プロローグ
「……んっ……」
ゴソゴソと布団の中で寝返りを打つ。
身体を布団に横たえてから、一体何度目の寝返りになるだろうか……。
早く寝なければとは思うものの、自分の思いとは裏腹に眠気は一向に訪れる気配がない。
「……ダメだ……眠れん」
上体を起こし、軽く伸びをする。
どうにも気持ちが急いて落ち着かない。
枕元に置いてあったスマホを操作し、日付と時間を確認してみる。
「12月24日……2時20分か……。あぁ、くそっ!遠足を翌日に控えた小学生か俺は……」
しかし、直ぐに『遠足を翌日に控えた小学生』という表現は正しくはないかもしれないなと思い直す。
別にクリスマスイヴだからと浮かれている訳じゃない。まぁ、確かに楽しみではあるのだが、胸の内にあるのは期待だけではない。
期待と同等……いや、それ以上の不安が渦巻いている。
恋人との人生初のデート。
絶対に失敗したくはない。
だからこそ、期待と不安で気持ちが落ち着かないのだ……。
ノソノソと布団から這い出すと、電灯からぶら下がった紐を引いて、部屋の明かりを点ける。
照らされるのは漸く慣れ始めてきた我が家。
木造2階建てのアパートで、築年数は32年。
6畳の畳部屋に手狭なキッチン。そして、トイレと一体型のユニットバス。
何度かリフォームされているらしく、外見程中身は酷くない。
それでいて都心からほど近いこの街で家賃が3万9千円は破格の安さだろう。
閑話休題。
暗闇に慣れていた目が、漸く明るさに慣れてきた俺は、部屋の一角に吊るされた洋服に目をやる。
大学で出来た親友に協力してもらって用意した、明日の為の勝負服だ。
試着してみた時に、店員のお姉さんと親友から「似合っている」とのお墨付きは貰ったが、今迄着た事のなかったタイプの服だったせいか、どうにもピンと来なかった。
然りとて、今迄ファッションに一切の興味を持たなかった俺には、服選びのセンス等は望むべくもない。言われるがままに購入を決めたのだった。
「はぁ……散歩がてらコンビニにでも行くか」
不安を溜息と一緒に吐き出すと、出掛ける為に着替えを始める。
とは言っても、流石にデート用の服を着る訳にはいかないので、いつものジーパンにパーカーだ。
高校時代から愛用していたダッフルコートをハンガーから外し、財布とスマホを手に取ると明かりを消して部屋を出る。
「寒っ!!」
部屋を出た途端、吐く息が白く染まった。
鍵を閉める間にすっかりと冷え切った手をコートのポケットに突っ込むと、コンビニまでの道をゆっくりと歩きだす。
何気なく視線を上げると雲1つない夜空に星が瞬いている。空気が乾燥しているせいか、何時もより綺麗に見える。
そういえば、実家に居た頃はよく空を見上げていたが、都会に来てからはそんなに見上げる事はなかった様に思う。
田んぼと畑が広がる田舎と違い、背の高いビルや夜でも眩しい位に街灯やネオンが輝いている都会では、どうしても視線が下に引き付けられるせいなのかもしれないな……等とどうでも良い事を考えながら歩みを進めるのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
何時もチェックしている週刊誌を流し読みしながら心を落ち着けていると、スマホからメールの着信音が流れ出す。
「……ん?誰からだ……って、えぇ!!?」
何気なく差出人を確認して思わず驚く。
件の恋人からだった。
FROM:神代 瞳
SUB :まだ起きてる?
本文 :寝ちゃってたらゴメンね?(*^人^*)
なんかドキドキしちゃってなかなか寝付けなくって……(*ノωノ)
もしまだ起きてたら少しだけ会えないかな?(*^-^*)
……可愛い。
思わずニヤニヤしてしまった。
っと、そんな場合じゃなかった返信しないと。
TO :神代 瞳
SUB :Re:まだ起きてる?
本文 :起きてます!!
俺もドキドキして眠れなくて……(*^-^*)
今散歩がてらコンビニ来てたんで、直ぐ帰ります!
急いで返信をした後に読んでいた雑誌を棚に戻し、店を出ようとしたところで足を止める。
コンビニに来る程度だからとそのまま家から出て来たものの、家では横になっていた。繰り返された寝返りのせいで、変な寝癖は付いていないだろうか?と急に気になりだしたのだ。
居ても立ってもいられず、足早にトイレに駆け込むと洗面台の前でチェックを始める。
寝癖は付いていなかったがボサボサだった為、手を水で濡らして手櫛で簡単に整えていると再びメールが届く。
FROM:神代 瞳
SUB :Re:Re:まだ起きてる?
本文 :良かったぁ~♪(*^-^*)
それじゃ、家の前の公園で待ってるね?
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TO :神代 瞳
SUB :Re:Re:Re:まだ起きてる?
本文 :分かりました!
直ぐ向かいます!!
手早く返信して、鏡で髪の最終チェックをすると、トイレを出る。
『待ってるね』という事は、もしかするともう公園に居るのかもしれない……いや、あの人のことだから確実に居るだろう。
「……待たせるのは申し訳ないけど、身体も冷えちゃうだろうし、温かい飲み物でも買って行くか」
俺はホットココア2本の会計を手早く済ませると、恋人の待つ公園へと走り出すのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
息を切らしながら公園に辿り着くと、ブランコに揺られながら俺を待つ恋人の姿があった。
彼女はずっと公園の入口の方を見ていたのだろう、入口で息を切らせて立ち止まっている俺の姿を見つけた彼女は、勢い良くブランコから立ち上がって、嬉しそうにこちらに手を振ってくる。
その姿に、思わず犬っぽいなぁと思ってしまい、もし彼女に尻尾があったならきっと千切れんばかりにブンブン振ってるんだろうなぁ等と失礼な事まで考えてしまって、思わず笑みが零れる。
そんな時だった……。
「な、何?……これ」
急に彼女の足元が淡く光り始める。
淡い光は、徐々に何かを形作っていき、それに併せて光も徐々に強くなっていく。
……嫌な予感がした。
「瞳さん!早くそこから離れて!!」
大声で彼女に呼び掛けながら、息が整わないまま彼女に向かって走り出す。
「ご、ごめん……ビックリしちゃって動けないの……」
泣きそうな表情を浮かべる彼女の足はガクガクと震えていて、立っているのがやっとの様だ。
余りに突然の出来事で腰が抜けてしまったのだろう。
しかし、そんな事情はお構いなしに状況は進んでいく。
光は様々な文様の入った円陣を形作り、ゆっくりと光を増しながら回転を始める。
「くそっ!!間に……合えぇぇぇぇぇぇ!!!!」
俺は彼女に向けて必死に手を伸ばす。
余りの光量に、視界が真っ白に染まる。
そして、次の瞬間……全ての感覚が消えた。
そこにあるのは完全なる闇。
何も見えず、聞こえず、何より……自分の体が存在するのかさえ分からない。
そして、遂には意識でさえも……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ま、まさ……と……くん?……う、そ……嘘だよね!!?」
光が消えた公園に残されていたのは、尻餅をついた自分の姿のみ。
つい先程まで自分に向けて必死に手を伸ばしてくれた彼の姿はどこにも見当たらない。
「そ、そんな……そんなのって!!!」
ポケットに入れて置いたスマホを取り出し、電話帳から彼の番号を呼び出す。
『おかけになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、かかりません』
涙が零れ落ち、スマホを握った手から力が抜けた。
掌からスルリと抜け落ちたスマホが、何かに当たってガサリと音を立てる。
近所のコンビニのビニール袋だった。
中に入っていたのは2本のホットココア。
温くなってしまったそれは、彼がこの場に居た確かな証だった。
私はそれを胸元に抱き寄せると、その場に泣き崩れるのだった。