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やらかしました

 夜の闇を支配するのはヴァンパイアである。

 その中の端くれとして、フルールは五百年もの長きに渡って生き永らえてきた。その最たる術が、これだ。




「……ゴメンね」


 音を立てて路地裏の湿った地面に倒れこんだ男を尻目に、フルールはウインクを残して歩き出した。

 売春婦のふりをして男に近付き、事に及ぶ前に幻惑の術をかけて血を頂く。

 この効率的な技を編み出してからは随分と楽になった。フルールは人殺しも血の味も嫌いな異端児であり、そのために食事の度に苦労してきたからだ。

 まず、殺さないので通報される。手配書が回ったことも一度や二度ではなく、ヴァンパイアハンターに見つかった時などはそれこそ最悪だった。

 奴らは某昆虫よりもしぶとく、軍用犬よりも嗅覚が鋭い上に、闇の眷属は全ておぞましい怪物だと思い込んでいるので容赦がない。


 ーー私なんて、ぜーんぜん可愛いもんなのにね。


 人殺しはしない上に、金品を奪うこともしない。頂くのは血だけでしかもごく少量、騙した男どもだって記憶を飛ばしてあげるから、売春婦に酔わされて寝てしまったのだと思い込むことだろう。

 誰も損をしないとても良心的な生き様だ。自分で言うのもなんだが健気で涙が出てくる。


「……あれ?」


 フルールは霞む視界に気付いてしまった。

 先ほどの吸血では量が足りなかったらしい。いつもの事だが口に入った瞬間不味く感じられて、少ししか飲めなかったのだ。残念ながら空腹時特有の倦怠感が抜けきらない。

 ヴァンパイアは血を飲まないと、動力源を失って死んでしまう。

 ワインでも代用が可能なのだが完全ではなく、最低でも一月に一度は血を飲まないといけない。前回の吸血は、確か二十日以上前だったか。

 仕方がない。今日はもう一度だけ狩りをしよう。

 フルールはひとりごちて、駅の裏側へとやってきた。ここは歓楽街と呼ぶべき地区で、売春婦にはぴったりの狩場だ。猥雑な街並みと人通りの多さが、ヴァンパイアの行いを覆い隠してくれる。

 周囲を見渡して、一人の男に目を止めた。若いのに質の良さそうな背広を着た男だ。


「ねえお兄さん、どこ行くの?」


 フルールは男の正面に回り、上目遣いで声をかけた。

 今日は胸の空いたワンピースといういかにもな出で立ちをしている。豪華なハニーブロンドを左右に垂らして、それでもなお存在を主張する大きなふくらみは、男から見ればたまらない色香を醸し出しているはずだ。

 この美貌と体つきに欲情しない男はいない。事実、フルールの狩りは百発百中だ。


「……やあ、お嬢さん。宿に帰りたかったんだけど、迷ってしまってね」


 間近で見たその男は、想像以上の美男子だった。歳の頃は二十代半ばだろうか。笑顔は完璧な造形美を描いているし、銀髪を短く切った髪型は爽やかで、ヒールブーツを履いたフルールよりも随分背が高い。紫水晶の瞳はガス灯の光を反射して輝いていて、普通ならフルールの全身を舐め回すはずの視線は、ぴったりと灰色の目に合わせて固定されている。


 ーー何よ、この男。私に興味が無いっていうの?


「どこに行きたかったの?」

「東口のホテルなんだ」

「ここ、西口よ。困っているなら連れて行ってあげよっか?」


 不満を感じつつも明るく応じれば、男は助かったと言って頷いた。

 フルールはごく自然な動作で、男の腕を取って歩き出す。


「行こ! 東口ならこっちよ。なんてホテル?」


 さり気なく腕に胸を押し付けるのも忘れずに。乙女なのに物慣れた女の技ばかりが磨き抜かれて行くのもどうかと思うが、生きるためなのだから仕方がない。

 男の答えた宿はこの街でも高級な部類のホテルだった。どうやら中々のお金持ちらしい。


「この街にはお仕事で来たの?」

「ああ、出張だよ。君はここに住んでいるのかい?」

「ううん、私は旅行中なの」


 これは本当だった。フルールは家を持たない。見た目が変化せず、数百年の時を生きるヴァンパイアは、一つどころには留まれないのだ。

 会話を繰り広げながらちらりと男の横顔を盗み見る。その輪郭が整っていることも、フルールを前に余裕のある笑みを浮かべていることも、なんだか無性に気にくわない。


 ーーこうなったら、絶対に落としてやる。


 この場合の「落とす」とは、血をいただくのと同義語である。

 フルールは胸の内で決意を固めつつ、男と連れ立って歩くのだった。





 件のホテルにはすぐに到着した。フルールは人知れず目を光らせて、ここぞと思うタイミングで男にしなだれかかった。


「ね、帰りたくなくなっちゃった。お兄さんの部屋に泊めてよ」


 フルールが演じるのは、売春婦だったり、時には頭の悪い尻軽女だったりと色々だ。今夜に関しては後者を選択して、畳み掛けるように甘い声で誘う。


「お願い。お兄さんのこと、すっごくタイプなの……」


 すると男は小さく笑って、フルールの額に口付けをした。


「おいで」


 一瞬、時が止まったような気がした。

 フルールの腰を抱いて歩き出した男に合わせて、やっとの思いで足を動かす。

 顔が熱を持って赤く染まり、握りしめた手が震えていた。それでも自分が狼狽しているという事実を認めたくなかった。


 ーーキスなんて初めてされた。この男、調子に乗って……!


 まあいい。適当なところで眠らせて血をもらうだけ、いつもとかわらない。せいぜいこの美女にキスができた幸運に感謝することだ。

 フルールは屈辱に唇を噛み締めていたが、男はその後もスマートにエスコートして見せた。そうして辿り付いたのは、セミダブルベッドが置かれた綺麗な部屋だった。

 物は散らかっておらず、やけに大きな革のトランクが目についた。よっぽどの長期出張なのだろうか。


「ねえ、そーーんっ!」


 そういえばどこから来たの。そう聞こうとしたら、今度は唇を奪われてしまった。

 ありえない。人間ごときの動きを躱せないなんて。

 愕然としながらも男の口付けを受け入れるしかなかった。涙が滲んだ頃になってようやく解放され、フルールはキッと男を睨みあげた。

 しかし険を多分に含んだ視線にもどこ吹く風で、男はフルールを易々と抱き上げてしまう。


「な、何するの!?」

「ん? 男に抱き上げられるのなんて、初めてじゃないだろう」


 いや、初めてなんだけど。

 反射的なツッコミは寸でのところで飲み込んだが、その間にも男は歩き続け、ついにフルールはベッドに横たえられてしまった。

 間髪入れずに覆いかぶさってくる体は想像よりもはるかに逞しい。それでも人間の筋力に劣るフルールではないはずなのに、何故だかまったく敵わない。


 ーーま、まずいまずいまずい! なんでこんなことになってるの!? いつもだったらとっくに血を頂いて立ち去ってる頃なのに……!


 軽く恐慌状態に陥った頭が導き出したのは、「早く幻惑の術を使おう」ということだった。

 そうだ、早くしないと。すっかりこの男のペースに乗せられてしまったが、術さえ使えばどうとでもなる。


 …

 ……

 ………

 …………術が効かない!?


 フルールはここへ来てようやく事態の異常さに思い至った。

 どういうことなのだ。術が効かないということは、まさか。


「ねえあなた、何してる人?」


 帰って来た答えは、想像通り絶望的な物だった。


「俺の仕事? 教国のヴァンパイアハンターをやってる」


 熱を宿した笑みに、フルールは今度こそ自らのミスを悟った。

 なんて愚かな。今までこんな事にならないよう気をつけていたのに、ついにやってしまった!

 この男に幻惑の術は効かない。ヴァンパイアを相手取る狩人たちは特殊な特訓を受けていて、このように耐性をつけていることがあるのだ。

 万事休すとはこの事だった。吸血なんかしたらヴァンパイアであることがバレてしまうし、人殺しはしたくないのだから取る行動は一つ。

 ここは隙をついて逃げるしかない。


「わ、私ヴァンパイアハンターって嫌いなの! あんた達って横暴で、冷酷なとこあるじゃない!?」


 唐突すぎる難癖だが、そう思っているのも事実だった。

 奴らは異教徒を憎悪し、魔物を滅するためなら手段を選ばない。時に人命すらも捨て駒にする戦法のせいで、フルールも何度死にかけたことか。

 失礼にも程がある言葉を聞いて固まっていた男が、すっと目を細めた。

 流石に怒ったかしら。そうだ怒れ、怒って無礼な女を追い出すのよ!


「確かに否定はできないね。力を持つと、人心は黒く濁ることもある。……そんなにヴァンパイアハンターが嫌いかい?」

「そうよ。大っ嫌い」


 フルールはすげなく答えてそっぽを向いた。すると男は何かを決心したかのように頷くと、大きな手で柔らかい頬を包み込んだ。


「わかった。それなら俺はヴァンパイアハンターを辞める」

「はあっ!?」


 予想外の言葉に驚き、フルールは思わず叫んでしまった。しかしただの一夜限りの口説き文句だと思い直して、取り乱したのを恥じる。


「……あなた、口説くのが下手ね。真顔で言うから本気かと思っちゃった」


 ーーそんなはずはないのに。私を抱きしめてくれる人なんて、どこにもいない。


 フルールは正真正銘の天涯孤独だ。もともと両親がいなかった上、ヴァンパイアになったおかげで友人にも会えなくなった。皆が先に命を全うして死んでゆき、後に残された自分の体は十八歳のまま。

 血を美味しいなどと言うヴァンパイア達とも馴染めず、誰とも深くは付き合わない。そんな暮らしをもう五百年も続けてきたのだ。


「本気なんだけどな。俺は君と共にいたい」


 それなのに、この男は綺麗な笑みを浮かべて妄言を口ずさむ。


「いい加減にして。そんな冗談、聞きたくないわ!」


 勝手に涙が滲んできて、灰色の瞳に膜を張った。

 悔しかった。ずっと欲しかった言葉を、嘘で塗り固めて投げつけられたくはなかった。

 手を押さえつけられていては涙を拭うことすら出来ず、溜まった雫がこぼれ落ちそうになる。フルールはたまらず目を閉じたが、すぐに暗闇の中で何かが目元に触れた。

 反射的に瞼を押し上げると、そこでは男が小さく舌なめずりをしたところだった。


「ま……まさか。涙を舐めたの?」

「ああ。どんな味がするのかと思ってね」

「なっ、何するのよ!? 変態! 破廉恥だわ!」


 フルールの糾弾は、もはや尻軽女の思考回路とはかけ離れてしまっていた。しかしあまりのことに混乱する頭は、いつもの余裕を捨て去って久しい。


「破廉恥? これからもっと凄いことをするのに?」


 獣じみた笑みを浮かべた精悍な面立ちが近付いてくる。フルールは耐えられずにまたしても目を瞑ってしまい、閉ざされた視界の中で口付けを受け止めた。

 長く容赦のない口付けに、酸素を求めて口を開く。すると舌が侵入してきて、フルールのそれを優しく吸った。水音が耳に直接響き、それが腰にも届いて力が入らなくなる。


 ーーなに、これ。こんな、こんなの、嫌なのに……!


 男の胸を叩いて必死の抗議を試みたら、ようやくを持って唇が解放された。熱に浮かされたような頭はまともに機能してくれなかったが、本能に従って思い切り腕を突っ張る。


「ま、まって……っ!」

「君が誘ってきたんだろう? 今更待てが効くと思ったら大間違いだ」


 押し退けられながらも面白そうに微笑む男が、それならとばかりに今度は腰に手を当ててきた。


「えっ!? いや、ちょっとま」

「待たない」

「あ……! い、嫌だってば」

「ラウルだ。名前で呼んでくれないか」


 意外なほどに優しい手が、ゆっくりと、しかし確実に一張羅のワンピースを暴いていく。三度目の口付けに全身の力を奪われながら、フルールは自らの愚かさを呪うのだった。



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