後悔は後でするもの
連日の残業で疲れていたのかもしれない。
多分、それしか理由が思いつかない。
朝起きて、隣に転がる人外の美貌を持った変な生き物に、ため息が出た。
夢かと思っていたし、ようやく出荷したことに気が大きくなっていたのかもしれない。普段なら絶対に生ものを拾いはしない。
「はあああ、どうしよう、これ?」
昨夜は細かいことは気にならなかったが、よく見れば本人がキラキラしいだけでなく、衣裳もヤバいぐらいに華やかだ。あああ、誤魔化すのはやめよう。ここは現実を見つめるためにもきちんとしなければならない。
深みのある青のマントに、真っ白な詰襟の上着、ベルトは茶色の皮でできている。真っ白な詰襟の上着にはよく見れば金糸で細かな刺繍が施されていた。
まじまじと脱ぎ捨てられたそれらを見つめ、必死に現実を受け入れようとする。
「おお、そうか!」
ぽんと掌を打てば、によによと笑みが浮かんだ。
この外人はゲームショーにでも参加しようとしていたコスプレーヤーだ。すっごく凝っている人だとリアルさを追求すると聞くから、このこだわりの逸品もそういうものだと思う。そして、聖地・日本にやってきたはいいが、迷子になり、なけなしの財産を落とし、途方に暮れていたのだろう。
すっきりとした理由に安堵のため息を付いた。大使館にでも連れて行ったらいいのだと思う。
まあ、コスプレイヤーを連れて歩くのは若干恥ずかしいかもしれないが、ここは大都市・東京。通勤時の格好をしていれば事情を理解する人も多いと思う。
「おい、女」
「ん?」
によによしていると、声をかけられた。わたしはうん、と声の主を見ろした。隣で先ほどまで寝ていた生き物が目を開けている。
「うわ、すごい緑色」
明るい場所で見た彼の目がとても鮮やかな緑色をしていて、驚いてしまった。しかも豪華な金髪によく似あっている。
というか、この男の隣を歩くの?
あー、なんだか面倒になってきた。近所の派出所でもいいかな。
「ここはどこだ。牢屋か?」
「は?」
「居心地は良いが、こんな狭い部屋、貴族用の牢屋にでも捕らわれたのだろうか」
さり気なくディスられたのだろうか。
口元が引きつった。
自慢じゃないが、仕事も順調でこの大都会東京で少し広めのワンルームを借りている。ちょっと高めの賃貸だが、癒しの部屋は必要経費だと割り切っている。居心地の良い空間を目指したのはバリバリと仕事をしたいからだ。
男は体を起こすと髪をがしがしとかきまぜた。
「くそ、どうにか本隊に戻らねば……」
ぶつぶつと呟く男にため息を漏らして、わたしはベッドから立ち上がった。時計が6時を回っていた。そろそろ身支度をして出かけないといけない。大使館ではなく、派出所に任せようと決める。駅前にある交番ならこういった人に慣れているだろう。毎朝挨拶する警察のおじさんを思い出しながら、クローゼットから洋服を取り出した。
「盛り上がっているところを申し訳ないけど、もう時間がないから、支度してくれる?」
「む?」
男の秀麗な顔がしかめられた。そんなことを気にしていられないので、歯を磨き髪を整える。化粧をしながら、男にとりあえず言っておく。
「わたし、仕事あるから、面倒見れない。一緒に交番に行って、事情を説明すればきっと大使館までなんとかしてくれるわ」
「交番……?」
ビューラーでまつげを上に挙げた後、ささっとマスカラを塗る。唇にお気に入りのウルウルリップをぬったら完璧だ。
鏡で横からも確認して、最後に香水をかけた。何やら考え込んでいる男の横をすり抜け、キッチンに入った。
「はい、朝食」
冷蔵庫からゼリー飲料を取り出して、差し出す。
「これしかなくてごめんね。まあ、貴方の体格だと全く腹の足しにもならないだろうけど、ないよりましだとは思う」
男の手にゼリー飲料を押し付けてから、じろじろと男を見て頷いた。
「そのマントと上着は紙袋に入れてね。シャツとズボンだけなら、悪目立ちしないと思うから」
ビジュアル系バンドマンかその関係者で済むはずだ。クローゼットからブランドの紙袋を取り出した。それに手際よくマントと上着を畳んで入れる。
「……」
男は茫然として手の中のものを見つめた。
「心配しなくてもお巡りさんは優しいわよ。朝でもきっと何か食べさせてくれるわよ」
玄関を出ようとドアノブを掴んだ。ところが扉は開くことがなかった。わたしの手を後ろから抑えたのだ。
「説明してほしい」
文句を言おうと振り返ったわたしはまともに彼の顔を見てしまった。真剣な鋭い眼差しで見つめられて、硬直する。
何だろう、色っぽい危険ではなくて命の危険を感じるのは気のせいか?
「お前は誰だ?」
「……申し遅れました。S社新規開発グループ第一課主任の小野田冬香です。どうぞよろしくお願いいたします」
ひー、だって怖いんだもん。
小野田冬香、29歳。
順風満帆の人生に陰りが見えた瞬間だった。