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#05

 カタンという物音に頼子は目を覚ました。

 風で何かが倒れたのだろうか。ベランダの窓を開けたままにして床に入ったことを思い出し、頼子は眠たい目をこすりながら上体を起こす。

 しかし、


(あれ、窓閉めたんだっけ)


 窓は開いていなかった。半開きになったカーテンの隙間からは、月明かりだけが覗いている。夜の肌寒さに無意識に閉めたのかもしれない。ちらりと時計に目をやれば、時刻はちょうど日付が変わったところであった。

 頼子はあくびを一つ、そして再びベッドに横になろうと体をくねらす。

 しかし、そこで頼子は不意に動きを止めた。体に巻きつけた布団をはぎとって、覚醒しきらない頭で考えを巡らせる。

 ならば、先程の物音は何だったのか。正体の知れない物音など、頼子の部屋で起こりうるはずがない。家の人がまだ起きているのだろうか。否、起きていたとしても物音は確実に頼子の部屋でした。それも頼子のごく近くで。

 頼子は恐る恐る自室の中に視線を巡らせる。決して広くはない部屋には、様々な小物や置物の類が雑多に広がっている。雑貨屋の娘だからという訳ではないが、物心ついたころから、少しずつ自身の気に入ったものを部屋に飾っていくのが好きだったのだ。しかし、それらに別段、変わった点は見られない。机や本棚、洋服ダンスも、特に普段と変わりはなかった。

 やはり勘違い、夢と錯覚してしまったのだろうか。

 頼子は緊張していた肩の力を抜き、今度こそ眠りに戻ろうと布団を引き寄せた。そして、ふともう一度ベランダの窓に目をやった。


「……っ!?」


 瞬間、頼子の心臓は飛び跳ねた。

 薄暗い部屋の隅。月明かりに照らされ、一瞬だけ何かが(きら)めいたのだ。

 何かが、否、誰かがいる。その存在を認め、完全に覚醒した頼子は布団を握り締め身構えた。


「……誰?」


 恐怖心から声に力が入らず擦れてしまう。震える声は、夜の静けさの中に溶け入るようにして消えてしまった。頼子は目を凝らしてぼやけた焦点を絞る。そして、薄ぼんやりとした闇の中に、頼子はその影を完全にとらえた。

 闇の中でさえ映えるその色は茶金。月明かりを浴びたその姿は妖艶さを放っている。それが誰なのか、頼子は知っていた。


「みどっ……う……」


 頼子は思わず声を上げた。が、しかし、それはかなわなかった。恐怖で声が出なかったわけでも擦れたわけでもない。声を上げたと同時に、頼子に向かい走り寄ってきたその影に、口をふさがれてしまったのである。


「騒がないで」


 突然の衝撃に閉じた瞼をそっと開けると、金色の瞳が間近にある。それは、つい先程夕方まで見ていた喫茶店『gift』の御堂のものであった。

 御堂はベッドで上体を起こす頼子に体重を乗せ覆いかぶさるような体勢で、頼子の瞳を覗き込んでいる。その金色の双眸は月の光にきらきらと反射して、頼子の視線をくぎ付けにする。


「ごめんね、こんな夜中に。しかも窓から不法侵入。……はは、驚かせちゃったよね」


 御堂は頼子が落ち着いた頃合いを見て、頼子の口をふさぐ手を離し身を引いた。ベッドのスプリングがぎしりと微かな音を立てる。

 自由になった頼子は、自身が寝間着姿であることに気が付き頬を赤らめ、居住まいを正した。そしてベッドの上で正座をし、改めて御堂に向き直る。


「どうして、御堂さんが?」


 ――私の家に? しかもこんな真夜中に?

 続きは口にはしないが、頼子の今の問いかけの中には様々な疑問が集約されている。御堂はそれを理解した上で、爽やかな笑顔を浮かべる。


「さて、何故でしょう?」


 この期に及んで――夜中に未成年の少女の部屋に不法侵入しているにも関わらず――、普段と変わらぬ飄々とした様相でもって尚もはぐらかそうとする御堂に、さすがの頼子も機嫌良く対応してはいられなかった。頼子は訝しげな目で、ベッド脇に腰を据えた御堂をねめつける。


「御堂さん?」

「ううん……そうだな。夜這いしにきた、とかどうかな」

「……御堂さん。怒っても良い?」

「わかった、わかった。起こらないで」


 むくれる頼子に押され、御堂はようやく笑ってごまかすことをやめた。――そもそもの話、真夜中に訪れている時点でごまかすも何もないのだが。

 御堂は一度肩をすくめるようにして、コートの内ポケットをまさぐった。


「天宮さんって、結構鈍感だよね。……はいどうぞ、これ見て」


 そうして取り出したのは小さな手鏡であった。御堂によって差し向けられたその鏡を反射的に頼子は覗き見た。


「……え?」


 頼子は一度だけ鏡から御堂へと視線を移す。そこには面白いものでも見るかのような、楽しみの色で笑う顔がある。そして、再度鏡に映し出された像に目を戻し、


「えっ!? 誰これ!」


 一段大きくなった頼子の声に、御堂が焦りを浮かべながら口元に人差し指を持っていく。しかし、彼女の目にそれは映らない。映るのは鏡の中の人物だけであった。

 薄暗い月明かりの下、驚きに目を丸くする鏡の中の女性。榛色の髪を胸の辺りまで降ろし、小さな顔の割に大きな目を瞬かせるその人。良く見ると頼子と同じパジャマに袖を通している。しかし、そのパジャマはサイズが合っていないようで、袖の丈は短く、裾の方ではへそが見え隠れしている。


「誰って、君でしかないでしょう。他に誰が?」


 御堂に指をさされ、頼子は鏡から自身の体に目を落とす。それは確かに自身の体であって、そうではなかった。


「私、大きくなってる……?」

「う、うん。まあ、いろいろ大きくなってるかもね」


 頼子は体を確認したり鏡を覗きかえしてみたりと忙しい。そんな少女――現在は女性の姿を、御堂はベッドに片肘を置き眺める。

 やがて、頼子の動きは止まる。御堂に向けられた目は動揺一色で、相手に助けを求めていた。


「御堂さん。何が何だか良く分からないよ。どうしちゃったの? 私」

 

 日中のブラウニーのといい、今の状況といい、今日は不思議なことばかりが頼子を襲う。それもこれも、御堂という喫茶店の一店員が関わっていることは確かである。しかし、目の前の張本人は何も不思議なことはないかのように、余裕の表情で頼子を見返す。

 驚愕から困惑、不安へと変貌する頼子の表情を見かね、御堂はいよいよ姿勢を戻し頼子に向き合った。


「詳しいことは後で話してあげる。天宮さん、突然で悪いんだけど、君は今日一日だけその姿でいることができる」

「この、姿で?」

「そう。だからあまり長いことこうしていても、時間が無駄になってしまうだけなんだ。そこでだ。君がその姿になったのには何か理由がある。その理由、わかるかい?」


 頼子は視線を漂わせる。思い当たることは――。

 やがてさまよっていた視線は、まっすぐに見つめてくる御堂の眼光に吸い寄せられるようにして停止した。


「君の今の一番の願い事は何?」


 御堂の瞳が一瞬、月光に煌めいて見えた。


「私の願い事は……」


 頼子の願い事。きっとそれは、ここ最近の彼女の悩みに直結する。

 唐突な質問に関わらず、不思議とその答えは頼子の胸の中から容易に探り当てられた。


「ストップ」

「……?」


 頼子が願いを言葉に乗せようとしたところで、御堂はそれを遮った。頼子はきょとんとした表情で首をかしげる。


「君が分かっているなら、それでいい。僕には始めから分かっているからね」


 そう言って御堂は頼子とは対照的に朗らかに微笑む。


「で、善は急げということで」


 御堂は立ちあがりベッドの上の頼子に手を差し向けた。


「行きたい所があるんだろう?」

「……うん」


 寝起きの頭と、半ば強引な説明で、殆ど自身の置かれた状況は理解できていない。しかし、現実は現実として受け止めるより他はない。そして何より、やりたいことな頼子の中に確固として存在するのだ。難しい説明なんて後で良い。

 頼子は促されるままに、差し出された手を取り立ちあがった。


「ああ、そうだ。それと」


 まだ何かあるのか。頼子は御堂の手を握り締めたまま相手の顔を覗き込んだ。


「さすがに家事の手伝いはできなかったよ。僕は妖精じゃないから、見つかったりしたら大変だからね」

「は……?」


 何のことを言っているのか、頼子は御堂を見据えたまま暫く静止する。それを見て御堂はくすりと眼鏡の奥の目を細めて笑う。そうして、動かないままの頼子を引っ張るように外に向かって歩みを進めた。

 そこでふと頼子は気が付いた。『家事の手伝い』、『妖精』……ああ、そうか。


「ブラウニー!!」


 またもや声を大きくした頼子に、御堂は振り返って人差し指を立てる。その顔はいたずらをした時の子供のような、無邪気な笑みを浮かべていた。





「じゃーん!! どうよこれ。ま、俺の腕にかかればこんなもんですよ。真夜中に叩き起こされたにも関わらず、ここまでできるなんて大したものだろう?」


 そう言って誇らしげに店の奥から姿を現したのは、くま柄のパジャマ姿の紬である。紬は後ろを振り返り、奥に向かって手招きをする。しかし、なかなか待っても出てこず、しびれを切らした紬は奥にいる人物の腕を引っ張った。


「ちょ、ちょっと。紬君」


 若干の抵抗を見せつつ、おずおずと奥から姿を現したのは他ならぬ頼子である。その姿に『gift』の店員面々は皆一様に歓声を上げた。

 頼子の身を包むのは、すみれの模様がちりばめられた桃色の着物。普段は桃色なんていう、いかにも女の子然とした色は身にまとわないのだが、今の姿の頼子には何ら違和感なく着られている。むしろ高い位置でまとめられた髪の榛色と調和がとれており、目に鮮やかで華々しい。


「紬の腕がどうかは置いておくとして、とても似合ってるよ。天宮さん」

「とっても綺麗です」


 御堂と蛍の横で柏木も二回ほど深く頷く。


「ありがとう。でも、本当? 私、普段こんな色の服着ないから、しかも着物なんか着たことなかったから、いまいち自分がどう映ってるか分からなくて。本当に似合ってる?」


 頼子は袖を舞わせながら、くるくると回って自身の格好を気にする。それを見ると、4人は笑わずにはいられず、くすくすと顔を見合わせる。

 衣装が変わると気分も変わるというが、頼子の変化はあまりにも極端すぎた。雑貨屋のおてんば娘はどこへ行ってしまったのか、とその姿を見れば誰もが思わずにいられないだろう。


「本当です! 自分が保証します。とっても似合っていますよ」

「お。蛍、惚れたか?」

「ち、違いますよう」


 紬のからかいの声に戸惑いつつも蛍は、恥ずかしさに下を向く頼子のそばまで行き、その顔を下から覗き込む。やっと目が合って、蛍は微笑む。


「ね。だから顔をあげて、いつもみたいにニコニコして下さい。知ってましたか? 昨日から頼子さん、ちゃんと笑ってませんよ?」

「蛍君……」


 蛍の純粋な目にさらされ、頼子は顔を上げる。そしてまだぎこちなくはあるが、精一杯に笑顔を作る。


「そうそう、頼子ちゃんは笑ってないと駄目だよ。せっかくの可愛い顔が台無しになるだろう?」

「紬。言い方に下心が出てるぞ」

「何!? それは柏木、お前の耳が悪い。俺は純粋にだな……」

「はいはい。そこまで」


 話を遮るように紬の肩を押しのけ前へ出たのは、御堂であった。


「いいかい、天宮さん。分かっていると思うけど、その姿でいられるのは今日一日だけ。時間を過ぎれば元に戻ってしまうから、注意すること。それとその姿でしなきゃいけないこと、ちゃんと分かっているよね?」

「はい」

「良し。じゃあ、ここからは自分自身で君の願いを叶えてくること。分かったね」

「はい」


 まるで子供を諭すかのような優しい声で御堂は頼子に語りかける。頼子もそれを真摯に受け止め、御堂の目を見返す。


「あとは、はいこれ。朝ごはんにどうぞ」


 御堂によって差し出されたのは、小さな紙袋。


「残りものだけど、柏木が作ったから絶対おいしいはず。さ、魔法が解けるまで、存分にやってきなさい」

「うん」


 着物姿で持つには少し不格好ではあるが、頼子はそれを片手に受け取ると扉に向けて歩き出した。


「みんな、ありがとう。いってくる」


 頼子は笑顔でそう言い残し『gift』を後にした。

 


 そして、残された店員たちは。

 頼子の姿が見えなくなったのを確認し、各人近くの椅子に腰を落ち着けた。そして誰が始めにしたのか、あくびが皆に伝染していく。


「ははは。もう寝てる時間ないじゃん。あと1時間もすれば開店の準備しないと」


 あくびを噛み殺し、時計を見た紬はそう言って盛大な溜息を落とした。


「仕方がないです。頼子さんのためですから」

「それは分かってるよ。分かってるけどさ、おい御堂」


 眼鏡をはずし、目の周りを指でほぐしていた御堂は、紬の声に目だけで応答する。


「結局、頼子ちゃんの願いはなんだったんだよ」

「何だと思う? 天宮さんがあの姿になりたかった理由」


 御堂は眼鏡を外したまま不敵に微笑む。質問を質問で返されたにも関わらず、紬は目をそこかしこにやりながら考え込んでいる。やがて、紬は御堂に目を向けた。


「そりゃああれじゃないか? あれくらいの女の子が考えそうなことといえば。“結婚してしまうもう手の届かない年上のあの人に、せめて最後は対等な立場で思いを告げたい!”とか。あとは“振られたあの人を、大人の色香で惑わせてぽいっと捨ててやりたい!”とか?」


 何故か言い終えた後の紬の顔は誇らしげである。


「阿保か、お前は」

「頼子さんはそんな人じゃないと思います」

「……同感。本気でそう思ってるのか?」


 しかし、紬の心とは裏腹に、他3名からは否定の声が上がった。紬は一斉に批判の目線をもらい、うろたえる。そして再び御堂を見て、紬は口を尖らせた。


「じゃあ、何のために頼子ちゃんをああしたんだよ。つうか、御堂。あの時、頼子ちゃんの肩に触れた時、いったいお前は何を見た」

「む……。それは自分も気になります」

「俺も」


 紬の言葉をきっかけに、今度は御堂へと注目が集まる。御堂は一瞬、肩をすくめるしぐさを見せ、


「仕方がない。じゃあ、そろそろ話してあげようかな」


 そういって、眼鏡を掛けなおした。

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