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京都にての歴史物語

人ニ称美セラレ

作者: 不動 啓人

 書類が山積みとなる部屋は、腰を屈めて這いつくばる大勢の武士でごったがえしていた。

「待て、待て。皆の者、こう人が多過ぎては分かるものも分からなくなる。後はなんとかする故、持ち場に戻れ」

 数人の近習を残し、北条重時ほうじょうしげときは他の者を下がらせた。そこへ被官の佐治重家さじしげいえが重時の傍らに膝を突き、

「いかがいたしましょうか?」

 困った表情で意向を確認する。

「すまぬが、書状を探している故、もう少々お待ち頂くようお伝えしてくれ」

 重時は辺りの書類を掻き回す手を休めずに答えた。

 この返答に重家は更に眉を顰め、迷惑千万といわんばかりの表情で、

「しかし、それは憚りがあるかと」

 しきりに首を傾げた。

 重家が困り果てるのも無理はない。2日前、葉室定嗣はむろさだつぐの邸宅を訪れ病中の定嗣に面会し、どうしても披露したい書状があるという重時の意向を伝え、六波羅ろくはらへの来訪を強く依頼したのは重家なのであるが、定嗣に披露すべき書状が今になって失われてしまったのだ。すでに定嗣は来訪し、少時待ちぼうけを強いている状態であった。今更書状が見当たらないなどと、どんな顔をしてお伝えしろというのか。

「下手に偽りを申せば、更なる憚りが起こるとも限らん。正直にお伝えしろ」

 重家は思う。何もこんな時まで真っ正直にならなくても、と。だが重時の性格上、小細工を耳打ちしても首を縦に振るとは思えなかった。これも重時という主人に仕える被官の悲しい定め、と重家は、

「……畏まりました」

 腹の底から湧きあがる二の句を飲み込み、頭を垂れて部屋を後にした。


 それから少時。

「おお、あった!」

 問題の書状を手に、重時は部屋を飛び出した。


 寛元4年(1247)5月、鎌倉において宮騒動が起こると、7月には将軍・頼経よりつねが京都へ強制送還されるに至った。

 8月27日、六波羅探題ろくはらたんだい北方きたかたの重時は後嵯峨ごさが上皇の院司いんしである定嗣に六波羅への訪問を依頼し、一通の書状を披露した。それは同年閏4月に逝去した前執権・北条経時ほうじょうつねときの跡を継いで執権に就任した北条時頼ほうじょうときよりから重時に宛てられた書状であった。内容は内々朝廷に対し「徳政とくせい」の申し入れであったが、最も重要なのは将軍頼経とその父である九条道家くじょうみちいえの朝廷中枢からの排除の方針を予告するものであった。


 ひとしきり遅参を謝罪した重時は、書状を定嗣に手渡すとようやく落ち着いて、幕府の代表として折衝にあたる者の神妙な面持ちを取り戻し、定嗣が書状を読み終えるのを待った。

 飽きれ半分に苦笑いを以て重時を許した定嗣だが、一読すると、病中の体の不調もあり読み終えた書状を膝の上に力なく下した。承久じょうきゅうの乱以降、幕府の朝政への介入はままある事で、これを拒否するなど今の朝廷にはできなかったが、釈然としない気持ちはどうしても腹の底に残る。それでも定嗣は務めを果たすべく、

「承った。早速、この書状を院に奏覧致しましょう」

 後嵯峨院への奏覧を約束した。

 これで重時は定嗣を六波羅へ招いた目的を果たした筈だった。ところが、これに対し重時は一呼吸の間、まぶたを閉じて思慮すると、

「これは私状故、このまま奏覧頂くのは恐れ多く御座います」

 表情を和らげつつも、必要な体裁を整えていない私状をそのまま後嵯峨院へ総覧する失礼を強く憚った。

「ならば、書き写したものを奏覧するのは如何か?」

 更なる定嗣の申し出に、重時は、今度は右手を顎に当て目を伏せ、二呼吸の間ほど思慮する様子であったが、

「それでも、なお恐れ多く御座います」

 顔を上げると、表情を伺うように視線は定嗣に向けられたまま軽く会釈した。

 二度の提案を断られた定嗣だったが、己の顔を伺う重時の表情からは院を重んじる様子を察することができたので、却って表情を緩めて第三案を提示した。

「ならば、必要な事柄を箇条書きに写せば如何か?」

 重時は三度思慮した後、それならば、と満足そうに今度は深々と頭を下げた。

 早速、定嗣は自ら筆を執り、幕府の要望を箇条書きに写したものを2枚書き上げた。1枚は後嵯峨院への奏覧用で、もう1枚は重時へ控えとして手渡された。

 重時は改めて御足労をかけた旨と、更に会見までの不手際を謝した。

 定嗣は少々不機嫌な様子を見せ、

「重要な書状を逸し、待たせるなど失礼極まりない。また、内容も不遜」

 偽らぬ心境を吐露した。けれど、ゆっくりと表情を和らげると、

「されど、院への配慮には感謝致す。本当に、そなたは憎めぬお人だ」

 親しみを込めた笑みを重時に送った。

 重時は、

「重ね重ね、お詫び致します」

 再度深々と頭を下げ、戻した表情にも神妙さを残していたが――

 少時破顔して見せた。


 この時、重時49歳。

 17年に及ぶ六波羅探題北方の職を辞する前年の出来事である。

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