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#07

 季節はすっかり春を迎え、街には潮風に乗せて、花々の甘い香りも漂うようになった。冬でも活気をなくすことのない商店街は、春の訪れによってますますの華やかさに包まれる。

 そんな中、喫茶店『gift』も街の雰囲気に添うように明るさを保ちながら、今日もお客に穏やかなひと時を絶賛提供中である。

 しかし、店内にはこの季節には幾分か、否、ずっと時期外れな花が咲いていた。


「紬くーん。注文お願ーい」

「はいよー」


 フロアに響く呼び声に応え、紬が向かったのは店内中央にある4人掛けの丸テーブル。そこでは、何やら学校の話題で盛り上がる、清楚な制服に身を包んだ女学生たちが待っていた。一人の少女が眩しいばかりの笑顔を浮かべ、紬に向かい手招きをしている。その向日葵を想像させる明るい笑顔は彼女のチャームポイントである。


「遅いよ、紬君。早くー」

「へいへい。何にしましょうか、お嬢様方」

「コーヒー1つと紅茶2つ。あとホットミルク1つね」

「了解。ご一緒に甘いケーキなんていかがですか? おすすめは春の新作サクラのボンブケーキ……ん? どうかした?」


 紬は注文を取る手を止めた。先程の少女がつい数秒前までニコニコとしていたかと思えば、今度はメニューを手にしたまま首を傾げて訝しげな表情を浮かべていたからである。


「おーい。頼子ちゃん?」


 首を右に左に傾けるその姿はとても愛らしくはあるのだが、眉を寄せてメニューを見られては紬も少し心配になってくる。何か、不都合でもあるのではないか、と。

 紬が覗き込むようにして名前を呼ぶと、頼子は少々不満顔でゆっくりと面を上げる。


「ねえ。このメニュー表ってかわっちゃったの?」


 その一言で、紬は得心が行った。なるほど、彼女は探しているのだ。先日のお菓子を。

 

「いや、変わってないと思うけど」

「そうかな」

「そうそう」


 変わっていないと言われても納得のいかない様子の頼子。そっけない態度で応えた紬は頼子のその様子を見て内心くすくすと笑っていた。


(あるわけないよ。アテスウェイの文字が現れたのはあの一瞬だけなんだから)


 しかし、それを表に出すと頼子が余計に怪しむのでやめておく。紬はあくまでも『gift』の店員としてのスマイルを心がけて他の女子3人に言葉を向けた。


「サクラのボンブケーキ。桃色の甘いクリームと桜の花が入ったふわふわのスポンジ、すごくおいしくておすすめなんだけど、どうかな?」





「ごちそうさまでした!」


 夕方になって店内に響くのは頼子達少女の可愛らしい声だ。

 おいしいお茶と春色のケーキ、それから気の置けない友人との楽しいおしゃべり。その何げないひと時が、若い彼女たちにとって最も貴重な時間の一つであることは傍目にもわかる。その時間を『gift』という憩いの空間で過ごし、疲れた羽を癒すのは単なる偶然なのだろうか。

 お礼の言葉に一杯の気持ちを込めて少女たちを送り出した御堂は、夕日に照らされた店の玄関口で大きく伸びをした。

 深呼吸をすると、街路をはさんで目の前に広がる海からの潮の香りが胸一杯に浸透する。目を閉じた御堂はそのまま静かな春の波音に耳を傾ける。どこまでも穏やかな波の音は一日の疲れを癒すのには十分すぎるくらいだ。

 

「ん……?」


 しかし、春の夕暮れ時を楽しむのもつかの間、御堂はすぐに閉じた瞼を持ち上げた。波の音に混じって何か人の声が聞こえた気がしたのだ。

 きょろきょろと辺りを見回しながら、耳を澄ましてその声の出所を探る御堂。ところが、街路を歩く人の中に声の主らしき人物は見当たらなかった。


「気のせいかな」


 と、御堂は一つ首を傾げ店内へ戻ろうと踵を返す。

 しかしそこで再び、


「……どうさーん」


 今度は確かに聞こえた。遠くても耳の奥に飛んでくる良く通る高い声。少し離れたところでも耳に届くその声は、聞きなれた、というか先程まで耳にしていた彼女の声だ。

 しかし声の方向に目を向けても夕日が逆光となりその姿をよく見ることはできなかった。それでも、御堂に向かって走り寄って来ていることはそのシルエットから分かる。短く切りそろえられた髪が、左右に揺れ時々夕日にキラキラときらめいて見えた。


「御堂さーん」


 自身の名前を口にしながら街中を駆けてこられるのには少々気恥かしさを感じもするが、御堂は何も言わずに彼女――頼子の到着を待った。

 やがて、御堂の目の前までやってきた頼子は、暫く肩で息をしたあと呼吸を整えるように大きく息を吐いた。


「家の前まで行って、思い出して引き返して来たの。忘れるところだった。えへへ」


 頼子はそう言って決まりの悪い笑みを浮かべた。そして、肩から掛けたポーチの中から桜色の可愛らしい封筒を取り出し御堂に差し出した。


「これ。この前のブラウニーのお代。ありがとうございました」

「ああ、待ってたよ」


 封筒を受け取り御堂は中をちらりと確認し、腰巻エプロンのポケットにしまいこんだ。口元には微かな笑みが浮かんでいる。

 しかし、目の前の男のその表情を見ても尚、頼子の顔には疑問の色が浮かんでいた。少し済まなそうに上目遣いで御堂を見上げる。


「本当に、そんな物で良いの?」

「ああ。構わないよ。初めからこれが約束だしね。ブラウニーのお代はきっちり頂きました」

「でも、私、お礼してもしきれないくらいなのに。やっぱり何か……」


 しかし、御堂はそんな頼子の言葉を、片手を軽く上げることで制した。そして夕日を反射する眼鏡を指で持ち上げ、頼子の頭の上にそっと手を置いた。


「これ以上の物は受け取れないよ。あの夜も言っただろう? 君の身に起きたことは誰にも言わないこと、これだけ守ってくれればいいから。と、いってもあの日のことを話したとしても、誰も本気で信じるような人はいないと思うけどね。あまりにも非現実的すぎる。って、まあ僕がいうのもおかしなことだけれど」


 そう言って小さく笑い、御堂は頼子から手を離す。


「……ああ、そうだな。強いて言うなら、もう一つだけ」

「何?」


 頼子は期待に顔を上げる。


「『gift(うち)』に来る時は、今日みたいにいつもの明るい天宮さんを見せてほしい。この前みたいな悩める君も珍しくはあったけれど、やっぱり君には笑顔が一番似合うよ」


 しかし、言ってすぐに、御堂はそれを言う必要がなかったのだということを悟った。もう、彼の目の前には向日葵のように明るく周囲を照らす笑顔があったのだ。


「分かった。そうする」


 短く返事をして頼子は元来た道に向き直る。そうして御堂に背を向けたまま歩き出した。


「あ、待った。それと……」


 頼子は踏み出した足を止めて御堂を振り返った。


「また、お友達と一緒においで。店としては人数が多い方が大歓迎だよ」

「はーい」


 最後のお願いは軽い営業を含んでいたことに、頼子はくすりと笑いをこぼした。


「ありがとう。御堂さん」


 去り際に言った頼子の一言は、御堂にとって何より嬉しい言葉だった。ブラウニーの対価としてはそれだけで十分である。

 いつもは活発すぎるくらいに明るい雑貨屋のおてんば娘。しかし、その心の中は綺麗過ぎるくらいに澄んでいて――。自分の願いよりも他人の願いを叶えようとした心優しい少女。彼女の小さな胸にあるきらりと光る何かを今回見せられたような気がして、御堂は言葉では言い尽くせない何か不思議な感覚を味わった。

 そんな彼の思いなど知るはずもなく、当の本人である頼子は春の暖かい夕日の中だんだんと小さくなっていった。

――まったく。珍しい人間もいたものだ。

 一仕事終えたような開放感に、御堂は吐息と共に肩を落としくつりと喉の奥で笑った。


「またのお越しを、お待ちしております」


 御堂は小さくそう言って、遠くから振り返って手を振る頼子に深々とお辞儀をした。




「隙ありっ!」


 頼子の姿が見えなくなった頃、頭を上げる御堂の横をいたずらをする子供のような無邪気な声がすり抜けた。まあ、それは子供の声などではなく、紬のそれなのだが。当然それが分かっている御堂は、「また阿保なことをして……」と言いたげな表情で背後に回った彼ををにらんだ。その手の中には、先程頼子が御堂に渡した封筒がしっかりと収まっている。


「何もらったんだよ。あ、ラブレターとか?」

「阿保か、お前は」

「阿保かもなー」


 前言撤回。阿保と言いたげどころか、本当に口にしてしまった。ところがそんな御堂の呆れなど華麗に受け流し、紬は封筒の開け口に手を掛けた。そして中を覗いた紬は、先程の御堂と同じような表情を浮かべた。


「ふーん。なるほどね。これがブラウニー(あれ)のお代ってわけか」

「あ、自分にも見せてください」


 外の二人の様子を見てか、店内から蛍が顔を出した。そうしてとことこと封筒を手にする紬に向かって駆け寄った。

 今の彼女たちが本日最後のお客だったようで、少し遅れて柏木も姿を現した。


「お、蛍も見たいのか? ほら」

「ありがとうございます、ってもう紬さん!!それじゃあ見えないですよう。見せてくださいー」

「嫌だねー」


 紬は封筒を持った手を高々と上げ、蛍が見たがるのを阻止した。紬に背が届くはずもない蛍は、彼の周りをぴょんぴょんと跳ねては封筒めがけて手を伸ばす。しかし、その手は空を切るばかりなのは言うまでもない。

 また始まった、と御堂と柏木の二人は顔を見合わせ溜息をついた。


「柏木、どうにかしてやれよ」

「うむ……」


 御堂の一言に柏木は小さくうなり声をあげると、くるくると跳ねまわる二人に向かい歩みを進めた。


「あ、おい柏木!! ちょっと何するんだよ!」

「ああ、柏木さん。自分にも……」


 柏木は紬が頭上に掲げた封筒を軽々と自身の手中に収めると、店の中に入って行ってしまう。そんな柏木の身長には到底及ばない二人は、その後を追いかけて行った。

 ちらりと見えた柏木の口元が弧を描いていたことを御堂は見逃さなかった。

 御堂はため息交じりに肩をすくめると、3人に続く。

 そうして最後、御堂によって閉じられた『gift』の扉のノブには“closed”の札が静かに揺れていた。

次回が最終話となります。

そうです、あとちょっとだけ続くんです。

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