そして昨日は過ぎ去った
霊山、その始まりは1200年程前にも遡る。なんでも徳高きお坊様が最後に辿り着き、寺を開き、教えを広めていた。山奥という辺鄙で不便な地にも関わらず、多くの人々が集っていた。
一方で、かの寺ではこんな噂も囁かれていた。
「死者を呼ぶことができる」と。
亡くなった者が人の口を借りて、話し出すのだという。
それが、真実、生前の故人を呼んでいるのかは、わからない。
だが、菩薩寺には現在も『イタコ』と呼ばれる者がただ一人おり、訪れる人々が絶えないのは事実である。
夕刻、寺に一人の男の子の姿があった。年の頃は、十歳になったかどうか。
肌の色は白く透き通り、黒い目には、深い諦観が浮かんでいる。
その様子は、まるで子供らしくはないのだが、周囲にそれを指摘するような者はいないのだろう。
彼は慣れた様子で歩き、寺の上階へトントン上っていく。
窓から見下ろすと砂利が敷かれた広場が見え、参拝者たちが帰っていく。
ふと、思い出す。
昔、子が親より先に死ぬことは親不孝とされていた。
あの世に行った子供は、生まれ変わるために石を積み重ねなければいけない。
しかし、あと少しで終わるというところで、鬼が来ては、その石は崩されるのだ。
転生を願う子供を打ちのめす、鬼。
「自分がいるここは、賽の河原なんだ」とポツリと呟く。
こなしても永遠に途切ない参拝者たち、ずっと同じ場所にいることしか許されない自分。
彼、斎木真尾は最後の参拝者が帰ってからも、しばらく暗い外を眺めていた。