
警棒や金属バッドといった、いかにもな武器を所持している様は様式美すら感じさせる。いつの時代になってもチンピラは変わらないということか。
「悠長に構えている場合でもなさそうね」
各々がメンチを切り合う一髪触発の状態。
どれ、怪我人が出る前に少しシメてやろう。
深呼吸をして、人格のスイッチを切り替えた。
「おいお前ら! 何やってんだ。中坊がイキってんじゃねーぞ」
私の怒声を受け、全員が一斉にこちらへ振り向いた。
「あ、姐さん。お、お疲れ様です......」
どうにも歯切れが悪い。いつもなら何も考えず襲い掛かって来るというのに、どこかバツの悪い雰囲気が漂っている。
「どうしたんだよ。やましいことでも隠してるのか?」
「...言っちまえば、そうっす」
「何だその煮え切らねぇ態度は。余りナメた口聞いてると」
「す、すみません! 本当にすみません!!」
私の啖呵が切られる前に、中坊どもが一斉に逃げ出した。
「は?おい待てコラ! え、ちょっと待ってどういうことよ」
突然の出来事に思考が追い付かない。
内部抗争が始まりそうだから止めに入ったら、本当は争ってなくて、私に謝って逃げ出した。
普通に考えて、このまま何もなく終わる筈がない。
つまり、ハメられたのだ。
極道にこんなことをして、タダで済まないのは馬鹿な彼らでも分かっているだろう。
なのに、一体なぜ。
「あいつらには義理も臨場もないのか」
このままで済むと思うなよ、と怒りに支配される中、私の意識を一瞬で奪う程に耳をつんざく発砲音が響き渡った。
「......え?」
一瞬の出来事だった。
発砲音が聞こえた次の瞬間、私は河川敷に倒れていた。
頭が痛い。痛いなんて優しいものではない。
触れば、手のひらは生暖かい血に湿っていた。
感覚がゆっくりと遠退いていく。
テレビのノイズみたいな音が、頭の中でずっと流れている。
そうか、私はこのまま死ぬのか。
こんな生き方をしていれば、こんな幕引きになるんだろうなと思っていたけど、早すぎる。
まだ17歳なのに、これから色んなことをしたかったのに。
お父さんの跡を継いで、頭を張らないといけないのに。
思いだけが溢れるばかりで、身体はピクリとも動かない。
あぁ、悲しいな。悔しいな。
もう、終わっちゃうんだ。
「さ、よう、なら」
誰に向けたものでもない、掠れた最後の言葉。
ゆるやかに、私の意識は途切れていく。
「......ん」
鳥のさえずりが聞こえる。
あぁ、ここはきっと天国だ。私は死んで極楽浄土へ旅立ったんだ。
もう頑張らなくていいんだ。
幸福感に満ち溢れながら、私はゆっくりと目を開く。
「え?ちょっと、何これ」
目を開いた瞬間異変に気づいた。
映ったのはコンクリート剥き出しの壁に、鳥のさえずりが流れる蓄音機。
おまけに手足は鎖で繋がれている。
「これは、天国じゃないわね......」
どうやら、私は地獄に突き堕とされたらしい。