モヤモヤ解消
昼食時、食堂に介した4人で今日も遊びの予定をつめる。
遊園地にいくなんて遊びはここ何年も縁がなかったが、いざ計画を立て始めるとそれなりに童心に帰ったようでなかなかに楽しいものだった。
ジェットコースターの数と、乗ると宣言された回数に青ざめながらも気丈に振舞う水村を見て少しばかり感心した。
人間根性が据わると苦手なものも克服できるってことだろうか。
水村が仕事の遣り残しが気になると席を早めに立ってから、河合さんがごそごそと紙手提げを卓に乗せた。
「内藤君。悪いんだけど、頼まれてくれないかな」
「なんですか?」
「これ、日持ちするもの作ったから、届けてほしいの。梓に」
どうやら中身はタッパーに入った料理のようで、河合さんはそれを一瞬だけ持ち上げて戻す。
不透明なので内容が何かまでは見れなかったが。
「昨日はああ言ったけど、絶対あの子ちゃんとしないだろうし、でも仕事の日に行くと嫌がられるし……」
さりげなくヨーコさんの方を見るが、河合さんの妹と俺のアパートが一緒なことは話しているらしく、我関せずといった様子でお茶を飲んでいた。
「届けるだけなら別に構いませんが……」
「ありがと~。ごめんなさいね、なんか頼みごとばっかりしてるわね」
「いえ、気にしないでください」
どうせ土産を渡すのに行くつもりだったんだから、三度目の正直にも勢いがつくというものだろう。
***
土産OK。河合さんの預かりものOK。
確認作業をしてから上田さん宅のインターホンを押した。
誰何されると思っていたが、それを裏切って戸が開き、黒装束が覗く。
「はい……なに、あなたなの」
待ち人が違った様子で俺を見る。
この様子では、どうやらこれから客がくるのだろう。
「これ、河合さんからご飯預かりました。それと、うちの親戚の土産なんですけど、よかったらどうぞ」
「……ありがとう。でもお姉ちゃんに言っておいて。もういらないからって」
二つともを受け取りながら無造作に横の下駄箱に上に置いて、早々にドアを閉めようとする。
「いや、河合さんは心配して……」
「あのー」
横からかかった声に振り向くと、若い男性がいた。
20代の中肉中背、耳にピアス、腕にタトゥー、顔ははっきり言って人相が悪い。失礼ながら。
「梓玉さんの占いしてくれるとこって、ここっすよね?」
すると上田さんがドアを大きくあけて
「松井さんですね。お待ちしておりました。こちらへ」
俺を押しのけるようにして家の中に招き入れ、自らも入ろうとする。
「……なに」
「え、あ……」
気がついたらその腕を掴んで引き止めていた。
「どーしたんすかー」
靴を脱いで敲きにあがり、次の指示を仰ぐ客が振り返る。
「すみません。少し諸用がありますので右の一つ目の部屋に入ってお待ちくださいますか」
「了解っすー」
間延びした返事のあと、青年は仕事部屋に消える。
「離してくれないかしら」
ゆっくりとした動作で俺の腕ごとを見せ付けるように持ち上げ上田さんは俺を仰ぐ。
「いや、あの、差し出がましいようですが。大丈夫なんですか。今みたいな人……部屋にあげて」
明らかに風体の悪い人物が、見知ったか弱い女の子の部屋に入っていったのを見て、止めずにいられるわけがない。
「平気よ。離して」
「でも、あなたみたいな、き、綺麗な女の子と、あんな……失礼ですが得体の知れない人と2人になるのは、あぶな」
「……大丈夫よ。なんの為のローブなの。それに、客はみんな私になんかかまってられない事情をかかえてる。大切なのは占いの結果なの」
確かに全身真っ黒だが、声は若い女性そのものだし、体格だって華奢なのは見てとれる。
「でも、この前はなにか、危なかったんじゃ。ほら、がしゃんって物音が・・・」
数日前に、暴言を吐いて出て行ったギャルはかなり暴れたりしたんじゃないだろうか。
「私が見たことをそのまま告げたらいきなりああなっただけ。ありのままを受け入れられない人はたまにああなるわ。でもそれも少数だし、誰も本気で私に手は出さない。せいぜい近くにあるものにあたるだけ。私が怖いから。私はそういうモノなのよ。だから心配なんて無用だし、必要ないわ」
「そんな、ことは……」
饒舌に畳み掛けるような上田さんの言葉の数々に反論しようとするが、その前にぴしゃりと打ち落とされる。
「とにかく、放っておいて」
「……放っておけません!」
放っておけるわけがない。気になるんだ。どうしても。そうだ。同時にいらついている。
この子に。この子に振り回されている自分に。
むかむかする。
無言になった俺の手を振り払って部屋に消えようとする上田さんの腕を再度捕らえる。
少しでも力を加えたら折れてしまいそうで、怖くなる。
それでも俺は胸の内の声にしたがって手を握りこむ。
行かせてはいけない。
危険かもしれない。
心配だ。
どうしても許せない。
そしてふと、理解した。
「ああ、やっぱり、俺はあなたが好きなんだ」
「……は?」
一体どこの流れからそんなことになったのかと、上田さんはその綺麗な眉をしかめた。
「気になってしょうがないんです。この前偶然聞いてしまったうわ言も、忘れてって言われましたけどできません。どんな事情があるのか知りたいし、あなたの身に危険なことが降りかかるなら守りたい」
一度わかってしまえば、簡単なほどに、口から言葉がすらすら出てくる。
「あなたはお姉ちゃんが気になってたはずでしょう」
………………やはりというか、そんなことまでわかってしまうんですね。
急にきた反撃に言葉が詰まるが、それでも俺の心はもう決まっている。
「上田さんは、この前、俺の頭の中を見たんでしょう。それなら、それがどんな程度だったか、上田さんを見るのと比べてどうなのか。わかるはずですよね」
本当はあの時にはもうすでに心は動いていたんだ。
ただ自分が戸惑っていたから、無自覚であって、しかし上田さんにはよりダイレクトに筒抜けになったんだろう。
「……………………」
「とにかく。俺は心配なんです。だから…………」
「わかった。こっちへ」
静かに、と口に手をあてる仕草をしながら部屋の中に招き入れられる。
あの男が入っていった部屋の前を通り過ぎ、寝室に通される。
「これは、私の仕事なの。客に帰れなんて言えないけど、ここで、あなたが耳をすましてる分には支障ないわ」
口論にうんざりした様子で小声で囁き、ドアが閉められた。
上田さんが隣の部屋に入った音のあとは、ボソボソとした話し声が不明瞭に漏れ聞こえてくるのみだった。
壁がそんなに薄いわけがないので当たり前だ、しかし荒事になれば充分わかるだろうと一先ずは気を抜いた。
さっきの自分の行動を思い返してみると、大分滑稽な様に今更恥ずかしさがこみあげてくる。
玄関先で愛の告白。
なにやってんだ俺。思わず頭を抱えてしゃがみこむ。
だが、ここ数日の妙なもやもやした感じはどこかに吹き飛び、清々しい気分でもあった。
まんじりともせず、一時間程が経過した頃だろうか、隣室の扉が開いた。
そのまま足音が外に続いていき、男性は帰ったようだ。
ドアが閉まった音がして、今度はこちらに戻ってくる。
「どう?気は済んだかしら」
俺の前のドアが開かれる。
私が言った通り、危険なんてなかったでしょう、としたり顔で上田さんは俺の目線に合わせてしゃがんだ。
「今の人は半信半疑って感じだったわ」
だからちょっと脅かしてやったわ、と愉快そうに微笑んでいる。
「報酬もこの通り」
ぴらりと広げられた分厚い札束に、俺は自らの視界を遮った。
「いや、ちょっ、目に毒だから見せないでください!」
「なに言ってるのよ」
よく考えなくても、上田さんのベッドの傍らにあったゴミ箱のようなものに入っていた札束の数々は占い料だったことになる。
そう思うのと同じくらいに、やはり上田さんはその箱めがけて札束を放りいれた。
「そんなとこに……なんか他に保管場所は」
「いいのよこんなの適当で」
上田さんは立ち上がると、フードを頭から剥いで体全体を覆っていたローブを脱ぎベッドに無造作に放る。
そこから現れたのは黒い服ではあるけれども、どこかのブランドを思わせるツーピースだった。
絡まったのをくしけずるように指を髪に通し頭を振る。
綺麗な黒髪がさらりと揺れて、普段見ることのできない瞼の先に伸びる睫毛に釘付けになる。
なにもかもが透き通る素材で、繊細なつくりでできたビスクドールのような存在だと思う。
言動や動作は割りと粗暴のようだが、それすらも魅力の一部と化す。
ベッドの上に腰を下ろした上田さんに、改めて言う。
「やっぱり、危ないですよ」
「物盗りなら入る前にわかるわ」
感慨深く呟くと、どうやら札束のことだと思われたらしい。
「そうではなく、いや、それも大事ですけど、客と1対1だなんて、危ないですよやっぱり」
「またその話?今見せたじゃない。なにもなかったでしょ」
「どこかに店舗を構えてアシスタント雇ってみる、とか……」
上田さんの否やを無視して提案をする。
あの占い料ならおかしくはない策ではないだろうか。
「そんなの面倒くさいわ」
いとも簡単に却下され、他には、と思案をめぐらすが、どれもこれも良案とは言いがたい。
面倒くさいと言って、当の本人に変える気がないのだから、これはどんな働きかけも無駄になるのだろうが……。
「じゃあ、また俺が止めます」
「あなたがいない時なら問題ないわね」
「!?」
それはまずい、とってもまずい。考えなくても、俺はほぼ毎日会社に行くわけだから、上田さんの客を四六時中監視するわけにはいかない。
しかし知りながら何もできないというのももどかしくて仕方がない。
「大体、あなたには関係ないでしょう」
「そうです、けど……でも」
ばっさりと切り捨てられても諦めたくはない。
やっと定まった自分の気持ちは、前へ前へと向かっている。
「知っていていて欲しいんです。俺の気持ちを」
知ってもらいたい。
俺の言葉で縛り付けるつもりは毛頭ないけど、気にかけてくれたら、それで自衛にならないだろうか。
「勢いで言ったことだから返事とかは別にいらないです。ただ、ああいう風体の人が、というか見ず知らずの人があなたの部屋に入ることが不安で……。そうやって思うヤツがいることを知っていてほしいんです」
「……一緒ね」
ぽつりと小さく呟かれた言葉だったが、静まり返った部屋にはよく響いた。
疑問に思って上田さんを窺うと、意外にも視線が合った。
上田さんのことだからてっきりどこか遠くを見つめていると思っていたのだが。
「お姉ちゃんとか、母と、一緒のこと言ってるわ、あなた」
「え、そりゃあ、ご家族なんですから、心配はするでしょう」
全く一緒のことを言っているというのは、立ち位置的になんだか複雑ではあるけれども。
「母にはこうやって見て納得させたのに。あなたにはどうしたらいいのよ?」
非難の言葉に、ある種の楽しみを含んだ問いかけがにじむ。
面白がっているその表情に驚いて、俺はなんて言い返したらいいのか考えられない。
「勝手にしたらいいわ」
「え…………?」
「私はこのまま特に方針を変えるつもりはない。でもそうね、あなたがいる時はこうやってここに上げるくらいはしてもいい」
思わぬ提案に飛びつくように俺は一も二もなく同意する。
「是非お願いします」
その素早さにか、上田さんは笑う。今度は笑み崩れると言ったほうが正しいか。
「あなた、なんだか犬みたい」
それはどういう意味だろうか、確かに信頼した人には尽くす性格だが。
でもそれもどうでもよく、笑ってくれている上田さんが嬉しくて俺も倣った。
「そういえば」
笑いをおさえて、思い出したように問いかけられる。
「あの時、私はなんて言ったの。気になるって言っていたけど」
病床のうわ言を気になる、と勢いに任せて俺が言ったのを問い詰められる。
「ああ、すいません、忘れてって言われてたのに……」
「それはもういいのよ。なんて?」
「ええと、私のせいじゃない、って……」
それを聞いた上田さんの表情が固まった。
やはり何かまずいキーワードだったのだろうか、うなされている時のことなんて、大抵がよくはない内容だ。
「あの」
「子供の頃の、夢を見ていたの。あの時」
思い出したくないことならやはり無理はいけない、と言いかけると同時に上田さんの独白が流れた。
その情景を思い出すように目を瞑り、夢の内容をゆっくりと断片的に告げていく。
「小学生低学年の時まで、私は自分の未来視にはさほど疑問を持っていなかったの。
例えば朝起きた時に母に「今日の給食はカレーだよ」って言うようなもの。献立表を見ていればわかる内容でしょ。
だから誰も不思議に思わなかった。
だけどある日、仲が良かった友達に言ったの。「明日落し物をするよ」って。
失くすものまではわからなかったんだけど、その翌日、その子は大事な宝物を失くしてしまった。
私にもいつも見せてくれてた、肌身離さずもってた綺麗な石。
その子はすごく悲しんで、私は可哀想に思った。
どこにあるのかな、早く見つかるといいな、って。
そうしたら、いつも遊びにいく彼女の家の近くの公園に、その石があるビジョンが見えた。
帰りにそこへ友達を連れて行くと、本当にその通りの場所に見つかった。
彼女は喜んでくれたけど、どうしてわかったの、としきりに聞いてきた。
私にもわからなかったから、わからない、と答えた。その場はそれで終わり。
だけど、私はそれ以来多くのビジョンが見えるようになった。
またとある日に、その子のお母さんが入院するのをビジョンで見た。
そう告げて、2,3日後に、救急車で運ばれたそうよ。
病気がなにかは知らないけれど、その子の家族は大きな病院にお母さんを入れるために引っ越していった。
彼女は教室で最後に会った時、クラスメートの前で私にこう言ったわ。
『あなたのせいでお母さんが呪われた』『私の宝物をとったのもあなただったんでしょ』と。
彼女は、宝物を不思議な力で公園に隠したのも、お母さんが病気になったのも河合梓がそう言ったからだ、と大声でわめき散らした。
それからはわかるわよね。子供の思い込みの力と無茶な正義感で、私はいじめに遭ったわけ。
先生もそれを聞いてたものだから気味悪がっちゃって目も合わせなかったわ。
私はその渦中で言い続けるの。
『私のせいじゃない。私がやったんじゃない』って。これで終わり」
目を開けて上田さんがこちらを見、苦笑した。
「気になるって言ったから教えてあげただけ。看病のお礼代よ。そんな顔しないでくれない?」
わからない、今俺はどんな表情をとっているのか、とっているべきなのか。
不思議な力があるのはもうわかっていたし、それが幼少の頃からなら、きっと常人には理解できない苦労もあったのだと思う。
だけどそれを現実的に考えられていたかというと怪しい。
勿論上田さんの気持ちを俺がわかるわけもないし、でも、これはよくある物語の中のエピソードだと割り切ってしまえる程には軽く考えることもできない。
悔しかった。それを慮れない自分が情けなかった。
思い出したくもない過去を晒させて、尚且つ気を使わせている状況が腹立たしかった。
俺の自己満足に謝ることなんてできないから、
「……ありがとうございます。俺なんかにそんな話してくれて」
むしろ後悔の中には、上田さんが俺に心を開いてくれた嬉しさもある。
本人に告げるには及ばないけれど、それをこめてお礼を言った。
「ホントに、変。あなたって」
上田さんは数秒間ぽかんと呆けてからくすりと笑った。
それはやっぱりとても素敵な微笑みだった。
ブーブーブーブーブー
突然の低い音に驚いて見ると、上田さんのベッドの枕元に置いてある携帯電話が光を放っていた。
振動の長さから電話だろうと気づき、俺は腰をあげた。
「すいませんでした。俺はこれで帰りますので、どうぞ」
携帯を指してからお邪魔しました、と部屋を辞した。
戸を閉めて、去り際に通話を始めた声がした。
「はい、……わかりました」
玄関に歩いていくまでに聞こえたのはこれだけで、あまり大きな音をたてないように気をつけながら、俺は自分の部屋に帰った。