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夢見た君に  作者: 透義
6/13

ハプニングは突然に


集合時間7時。

飯屋につくまでの家からの所要時間約45分。

夕方6時。家の閉じまりをしながら時間を計算する。

15分早くつくくらいでちょうどよいだろう。

よし行こう!

張り切って支度した自分の出で立ちをもう一度鏡の前で確認してから玄関を出て、鍵を閉めていると。


こつ、こつ……。


階段を上ってくる音が聞こえる。

誰だろうとそちらをふと見ると、黒い人型が、ゆっくりと階段を上り終えてこちらに向かってきていた。

げ、と思わず内心思う。

すかさずゴミ置き場に目を走らせる。こんな条件反射はイヤすぎるのだが、いかんせん上田さんを見るとそうしたくなってしまう。

よし、ない。

注意する必要もなくなったことだし、何事もなく通り過ぎよう。

「こんばんはー……」

若干間延びした感が拭えない挨拶をするが、案の定無視される。

予想の範疇内なので、気にせずに視界から上田さんをはずす。

その間際に、ふらりと傾いだ体が目の前で崩れ落ちる。

!?

「だ、大丈夫ですか……?」

反射的に手を差し伸べて助け起こそうとする。

振り払われたらショックだなぁとその手を見つめていると、ものすごく緩慢な動作で華奢な手が乗せられた。

うわぁ、手ぇ白っ、指長細……ん?

思わず感想をいくつか抱いたが、その最たるものは異常に高い温度だった。

「熱っ、ちょ、失礼しますよ」

フードを軽くあげて顔を見ると、なんだかぼーっとしてる様子で赤い顔が見えた

恐ろしく美しいそれに遠慮しながら額に手をあててみると、明らかに発熱しているように思えた。

彼女は俺の手に自分の手を乗せたまま動こうとしないし、というかこれは動けないといったほうが正しいように感じた俺は、失礼します、といって黒づくめの体を抱き上げた。

目の前にある上田さんの家の扉を開けてあがりこむ。

一人暮らし(?)の女の子の部屋に無断で入るなんて言語道断だ。しかし、今は緊急事態だと自らに言い聞かせる。

俺の部屋に運ぶよりは現実的手段だと思う。

「すいません、ごめんなさい、誓ってなにもしませんし、鍵はしめないでおきますから、とりあえずベッドまで運びますね」

反応がないことに戦々恐々としながら俺の部屋と同じ間取りなことをいいことに寝室らしき部屋へ急ぐ。

薄いドアをあけてから目を見開いた。

そこはカーテンも家具もなにもかも黒い布で覆い隠されてその上からなにかいろとりどりの結晶でできた飾りやモチーフが配置されていた。

部屋の中央には大きなテーブルと、やはり黒いテーブルクロス、その上に鎮座する、人の頭ほどもある水晶が俺の目をひいた。

なんなんだここは……。

一瞬呆けてから、苦しそうなうめき声が首元からしたので我にかえり、部屋中を見渡してベッドを探した。

「寝る、へやは……となり…………」

かすれた声でぼそぼそと言われて、慌てて言われたとおり移動し、今度こそベッドの上に彼女を横たえた。

部屋のドアを開ける前に、こっちも変な部屋だったらどうしようなどと少し考えていたが、こちらはごく普通の、というか、むしろさっぱりしすぎた印象の部屋だった。

「ええと、ご家族の方に連絡とか、なにかいるものは……あ!救急車よびますか!?」

「…………やめて……家族も…………。家の中に薬はある…………から……」

そこまで言ってから、また喋らなくなる。

気を失ったかなにかわからないが、とりあえず本人が拒否をした手前119番をするのも気が引ける。

家捜しをして薬を探すのも、一人暮らしの女性の部屋ですることではない。

とりあえず大家さんに連絡をしようと電話をかけた。

「くっそ……なんでこんな時に大家さんいないんだよ…………!」

とてつもなく長く感じた10コールのあとに、留守電アナウンスが流れ出す。

「あ、208号室の内藤です。209号室の上田さんが高熱で・・・とにかくこれ聞いたら209号室に来てください。お願いします」

事情を詳しく喋るのは得策ではないだろうから、要点だけつげた。

これだけでも切羽詰った俺の口調からだいたいは察しがついてくれるだろう。

電話を切って、さてこれからどうするかと息をつく。

とりあえず大家さんがくるまで、俺にできる限りのことをしておこう。

ベッドを見た時点で、随分布団が薄いと思ったら、これはどうやら夏用らしい気がする。

近くに毛布らしきものはないし、押入れをあさるのも気がひけ、俺の部屋のものを持ってくることにした。

と、急いだせいか、足元にあった何かにつまずいて倒してしまう。

どさっと音がする。

ゴミ箱か?

慌てて引き起こそうとしてしゃがみこむと、黒い円柱形のその口からありえないものが飛び出しているのを発見してしまった。

大量の(数枚なんて生易しい量でないことは、束にくくった薄い紙片からわかる)福沢諭吉札………………………………。

俺は恐る恐るそれに手を伸ばし、表裏とひっくり返したりぺらぺらとめくってみたりした…………後、我に返り、即座に飛び出したその紙たちを回収し(できるだけなにかを言いたくない)箱に落とし、二度と視界に入らない、蹴飛ばさない位置にそっと立てた。

見なかったことにしよう。

それが一番いい。

今日この場に俺が来たこと事態なかったことに…………。


っくしゅん


背後で上田さんが小さくくしゃみをした。

振り返るがいまだその目は閉じられたままで、やはり寒そうに震えている。

俺は今度こそ超特急で自分の部屋に駆け戻り、新品の毛布(引っ越してから毛布は買ったがまだ使っていなかった。だからこそ使おうと思ったのだが)をもってきてかけた。

ついでにもってきたアイスノンと新品のタオルを机の上に置く。

大家さんがくるまでどのくらいの時間がかかるかはわからないが、とりあえず少しの時間ならもつだろう。

上田さんが目を覚ましたら枕をアイスノンに代えて…………。

「違う……私じゃないっ……私のせいじゃない……」

ふいにうめきが零れ落ち、驚いて思考が中断された。

可憐な声が出したとは思えない重く苦しい狂おしいほどの切迫感を伴って。

首を左右に振って苦しそうにしている。

額に浮いた汗を拭うと、きつくとじられていた目が開いて虚空をさまよった後、驚いて固まったままの中空にある俺の手を辿って視線が合った。

怪訝そうに眉をしかめられたので、慌てて口を開く。

「あ、えっと、覚えてませんか。倒れたのでここまで運んで、あ、すいません勝手にお邪魔して、えーこれはその、汗をふいてただけなんで、やましいことは、一切、なにも」

「私、何か言ってた?」

途切れることない弁解を遮って割って入った声は先ほどの高い声とは似て非なる低く落としたものだった。

「あ……少し」

「そう。忘れて」

「え、あ、はい」

もっと問い詰められるかと思っていたところ、あっさりと返されて拍子抜けした。

いや、ただ寝言を意図せず聞いてしまっただけなのだけれど。

どうしようもないうしろめたさがある。

なにかトラウマちっくな悪夢でも見ていたのだろうか……。

触れられたくないという意思表示と受けて、ただだんまりを決め込んだ。

数瞬経たずして、上田さんが起き上がろうと肘をついたので慌てて押し留める。

「あ、ダメですよ寝てなきゃ……」

「水」

「よければ、教えてもらえば俺がとりにいきますけど」

明らかに意識朦朧とした様子で起き上がることにも四苦八苦している。

じとりとした目で俺を見返してから、諦めたようにまた身を横たえると短く

「冷蔵庫……ミネラルウォーター…………」

と返事があった。

「取って来ますから、寝ててくださいね」

微かに頷いた。

一人暮らしにしては大きな冷蔵庫をあけると、簡素な中身があらわれた。

ミネラルウォーターのペットボトルが数本あるほかはマヨネーズやらケチャップやらの据え置き調味料くらいしかなかった。

飲みかけらしきものがないので、適当に一本引き抜き、食器棚からコップを取り出した。

本当はストローがほしいところだが、仕方がない。

起き上がるのに少しだけ手を貸してペットボトルからコップに水をうつそうとすると、そのままでいいと呟くような声が制止した。

なのでそのままキャップをはずしたペットボトルを差し出すと、上田さんは二口ほどを含んで返してきた。

「もっと飲んだ方がいいですよ。熱は汗かいて冷まさなきゃ」

よく俺が母親に言われていたことだ。

しんどくて何も喉を通らないと言うと水分だけでもと大量に飲まされた記憶がある。

しかし上田さんはそれを無視してペットボトルを床に置くと壁を向いて再び横になった。

まぁ、赤の他人の看病人なんかの言うことは聞きませんよね。そうですよね。

思わず親身になりすぎて忠告をするくらい面倒を見ている自分に密かに嘆息してペットボトルにキャップをはめた。


ピンポーン……


「大家さんかな。出てきますね」

少し身じろいだのを勝手に了承の合図ととらえる。

「はーい」

「ごめんなさい留守電聞いて急いで来たわ。ありがとう。」

「早く来てくれてよかったです。体温計とかなかったからわかんないですけど、結構熱があるみたいで…………」

言いながら上田さんが寝ている部屋に案内する。

ドアをノックしてみるが返事はない。

「あれ、おかしいな。今まで起きてたんですけど」

「寝てらっしゃるんでしょう。お医者さんの手配を先にしておきますね」

大家さんは懐から携帯電話を出すと早急に通話を終わらせた。

今時この都会のはずれに、往診に来てくれる医者がいることが驚きだった。

それから大家さんは俺の格好に上から下まで目を向けて申し訳なさそうにする。

「もう安心ですよ。なにかご用事があったんでしょう?」

………………………………。

「あ!!!!!!」

反射で時計を見ると、出ようとしていた時間より45分が経過していた。

なんということだ。頭からすっぽり抜けていた。

俺は今からマドンナとの合コンに行くはずだったのにっ。

「しまった・・・すいません。出かけないと。お願いして大丈夫でしょうか・・・って俺が聞くことでもないですよね」

「ふふ。いってらっしゃい。本当にありがとうございました」



電車を乗り継ぐ合間に水村に電話をした。

集合ギリギリの時間だ。

「お前が遅れるなんて珍しいな。先行っとくぞ~」

簡潔に遅れることのみを述べるとそう返事があった。

集合駅についてからメール着信。

【奥から二番目の席だぞー】

【了解】とだけ返して階段を駆け上った。


「お。来た来た」

店員の案内を辞退して到着した席では既に飲み物と皿が少し乗っていた。

掘りごたつの卓の周りには、男女が程よく混合で座っていた。

空いている席は……河合さんの隣だった。

有言実行の男・水村には感謝しきりだ。

「遅れちゃってすいません」

「いいのよ~別に私たち待たなかったし。どうかしたの?内藤君ってこういうのはきっかり10分前には来てると思ってた」

俺の座る場所の座布団をぽんぽん叩いて示してから、通りがかった店員を呼び止めて俺の注文をとりにくるように頼んでくれた。

「そのつもりで家を出たんですけど……え~と………」

「うん?」

河合さんに弁解したい気持ちでいっぱいだったが、これは、笑い話にするようなものでは……でもまぁ関係ないか……?

数秒考えたが、そんなに深いことでもないだろうと切りかえる。

「それが、隣に住んでる人が、急に倒れてしまって……大家さんが来られるまでついてたんです」

「は~……、そういうのってあるものなのねぇ。人が倒れるのって、そもそも私見たことないけど……というかお疲れさまだったね」

「俺もはじめてです……かなり驚きましたよ」

「心配ねぇ。もう大丈夫なの?」

「はい、大家さんがいらしたので、色々手配してくれてるはずです」

「そっか。あ、店員さん来たよ」

俺がジンジャエールを頼むと、

「酒飲めよ~しらけるなぁ」

水村の隣のヤツに―勿論同期だが、あまり話したことはない。確か名前は武藤といったか―ちゃかされ、そこではじめてアルコールを飲むという選択肢を思い出した。

だが、あまり呑む気にはなれず、そのままオーダーを終えた。

「武藤、何飲むかくらい自由だろ。焼き鳥と串かつ追加で―」

水村が隣をこづいて嗜めて、ついでに注文を重ねた。

ヤツはもう早速行動を開始しているようで、その後はすぐに河合さんの隣に座るヨーコさんにしきりに話しかける作業に戻っていった。

合コンという席は、大学時代にも幾度か経験しているが、これはあまり慣れるものではないなと思う。

ただのサークルの男女混合飲み会ならば気楽なのだが……。

まぁそれも、今までは“付き合い”だったからである。

気になる人がいる合コンというのはまた一味も二味も違うはず!

「河合さ…」

「ふふっ、じゃあそのコそのままのびちゃったの?」

勢い込んで話しかけようとしたのを挫いたのは、当の河合さん本人の笑い声だった。

見れば、河合さんの向かい側に座った春日―隣の部署の同期である―がアホ話を披露している最中のよう。

話が違うぞ水村ぁ!

本人をチラ見するが、視線すらもう合わない。

「内藤君も、その場にいたんでしょ?」

「へ?」

「もう。聞いてなかったの?お盆明けの初日の話」

“じゃあそのコそのままのびちゃったの?”“お盆明け初日”

この二つのワードから思い出すのは一つある。

「ああ。門田のことですか?」

「そうそう。いたんでしょ?」

「はい。あれは……笑っちゃダメだと思っても無理でしたね……」

失笑、という体で思い出し笑いがこみ上げる。

その日は夏真っ盛りにも関わらず曇天で、涼風もあったことから近くの公園で昼食をとることにした。

なんとなく気まぐれで。野郎5人で。

その時居合わせたのは夏休み中の小学生。

なんとなく飯後の運動でもするかという流れになり、そいつらとソフトボールをすることになった。

そして程なくしてハプニングが起こったのだ。

俺と同じ部署で働く門田は、キャッチャーをしていた。

点を入れようとホームに帰ってきた小学生は勢いよくつまづく。

そのままダイビングだ。

頭と頭のぶつかる、結構なでかい音がした。

門田がすぐに受け止めた為転ばずにすんだ小学生が泣いて痛がる。

子供好きを体言した門田が頭を撫でてやって慰めて。

その最中、門田は前触れなく後ろに倒れこんだ。

叩いても揺すっても反応がなく、焦った俺たちは救急車まで呼ぶことになった。

まぁ、結局はただの脳震盪だったわけだが、小学生の頭突きで、ぶっ倒れた門田は、しばらく同情と笑いの種とされた。

ただ、このことは割と有名な話で、今更笑いがとれるものでもないと思っていたのだが。

「河合さん。この話知らなかったんですか?」

「ええ。私、お盆明けてから一週間休んでたのよ。ちょっと家の事情でね」

「はー、そうなんですか」

それなら知らなくても頷ける。


「内藤君どこに住んでたっけ?」

「○○ですよ」

「え、そんなとこから車で?」

「いや、電車ですよ。さすがに無理っす」

「そうなの?お酒飲んでないから車かと思った」

「ああ、いえ、なんとなく、気分で」

「そっかそっか。それにしてもびっくり。○○か~。私の妹もそこにすんでるのよ」

「そうなんですか?奇遇ですね。何歳なんですか?」

「19よ。うちの妹ちょっと変わってて、実はさっき言ってたお盆明けの休みっていうのも妹関連なのよ。一人暮らしなんて無理だって言ったんだけど、聞かない子で……」

事情について、何がどうとかは言わずに、困ったものよね。という口調で河合さんはぼやく。

だがそこからは妹を案じている響きが多分に含まれていた。

河合さんは面倒見がよいことで評判である。

恐らく、下に年の少し離れた、手のかかる兄弟がいるからなんだな、と妙に納得した。

次の注文からは酒も頼んで、2杯ほど進んだところで俺は一人トイレに立った。


「はぁ……」

手を洗っている時に、なぜか出た自分のため息に驚く。

「?」

おかしいな。滑り出しはいまいちだったが、今は河合さんとも楽しく談笑できて、すごく楽しい雰囲気に酒もまわってきて普段なら絶好調にいい気分のはず。

兄弟情報まで入手できた。

そう。俺の近所に住む妹の話。

……ため息の原因は何か、なんて考えるまでもない。

○○に住む……19歳の……女性……そこから俺は上田さんのことを思い出していた。

別に河合さんの妹して思い浮かべたわけじゃない。

あの二人には、何一つ共通点はないのだから。第一苗字も違うし。

だが、一度思い出してしまえば、熱にうかされて儚げにうわごとを呟いていた彼女の苦しそうな顔がもう、頭から離れない。

どうしても上田さんの容態が気になって仕方がない。

大丈夫だろうか。大丈夫に決まっている。

この時期、季節の変わり目の風邪なんて珍しくもなんともない。

あの高熱だ、きっと大家さんがすぐに医者の手配をしてくれて、お母さんか誰かに連絡するなり、食事を用意してやるなりしているはずだ。

そこらへんは住民のことを考える大家さんらしくそつなくやっていると思う。子供5人も育てたきもったま母さんだったみたいだし。

至って大事無く過ごしていることだろう。

でも……。

はじめて会ったときも、さっきも、抱えた体はとても細くかよわく今にも折れてしまいそうだった。

あんな体で体調をくずして、大丈夫なのだろうか、心配しても埒があかないことはわかっていたが、それでも頭から上田さんの熱にうかされた苦しそうな表情は離れることはない。

わかってる。これは俺が、一番酷い時に居合わせたからだ。

何も心配することはない。何も…………。



ピンポーン……


気がつくと、上田さんの家の前に立ってインターホンを押していた。

どうして俺はこんなところにいるんだろう。

いや、勿論認知症でいつの間にかなんて訳ではない。

色々な葛藤を繰り返した後、河合さんや水村たちに謝罪して席を早く抜けさせてもらった。

ついでに出す機会をうかがっていた土産もまるごと置いてきた。

ここにいるのは、しっかりと自分の意思でやってきたから、である。

こんな、医者でもない俺が訪ねたところで、なにができるわけでもない。

せいぜい見ていることくらいだ。実際、それしかできなかったし、見ているしかできないことが辛いというのはもう十二分にわかっているはずなのに。

それでも来てしまった。


ガチャ


「はい、あら内藤さん。おかえりなさい」

「あ……」

顔を覗かせたのは大家さんだった。

当然か、と、中途半端に開いた口を戻して改めて切り出す。

「ただいま帰りました……あの、大丈夫ですか?上田さん……」

「大丈夫よ さっきお医者さんもきていただいて、インフルエンザかもって検査しましたけど、単なる風邪だったみたい。今は少し寝てるわ」

「そうですか。よかったです」

「あー……あの、内藤さん悪いのだけれど……」

言いにくそうに大家さんが口をもごもごさせる

「急に家にかえらなくちゃいけない用事ができたの。すぐ戻ってこれると思うけど、やっぱりまだ少し心配だから、ちょっとの間見ててもらえないかしら」

「え!?いや、あの……俺男ですし、ちょっとまずいんじゃないかと、色々……」

「そうね……でも……昼間もそうだったし……困ったわ…………無理かしら?」

「いや、俺は大丈夫……ですけど、ていうか俺じゃなくて上田さんに……」

「一人で平気です」

病気でふらついている割にはきっちりとした口調の上田さんが、いつの間にか大家さんのすぐ背後に立っていた。

「あら、ダメじゃない寝てなきゃ」

「お手洗いです。大家さんありがとう。もう大丈夫だから」

「でも……」

「じゃあ、その人置いていっていいから。たいそれたことなんてできそうにない顔、してるもの」

「え、ええ……?」

喜んでいいのか怒っていいのか悲しんでいのか呆れればいいのかわからない発言をされて気の抜けた声をあげるしかない。

大家さんは、安心したように、あらそう、じゃあお願いするわね、といって部屋を出ていった。

パタン、とドアが閉まる。

沈黙のまま閉まったドアに手をさし伸ばしかけた状態で止まる俺に、上田さんは特に気にかけた様子もなくトイレに入っていった。

いや、あの、ホントに置物とでも思われてるんだろうか。

気まずいままつっ立っていると、トイレから出てきた上田さんと目が合った。

「そのまま帰ってもらっても結構だし、上がって私を見張っててもいいし、どうぞお好きに」

「いや、見張るとか」

「ごめんなさい間違えたわ。看病、よね。お隣さん」

皮肉られ、お前はさっさと帰れという意思がひしひしと伝わってきた。

しかし、ここまで言われても何故か帰ろうという気にはならなかった。

「失礼して上がらせてもらいます。台所で大家さん待たせてもらいます。上田さんは部屋で寝ていてください」

上田さん、とわざと名前を強調して言い返す。いくらなんでも隣の住人の苗字くらいは知っているはずだろう。

「そう。ご自由に」

さらりと嫌味を無視して部屋に消えていった。

どうも調子が狂う。

温厚が俺の売りのはずだろう……?などと自問しながら台所にとぼとぼと向かった。


「はぁ……」

本日二度目のため息。

今度は驚きなんてしない。

俺は何をやっているんだ、と思いながらの、渾身のため息である。

人様の、それも病気の女性の家に上がりこんで、病人、しかも年下相手にムキになって、項垂れている俺は一体なにがしたいんだろうか。

上田さんと関わると、どうにも俺は人としての正しいあり方からはみ出てしまうようだ。

さっきまで上田さんの無事を確かめたいと思って焦っていたのが嘘のようだ。

飲み会を抜け出してからここにたどり着くまでの俺の思考と言えばひたすらに、心配、心配、心配、心配、心配。

なんだこれは。これではまるで俺は……。

背中を丸めれるだけ丸めて思い切り再度息をついた。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

「何、その長ったらしいため息は」

「う、上田さん!?」

「何で驚くのよ。ここは私の家よ」

背後で突然した声に、椅子ごと体をびくつかせた。

見ると、若干馬鹿にしたような顔で、手に何か黒い布で包んだものを持つ上田さんが立っていた。

「いや、寝ててくださいと……」

「別に了承してない」

「病人は大人しく寝るのがセオリーですよ」

「……眠れないんだから仕方ないでしょ」

険のある声で静かに言い、俺を睨みつけてくる。

「ちょうどいいわ。あなた、暇つぶしにつきあってくれる?」

そう言って、上田さんは俺の向かいに腰を下ろすと、テーブルに黒い包みを置いてから、それを開いた。

それは、寝室に入る前に間違って入った部屋の中に見た、直径20センチくらいの水晶球だった。

「え?なんですか?」

「水晶よ。見ればわかるでしょ」

「いや……」

水晶は見ればわかるけど、そうじゃなくて、暇つぶしだとか、今から何をやろうとしてるのかとか。

「で、あなたのさっきのため息は何が原因なの」

「え……ええと、あの……」

あなたです、とも言えずに狼狽する俺を見てどう思ったのか知らないが、上田さんは目を伏せて水晶にごく自然に右手を乗せた。

「いいわ。勝手に見るから。考えてなさい」

「いや、ていうか、え?なんですか、これ。何を……」

「占いよ。見てわかるでしょ」

「え!?」

「あなた、あの部屋を見て何も思わなかったの?」

伏せた目を薄く開いてねめつけられる。

「いや、特には……?」

「男の人だから無関心ってことかしら……いえ、単にそういう種類なのかしらね」

そう一人で完結して再度目を瞑った。

「いいわ。わかってないなら教えてあげる。私の職業は占い師。一番手っ取り早く信じてもらうには、アレかしらね。目覚まし時計」

「え!?あ、あれっ……て」

「そう。別に覗きなんてしなくてもわかったのはそういうわけ。…・・・ええ。あなたの思っていることは当たりよ。私が、その占い師」

普段占いなんて無関心な俺がそれを聞いて思い出したのは、おふくろが言っていた、とある有名な、腕の立つ、俺の近所に住むという占い師のことだけだった。

それが頭に浮かぶとほぼ同時に肯定されて、ドキリとする。

いや、それよりも、ほんの一瞬よぎっただけの考えを読まれたことに、心臓が早鐘を打ち始める。いつかと、目覚まし時計の時と、同じだ。

「そんなことはどうでもいいのよ。私は今暇つぶしがしたいの。さっきのため息はなんなの」

その言葉で更に鼓動が早く、大きく、波立った。

さっきと言えば、上田さんのことを……。

ダメだ。そう思っても止められないのが思考というものだ。

そして心の声は続いていく。

あんな考えは……まるで、


ガタッ!!


上田さんが水晶から勢いよく手をはなすと同時に椅子を蹴倒して立ち上がった。

頭を垂れている為に長めの前髪がその表情を覆い隠し、どんな表情をしているのか、窺い知ることはできない。

そしてそのまま、唸るような微かな呟きが断片的に降ってくる。

「…………ゆ……よ……」

「……え…………?」

「不愉快よ!帰って!!」

びっくりして声も出ない俺に再度、怒声が浴びせられる。

「帰りなさい!!」


ガチャ


「あら、どうしました?」

大家さんがインターホンを鳴らさずにそのまま入ってきて、台所で放心する俺と立ったままの上田さんを見比べて不審そうな不思議そうな顔をした。

「…………なんでもないです」

「?……とりあえず、お部屋に戻りましょう上田さん。卵酒作りますね。……内藤さん。ありがとうございました」

大家さんが上田さんの背中を押して部屋につれていく。

俺はそれを黙ってただ見送って、足元の鞄を持つと、部屋に戻った。



頭の中が真っ白だ。

パニックと、焦りと、羞恥と、居た堪れなさが一気に訪れ去っていった。あとには何もない。

これが、本当の呆然というやつなんだろう。

あれは……あの様子では上田さんは、やはり俺の頭の中を読んだんだろう。と、思う。

自分ですら初めて自覚したようなものを、しかも、戸惑うばかりで、受け入れていたわけでもない想いを、勝手に覗かれて、一方的に拒絶された、ということになる。

「何だってんだ。……ちくしょう…………」

手首で力なく額をこづく。

「寝よう……」

よっこらせ、と大げさに布団を出して考えることを拒否した。

全く、なんて道化だ。俺は。




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