不明瞭な形、定まらない思考
「おはようございまーす」
何人かの挨拶がまばらに返ってくる中、部署内にあるホワイトボードに近づき、今日の給湯係を確認した。
「福さん、今日のお茶菓子に、これも入れてもらえますか?」
沖縄土産ちんすこうの箱を示して頼んだ。
「結構量あるんで余りそうですけど、休憩室に置きっぱなしにしといてもらえれば誰かが持ってくと思いますんで」
「はい~。あ、ちんすこう私大好きなんです~。沖縄、行かれたんですか??」
休暇なんてとっていなかったのに、と不思議そうに問われて親戚の土産の残りです、と答えた。
「じゃ、給湯室に置いておきますんで」
これで土産はほぼさばけたことになる。
朝大家さんにも持っていったし、俺の分を抜いてバラになった残りは……ご近所へ、ということになる。
一昨日の、昨日の、今日だ。上田さんと顔をあわせるのはなんとも気まずい。
こんなとき、生真面目な自らの性格が呪わしくなる。
だが決して訪れるのはイヤなわけではないのだ。
なんらかの理由があればいいのではないか、と言い訳がましく考える。
むしろ、正当化したくなる。
それほどに、あの人に会う、ということは苦ではなくなっていることに自分で驚いてしまった。
「よっす。内藤、食堂行こうぜ」
昼休み時間になるのを見計らったように水村が誘いをかけてくる。
「あ、ああ……」
俺は躊躇いながら生返事をして廊下の方を見回す。
ここ一週間は連日河合さんと食事をとっているため、もしや今日もではないかと思ったのだ。
「心配しなくても、河合さんも一緒だ」
「え?なんでお前が……」
「ヨーコさんと打ち合わせ済みだから」
「おぉ?うまくいったのか」
「とりあえずメールと、遊ぶ約束をなー。で、その話をしに食堂へいくわけだ」
「へぇ……?」
なんだかわからないうちに食堂へ連行され、料理を注文した。
盆を持って、先に来ていたらしい河合さんとヨーコさんがいる席につく。
「おはようございます」
「おはよ~。よかったわ内藤君ちゃんと来て。連絡いったのね」
「俺信用されてないっすねぇ」
「やだ、そういう意味じゃないわよ?」
水村の軽口に、笑いながら河合さんが返す。
で、と本題が早速切り出される。
「このメンバーで遊びにいこうよって話してたの。ほら来週の金曜日、会社の創立記念日でしょ」
ヨーコさんは、一昨日も思ったが、話してみると外見のクールな印象とは違ってなかなかくだけている。
「それで行き先なんだけど、ペンギンランドにしない?」
「あ~あの、有名なアニメのペンギンをパクったようなキャラクターがモチーフの遊園地……ですか」
「そうそう。でも肝心なのは中身よ!日本一のスプラッシュジェットコースターがあるんだから」
張り切ってその後名物アトラクションの数々を説明しているヨーコさんはとても活き活きしていた。
さっきの感想は訂正しよう。
ヨーコさんの外見と内面は180度違って、か・な・り、はじけているようだ。
「内藤君。絶叫系は好き?」
「可もなく不可もなく、ってところですかね……。一回乗ったらそれでいいかなくらいで」
「そっか、じゃあ私と内藤君は時間つぶしに別行動しましょ。ヨーコ絶叫マニアだから、何回も乗るわよ」
耳打ちされた内容に、ヨーコさんの話に楽しそうに聞き入っている水村を窺う。
あいつ確か絶叫苦手……じゃなかったか?
まぁ本人の問題だなこれは。自分でなんとかするだろう。
俺もそれほど得意なわけではないし、代わりにジェットコースター三昧に付き合えと言われても困る。
余計な口出しはしないに限る。我が身が一番可愛いのだ。
俺と河合さんはその後「たまには食堂メニューもいいもんだ」などという話題から始まり、1人暮らしにちょうどいい自炊メニューの献立レパートリーなど庶民的な会話をして過ごした。
「じゃあまたメールするわねー」
女性陣の部署の前で別れて踵を返したところで、
「あ!忘れてた」
河合さんが猛烈な勢いで俺を階段わきまでひっぱっていく。
水村は不審そうな顔をしていたが、先に行ってるぞとジェスチャーをした。
「あのね、今日、梓の所寄るから、一緒に帰らない?何なら夕飯もご馳走するわ」
そういえば、昨日そんなことを言っていたなと思い出す。
「一緒に帰るのは、全然いいですけど、またご馳走になるのは……その、上田さんにも悪いし」
「梓のことなら気にしなくていいのよ。私が許可するわ」
茶目っ気たっぷりに横暴発言をしている河合さんだが、昨日のように上田さんの手のひらで転がされている光景が目に浮かぶようだった。
俺のせいでまたあの攻防が繰り広げられるのを見せ付けられるのはとても不本意だったが、それとは逆に、口が勝手に呆れるほどすんなりと承諾の意を返していた。
「はぁ……ではお言葉に甘えて」
*
「すいませんお待たせして」
少し終業時間が遅くなってしまった。
慌てて外に出ると河合さんが居場所を示して手を振ってくる。
「トラブルがあったのは聞いてたから、気にしないで。お疲れ様」
「河合さんもお疲れ様です。トラブル事態はたいしたことじゃなかったんですけどね」
駅に向かって歩きながら河合さんが白状するように「実は…」と切り出した。
「会社から直に行くのは初めてだから駅からの道に自信がなくって。つき合わせちゃってごめんね」
昨日は車で来ていたから、と付け加える。
社会人の成人女性だから、車を持っていようと普通なのだが、そのイメージとはかけ離れた車種を聞いて驚いてしまった。
道すがら食材調達にスーパーへ寄った。
メニューはそれまで考えていなかったのだが、河合さんが何が食べたいかと尋ねてきたのに反射的に
「麻婆豆腐とかどうですか」
と提案していた。なんだかそんな気分だったのだ。残暑厳しいし。
河合さんは即決で頷き、さくさくと材料をカゴに放り込んでいった。
昨日もご馳走になってしまったしと、そこでの払いは俺が持たせてもらった。
スーパーを出て駐車場を横切る時、カンガルーマークの大きな看板が目に入った。
おふくろに見せられたブログの主が頼ったという有名占い師が上田さんだということは、やっぱりあれはここの写真が掲載されていたんだな。
そう考えると、早々に写真を撤去してくれたのは良かった。
占い師を捜し求めてわらわらと捜索者が俺の住むアパートに押しかけてくるくるのはイヤだし。
そういえば、聞いていないのだが、河合さんは上田さんが占い業をしていることを知ってるのだろうか。
……いや、そりゃ知ってるよな。何か別の仕事をしているわけでも、学生をしているわけでもない未成年の妹が1人暮らしだなんて、働き口のあてがなきゃ許可が下りるわけない。
でもそこで疑念が沸いた。
「あの、河合さん」
「ん?」
「上田さんの占い……のことは」
「あら?内藤君は知ってるのね。梓が占いやってるって」
しまった、と思ったが後の祭りだった。
俺が知ってることの方が、河合さんからしたら驚きだよな……よく考えてみなくても。
そしてそれについて詮索しようとしているわけだから、尚更始末に悪いわけだが、この際なので腹をくくってしまうことにした。
「偶然知りまして。それで、河合さんは賛成なんですか?自宅に1対1で招くなんて危なくないですか」
上田さんの家にかわるがわる訪れていた老若男女問わずの人は、占いの客だった。というのは、すぐにわかった。
道理で、去り際お礼を言っていた人がいたり、暴言を吐いて家の中をめちゃめちゃにしていたらしい人がいたりしたわけだ。
真実を知るまでは不審に思っていただけだったが、それを知ってしまった今ではどうにも気になってしまう。
姉という立場で、見ている限り、かなり妹を気にかけている河合さんなら止めようと思うのではないだろうか。
止められるかどうかは別として。
「やっぱりそう思うわよね……でもその論議は既に何回もしてるの。試験的に何回かやって、問題なかったから、って押し切られちゃったわ」
「試験的に、ですか?」
「ええ。結構深刻な事情を持つクライアントを相手に、あの子はそれはそれは上手く立ち回ってたみたい」
「みたい?」
「立ち会ったのは母だったから。あ、もちろん1対1の状況にするために隠れてたけどね。クライアントには悪かったけど」
「それはなんていうか……すごいですね」
「ね~。もうそしたら、諦めて見守るしかないでしょ。そんなにやりたいならやらせてあげるのも愛情ってね」
河合さんがそう締めくくって微笑む。
姉というのはこういうものなんだな、と兄弟のいない俺は少し羨ましくなった。
……家族が心配して、やめさせようとするのも押し切ってまでやりたかったこと、か。
それを他人の俺が口出すのはおかしいな。
考え至るが、どこか不自然な納得の形が残った。
アパートについて、俺は先に自分の部屋に帰って荷物を置いた。
少し考えてからスーツを脱いで外に出れる程度の部屋着に着替え、土産を忘れないように玄関に置いておく。
30分くらい待ってから来てちょうだいね、と言われていた為、家事をして時間を潰す。
朝使った食器を洗って、洗濯機を回して、乾燥機に移して、としているうちに時間がやってきた。
隣室のチャイムを押すとすぐに河合さんがドアを開け、俺が靴を脱いでいる間に、上田さんの部屋にも声をかけてから台所に入っていった。
たたきに上がった所で上田さんが部屋から出てきて目が合う。
「あ、お邪魔、します……」
「………………」
目が合ったのは勘違いかと思う程にすぐにそらされ、無言で河合さんの後を追っていってしまった。
この意思疎通ができない感じはどうにかならないものだろうか、本当に。
気を取り直して俺も続いた。
既に4度目となる台所内には麻婆豆腐の食欲をそそるいい匂いがたちこめていた。
テーブルに食器を並べている河合さんが何か話しかけ、それをただ見るだけで椅子に座っている上田さんが頷いている様子がとても滑稽に思える。
二人なりのコミュニケーションをとっているだけなのだが、本当に正反対な印象の二人だと実感しつつまじまじと観察してしまう。
「どうしたの内藤君?どうぞ~」
「あ、はい」
並べられた料理の前につく。
「いただきます」
俺の挨拶を合図にして静かな食事がはじまった。
主に河合さんと話すだけだったが、そこにたまにポツリと上田さんの相槌が入り、昨日の昼食よりは和やかな雰囲気だったと思う。
食事が終わり、河合さんが席を立って食器を片付け出す。
手伝いを申し出たが、台所の狭さを理由に断られ、結局座り直した。
上田さんは食後のお茶を飲んでのんびりしている。今日は昨日のようにすぐ部屋には戻らないようだ。
テーブルから洗い場までは少しの距離と、仕切り壁がある。
河合さんの姿が見えないせいで、なんとなく二人きりという気がしてしまう。
あれから―というのはもう一昨日のことになるが―なにも言われないのが気にかかる。
どうでもいいと思われているのか、いや、あの反応を見ると、拒絶されていると言ったほうが正しいのだろう。
ということは、今ここでこうやって同じ部屋にいることすらも迷惑がられているのかもしれない。
今までそれに思い当たらなかったことが恥ずかしくなり、焦りが出てくる。
今のところ、よくも悪くも、俺は上田さんに空気のように扱われているが、一刻も早く帰ったほうがいいのではないだろうか。
妙な強迫観念に圧されて、無意識に手を握りこんだ。自分を落ち着かせようとする時に出る癖だ。
「“見て”ないからわからないけど」
唐突に上田さんが口を開いた。
驚いて視線を向けると、相変わらず熱いお茶を冷ましながら飲んでいる。
「?」
聞き間違いだろうかと思ったが、二言目はすぐに発された。
「そんなにそわそわしなくていいのよ。あなたはお姉ちゃんに招かれて、お客様としてここにいるんだから」
ふ、と微かに、口元を緩めて彼女が笑んだ。
その時一番初めに思ったのは、発言に対する感想ではなくて、「ああ、この人はこんな風に笑うのか」といった感嘆詞めいたものだった。
「どう?勘だけでも結構あたるものでしょ?」
それから得意げになった表情をとって俺に視線を向ける。
「…………なに?」
反応のない俺に今度はいぶかしげに眉根を寄せてみせる。
「あ、すいません……占い師の面目躍如ってところですね」
慌てて取り繕うと、納得いかないという顔をして「まぁいいわ」と湯のみを煽ってお茶を飲み干した。
そして席を立つとさっさと部屋に帰っていってしまった。
「あら?梓は?」
手を拭きながら河合さんが戻ってくる。
「部屋に帰られました」
「もう……あの子は」
様子から察するに、小言を言う体勢だったようだ。
台所に不備でもあったのだろうか。
仕方なく帰り支度をして、部屋の前で声をかけている。
「梓ー、仕事明日だった?」
ドアをあけて顔だけを覗かせているので、中は見えなかったが、おそらく頷きが返ってきたのだろう。
「じゃあ明日は来ないけど、ちゃんとご飯食べるのよ」
仕事、ということは、明日占いの客がくるのか……。
ああダメだ。俺は気にしないことにしたじゃないか。
それから連れ立って玄関を出て、昨日と同じように河合さんと別れた。
「あ」
うちの玄関を開けた途端、鎮座する土産の残り物が目に飛び込んでくる。
「……忘れてた」