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とらわれました

 目を覚ますと、そこには紫水晶の瞳があった。

 昨夜は熱を帯びるばかりだったその瞳は、今は黎明の光に照らされて優しく輝いている。


「おはよう」

「お……は、よう」


 フルールはその男ーーラウルとぎこちなく挨拶を交わし、襲ってきた実感によって顔を引きつらせた。

 別に守ろうと思って守ってきたわけじゃ無いけど、まさかこんな成り行きで、それも見ず知らずの男に明け渡してしまうとは。

 底抜けの馬鹿だ。なんて愚かなことをしたんだろう。

 フルールはヴァンパイアなのに。これからも一人で生きていかなければならないのに。

 あんなに優しくされてしまったら、孤独がより一層影を増すだけなのに。


「いつから起きてたの?」

「さあ、いつだったかな」


 ラウルは冗談めかして言った。そんなに前から起きていたなら起こしてくれれば良いのにと思いつつ、フルールは背を向けて起き上がった。

 所在無く打ち捨てられた下着を身につけて、ワンピースを頭から被る。早くここを出なければという思いに突き動かされて、動きが早く硬くなっている。


「……もう行くのかい?」

「ええ」


 返事をする声は、無様にかすれていた。

 フルールはずっと一人だった。人間の頃の記憶のせいでヴァンパイアとも馴染めず、狩人どもには追い回されて。いつもお腹が空いて、寂しくて。でもそれなりに高い身体能力と自由な暮らしも気に入っていて、それはそれでいいかと思っていた。


 本当は、誰かに抱きしめて欲しかったのに。


 ワンピースの中に巻き込まれたハニーブロンドを両手で跳ね上げた。いつものように両側に垂らして、手櫛で整えてから後ろを振り返る。


「さよなら。この先の旅も、気をつけて」


 フルールは笑顔が歪まないように気をつけなければならなかった。

 ラウルはいつしかベッドの上に起き上がっていて、微笑みを絶やさないままこちらを見据えている。とくに返事がないことを確認して、フルールは踵を返した。

 そうして部屋を出る……はずだったのだが。


「残念、離さないよ。ヴァンパイアのお嬢さん」


 背後に発した台詞の意味を理解できない内に手を掴まれる。強い力で引き寄せられたフルールは、再びベッドの上に逆戻りしてしまった。


「逃げられると思った? 本当に純真で、可愛らしい」


 耳元を熱い吐息がくすぐる。後ろから回された腕が、鋼のような硬さで体を拘束している。


「諦めてくれるかな。もう君は俺から逃げることなんてできないんだから」


 抱きしめる腕が力を増す。ズボンは履いていても上の肌は晒したままの彼は、体温を直に伝えてくる。そこに絶対的な意思を感じ取って、フルールは力を抜いた。

 酷い男だ。無抵抗の女をつまみ食いして、結局は討伐するつもりだったなんて。


 ーーけど、それで良かったのかも。


 この先生きていたって、楽しいことなんて一つもない。裏切られたと思わないではないけれど、そもそも信頼関係があってのことではないのだから、それもまた仕方がない。

 彼なら殺し方もきっと優しい。フルールは観念して、逞しい腕の中で身を捻った。ラウルと正面から向き合って、彼の紫水晶を至近距離でじっと見つめる。


「わかったわ。もう諦める」

「……本気で言ってる?」

「ええ。貴方の好きにしたらいい」


 眼前の瞳が驚きに見開かれる。しかしすぐに細められて、形のいい唇が笑みの形を作った。


「そう。だったら、好きにさせてもらおう」


 言うなり、ラウルはフルールの唇を奪った。

 予想外の行動に意表を突かれたフルールは、目を白黒させて抵抗すらできない。

 それはただ触れるだけの口付けだった。二度、三度と啄まれて、最後に長く唇を合わせてから、ラウルはようやく満足したようだった。


「一緒に暮らそう。どこに住みたい?」

「……え」

「ヴァンパイアハンターは辞めるけど、それなりに蓄えはあるから安心していいよ」

「は、あの」

「教師になろうかな、実は憧れてたんだ。どう思う?」

「ちょ……ちょっと待ったあああ!」


 フルールは額を抑えて叫ぶと、強引に逞しい腕をひっぺがして、ベッドの隅に後ずさりした。

 この男、一体何を言っているのだ。言っていい冗談と悪い冗談があるのを知らないのか。


「ごめん、話についていけない。殺すならさっさとして欲しいんだけど」

「殺す? 何を」


 本気で意味を理解していない様子でラウルが首を傾げるので、フルールはだんだんイライラとし始めた。


「だから! 討伐するんでしょ、私を!」


 強い口調で言い切ってしばらく、ラウルはおもむろに吹き出した。あんまりにも楽しそうに笑うので、フルールは憤りを空回りさせて、顔を赤く染め上げた。


「いや、ごめんごめん。面白い冗談を言うんだなと思って」

「冗談? 冗談なんかじゃ……!」

「それじゃ、伝わってなかったのかな。俺は言ったはずなんだけど。本気だって」


 フルールはまたしても伸びてきた彼の腕に引き寄せられてしまった。

 腰に回された腕に抱きかかえられて、至近距離で顔を覗き込まれる。紫色の瞳は意外にも真面目な輝きを宿していて、裏表なくこちらを見つめているように見えた。


「君に一目惚れしてしまった。殺されても構わないと思ったから、賭けに出た」

「はあっ!?」


 本当に何を言っているんだ、この男は。

 目の前の女がヴァンパイアと知っていて、そんな理由で手を出したとでも?


「あんた、馬鹿なの……! いつか死ぬわよ! いっつもこんなことやってるわけ!?」

「こんな事になるのはこれが初めてだ。そして二度と無い。……君は俺を殺さなかったね。だから俺の勝ちだ」


 額に唇が落とされる。瞼に、頬に。その慈しむような仕草に、フルールは口を酸欠になった魚の如くぱくぱくさせた。


「君は清らかだった。今までこうやって男たちを騙して、血を頂いてきたんだろう? 殺さないために」


 なぜそんなことまでわかるのだろう。何も言っていないはずなのに。


「君は優しい。もう他の男の血は吸わないで。俺が君の食料になってあげるから」


 なんで、なんで。


「だから一緒に行こう。何処へだって構わない」


 なんで、そんなにほしい言葉ばかりをくれるのだろう。

 この時のフルールは、今までで一番頼りなげな表情をしていた。それはたった一人生きてきた闇の怪物の、心の奥底に閉じ込めた弱さだった。


「君の名前を教えてくれないか」

「……フルール」

「フルール。確か花という意味だね。いい名だ」


 つい本名を明かしてしまって、フルールは瞠目した。

 駄目だ、自分がちょろい。今まで嫌になるほど身持ちが堅かったのに、どうして一晩でこんなことに。


「無理よ! 人間と一緒になんて暮らせない!」

「何が無理?」


 楽しげに微笑むラウルは、口説いている相手の頑なな態度に動じるどころか、からかうような調子すらあった。

 その泰然とした様子に唇を噛みつつ、フルールは尚も言い募る。


「血をくれるって言うけど、貧血になっちゃうわよ、きっと」

「大丈夫だよ。血の気は多い方だから」

「基本的に夜型なんだけど」

「いいよ、俺が合わせる」

「私、可愛げないわよ。もう五百年も女やってんだもの。見た目はこんなだけど、おばあちゃんなのよ」

「年齢はどうでもいい。性格も可愛いと思う」

「何度でも言うけど、ヴァンパイアなの」

「関係ない。愛している」


 フルールは口を閉じざるを得なかった。心臓が皮膚を突き破るのではないかと咄嗟に思って、慌てて胸に手を当てる。

 当然ながらそんなことが起こるはずもなく、聞いたこともないほど強い鼓動が刻まれているだけだった。


「そうだ、お腹が空いているんだろう。俺の血を飲んでみる?」

「え……」


 確かに腹は減っているけれど、飲んでいいと言われると躊躇いを感じる。

 ラウルはどこからでもどうぞ、とばかりに腕を広げて見せた。彼の足の間に座り込んだまま、フルールはついに笑ってしまった。


「変な人」


 その笑顔が花のように魅力的だったことなど、フルールは知るはずもない。厚みのある胸に手をついて、思ったよりも太い首筋に噛み付いた。

 異端児である女ヴァンパイアは小食だ。そんなに量はいらないので、すぐに終わる。


 ーーあれ? 全然、不味くない。


 むしろ美味しい、ような。

 フルールが首をひねっていると、背中に腕が回ってきた。


「まさか首筋にキスしてもらえるとは思わなかった。意外と大胆だな」


 熱を宿した瞳に射すくめられて、フルールは青ざめた。

 長年生き延びてきた勘が告げている。これは間違いなくまずい流れだ。


「違うわよ! 血を! 吸ったの! 今!」

「そうなの? 全然痛くなかったけど……まあ、それならキスと同じだ」

「全然違うでしょ? いい加減にーーんっ」


 また口付けられたと思ったら、今度は舌が口の中を辿り始める。熱い吐息が混ざり合い、水音が耳をつく。

 ようやく解放された頃には、フルールは気の毒なほどに真っ赤になっていた。


「ああ……確かに血の味がする」

「……! へ、へ、ヘンタイ!」


 舌なめずりをして不敵な笑みを見せる男を、フルールは上ずった声で罵った。その剣幕にも笑みを浮かべるばかりのラウルにもう一度唇を奪われた時には、いつのまにか背中からベッドに押し倒されていた。


 ーー本当に、どうしてこんなことに? でも……不思議。今までで一番、温かい、だなんて。


 フルールは諦めて目を閉じた。

 一度は死を覚悟した身だ。この男がどんなつもりでも、どうなろうとも、永劫に近い時の中では瑣末ごと。

 それならばこの温かさを受け入れてしまっても、そう悪いことではないはず。



 その考えそのものが、既に囚われている証拠であることに、その時のフルールは気付いていなかった。


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