Episode:54
「グレイス様、どうなさいましたか?」
「え……?」
久しぶりの呼ばれ方に、驚く。あたしをミドルネームの「グレイス」で呼ぶのは、ごく限られた人たちだけだ。
「ドワルディ?」
振り向いた視線の先にいたのは、ケンディクに駐在してくれているロシュマーの筆頭、ドワルディだった。
彼は昔から、総領家の執事のようなことを務めてくれている。
「あ、親御さんですか? でしたらこの子を――」
「ご迷惑をおかけしたようで申し訳ございません。お嬢様も少々、取り乱していらっしゃるようで。
――さ、こちらへ」
なんだかまったく違う説明で、ドワルディはあたしを警察の人から引き離した。
「けど、どうしてあたしが、ここにいるって……?」
彼には今日ケンディクへ行くなどと、言っていない。だいいち知らせるのは、国外へ出るときや、何かシュマーの設備を使うときだけだ。
「放送の中に、お姿が映っていらっしゃいましたので」
「え、あ、やだ……」
そんなつもりはなかったのに、しっかり映されてしまったらしい。
「どうしよう……」
「病院前の一般の方々と一緒に写っていらしただけですから、問題はないかと。
ですが、何か別のことがおありのご様子ですね」
「うん……」
あたしは起こった事を、手短にドワルディに話した。
「イマドと先輩たち、7階の病棟にいたから……」
「そういうことでしたか」
彼が納得する。
「それで……何が、どうなってるの?」
「早い話が、人質を取っての立て篭もり事件です」
あっさりとドワルディが答えた。
「もうご存知かもしれませんが、犯人グループは『森の虎』と名乗る、ワサールのレジスタンスのひとつです。先ほど犯行声明も出ました」
「うん、ついさっき聞いたわ。
後は何か……分かったこと、ある?」
シュマーの情報網は、学院や政府より早い。詳細がある程度でも、入っていないわけはなかった。
「既にユリアス政府は、ロデスティオ政府と秘密裏に交渉に入ったようです。
ただ進展の程は、はかばかしくないようでして」
「そう……」
レジスタンスに対しては、常に厳しい態度を取ってきたロデスティオ政府だ。いくら国外で事件を起こされたからといって、そう簡単に折れるとも思えない。
だいいちテロに対しては、一度折れたら終わりだ。
最初は人質を救うための他愛ない譲歩でも、味をしめたテロ組織に次々を事件を起こされて、収拾がつかないほど規模がエスカレートしていく。
人質は全員救出、犯人は死刑――国によってはこれは終身刑――が、対テロの基本的なやり方だった。
「人質は……どのくらい?」
「公式発表では病棟の患者が合計で68名、看護士が31名。それにドクターが若干名です。
あとは見舞い客が多数、といったところかと」
これにはあたしも呆然とした。
「それじゃ、100人以上じゃない!」
「さようでございます」
これほどの事件は恐らく、この国始まって以来のはずだ。