17.薔薇色、火薬、起爆剤
どたばたしい日曜は去り、晴れ上がった動物病院の朝は一本の電話から始まった。丁度朝風呂を済ませた千尋が朝食はパンでいいやとトースターに食パンを放り込もうとした頃合いのことである。ほどいた髪からまだ水が滴っていて、千尋は白衣の作業ズボンにTシャツ、頭からタオルを被ったままという雑な風体のまま受話器を上げた。
電話の主はマクの飼主のご主人さんで、マクは千尋の勧めに従って奥さんに連れて行かせる、という内容だった。流石に朝一でご主人と連れ立ってというのは早すぎる……というか、ご主人はもうご出勤らしい。奥さんは家事を片づけて十時過ぎにおいでになるということになった。千尋は受話器を置くと主殿嬢に会社まで送ってゆける時間ができたことを伝えて序でにまだ半裸の肩に軽くキスまでしていきやがった。浮かれすぎだよ。
オレは餌皿の前を陣取り、前肢を折って足先を胸のほうに仕舞い込む。いちゃいちゃと朝食を用意する千尋達を見ながら餌が出てくるまで頑として動かないぞというポーズ。晶が欠伸をしながら降りてきて、主殿さんおはよう、と伸びをしながら言う。主殿嬢は上村兄弟しかいないこの家にすっかりいい位置取りができたようだ。
千尋が、無論オレもついていったからオレもだけど、国立の動物病院に帰ってきたとき、マクが奥さんと共にやって来た。
「少し日差しが強くなってきましたね。帽子を被らないといけませんよ」
奥さんは驚いたように千尋を見る。ご主人が一文の得にもならない千尋の提案を奥さんに話していたようで、千尋の謎な人っぷりを目の当たりにして驚いたらしい。
「そんなに驚くことではないと思うのですが。獣医は……学校にもよりますけど、農学部の一分野なので、農作業の実習とか、結構あるんですよ。実習って二コマ……三時間ぶっ通しなので、嘗めてかかると大変な目に遭うのです」
「大変な目?」
「ちょっといいお天気で、麗かな春の日差しだと嵩を括って装備を怠って農場をふらふらしていると、熱中症になってしまったり、頭の天辺がひりひり痛くなったりしたものです」
この辺り、と大泉門のあった辺りを指す。
「頭皮が日焼けしてたんでしょうね。将来ここから禿になったら嫌だなと必ずなにか被って作業に出るようになりました。格好をつけてお洒落な帽子とか色々試したものですが、結局一番便利なのはぺらんぺらんの使い古したタオルを被って、その上から麦藁帽子を被ることでしたね。融通も利きますし、涼しいしで、野暮ったいなどと言う輩はいませんでした」
どうぞ、と真蒼くん共々招き入れて、診察室ではなく応接室へ通した。晶が冷たい麦茶と翁飴を持ってきた。可愛いお菓子、と奥さんの目が釘づけになっていた。
「産後はカロリーとか控えておいででしょう。これは翁飴とか寒天飴という名前の和菓子です。水飴に寒天を加えて煮詰めて固めたものなんだそうです。ローカロリーですよ。色がついている寒天飴は店のオリジナルで、果物のジュースやジャムを使っているそうです。色も天然なので、安心してお召し上がりください♪」
楽しげに勧められて奥さんはおそるおそる口に運ぶ。周りにまぶされてるのは糯米を蒸して乾燥させた後砕いて粉にしたみじん粉だよ。和菓子は材料の方に手間がかかっている。
「不思議な食感」
「でしょう♪そこの龜屋という和菓子屋で売っていますよ」
そうなんだ、と彼女は目を丸くした。
「甘いものって、落ち着く……」
千尋は肩を竦めた。
「当然です」
吃驚したような奥さんに千尋はそんな驚くことでもないんですけどね、と笑った。
「栄養の足りてる状態でも、本能に組み込まれたシステムは健在だからですよ。甘いもの、即ち糖分は即エネルギー源ですからね。それを摂取できた安心感は他のどんなことにも勝る。動物の行動原理なんて、基本そんなものです」
「それは人間も同じだと?」
「大まかには」
千尋は黄色っぽい翁飴をひとつ取り、玩ぶようにしてから口に放り込んだ。
「人間は脳の記憶分野が馬鹿みたいに発達していますから、経験に基づく感情が多くなって、どうにもそれに振り回される傾向がある。逸そ自ら振り回されてみる、という遣り方もありますけどね」
「どういうことですか?」
千尋はさっきと同じ翁飴を指した。
「この翁飴は榠樝で香りづけされています。この香りを嗅ぐと、僕は色々なことを思い出します……庭に榠樝の樹があるのですが、秋に実った榠樝を手に取ったときのべたべたする程の果実の油っぽさに辟易したことや、あまりに蠱惑的な香りに食べられないものかと四苦八苦したこと、上手い利用の仕方を知っている友人が嬉しそうにもらってくれたこと、お土産も思い出しますねぇ」
「お土産?」
「熊本の銘菓、加勢以多が榠樝のジャムを使っているので。気持ちのいい記憶ばかりではないのですが、今となっては懐かしい……そんなところでしょうか」
千尋はにっと笑って赤っぽい翁飴を指した。
「天文学者の友人は、ラズベリーの香りで宇宙服を思い出すのだそうです」
「宇宙服?」
「船外活動をした宇宙服には宇宙空間に漂う物質が付着しているそうで、宇宙飛行士は船内に戻って宇宙服を脱いで直ぐ、そのにおいを嗅ぎ、NASAではその香りを再現することで宇宙空間に漂う物質を特定するという試みがなされたそうです……勿論、幾多の観測や論証によってその物質があることを裏づけた上での作業ですが……彼女、その天文学者は香りが飛ばないようパック詰めされた宇宙服のにおいを嗅ぐ機会に恵まれたのだそうで……そのにおいは金属の焼け焦げた熔接のようなにおいと、ラズベリーの香りであったそうなんです。金属の焼け焦げたにおいは原子酸素によるもので、ラズベリーの香りは蟻酸エチルという物質なのだとか」
「ぎさん……エチル?」
「示性式はHCOOC2H5の分子量のあまり大きくない物質です。植物が香りとして放つ以外に、ラム酒やブランデーの香りという人もいます。原始的な物質なのでしょうかね……」
くすっと笑って千尋は真空中ににおいなんて変な話ですよね、と肩を竦めた。
「正直に言うと、僕はアロマテラピーを信用していません。欧州では普遍的な薬草の香りでも、日本人にはなんの記憶とも結びついていないと思うからです。日本人には蚊取り線香の香りや桜餅の匂いや藺草の香り、蓬の匂いなんかの方が色々な記憶に紐づいていると思うんです」
「……外国の方はラベンダーやタイムの香りに親しんだ記憶があるということですか?」
「おそらく。日本でもラベンダーの香りの洗剤なんかが普及してきましたけどもね……ラベンダーにそんなに親しんでいるとは言い難い。奥さんはどうですか?」
彼女は少し考えるように天井を見て、笑った。
「畳の上で桜餅や蓬餅を食べたり、蚊取り線香を焚いた方が記憶にありますね。柚子の吸い口や梅干の香りとか……やだ。食べ物ばっかり」
千尋は微笑んだ。
「呼吸と食事は生きる基本ですから、当然ですよ。苛々するときって、多くはこのふたつが不充分なんですよ。血糖値が下がって、血中の酸素濃度が下がっていたら、生命の危機ですからね」
「獣医さんって人間も動物扱いなんですか」
くすくす笑い出した奥さんに千尋は苦笑いを返した。
「そういうところが無いとは言いませんが、ちょっと休憩におやつを食べて、深呼吸をして、序でに楽しいことを思い出したりしたら、気持ちはずっと楽になるのではありませんか?」
「ふふっ」
奥さんは然も可笑しそうに笑い出した。
「主人や友達が……育児雑誌とかでも、気持ちを落ち着けるのにアロマテラピーを勧められたりしたのですが、まさか真っ向それを否定されるとは思いませんでした。先生の仰る通り、香りになんの効力が無かったからなんですね。私に合っているアロマテラピーは慣れた香りを嗅ぐことだとは思わなかったです」
そして続けて尋ねた。
「どうしてそういう発想になったのか、不思議」
「指針をくれた人がいたのです。その人は元カナダ人で、日本人とは違う香りの感覚があることを教えてくれて、……その上で獣医になり、色々な生態環境の違う動物をみていると、確信が深まりました」
宇宙の香りを教えたのは美香乃さんで、元カナダ人はロバート・リヒター教授だな。教授職にある二人だけど、千尋の直接の指導教授ではなかったので千尋にとって年嵩な友人という子供の頃のままの位置づけは変わらないのだろう。
真蒼くんが目を覚まして小さく泣き始めた。
「授乳もおむつ替えもここでしていっていいですよ。僕は出ていますね。真蒼くんが落ち着いたらゆっくり歩いてお帰りください。今後毎日運動がてらマクの様子を見に来てくださっても構いません。お菓子も食べてしまってもいいですよ」
奥さんは真蒼くんを少し宥めながら笑った。
「近所で売っているのですよね。龜屋さんでしたっけ、帰り道で買って帰ります。……あの、先生」
千尋は先に真蒼くんを、と促して応接室を出た。おっと、扉にオレを挟まないでくれよ。マクは奥さん達とここにいな。千尋はドアを閉めると廊下で伸びをした。
奥さんはなんて言うつもりだったのだろうね?
千尋はオレを抱き上げて目の周りの毛を整える。
「なぁポル、庭にラズベリー、植えようか」
おい、狭い庭をこれ以上ジャングルにするなよ。ラズベリーは棘があるし、一所に留まっていられない奔放な植物だろう。他の放ったらかし果樹のようにはいかないんだぞ。
「……ちょっと感傷的だな、ラズベリーは。やめた」
世話の焼ける男だな、全くもう。
マクの奥さんに出して残った翁飴は午後にも活躍することになるとはオレも予測だにしなかった。夕方日が傾いてきた頃、こんにちはぁ、と少年の声が玄関に重なって響いた。焔硝くんと雷汞くんだった。不穏な組み合わせだな。晶がえっと、焔硝くんと雷汞くんだよねとまごまごしているのに対し、雷汞くんは晶さん憶えてくださいよう、と冗談混じりに言う。雷汞くん、あんまりそうやって晶を苛めないでやってくれたまえ。
「どうした、早川兄弟」
「千尋さんにご報告にあがりました」
千尋はそして晶ははっと身を硬くした。晶に目を走らせると微かに頷いて晶は診察室へと行ってしまう。千尋は二人を上げると、ダイニングヘ通した。それぞれを座らせ、周章てて翁飴の皿を出し、麦茶のポットとグラスを三つ運んできて注ぎ分ける。
「千尋さん、そんなに気を遣わないでください」
「いや、遣うだろう。なんでフルミネートまで?」
「本当は硼ちゃんも来るべきなんですけど、どうしても外せない授業があるので……先ずは色々ご心配をおかけしました」
「そういう前置きはいい」
千尋は椅子に腰を下ろすと二人を見比べた。
「結論から言ってしまいたいところなんですが、こんがらがるので時系列で話します。京一郎伯父が帰ってきたのは金曜の夜でゆっくり時間がとれたのは土曜になってからでした」
焔硝くんはゆっくりと口を開く。雷汞くんは重大な話を始めるというのに、気楽そうな顔で翁飴に手を伸ばしていた。
「あ、これ美味しい」
気抜けするような声でのほほんと翁飴を食べている。もう一個もらってもいい?などと暢気なことを言うので、千尋は面倒臭そうに皿ごと雷汞くんの方へ押しやった。
「僕、京一郎伯父に数学の質問をしに行って、それとなく硼ちゃんの話をして、尋ねてみました」
京一郎さんに息子がいたとして、硼砂嬢を嫁にと望んだらどう思うかと問えと、そういう指示だったね。
「伯父は笑って自分に息子かぁ、と少し……なんていうか、遠い目をしてました。本当は子供を持ちたかったのかな、という気がしました。……相手を選ばなければ間に合うのに、とも……でも、この人がいい、という気持ちは理解できるつもりです」
それは血の為せる業なのだろうか。
「伯父は、硼ちゃんが綺麗に、賢く育ったことを沁々言いました。母にとてもよく似ていて、祖母の若い頃にもきっと似ていたのだろうと……なのに父の性格を継いでいるのか素直で、いじけたところが無い、と。千尋さん、母はいじけているんですか?」
瑞樹先生がいじけているか?……いじけている、というより、多分……彼女の父、焔硝くん達の祖父秀真氏が早くに亡くなったことで、京一郎氏の運命が変わってしまったのだと、責任感に似たなにか責めのようなものを感じているのかもしれない。京一郎氏は現状に不満があるようには見えないようだけれど、もっと別の幸せがあったことを想像しているんじゃないかな。
「話が逸れましたね。伯父はそんな硼ちゃんだから、息子がいたら嫁にもらえるものなら諸手を挙げて歓迎だ、と言いかけて、ちょっと口隠りました。自分の息子なら、硼ちゃんにとって従兄弟に当たるから、血が近いね、法律では許容している範囲内だけれど、と、そこだけ心配だなと言いました」
そんなことを唐突に問われた京一郎氏の心境を想像してみる……彼は夕女史と築いたかもしれない家庭を想像するのだろうか。それとも、由利大佐から無理矢理彼女を奪わなかったことを後悔したのだろうか。夕女史と彼が上手くいっていれば由利大佐は雌伏の道を選んだかもしれないし、誰か別の女性を見出だしたかもしれない。どちらにせよ由利大佐に悲嘆が訪れたことだろう。由利大佐から彼女を奪うような真似をしたところで夕女史も由利大佐も傷つけてしまって三人の均衡が崩れることは必至だ。彼は最も良い選択をしたのだと確信を深めたのか。京一郎氏ひとりだけが酷く淋しい選択なのに。
「京一郎伯父にとって、硼ちゃんは殆ど娘のような存在です。その点僕や雷汞も息子のようなものだそうですが、我が家に初めての小さな子供で、伯父にとっても初めての姪、連れ歩いたり日常の世話をしたりと、一人娘のように可愛がった期間が長かったから、僕達よりも一入なのだそうです……硼ちゃんは本当に家族中に愛される存在です」
他家の男に奪われる事態を防いだとでも言いたいのかい?
「伯父がそんな風に家族を想っていたということが驚きでした。出張の多いのは家にいると肩身が狭いからかと思っていた自分が恥ずかしい。伯父は我が家に確り根をおろした太い樹であったと……それを知ったことが嬉しかったです」
これが中学生の感想かね。でも、痛々しさを感じないのは、心の底からそう思っているのを正直に吐露しているからなのだろうなぁ……。
「伯父の部屋から引き揚げてくると、父が丁度風呂から上がったところでした。僕が伯父の部屋から出てきたのに気がついたみたいで、続いて風呂を使おうとした雷汞を引き留めて、話があるのだろう?と切り出しました。潤一さん、父になにか言っておいたのでしょうか」
息を詰めて聞いていた千尋は麦茶を一口含むと、どうだろうね、と呟くように言った。潤一さんは早川軍医に根回しはしていただろう。だけど、早川軍医は息子の挙動と顔つきで状況を読みきっていたに違いない。昼行灯軍医殿はそういうところには機敏な人だ。
「母は聞いているのか、キッチンで何気無く皿洗いなんかしてて……祖母はあの歳なのにまだ仕事とかで留守で、伯父は部屋から出てくる気配はありません。硼ちゃんは勉強中で……潤一さんが僕に出した指示ですから、思いきって伯父と話した内容をそのまま父に話しました。そして、父は……京一郎さんが硼砂を認めてくれているのなら、話そう、と」
翁飴を最初のひとつしか結局手をつけなかった雷汞くんが口を開いた。
「焔硝ちゃんが本当は従兄で、主殿ちゃん達が父親違いの兄弟にあたると説明を受けました。……潤一さんは知ってたってことですよね?」
千尋は重たげに口を開いた。
「誰かを庇い立てする意図はないのだが……潤一さんと、美香乃さん、透織さん、燐さんがこのことを知っていたよ。逆に京一郎さんや葵さんはご存知無い。彼らに心配をかけたくなかった、重い負担をかけたくなかったのだそうだ。秘密裡に行った人工受精・代理母出産が罪深いという自覚はあったのだろう。軍医先生の苦悩は半端無かったと聞いている。瑞樹先生は罰でも受けたかのように、辛い妊娠期間を過ごしたそうだ。何度も流産しかけたり、重い悪阻があったり……でもそれを乗り越えて君の出産まで漕ぎ着けた……あまりご両親を怨まないでほしい」
焔硝くんは酷く意外そうな顔になった。
「怨む?なにを怨むというのですか?」
面倒な出生を背負わされて、怨んで当然じゃないの?
「極端を言えば、僕は夕先生の指示に従って授精する前に廃棄される運命だったんです。それを生命にまで繋いでくれて、千尋さんがさっき教えてくれた通り母は苦労して、父は苦悩して僕を世に出してくれて、硼ちゃんとも雷汞とも別け隔てなく……ううん、全く違いなく自身達の子供として育ててくれました。僕、怨むなんてとんでもない。僕のお父さんは早川彬尭で、お母さんは早川瑞樹です。勿論由来の夕先生も京一郎伯父も尊敬しています。こんな恵まれた場所に置かれている自分がなんて幸運なのだろうかと思います。伯父の辛い過去さえ、僕にとってはありがたい」
どうしてそんなにすんなり全てを肯定できちゃうの。ねぇ、もっと当たり前に享受できた筈のものとか、疑ったり悩んだり、当たり散らしたりするものじゃないの?
雷汞くんがやれやれ、という風に口を開いた。
「千尋さん、焔硝ちゃんが怨むわけ無いですよ。結局実の父親とも暮らしているんだし、実の母親とは略毎日顔も合わせているし、お父さんともお母さんともなんの不和もなくて、うちの両親はこういっちゃなんだけど、宇宙一面白い人達だし、なにより硼ちゃんと生まれたときからずっと一緒に過ごせてこれたんだよ。どこに不満があるっていうの」
千尋は硬い表情のまま言った。
「……今後はどうするんだ」
兄弟は拍子抜けしたように言った。
「なにも変わらないですよ」
「僕にとって父も母も、伯父も祖母も、姉も弟も皆なにも変わりません。僕は僕の生まれた経緯を聞いただけ。父は僕を成人するまで、大学へ行くならその卒業まで面倒見る気満々ですし、早川家の長男として好きなようにすればいいと断言してくれました。硼ちゃんとも……その……僕達の気持ちが変わらなければ好きにしていい、と」
なにそのゆるゆるな結末。ぐるぐる悩んだ千尋だけが馬鹿みたいじゃん。
「……表立って自分のものと言えないんだぞ」
焔硝くんは顎を引いた。
「僕も硼ちゃんも、それでいいと納得しています。僕達の仲を知っている人達には引き続き他言しないでいただかなくてはならないですけど」
千尋は呆気にとられたように顔色を失っていた。
「千尋さんも、だよ」
雷汞くんが横合いから口を挟んだ。
「硼ちゃんと焔硝ちゃんのことは俺が護ります。ううん、邪魔させない。俺は硼ちゃんと焔硝ちゃんはお似合いだと思うし、なんか凄く早く相手を見つけちゃったとは思うけど、それのどこがいけないの。俺、断言するよ。この二人、気持ちは絶対変わらない。変わらなければ二人はずっと俺の姉と兄。俺は俺の理屈で二人を護る」
千尋は口をへの字に曲げて頬杖を突いた。
「フルミネート……君本当に小学生?」
「どこから見ても小学生じゃん。戸籍抄本でも持ってくればいいの?」
あれ?こういう場合って戸籍謄本だっけ?焔硝ちゃん、などと問う姿は普通な兄と弟に過ぎない。因みに、戸籍謄本は同一戸籍内全員の情報が記載されてる全部事項証明書。抄本はひとりだけの情報だけを抜き出したもので、個人事項証明書という。君の年齢だけ証明したいなら、住民票の写しで充分なんじゃない?
「ガンパウダー、フルミネートが随分代弁してくれちゃったけど、君は?」
「父の前で硼ちゃんが女性にしか見えないことは言いました。雷汞もそのことを聞いていたし、それだけで総てをわかってくれる弟が誇らしい。無論、その後、硼ちゃんの部屋に二人で押し掛けて父から聞いたことを全部伝えました。あの気丈な硼ちゃんが嬉し涙を零すところを見れば僕達の気持ちについて充分裏づけられたと思います。その上で三人で考えました。僕、少しでも早く高校を出て、早く医師免許を取ります」
「ガンパウダーも医者になりたいのか?」
「はい。誰かに強要されたからとか、硼ちゃんが医者を目指したからとかじゃないですよ。僕、医療の現場で育ったから、憧れてきたし、力になりたいと思ってきました。僕が少しでも早く医師として自立できれば、硼ちゃんに柔軟な時間を持たせてあげられるでしょう?」
「それは自分の為なんじゃないのか?」
そんなこと無い、と反駁しかけた焔硝くんに雷汞くんがうりうりと肘で意地ごと突ついた。
「珍しく千尋さんが下ネタもってきたんだよ。鈍いなぁ焔硝ちゃんは」
すると焔硝くんは一拍置いてみるみる頬を染めた。そんな君が硼砂嬢に誘われたとはいえなにを仕掛けたんだい?
彼は俯いてぼしょぼしょと言葉を絞り出した。
「あ、あえ、いえ、うん、確かにそういうのは、無くないです……」
千尋は陰険な目で雷汞くんを見ながら言った。
「フルミネートはおっさんだな。もう少し羞じらいみたいな若々しさを持てよ」
「特定の好きな女の子でもいれば、照れっ♥うふっ♡きゃ★みたいな気分にもなるでしょうけどね~」
い……いやいや、今時女の子でもそういう態度はとらないぞ?
火薬が多少ぱちぱちと火花をあげようとも、起爆剤が引火しないと火は燃え広がらない。抑硼砂は炎が燃え広がるのを抑制する物質である。早川家は三人でひとつ。オレにはそんな風にみえた。
「フルミネートの方向性と、ガンパウダーの決意はよくわかった。で、もうひとりの当事者はどう考えているんだ?」
「硼ちゃんなら、焔硝ちゃんが実の弟ではなくて従弟だと知った瞬間ぶわーっと大泣きしてた。これ以上の証は無いと俺は思うけど?千尋さん」
う……うん、まぁ、そうだけど……。
「それで納得するのは、少々詰めが甘くないか、フルミネート」
すると焔硝くんが俯いてのぼせるかのようにかーっと紅くなった。
「どうした、ガンパウダー」
雷汞くんはぷっと吹き出すと、悪戯が巧くいったというような顔で言った。
「本気度を示すために、熊野牛玉宝印で誓約でもすべきだった?でも硼ちゃんにとっては色気無さすぎじゃない?」
熊野牛玉宝印。赤穂浪士が討ち入りのとき相離反しないよう誓約するのに用いたことで有名だ。熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三山の発行する特殊な護符で、烏でデザインされた文字で表されている。本来的には厄除けのお守りなのだそうだが、裏面に誓約文を書いて誓約の相手に渡す誓紙としても使われてきた。牛玉宝印によって誓約するということは神にかけて誓うということであり、もしその誓いを破るようなことがあれば忽ち神罰を受け、血を吐いて地獄に堕ちるという。……地獄、ねぇ。旧くからこの誓紙を使った誓約を武将はよく用いてきたようで、源義経は兄頼朝に叛意が無いことを示す為に書き、豊臣秀吉が重臣達に秀頼に忠誠を誓い裏切りを許さぬ為に書かせたという。そして赤穂浪士もね。この護符は現在も発行されているのだけれど、こんな恐ろしげなものに誓いを立てさせられて雁字搦めになることこそが地獄なのではないだろうか。高杉晋作は言う……『三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい 』と。誓紙一枚が反故にされる度熊野ではお遣いの烏が三羽死ぬという。高杉晋作は千回もなんの誓いを破るつもりだったんだか。
「フルミネート、やっぱり公的証明書を提出してもらおうかな。君、絶対小学生じゃないね、断言してもいい」
雷汞くんは苦笑いして顳顬を掻いた。
「やだなぁ、千尋さんたら。だから、もっと乙女な誓いの儀式にしたから焔硝ちゃんが真っ赤になってるんじゃん」
はっとしたように千尋は雷汞くんを見詰めた。最も歳若く経験不足に見られがちだが、その侮られ易い立場を逆手にとってこの一件の主導権を握っているのは……雷汞くんだ。
「なにをさせられた、ガンパウダー」
焔硝くんは気の毒な程もじもじとしてから言葉を絞り出した。
「……硼ちゃんをずっと大切にすると……そ、それから……この秘密を一生守ると……ち、誓って……雷汞の前で……硼ちゃんに……その……キスを……したんです……」
は、はは、はははっ、そりゃなんていうか、そのときは真摯な気持ちで、盛り上がっているからなんとも思わないのかもしれないけど、こうやって第三者に報告をさせられるのはどうにも、恥ずかしいだろうよ。真剣に茶番じみたことをするからだ。
「俺が現場を見届けたの証人。千尋さんは」
千尋は呆れ気味にぶすっと言った。
「ああもう、ずっと記憶していてやらぁっ。その代わり、これ以上のことはしないと約束しろよ。ガンパウダー、運がいいことにボラックスと姉弟ではなかったからこんなぬるい結末が許容されているが、俺は極近親交配なんか認めないんだからな」
交配って千尋さん、と雷汞くんは苦笑いした。
「千尋さん。僕は硼ちゃんとの仲を公にはできないけれど、相応しいと思える人間になったら千尋さんを祭司にまた誓います。お願い」
「馬鹿が。俺は地蔵でも神でもねっつの。精々ボラックスに愛想を尽かされねぇように男を磨け。フルミネートも証人として意味為さなくなんねぇように真っ当な子供やってまともな大人になれ」
ぼりぼりと千尋だけが後頭部を掻いて車の鍵を手に取った。送っていってやる、と言った千尋は洗って乾かして置いてある圧力鍋を目をやっていた。
ぶっすーっとしながら帰ってきた千尋が車庫入れを終えて留守番してたのが得意気なマクに出迎えられたそのときに玄関前に特徴的なエンジン音がして停まった。この音には憶えがある。静音が効いて爆音のしない単車。RVF400、早川彬尭軍医の単車。またひらひらのスカートで乗ってきたな。
出迎えた千尋は不機嫌そうだ。
「……弟達を、……なんということをしやがる」
硼砂嬢はにっこりと悪びれなかった。
「なんのこと?」
「弟達をいいように操りやがって」
「やだ、人聞きが悪い」
「フルミネートまで巻き込むな……あいつはまだ小学生なのに」
千尋は硼砂嬢を上げるまいとするように上がり框に立ち開かっていた。
「遠からず知ることじゃない。ぐずぐず隠しながらこそこそ暮らすなんて、真っ平。不毛でしょ」
「不毛とかに摩り替えるな。ボラックスの身勝手に引き摺り込んだだけじゃないか」
硼砂嬢は微笑んだまま答えなかった。
「……何故性急にことを運んだ」
「逸った訳でも焦った訳でもないのよ」
「つまり計画通りってことなんだな」
「ちーさん、怖いわ」
「ボラックスが俺如きで怯むような女か」
「ちーさんは解ってない。この人がほしいという欲求は、男だけのものじゃないのよ」
この言葉には流石に千尋も二の句が継げず言い淀んだ。マクが心配そうに千尋を見上げる。
「焔硝を、誰にも渡したくないの。他所の女だとかだけじゃないわ。つまらない男にしかなれない未来にも、焔硝を渡す気は更々無いの。焔硝は私のもの。中途半端なしがない男になんかさせないわ。誰よりも素晴らしくて、完全無比で、私しか見ない早川焔硝。その為には雷汞の協力は欠かせないの」
硼砂嬢は両手の指先だけを胸の前で合わせながら夢見るような表情になっていた。
「直接血が繋がっていなかったからよかったようなものの……そうでなかったらどうするつもりだった……ボラックス、俺を謀ったな」
千尋は眉を吊り上げていた。硼砂嬢は心外そうに笑う。マクは不穏な空気を感じ取って両者を代わる代わる見る。落ち着けって。
「謀るだなんて。皆ちょっとずつ私のことを侮っていただけ。父も母も、ちーさんも」
侮る、とは随分な言いようだ。
「……知っていたのか、焔硝が実の弟ではないことを」
硼砂嬢は小さく首を揺らした。
「焔硝が体外受精で母のお腹に宿ったことだけは、知ってた。母も父も迂闊よね。六つくらいの子供が聾だとでも思ってたのかしら。焔硝のことをどうしても誰にも渡したくなくなったとき、 雷汞がなんの手間もなく生まれてこれたのに焔硝はどうして人の手を介在して生まれてきたのかしらと思っただけよ。私にだって確証は無かった」
硼砂嬢はやっと千尋の目を見据えた。
「私だって……焔硝があまりに近親過ぎることに葛藤はあったわ。だから、ちーさんの手を借りたの。緩くてぬるい結末でちーさん、うんざりしたでしょう。ううん、寧ろちーさんにだけ重い負担が残って、私達は足枷から解放されたようなもの。狡いって罵る権利はあると思うわ」
先手を打ってそう言ってしまう方が狡いだろう。これではもう千尋は悪態を吐くことも冷罵することもできない。
千尋は心底嫌そうに顔を背けた。
「……悪い。今日はどうしてもボラックスを上げる気になれない、帰ってくれ」
硼砂嬢は悲哀の笑みを浮かべた。あぁ~っ、女の子にこの表情させるのだけは拙いよ、これだけはさせちゃなんないよぉ。
「うん……ちーさん、ごめんね。厚かましいと思うだろうけど、またここへ来てもいい?」
精一杯の空元気だよ、これ。決して厚顔なんかじゃないよ!ここがわかんなかったら、千尋なんかすっとこどっこいだ!
「今日明日はやめてくれ……俺には俺なりに、鳧をつけたい。暫くは学業にでも専念しててくれ」
うんそうする、と硼砂嬢は頷いて踵を返しかけて、礑と止まった。
「ちーさん。雷汞はね、雷酸水銀(Ⅱ)である以外にも意味が込められているのよ」
彼女は雷汞から聞いた?と問うて、千尋の短い返答を待つ。
「いいや」
「父はね、ライコー・フェーリックスというヴァイオリニストが好きなの。旧ユーゴスラビアの……ハンガリーのクラシック、トランシルヴァニアの民族音楽、セルビアの民謡、ロマの音楽を融合した禁断のヴァイオリニスト。平和と自然を愛しながら激しい曲を奏でるの」
そのライコーを雷汞にかけた、ということ?
「それから、源頼光」
平安中期の武将?
「頼光」
「有職読みをした諱の頼光。清和源氏の三代目で、酒呑童子退治で有名だけれど、本当はもっと政治の世界にぐいぐい食い込んでいた、文武の感覚に優れた人。渡辺綱、坂田公時、卜部季武、碓井貞光、藤原保昌らをも従えていた、次の時代の基礎の基礎を築いた人。雷汞に対する父の期待は大きいの」
そんなに期待を寄せている本当の長男を翻弄するなんて、硼砂嬢……。
「雷汞に偉人になれとかそういう方向性は求めてないの。ただ、私達三人を幸せにする要であるのは、雷汞なの」
聞いてくれてありがとう、と彼女は礼を言って出ていった。静かにセルモーターが回って、RVFが遠退いて、聞こえなくなった。晶が怖々顔を覗かせた。
「……どういうこと?」
千尋は重いものを振るい落とそうとするかのように、首を左右に振った。
「どうもこうも無い。ボラックスは芯からフィクサーなのを失念していた俺の掘った墓穴だ」
「フィ、フィクサー?」
目を丸くした晶を尻目に、千尋は肩を落としながら台所へ戻った。のろのろと晩飯の支度をしようと冷蔵庫を漁り始める。
「今度のことは、ボラックスの描いた構図のなかで踊らされていただけさ……あの娘が、そんなに必死になる程のことだったというべきか」
結局許しちゃってるんだ、千尋……。
「兄貴は……あの姉弟達がうまくいく……と、主殿さん家との板挟みに……なってるよね?」
千尋は諦めを滲ませて笑った。
「事実を詳かにすれば結局由利家との間に軋轢を生むのは必至さ。その緩衝材としてボラックスは俺を選んだんだ。ふん。貸しひとつ。あの娘だって辛くない訳じゃ、無いんだろうし」
晶は変な風に眉根を寄せた。
「……兄貴って、馬鹿なの?」
「俺を馬鹿呼ばわりとはいい度胸じゃねぇか」
ぬっと目の前にブロッコリーを突きつけると千尋はにやりと笑う。仰け反った晶の鼻先にブロッコリーを更に寄せると千尋は溜息を吐いた。
「馬鹿なのは早川家全員だ。早くに亡くなったボラックス達の祖父さんも、実家に頑として頼らなかった葵さんも」
「あ、葵さん?ボラックスの祖母ちゃん?」
千尋は頷いた。
「あの人は、本当は名家の生まれなの。といっても葵さんの両親が出奔してしまって、あの人はそういう育ちじゃ無いけれど」
「名家って 」
「葵さんの両親は芳賀グループの御曹司と御倉のお嬢さまなんだそうだ。没落してしまったが葵さんの旦那さんの家は元早川病院の創業家。本気で縁故を頼ればトラックで生計を立てなくっても余裕のある暮らしを望めなくもない」
芳賀グループっていったら、日本有数の財閥家である。あまり表には出てこないが、確実にその影響は社会の隅々にまで及んでいる。御倉といったら辿れば宮家という元華族。早川病院は日本中に系列をもつ医療法人を打ち立てている。創業家は経営でなにかやらかしたらしくて、法人そのものを手放してしまっているが。……このくらいのことはオレでも知っている。
「ボラックスがそのどこかに変な接触を受けていることは往々にして考え得る。京一郎さんも言ってたろ。瑞樹先生にそっくりだって。きっと葵さんの若い頃にも似ていただろうって。葵さんはきっとご両親に似ていたんだ。そしてあの頭脳……政略的に利用しようとする馬鹿が一人や二人いてもおかしくない」
「そ、そんな政治的なこと、なんで」
「知るかよ。瑞樹先生が流行らない開業医院で隠遁してるのも、同じような理由だろう。ただ、あの人にはGSDFにいたことがあるから、常に予備役だっていうある種安全装置があった。ボラックスにはそれがない。軍医先生がGSDFには絶対に入れようとはしないだろうし……だとしたら、」
千尋は言葉を切ってブロッコリーを晶の手に押しつけ冷蔵庫に向き直るや、がんっと拳を叩きつけた。
「……早まった真似をするんじゃないぞ、ボラックス」
晶ははっとしたように息をのんでいた。
「ま……まさか直ぐに……?」
千尋は奥歯を噛み締めた。
「そ、そこまでボラックスは追い詰められているのか?」
焔硝くんにあれだけ釘は刺したけれど……まだちょっとしたことでぐらついちゃう中学生だよ。あぁ、硼砂嬢は彼がそんな風にまだ判断能力が低いことさえをも利用しようとしているの?
野菜を握り締めて青い顔をした兄弟は目を泳がせるように互いさえ見ることができなくなっていた。
「そんなの……そんなの、駄目だよ。父親がまだ中学生だなんて」
晶の手が、肩からわなわなと震えている。ねぇ、千尋、否定してよ。こんなの悪い方へだけ推しに推した半ば妄想だって。ねえ。
「止めなきゃ!兄貴、ボラックスに、ガンパウダーに、フルミネートに連絡してっ、いや瑞樹先生にっ、軍医先生に……」
晶はブロッコリーを放り出して千尋を掴んで揺すぶった。待て、と困ったように千尋は言って晶を宥めた。
「臆測なんだ……ボラックスがどのくらいの時間スパンを予測して手を打ったのか、俺達には判断材料が無い。第一瑞樹先生になんて言う気だ?お宅のお嬢さんが早速子作り始めますとでも?」
晶が途端に真っ赤になる。おいおい~晶ぁ、二十五になってその初い反応はどうなの?困惑しきった顔で晶がだらんと腕を下げると千尋は強く自分の眉間を摘まんだ。
「ガンパウダーの出生の秘密を知っているのは……潤一さんとこと並川さんとこのご夫妻で……なんで軍医先生はこの二組を選んだんだ……?」
ぶつぶつと千尋は呟きながら下唇を噛んだ。晶がそうだよ、潤一さんに相談しようよ、と意気込んだが、千尋は却下した。
「潤一さんになにができる?幾ら魔法使いでも、なにもかもを叶えてくれる訳じゃない」
だからって手を拱いているのもどうにも心許ない。うーん、うーん、ボラックスが家に着くでしょう、単車をガレージに片すでしょう、夕飯を食べて、勉強とかして、家族が寝静まって、……ことを起こすしたら、それから?
千尋もその辺りには思い至ったらしく、重い溜息を吐き出した。時間に少しだけ、余裕ができた。でも、その数時間でなんとか、なる?
くぅん、とマクが鼻を鳴らした。どしたのなんか空気重いよ?って?そうさなぁ、千尋や晶が直接辛い訳じゃないんだけど、関わってしまった以上放っておけないんだよ。
オレはつと顔をあげ、ある一角を注視した。マクと真もはっとしたようにそちらに顔を向ける。オレ達の視線の先には、電話機。オレ達が目を向けた途端ランプが明滅を始め、少し遅れて電子音が鳴り始めた。
……なにこの絶妙なタイミング。兄弟は顔を見合わせ、気味悪そうに眉を寄せる。
「……出る」
正直、後味と歯切れの悪いことの流れは苦手です。
早川硼砂がどこまで乙女チックに一途な思いでいるのか、それとも只管計算尽くなのか、明確にし切れなかったのが悔やまれます。ええ、硼砂のことはいずれ詳かにしなくてはならないでしょうが…上手く文章にできる自信が、今の時点では無い気が、する。