第3話「イェリアオークゼルヴァルド」
カップの中身はココアだった。
すぐには口をつけなかった少女に、ジェンが笑う。
「ただのココアだよ。何なら毒味しようか」
「いらない」
鼻を鳴らした少女は口をつける。
甘かった。
こんな美味しいもの、一年に一回飲めたらいい方だ。
思わず心が緩んだ。
ふわ、と口元を緩めた少女を、男2人が眺める。
「和みますねえ、主」
「……」
「そういえば主、彼女にちゃんと名乗ったんですか」
「……」
「駄目ですよ、拾ったものには責任持ってください」
ココアに夢中になっていた少女は我に返った。
男たちを振り返る。
紫眼の男とバッチリ目があった。
そんなに見られているとは思わなかったので少々たじろぎつつ、負けてなるものかとにらみ返す。
「そもそも、あなた誰よ。町の人間じゃないでしょう」
少女のいた町には魔族はいない。
人間は魔族を厭う。逆もまたしかり。
「イェリアオークゼルヴァルド」
「え?」
「イェリアオークゼルヴァルド。俺の名だ」
「は?」
聞きたいのはそんなことではない。
聞き返せば、彼の隣に立ったジェンが代わりに答えた。
「主は魔族を統べる者だ」
「どういう」
「つまり魔王とも言う」
……魔王?
そんな馬鹿な。魔王だって?
少女は混乱した。だって彼は。
「混じりものでもある」
混じりものとは、人間と魔族の間に生まれる子のことだ。
子供は魔力を持っていたり、いなかったり色々だが、総じて人間よりも身体能力に秀でていることが多い。
そして最大の特徴が紫の瞳だ。
どんな容姿を持った持った親の子供でも、これだけは変わらない。
少女は混じりものを見たことがあった。
幼い頃、同じ教会で暮らしていた。
混じりものは弾かれる。魔族の血族というだけで、ヒトとしての扱いを受けることができない。
虐げられたその子は、ある日姿を消していた。
逃げたのだと少女は思った。
混じりものは魔族からも嫌われると聞いたことがあった。
魔王になどなれるわけがない。
「俺は先代魔王の血を継いでいる。母が人間だった」
淡々とイェリアオークゼルヴァルドは口にした。
まるで何でもないことのように。
その紫の瞳に陰りはない。別に隠すことではないとその瞳が言っていた。
「お前の名は?」
虚を突かれて少女はぽかんとする。
何だか驚いてばかりいる気がした。
「ないよ、そんなもの」
少女は親の顔を知らない。
物心ついた頃から教会で暮らしていて、名前なんてつけてもらったことがない。
呼ばれるとしたら「チビ」とか「おい」とか。ともかく少女自身の名前ではなかった。
今度は男たちが微妙な顔をする。
ジェンは少し眉を眇め、イェリアオークゼルヴァルドはゆっくりと瞬いた。
「ないのか」
「ない」
「……名がないのは不便だ。考えよう」
「え」
少女が怪訝に思ったことを察したのか、イェリアオークゼルヴァルドは当然のように続けた。
「この城で暮らすのだからな」
「えぇ!?」
少女は今までで一番驚いた。
まじまじとイェリアオークゼルヴァルドを見つめる少女だったが、やはり彼は真顔だった。
揺るがないものである。