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事件

「へえ、じゃあ、あのホテルって殺された女の人の会社の援助で成り立ってたんだね。元々立地が運営厳しいんじゃないかな、とは思ってたんだよ」

大場は同じベンチに腰掛け横目で吉永を見ている。ここはキャンパスの最寄り駅から三駅の基幹駅で、大場の職場からそう遠くないらしい。大場がここからどの路線に乗って帰るのかは知らない。

「そうみたいです。あのホテルって夏こそ最盛期って話ですし、その繋がりがあったからあの会社の人たちも泊まれてたんじゃないですかね」

「あの会社ってそもそも何の会社なの?」

「あ、ええそれはこんな感じみたいです」

吉永は通学に使っている鞄から中身のつまった封筒を取り出した。

「友人がちょうどそこの会社の就職狙っているみたいで、資料借りてきました。なんだか海外企業と国内企業の橋渡しみたいな内容でしたね」

大場は封書を受け取り、中からパンフレットを数部抜き出し、簡単に目を通していく。

「そんな会社がなんでホテルの援助なんかしてるんだろうね」

大場は資料から目をあげない。横顔がまさに働く女といった様子で、吉永は少し見とれてしまう。

「あ、そこなんですけど、ちょうどその友人があのホテルで代表の相馬さんって方と話していたらしいんですが、国外からの来訪者を招くにあたって、相手先の知らない場所を用意したかったらしいです。あまりメジャーなところだと相手先の印象に残らない会談になるって考えがあるとか」

「確かにあそこは印象には残るだろうね。でも街中から離れすぎてない?」

吉永は自分が澤村にした質問と同じ質問を大場が自分にしていることに内心ほくそえむ。

「そこはエンターテイメントとのことです」

「エンターテイメント?」

「そうです。そこにたどり着くまでの道中が相手の期待をより膨らませるそうです」

「なるほどね。金持ちの考えることは分からないわ」

「そうですね。でも確かにいいホテルではありましたよね」

吉永は同じベンチに腰掛け談笑する自分と大場を周囲の人間はどう見るのだろうか。大場の職場の人間がもしかしたら自分たちを目撃する可能性もあるのではないか。それをわからない大場ではない。大場は自分と二人の所を知り合いに見られても問題ないということだろうか。眼中にない、という考えを頭を振って打ち消した。

「ありがとう、このパンフレット一応コピーしていい?」

「そういうと思ってコピーしてあります。大学は学生なコピー無料ですから」

吉永は口元を引き締め、大人の振る舞いを心がける。バッグからクリアファイルを取り出した。ファイルは家のなかで最も綺麗なものを見つけてきている。

「ありがたいけど、それ原本持ってこなくてもよかったんじゃない?」

「そ、そうですよね」

大場を笑わせることができた。それだけで今日という日の収穫はあった、と吉永は思った。


 須田はファイルを上書き保存し、メモリをノートパソコンから引き抜いた。パソコンの電源を落としバッグのパソコンスペースにしまい混んだ。平日の学内図書館のフリースペースは学生の集まり場所となっている。授業までの時間潰し、テスト勉強、レポート作成。須田はレポート作成に利用していた。大きなテーブルは学生グループが使うため、一人で使うことは難しいが、最近個別スペースも作られ、利用しやすくなった。今まで一人で作業する際は学校側のカフェを利用することが多かったが、仕送りだけで生活している身としてはなるべく生活費を抑えたかったし、それに学内なら印刷が無料だ。自宅で作業することはできるが、須田は何故か周りに雑音があった方が作業が捗る気がしていた。休日も家に籠ることは少ない。須田はレポートを紙で提出させることを常々無駄だと思っている。ファイルの確認だけであればメールか、学科の共有フォルダを作成すれば済む話ではないか。しかし、紙にしたうえで、無駄に保管して教授室のキャビネットを圧迫する文化はまだなくなる気配がない。教授予算の支出先を増やすためだろうか。確か、公共の道路などは、市が年度予算を使いきって翌年の予算を減らされないために年度末の工事が増える、という話を聞いたことがある。

 須田はレポートを教授室のポストに投函しに学部搭の階段を登る。この教授は授業時間を全て授業進行に使いたいらしく、レポート提出を次の授業までのこの投函方式を採用している。訂正のある者は次の授業で返されるため、週のレポートが一つ増えることになる。確かに学生の意欲を引き出すシステムか、とは思う。別に推奨はしない。事件の後の旅行はつつがなく進行したが、トラブルに見舞われたこともあり、秋口には、もう少し安価な計画をたてることになった。元々何か理由をつけてまた旅行には行くと思っていたので大差ない気もする。それにホテルで起こった事件は距離こそ近い話だったが、全く知らない人物の出来事で、他のニュースと変わらないと思っている。須田は新聞をとっていない。学生で新聞をとっている人はほとんどいないだろう。そのせいでか、学校近辺では強引な新聞の売り込みが多発している。だから須田はあの事件の続報を知らない。興味もないのだから構わないのだが、他の二人の態度が共通の友人を介して、自分に事件の話をさせようとしてくる。最近はむしろ須田が事件の新事実を知ることの方が多かった。亡くなって篠田という人は会社では、代表の相馬と関係があったのでは、と噂になっていたそうだ。それは、あの晩ホテルの宿泊した面子を思えば頷ける話だった。彼らの部屋の取り方を訪ねられたりもしたが、もちろん須田はそんなことを知らない。そういえば、事件発見時は萩谷という中年女性が部屋にいたそうだが、男女別の二部屋だったのだろうか。いや、それだと、殺された篠田さんが絶命する瞬間に萩谷夫人は隣で寝ていたことになる。しかし、就職先になるかもしれない澤村は別として、吉永が事件にここまで関心を示す理由はなんだろう。須田はレポートをポストに投函した。


 澤村はノートパソコンの画面を凝視している。メールの文面は何度見ても変わらない。第一希望の企業、かのエイチエムからだった。来月のインターンに自分が合格しているとの内容だ。もちろんあのホテルに泊まる前に応募はしていたが、そもそもインターン自体がなくなるのではないかと心配していたし、事件の関係者ということが、プラスなのかマイナスなのか図りかねていた。スーツをクリーニングにだそうと、クローゼットを開けてから、今スーツが実家にあることに気づいた。親に対してメッセージを送った。来月は特にテスト期間などではない。レポートを求められる授業もいくつかあるが、最悪須田に協力を依頼しよう。バイト代はまだ残っているから、一食くらいご馳走すれば話がまとまるだろう。そうすればこのインターンに集中して取り組むことができる。果たしてインターンが何をするものなのか澤村は知らない。準備といっても何をしたらいいのだろう。面接のようなことはあるだろうか。相馬とは多少お近づきになれた気がする。萩谷という上役にも顔は覚えられているだろう。しかし、インターンの相手ということに彼らのような上層部の人間がでてくるだろうか。きっともっと下の人間だろう。改めて考えると自分があのホテルでした行動が大胆だったと今になって震えてくる。初対面の社会人に好印象を残す方法。そう検索エンジンに入力したところで、ベッドに倒れこむ。今からこの同様具合では先が思い出される。

「あ、そうだ」

ふと、会社のパンフレットを吉永に貸していたことを思い出した。パンフレットは澤村が就活イベントの会場で入手したものだった。吉永は自分の企業選びの参考にしたいとの話だったが、一企業のパンフレットなんて見て選択の役に立つのだろうか。まさかあいつもエイチエムを受けるつもりだろうか。澤村は吉永にパンフレットの返還を催促するメッセージを送った。


 夏場の陽気は日暮れと共に落ち着くが、暑さに変化は感じられない。少なくとも吉永はそう思っている。空調の少し効きすぎた店内はそれでも薄着の若者で溢れていた。飲み始めてから一時間。飲み放題のラストオーダーまではまだ時間があるものの、コースメニューがまだ出揃わず、参加者の口々に不満がでていた。店はかなりの賑わいようで、料理が遅くなるのは仕方ないと思わなくもないが、アテになるものがないと飲みが進まない。酔いを伴い周りの態度も大きくなっているのだろう。このサークルは季節折々の星を観賞することが主題ではあるが、基本的には飲み会が活動の中心となる。学内には非公認を含めれば数百のサークルが存在するが、その実態は仲の良い学生の飲み会ということも多く、数百という分類にはなっていないと思う。吉永の入っているサークルも、ほとんど出向かない所も含めて呑んでばかりだ。

「吉永さん、事件現場で何か不審な点はありませんでしたか?」

田切はグラスをマイクのごとく吉永に向けてくる。

「特に何も気になる所はありませんでした」

吉永は最近多いこの類いの悪のりに飽きてきていた。

「本当はあなたがやったんじゃないんですか」

田切は勢いあまりグラスを傾けすぎてしまう。グラスから零れたカクテルが甘い匂いと畳にシミを広げていく。周囲にいた何人かが田切を座らせ、こぼした液体の処理にあたっている。

「そうそう、思いだした」

座り直した吉永の肩をとんとんと叩いたのは城里だった。

「吉永が関わった事件、週刊紙に記事でてたよ」

「おれは何もしてないけどな」

吉永は飽きながらもこの話題にあえてのっかっていくのは、こういった事件の新情報を得るためだった。大場との話題が尽きてきていた。大場は事件の話題こそ積極的だが、他の話題にはさっぱりのってこない。何かもう少しで大場の関心事を掴めるのではと期待しているが、今のところは事件の話しか手応えを掴めていない。

「確か、被害者の会社の人たちの当日の部屋割りがでてた」

「部屋割り?」

「そう、被害者の部屋次第で犯人がほぼ特定されるわけでしょ。まさか密室殺人なんてことはあるまいし」

「へえ、それで?」

「うん、それがさ、被害者一人部屋だったらしい。あとはそこの社長も一人部屋、そこの専務が奥さんと二人部屋だったって」

「それじゃ、密室殺人になるんじゃない?」

「いや、そこは被害者が犯人を招き入れたんでしょう?顔見知り確定」

「え、でも女の人一人部屋にそうそう人を招き入れるかな」

「私はしないけど、そういう関係ならあるんじゃない?」

「そういうって」

「自分で考えろ」

城里は目を細める。吉永はからかったことを詫びた。

「おい、田切吐きそうだぞ」

どうやら座り込んでいた田切が体調を崩したらしい。あたりが一段と騒がしくなる。

「…あれ、そういえば、朝、部屋の扉開いてたよな」


 駅近にあるこのお店は、学生相手には少し料金が高く、学生街の喧騒を逃れたい大人たちには人気だった。須田はあまり騒がしい飲み会は好きではないので、値ははってもここで少し飲むだけで満足できた。

「須田くんはいつもこんなとこで呑んでるの?」

前田は楽しそうに須田を眺めている。

「うん。だけど、一人だと一、ニ杯かな。そんなに飲まない」

須田は手前のショートグラスを軽く傾けた。

「へえ、でも須田くん結構な酒豪でしょう」

「お酒に強いのと、酒豪は違うよ」

前田は須田より体格が一回り小さい。須田自身は男のなかではそんなに身長の高い方ではないので、前田が小さい方ということになる。須田は前田が女子大生と言っても通じると思っている。

「私にはどっちもわからない」

「でも前田さんもバーでそれなりに飲んでるわけだから強いと思う」

「はい、飲み過ぎてます。気を付けます」

前田は片手を頭に持ってきて敬礼してみせた。須田は前田の仕草を見て、よく自分より若い心の持ちようをしている、と感心する。

「今日はどこに泊まるの?」

「もちろん駅近にビジネスホテルとってますよ。残念でした」

須田は何が残念なのか分からなかった。

「毎回遠くからきてもらってるのに何もできなくてごめん」

「あらたまらないでよ」

前田の住まいは須田の町から日帰りでは帰れない距離にある。会う頻度は高くないが、気兼ねしてしまう。

「あ、そうそう事件の新情報」

「え、何か分かったの?」

須田は事件に興味はないが、前田の話ならば関心のあるように振る舞っている。

「篠田さんの部屋ね、部屋のなかに鍵があったんだって」

「それは当たり前なんじゃない。部屋にその部屋の人がいたら鍵だって部屋の中でしょう」

「でも部屋の人が亡くなってるとしたら、殺した人が持ち出すでしょ」

「あれ、オートロックじゃなかったっけ?」

須田は記憶をたぐる。

「そう、そこなんだけど、当日の朝はあの部屋の扉鍵を閉めてから閉じられてて、開いてたみたい」

「それ、何の必要性があったんだろう?」

「そうよね。見つかるまでに時間がかかった方が逃げる時間が稼げるよね」

「でも、朝食に現れない段階で不審に思われるんじゃないかな。そしたらそんなに発見までの時間て変わらないよね」

「分からないわ。あ、須田くんそろそろバスなくなっちゃわない?」

「あ、うん。そうだね。そろそろ出ないと」

「はあ、事件の話なんかしないでもっと須田くんの話聞いておけばよかったよ」

「ぼくは前田さんからの話ならなんでも楽しいよ」

「うわあ、若いな」

「なにが?」


「いらっしゃいませ」

金曜日は夕方から満席になることも多い。澤村はエプロンを閉め直す。

「澤村くん、今日急遽入ってもらえて助かったよ」

店長の和田は、澤村のふた回り上だが、非常に低姿勢だ。仕事柄のためだろうか。

「いえいえ、ぼくも来月シフトほとんど入れませんし」

すると、和田は顔の前でオーバーに手を横にふる。

「インターンでしょ。それは将来かかっているもの」

和田のこの学生に対する低姿勢が、入れ替わりの激しい学生バイトを後輩に引き継ぐといったかたちで人数増減を最小限に抑える技なのかもしれない。

「テーブル四番さんオーダーお願いします」

厨房の野木さんから声がかかった。

「はい、いってきます」

「澤村くんよろしくね」

和田はにこやかに送り出してくれた。

「お待たせしました、ご注文お伺いします」

「生二つと、イカの一夜干し、あとたこわさお願い」

スーツ姿の男が二人の席だった。

「ご注文を繰り返します。生がお二つ、イカの一夜干し、たこわさが一点ずつ、以上でよろしいでしょうか?」

「うん、よろしく」

注文用の端末をエプロンのポケットにしまい席を離れた。厨房へ戻る最中、客の話が耳にはいった。

「あのホテルの事件聞いた?」

「なにそれ」

「ホテルの部屋で女の人が首潰されてた事件」

澤村はそこまで聞いて、自分が関わった事件を思い出した。遺体の印象はもうおぼろげになっているが、首の異様さだけは印象に残っていた。

「首を潰すって、どうしたらそうなるの?」

「なんでも部屋にあった電飾?を首の上で麺棒みたいに転がしたとかって」

「うわ、気持ち悪い。そんな話食事中にするなよ」

「まあまあ、んで、その電飾、部屋からなくなってたらしいんだわ。窓は飛び降り防止で開かなかったらしいから犯人が持ち出したわけよ」

「ものがないのによく凶器がわかったね」

「さあ、でも遺体の首に跡が残ってたんじゃない?それに、電飾は全ての部屋に共通のがあったらしい」

澤村はそこまで聞いて仕事中であることを思い出した。次のオーダー依頼が端末に通知されていた。

「電飾か。確かに部屋にあったな」

思い出したそれを首に押し付けられることをイメージして、少し気分が悪くなった。


「どうにもあの会社内での男女のいざこざが関係ありそうです」

「ませたことを言うのね。いっぱしの記者のつもり?」

大場の挑戦的な物言いに最初のころはいちいちたじろいでいたが、今はもう慣れた。そしてたじろぐ男は大場の好みではないだろう、と吉永は考えていた。

「おれは大人ですよ。あの社長、妻子持ちで外面は全くもって順風満帆。会社の透明性を向上させているとの評判です。ただ、社内の噂では何人か愛人がいたのでは、という話もあるそうです」

大場がため息をついた。吉永は大場の感情を読もうと目を凝らす。

「まるでどこかの週刊誌の受け売りね。調査お疲れ様」

吉永は言葉に詰まる。

「うーん、私は事件についてお互い新情報があれば交換しましょう、とは言ったけど、別にゴシップの話がしたいわけじゃないの」

吉永は大場との距離が離れていくのを感じた。

「また事件について進展があったら連絡して。今回はここまでにしましょう」

吉永はここで何か言わなければと思考を巡らせる。

「事件はまだ続きますよ」


 須田は早めの夕飯のあと、家を出て自転車を走らせた。今日はとなり駅で交通整理を行う予定だった。須田は旅行のあとも日雇いバイトの契約を解除していなかった。日々連絡の来るバイト募集の連絡に須田はできうる限り参加していた。須田は自分にしては続いている方だ、と自己評価していて、少し誇らしい気持ちもあった。須田は学生生活を営みながら、自分がこの先社会人として人並みに働いていけるだろうか、と不安になることが度々あった。学業こそそこそこの成績で納めているが、積極的とは言いがたかった。バイトや、サークルなども熱を出して取り組む意義が見いだせなかった。須田は自分が頑張れていることに充足した気持ちでいた。

 電話の着信があった。急ぐほどバイトにギリギリの時間ではなかったが、なんとなく今の気分を邪魔されたくなくて、着信を放置した。信号で停まったので、誰からの着信かだけ確認した。吉永からだった。きっと重要な要件ではないだろう。もし、前田からだったらどうしただろう?須田は自分に問いかけた。しかし、すぐ前田は今の時間仕事だと頭を切り替えた。

 バイトは立ちっぱなしであること以外快調だった。眠気もさほどこなかった。明日は足が重いかもしれない。バイトの収入は仲介してくれてる契約先から振り込まれることになっている。日雇いという点は昇給の余地がないように思われるが、同じ内容の仕事も多くあり、現場責任者の報告次第では指定金額以上の手当てがでることもあった。須田に車があればもっと割りのいい仕事も選べたが、あいにく今は自転車圏内の内容となっている。電車賃が支給されるものもあるが、割りのいいものは深夜となるものが多く、終電を考えるとあまり使える手ではなかった。

 須田は家に帰りつくと、携帯に前田からメッセージが届いていることに気づいた。時間が遅かったので少し悩んだが返事を送った。もう一件メッセージがきていたことに気づいた。吉永からだった。そういえば吉永からの着信を無視していたことを思い出した。


 澤村は実家からの荷物をほどいていた。

「重っ」

スーツを送ってくれるだけと思っていたが、何か詰め合わせてくれたのだろう。荷物の一番上にはビニールを何重かに重ねられた形でスーツが入っていた。スーツの下にはレトルト食品やトイレットペーパーなどの生活用品が押し詰められていた。さすがに手紙なんて時代錯誤なものは入っていなかったが、ここまでされると申し訳ない気もする。実家に帰ることは最近ほとんどなくなっている。長期休暇も友人との予定に使うことが多い。荷物の重みとともに、帰ってくるよう圧力をかけられている気がした。

 あれからエイチエムからの連絡はない。あと二週間。澤村は自分の浮わついた気分を落ち着かせようと缶ビールをあけ、一口飲んだ。ここ最近レポートに身が入らず二つほど期限間際のものがある。本当に須田にご飯をおごる羽目になりそうだった。最近須田からの誘いが減っている。吉永もなんだかサークル活動に勤しみだして付き合いが悪くなっている。自分だけが何も出来ずにそわそわとするしかないように感じられてもどかしく思った。そう思うやいなや携帯に吉永からメッセージが届いた。

「こないだの旅行先、事件のあったホテルに行かないか?」

澤村は城里から吉永が最近事件の関係者という立場を利用して事件の情報を集めていることを聞いていた。おそらく、とは思ったがあのホテルの女性関連なのだろうとにらんでいた。しかし、メッセージを読み進めると、なんと須田も一緒に向かうらしい。須田の意図はよく分からなかった。少しそちらに関心をもった。

「あと、二週間か」

澤村はカレンダーに視線を向けた時点で決断していた。


 吉永は街道から見える川の流れを横目に確認した。気温は夏本番といった様子で半袖短パンの吉永は車内のクーラーにあたりながら汗をかいていた。

「今回は以前我々が遭遇した怪事件の調査を行うため、事件の舞台となったホテルへ向かう」

須田は外を向いていて、反応を返さない。澤村は後部座席で寝ていた。

「あの事件では日にちのたった今でもまだ凶器が見つかっていない」

吉永は二人に構わず自分を鼓舞するように続ける。

「凶器はおそらく、あのホテルに面した崖に落とされたにちがいない」

吉永は一時的に道幅の狭まった山道の走行に注意する。

「えー、今回は炎天下のなかの大変苦しい作業となるが、君たちの協力に感謝する。我々の調査協力が速やかな事件解決への手助けとなるよう頑張ろうではないか」

吉永の頭のなかは大葉のことでいっぱいだった。車は山道を抜け。見覚えのある大きな建物が視界に入った。吉永は内心の高ぶりが治まらなくなってきていた。もし、ここで何も見つけることができなければ、と考えると頭が真っ白になってしまう。大場にこのまま会えなくなることは是が非でも避けたかった。


「お久しぶりです」

こちらの声かけに佐藤が以前と変わらぬきびきびとした振る舞いで頭をさげた。

「前回は大変お見苦しい事態となってしまい申し訳ありませんでした。それにも関わらず再びのご来訪、誠にありがとうございます」

須田は佐藤の物言いに、自分の目的が後ろめたくなる。

「いえいえ、そんな頭を下げないでください。前回のことは、そちらの落ち度ではない話ではないですか。それに今回僕らは日帰り入浴だけじゃないですか。そんなにかしこまらないでください」

「私どもはお客様の当ホテルの利用のされ方でお客様を区別などいたしません。どうかごゆっくりしていってください」

「ありがとうございます」

須田は恐縮しつつも笑顔で佐藤から離れホテルの奥へ向かっていった。須田はホテルをふらつきながらスタッフに事件の調査をしてまわることになっている。


「あっつい」

澤村はタンクトップの裾で顔の汗を拭う。頭にバンダナをまいてはいるが、すでに汗が滴るほど汗を吸い込んでいて、触りたくもない状態だった。軍手も中の手が強い不快感を訴えてきている。

「須田との扱いの差はなんだ?」

澤村は吉永をにらんだ。

「あいつは、そもそもその条件ならって引き受けてくれてたんだ」

同じく肉体の限界に挑戦している吉永の語気は荒い。駐車場から藪を抜け、歩けそうな岩場を伝ってホテルに面した崖まで回り込むまでは順調だったが、ここからは当てのない戦いだった。岩かげに不自然なものはないか、と足場の悪いなか探し歩いている。

「おれらの頑張りは社会貢献だ。お前の今日の頑張りは就職に役立つさ。それに、会社の事件を解決に導いたとなれば、この事件の会社の合格は間違いなしだ」

吉永は軽口で澤村を鼓舞しているが、内容に確証は皆無だというのはあきらかだった。

「お前もエイチエム狙ってるのか?」

「え、いや」

澤村はここ最近の疑念が全くのお門違いのような反応で気が抜けた。

「…、じゃあ、なんでパンフレット借りたりしたんだよ。びっちり折り目ついてたし」

「あ、ああ。あれは、ほら、業界研究だよ。ついつい興味深くて読みいっちまったけど、あくまで進路の候補を模索してただけだよ」

吉永は澤村から離れるように、距離のある岩場に駆け寄っていった。

「お前わざわざ何のためにここまできたんだ…」

澤村は吉永のものいいが多少気になったものの、どちらかというと須田に参加の理由の方が気になった。しかし、バイト空けの早朝出発で道中は終始寝入ってしまったため、何も聞くことはできていなかった。それに、自分も大した理由なく参加しているので、もしかしたら二人とも大した理由なんてないのかもしれないと思い直した。


 日の位置が高い。日帰り客の入浴時間は制限がある。観光しているという設定の俺たちを須田がホテル内で待つ形で、それぞれ取り組んでいるが、逆に須田がいることで、入浴時間前にはホテルに居なくてはならない。吉永は内心の焦りを感じているが、もうどうにもならないと諦めている自分も理解していた。ここまでついてきてくれた須田と澤村のことを考える。大場のことを考える。崖の奥地まできてしまっている。駐車場まで戻るのにどれだけかかるだろう。澤村はこちらに視線を向けない。あくまで、終了の判断は吉永委ねているのだろう。この判断は大場を諦めることに同義な気がしてしまう。おそらく当の大場には何も関わりのない話だ。自分だけなら、とも思うが、二人を邪険にしたいわけではない。二人とだから来れたのだ。自分だけではここまで来る行動を起こせなかったかもしれない。

「澤村、そろそろ終わりにしよう」

吉永は右手をあげた。

「ん、あ、そうだな。温泉を楽しむ時間がなくなる」

澤村は疲れているようだが非難する色は見えなかった。吉永は軽いため息のあと笑顔で言う。

「我々の取り組みは大きな結果とはならなかったかもしれないが、温泉を楽しむ糧となったのだ」

吉永は中腰の澤村に飛び掛かった。


「へえ、そしたら上の階に荷物を運ぶエレベーターがあるんですね」

須田はラウンジでコーヒーを飲みながらスタッフの男と話していた。

「でも、僕たち三階の部屋でしたけど荷物はスタッフの方が持って上げてくれましたよ」

「そうですね。貨物用エレベーターって建物の奥まったところにあるので結果的に時間かかっちゃうんですよね」

「使いづらいものなんですね」

「あまり使われているのを見たことありませんね。でも整備は行っているので動くことは間違いないと思います」

「ありがとうございます。なかなか連れが来ないので暇してしまって」

須田は申し訳なさそうに姿勢をただした。

「いえいえ、また何か質問がありましたらお呼びください」

スタッフは快い一礼をして席を離れていった。

「さて」

須田は頭のなかを整理する。最後は建物についての話になってしまったが、収穫がないわけではなかった。澤村の参加で自分だけが楽な役割になってしまっているので、なるべく手ぶらはさけたかった。駐車場は建物から高低差があり、あまり見えない。二人はもう戻ってきているだろうか。


 吉永は鈍行列車のボックス席で窓に頭を預けて寝ていた。澤村は朝方寝たおかげか、バイトに追われる生活の賜物か、疲れこそ感じるものの眠気はなかった。日中の作業を振り替えるとそもそも吉永と自分とで取り組み度合いが違った気もする。そのことを須田に話すと、吉永はあの晩の女性と何かつながりのある話なんじゃないか、と言われた。まさか、とは思ったが吉永のことを考えるとなくはないかもしれないと思った。元々おかしな話だった。吉永が社会貢献とは。むしろ吉永といえば、過去に同学年の意中の相手が留学したため、二月ほど澤村のバイト先に現れ、みっちり働き詰めたうえで、その女の子を追いかけて一人でその国まで飛んだことがあった。須田の話の方がしっくりきた。そして、それを何もいわずに付き合わされたことに腹が立ってきた。須田は何故か上機嫌で話が合わなかった。澤村は吉永にそのうち何か仕掛けてやると心に誓った。

「お前らがいかに大変な作業をしていたかはここまでの道中聞いたけど、俺の収穫についてはいいのか?」

須田は思い出したように澤村をみた。

「え、お前何かしてたっけ」

澤村は首をかしげる。

「そうか、なら別にいいけど」

須田は外の風景に視線をもどした。


 学食には一品ものの他に、小皿で好きなものを選んで合計額を支払うものがある。吉永は小皿のものを好み、自分なりの組み合わせを作っていた。普段通りの経路で小皿を選びとり、会計を済ませ、大体いつもの席で食事を始める。しかし、箸を持つ気がしなかった。天井を見る。寿命を全うしそうな蛍光灯を一本見つけ、不規則に点滅するそれをしばらく眺めた。気を取り直して箸を持ち、食事に向かう。事件の続報はない。むろん、大場から連絡もない。吉永から連絡できるきっかけもない。大場からは事実上振られている状態である。距離を置かれてから、何もアクションを起こせずにいる。ため息がでた。お米を噛む。頑張って噛む。意識しなくては動きが止まりそうだった。白身魚のフライの味は変わらないが、それを感じる吉永の印象は普段と異なっていた。お茶で食べ物を流し込んだ。次の授業は、でなくていいかもしれない。空いた小皿の乗った盆を返却口で、片付け、外に出た。日差しは強い。手で目元を日差しから庇う。学内の川は行事のあるときにしか水を流さない。電力で水を循環させるため、お金がかかるためだろう。吉永は川縁に腰掛けた。携帯の画面を操作して、連絡先の大場の名前を展開した。しかし、出きることはそこまでだった。吉永は立ち上がり早めの帰路についた。


 最近吉永からの誘いが多い。最近サークルの方に顔を出していないことが察せられた。しかし、須田は日雇いバイトを詰め込んでいて、吉永にあまり快い返事をできることがなかった。それでも会うと吉永は、普段以上の元気で出迎える。何があったかは想像できなくもないが、何も話さないので詳しくはわからない。本人が何も言わないのなら、何も出きることはない。須田は割りきって普段通り接していた。二度目のホテル訪問に関して話に上がることはなく、忘れようとしているのかとすら思っていた。須田はもう事件のことは忘れかけていて、周りの人間もそれを話題にすることがなくなっていた。きっとそのうち解決されるだろう、という印象でしかない。

「須田は就職に向けて何かしてるの?」

吉永は透明カップに梅酒を注いでいる。

「まあ、それなりに」

吉永は顔をしかめる。

「ざっくりだなあ。俺まだなにもしてないんだよ。なんか気分がのらないんだよね」

「別に澤村みたいにインターンに躍起になるのが正しいわけじゃないだろう」

須田は透明カップに残っていたワインを飲みほした。

「さすが須田はまわりに流されないねえ」

澤村が、須田の空いたカップにワインを注ぐ。

「いや、することはしてる。あとで慌ててもしらないぞ」

「ああ、わかってる。気持ちの問題。気がのってきたらバッチリ決めるよ」

吉永は遠くをみていた。


「今日はありがとうございました」

澤村は頭を下げる。スーツは暑いが背広は着たままだ。その方が印象がいいだろうという判断だ。インターンは一週間で、最初は澤村と比較的年齢の近い若手社員とマンツーマンで、一日の仕事の流れの説明や、簡単な事務処理に取り組んだ。中盤は他のインターンとグループセッションなどを行い、本当に選考されているのではと心が引き締まった。そして夜は毎日社員とご飯に出かけた。最終日となる今日はなんと代表の相馬を含めての懇親会となった。相馬は一度澤村に話しかけ、他のインターンより距離の近さを示してくれた。これは、もう安泰かもしれない。そう思い、心が軽くなるのを感じた。懇親会のあと、気持ちを押さえられず、須田と吉永、城里にメッセージを送った。最寄り駅についたところで携帯に電話が入った。誰からか確認せずに電話にでる。つい明るい声になってしまう。

「メッセージ見たか?俺もう…、え、警察の方ですか」

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