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本日の営業は終了しました。

 閉店時間を迎えすべてのお客を送り出した後も、彼らにはまだまだ仕事が残されている。

 御堂はその日の会計や客入りの集計等の事務処理。紬は一日お客や自分たちが歩き回ったフロアの清掃整理。柏木と蛍には、キッチンの後片付けと翌日の下準備が待っている。業務はそれだけではないが、とにかく各々が自身の分担その他をそれぞれにこなしすべての作業が終わると、最後に4人そろってその日一日について小さな報告会を開くことになっている。本日も勿論、その一連の作業を行って業務終了となる、はずである。

 が、しかし。そうもいかないのが彼らの日常である。頼子たちを送り出し、店内に戻ったまでは良いのだが――


「柏木、お前でかいんだからその辺考えろよな。ほら、返せよ封筒」

「柏木さん。紬さんになんて渡しては駄目ですよ。それよりも自分に見せてください」


 店内には未だ柏木を追いかける紬と蛍の姿があった。

 紬と蛍それぞれの言い分を聞いた柏木は、手にした封筒を見つめこくりと頷きを一つ落とし、二人に向き直った。


「いや、これはどう考えても御堂のものだろう」


 その言葉を耳にした途端、紬と蛍の両者は頬を膨らませた。柏木の言っていることに間違いはないというのに、二人ともまったくもって納得の行っていない様子である。

 因みに、当の本人である御堂はといえば、そんな3人を完全に無視。一人だけ早々とカウンターの一席に陣取って、黙々と会計処理を行っている。


「それはそうだけど、もうちょっとその場のノリというものを考えてだなあ……」

「ずるいです。自分だけ一度も見せてもらえないなんて悲しすぎます」


 柏木の周りでどうにか封筒を手に入れようとぴょんぴょんと跳ねまわる紬と蛍。その姿はまるで子どものパン食い競争を思わせる。


「はあ……」


 その姿を視界に収めようともせずに溜息をついたのは、言うまでもない。御堂である。

 彼は突然席を立つと、スタスタと3人のいる方へ無言で向かっていった。紬と蛍がピクリと肩を震わす。恐る恐るその顔を覗くも、眼鏡の奥に隠れた彼の表情は容易に読みとることは出来なかった。


「おい御堂。ただの遊びだろ? そんなに怒らなくても」

「あ、あの。御堂さん……」


 御堂の様子を目にしパン食い競争を中断した2人は、まるで叱られることを予期し身構える幼児さながらに体を縮こまらせた。そして次第に近づいてくる御堂を目で追いながら、僅かに後ずさる。店内は広いわけではないので、それもむなしくすぐに御堂は目の前へとやってくる。息を飲む紬と蛍。それと、その行く末を見守る柏木。

 しかし、御堂はそんな彼らに見向きもせずに、その横をすり抜けていった。3人は拍子抜けし、同時に疑問の表情を浮かべる。

 それを尻目に御堂は閉ざされカーテンを引かれた扉へと向かった。かと思うと、おもむろにそれを開け放った。


「ごめんごめん。忘れてたよ。どうぞ入って」


 夕日の沈んだ店の外へに向かい、甘い声でにこりと微笑む御堂。それと共に御堂の脇から勢いよく何かが店内へ入ってきた。

 素早く動く黒くて小さなそれは、入ってきたままの速度で減速する様子もなく、封筒を取り囲む3人の元へ突進していった。


「あ……」


 柏木が小さく声を上げた。が、そのタイミングではもう遅く、彼の手の中から封筒の桜色は消えていた。


「まったく、何なのよあんたたちは!! お子様なの!?」


 そして次に店内に響いた声は、小鳥のさえずりを思わせる非常に可愛らしく高い少女の声であった。勿論4人の中にそんな声の持ち主はいない。

 声の出所は、先程まで御堂が作業を行っていたカウンターの一席。一同の視線がそちらに集まる。

 そこにいたのは黒々とした両翼を自慢げに羽ばたかせた一羽のツバメであった。小さなくちばしに柏木の手から奪った封筒を加えるそのツバメは、やがて椅子の背もたれに羽を落ちつけた。


「それにこの私を閉め出すなんていい度胸ね、御堂。こんどやったら絶対に許さないんだから! 覚えておきなさいよ!」


 同時に耳をくすぐるのはまたも少女の声。その声が聞こえてくるのはやはり自身よりも大判な封筒をくちばしからぶら下げたツバメの方からである。通常言葉を紡ぐ機能を持ち合わせていないツバメの舌では、そのような音声を発することは不可能である。しかしながら、今現在そんな可愛らしい声の発生源は、方向からしてそのツバメからしかあり得ない。


「いやいや。申し訳ない」

「謝って済む問題じゃないのよ。扉は開けておくようにと何度言えばいいのかしら!」

「はあ。ごもっともで」


 扉を後ろ手に閉めつつ、平謝りをする御堂。そして、小さな足を椅子の腰掛けで踏み鳴らし憤慨するツバメ。――その木を踏みつける微かな地団太の音を表現するとしたら『カチカチ』だろうか。もう少々可愛らしく表現するとしたら『ぺちぺち』かもしれない。


「……相変わらずうるさい奴だな」

「何なのよ。今何か言って? 紬」

「いえ。何も」


 ツバメの鋭い眼光は、小さく呟いた紬までをも射すくめた。


 ――と、ごく自然に会話が成り立つ店内。このお喋りなツバメを目の当たりにして4人が驚愕するでもなく当り前のように接しているところを見ると、つまりこのツバメはただの野鳥というわけではなさそうである。

 しかし、どうにもこのツバメの怒りは収まらないようで、


「私は忙しいのよ! あんたたちの相手ばかりしてる場合じゃないわけ。おわかりかしら!?」


 小言はなおも続くようである。まさに鳥のように、というか鳥なので、ピーチクパーチクという擬音がふさわしい。


「まあまあ。抑えて抑えて、ね?」

「何よ、蛍。あんた蛍の分際で、私を丸めこもうっていうの?」

「うう……そんなことはないですよう」

「だいたい私はあんたのそういうおどおどした態度が大っ嫌いなのよ」

「ううう……」


 黙っていればいいものの、何とかツバメを宥めようとした蛍は、一瞬にして撃沈した。

 もうこの謎のツバメは誰にも止めることはできないのか。そう思われたその時――。


『コトッ……』


 怒り収まらぬツバメのとまる椅子の前、カウンターテーブルに一杯のカップが置かれた。


「どうぞ」


 カップから立ち昇るのは白い湯気。その中にはふつふつと表面を泡立たせたカフェモカが注がれていた。


「あら、柏木。気が利くじゃないの」

「そりゃ、どうも」


 そう。そのカフェモカを置いたのは他でもない。『gift』のキッチン担当柏木であった。

 それを見て、御堂、紬、蛍の3人はやっと安堵の色を浮かべた。


「ほらほら、それでも飲んでちょっと落ち着きましょう」

「そうだよ。そもそもずっとその姿でいるつもりかよ。もう店の中入ったんだから良いんじゃないか?」


 ツバメのご機嫌を取ろうとする御堂と紬の横で蛍も首を縦に振る。


「ふむ。……それもそうね」


 柏木のカフェモカを前に、何とかツバメは気持ちを落ち着けたようである。店内が一気に静けさを取り戻す。

 しかし、鳥の口でカフェモカなど飲めるものなのか。

 ――と、思いきや。


ツバメ(この)姿のほうが楽なのよ。何といっても移動に便利じゃない? だからついつい、ね」


 ツバメがそう言った次の瞬間――否、時間にして瞬きよりも短い一瞬の後。

 彼女が小さな体を休めていた椅子には、一人の少女が座っていた。

 光すらも通さないような漆黒の髪を肩の位置で切りそろえた、色白の少女。その少女は濃紺の着物の裾を軽くまくると、さっそく目の前のカフェモカを手にとった。




「それで、本題に入るわけだけれど良いかしら?」

「どうぞ」


 さんざんこれまで毒を吐き散らして、カフェモカを頂いたのち、少女は静かに顔を上げた。そして、その横で壁に寄りかかるようにして立つ御堂に向けて、その白魚のような手を差し出した。


「あれ、出してちょうだい」


 御堂はそれに頷きで返し、ポケットから名刺大の青い紙を取りだし、少女の手のひらにそっと置いた。

 それを確認し、少女も着物の(たもと)から手のひらサイズの何かを取り出した。乳白色の四角いそれは、非常に細やかで美麗な彫刻のなされた判子であった。

 少女はその判子を自身の口元に持っていくと、はあと暖かな息を吐きかけた。そして、


「はい。今回は1ポイント追加ね」


 ご想像通り、御堂から受け取った紙に押しつけた。紙には先に押印されていたものと併せて3つのスタンプが押されている。残る空欄はあと7つ。その紙はおそらく何かのポイントカードとみられる。


「はあ? たった1ポイントなのか?」

「そう。何か文句でも?」


 押されたスタンプを見て思わず声を上げた紬に、少女は有無を言わせぬ視線を向ける。


「まだまだね。だって今回は簡単すぎたもの。あの頼子って娘の願いがそこまで難解なものではなかったじゃない。現に働いたのは御堂だけでしょう? ちゃんと見ていたんだから。ねえ、御堂?」

「そうかい? 僕にとっては十分難解だったよ? 天宮さんの選択は僕にはまったく理解できなかった。普通の人間だったら真っ先に自分の願いを優先させるはずだろう。まさか他人の願いを叶えることが願いだなんて。やっぱりおかしい。(つばめ)ちゃんもそう思わないかい?」

「ふん」


 少女――名前は燕で良いようだ――は、肯定とも否定ともとれる吐息交じりの返事をし、カップに口をつけた。カップ越しに御堂を見つめる彼女の目はどこか冷たい。


「まあ、あんたにも……あんた達にもそのうち分かるんじゃないかしら? 柏木、ごちそうさま」


 燕は飲みほしたカップをソーサーの上に戻し、立ち上がる。と、次の瞬間には先程のツバメの姿に戻っていた。相変わらず、小ぶりなくちばしには桜色の封筒が加えられている。


「もう行くわ。あと封筒(これ)、もらっていくから。はやくスタンプ10個貯まると良いわね。ま、頑張って」


 そう言って羽ばたいた燕は、一度店内を旋回すると元来た扉へ向かって飛んでいく。


「ちょっと、ぼうっとしてないで開けてちょうだいな。出られないじゃない」

「ああ、はい!」


 燕の棘のある物言いに、蛍が反応し立ち上がって扉に向かう。

 そして、扉を開ける。すると、外から夜風が舞い込んでくる。その生温かい春の風は、昼のそれよりも強さを増していた。


「おっと」


 突然の強い風圧に燕はふらりと体勢を崩す。

 その拍子に、はらり、と蛍の頭上に何かが舞い落ちた。それは燕が加えた封筒の中身であった。


「燕さん。これ、落ちましたよ。……ああ、これ」


 蛍は拾い上げたそれを見て思わず感嘆の声を上げた。同時に、燕に攻撃され曇り気味であった蛍の顔には自然と笑みが浮かぶ。


 それは一枚の写真。

 車椅子の老人と着物姿の女性が、やわらかな春の日差しの下、幸せそうな微笑みを浮かべている何の変哲もない写真であった。それでも蛍は、否、この場にいる全員が、その写真の、笑顔の意味を知っていた。


「分かってるわよ。ちょっとバランスを崩しただけよ!! 蛍のくせに!! ほら、貸しなさいよ」


 こぼれんばかりの笑顔の蛍の手から、ひったくるようにして燕がそれを取り上げる。


「風強いみたいですから、気をつけて帰ってくださいね」

「うるさいわねっ、分かってるわよ!!」


 最後までブツブツと文句をこぼしながら、燕は夜の空へと飛び出していった。

「シンデレラ・ブラウニー」これにて完結です。

とはいえ、まだまだ謎だらけな彼らなので、今後にご期待いただけたら、また気長にお待ちいただけたら幸いです。

シリーズの次のお話に続きます。

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