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#04

 夜も11時を回った頃。すでに閉店した『gift』店内には未だほのかな明かりが灯っていた。


「それで、お前は頼子ちゃんに何出してやったんだよ」


 そう言って、紬はテーブルの上に逆さに置かれた椅子を持ち出し、一人帳簿をつける御堂のすぐ隣に腰を落ち着けた。御堂は少しばかり迷惑そうな色をのぞかせたが、それ以上の反応は示さないで、


「チョコレートブラウニー」


 と、一言。この間、帳簿に向かう彼の手は止まることはない。


「ブラウニーってお前、作んの超簡単じゃん。手抜きか?」

「……」


 紬の物言いに御堂の眉がピクリと動く。それでも、御堂は手元から目を離さない。そんな御堂の様子に気が付いているのかいないのか、紬は尚も続ける。


「もっとさ、こう女の子が喜びそうな、デコレーションに力の入ったキラキラしたお菓子は作れなかったわけ? 頼子ちゃんだって女の子だぜ。ブラウニーなんて誰でも作れるような家庭菓子、あの子だってそんなの出されてびっくりしてなかった?」

「……」

「まったく、乙女心の分からん奴だな。俺だったらもっと頼子ちゃんを喜ばせてあげられたのに。そうだな、もし俺が作ってやるとしたら――」


 ガタッとそこで突然、紬の一人語りを無理やり遮るかのように、御堂が立ちあがった。紬がそれを見上げると、そこには妖艶とも冷酷ともいえる輝きで彼を見下す御堂の双眸がある。店の暖かなオレンジの明かりが御堂の瞳に反射して、まったく正反対の色を浮かべさせていた。

 一瞬紬が身をすくませるような動作をしたが、御堂はそんなことはお構いなしに身を翻す。

 次にテーブルに戻った御堂が持っていたのは、一杯のグラスであった。何のことはない。ただ水を取りにキッチンへ向かっただけのことである。


「あのさ、紬。この僕が意味もなく家庭菓子を頼子ちゃん……失礼、天宮さんに出したと思うかい?」

「はあ? なんだよ。手抜き意外に意味があるのかよ」


 御堂の問いに口をとがらせてテーブルに(あご)を乗せる紬。


「手抜きって、侵害だな。僕はいつでも何にでも手を抜かない性質(たち)なんだが。まあいいか。紬、お前。ブラウニーの名前の意味しらんだろう」


 紬は顔面いっぱいにクエスチョンマークを張り付け、首をかしげて御堂を見る。

 そんな紬に、御堂は大げさな溜息をついてみせた。





 頼んでからのお楽しみ、なんて言われてしまうと余計に気になってしまう。それが世の人の自然なあり方だろう。頼子もそんな世の中の一人であって、結局御堂に「アテスウェイ」とやらを注文してしまった。

 注文をすると、「今日の当番は僕だから」といって御堂は颯爽(さっそう)とカウンターの中へ入って行った。「アテスウェイ」とやらは当番制で作るものなのだろうか。と、少々の疑問を抱きはしたが、それよりもてっきり『gift』で調理をするのは柏木だけなのだと思い込んでいた頼子は、御堂が作るということを聞き、驚きの表情を浮かべた。同時に湧いてきたのは、いままで食べたことのない御堂の作る何か(アテスウェイ)への期待であった。

 しばらく待っていると、カウンターの中からチョコレートの甘い香りが漂ってくる。それに柏木に頼んだホットミルクのほのかな香りも相俟(あいま)って、頼子はそれだけで満たされた気分になった。


「おまたせしました」


 そして、再び姿を現した御堂が頼子の前に置いたのは、ホットミルクと可愛らしい手のひらサイズのバスケット。その小ぶりなバスケットには桃色のレースペーパーが敷かれ、レースの間からは四角い焼き菓子の茶色が覗いている。


「これが、アテスウェイ?」

「うん。まあ、それはお菓子の名前じゃないんだけど。僕達がその日の気まぐれで出すお菓子をそう呼んでいるだけなんだ。だから、それは何かと聞かれたら――」

「ブラウニー?」


 御堂がその名を口にする前に頼子がそうすると、御堂はにこりと微笑みだけで肯定した。

 そう。御堂が出したのは、チョコレートがふんだんに使われたブラウニーだった。カカオの香ばしい薫りを漂わせるブラウニーを目の前に、しかし頼子は一瞬拍子抜けしたような表情を浮かべた。理由は簡単。出されたものがブラウニーという調理の容易な家庭菓子であったからである。御堂がわざわざ手作りしてくれると聞いて、期待しすぎていたのかもしれない。頼子はてっきり普段柏木が作って出しているような、宝石の輝きを思わせるデザートを想像していたのである。


「あれ。もしかすると、チョコレートは苦手だったかな?」


 頼子が目の前の焼き菓子を見つめたまま身動き一つしないでいると、御堂が心配そうに覗き込んできた。


「ううん。チョコレートは大好き。……大好きなんだけど」


 何故、ブラウニー?

 頼子は必死に取り繕ってみるも、疑問の色は隠せない。


「まあ、何でもいいから食べてみてよ。絶対においしいからさ。何せ僕が作ったんだから」


 そんな頼子の心情を察してか、御堂は笑顔を見せながら優しく促す。僕が作った、という所だけ妙に強調されていることは言うまでもない。


「いただきます」

「どうぞ、召し上がれ」


 そして、頼子は促されるままに、バスケットからブラウニーを一つ添えられたフォークでつついた。

 サクッという音と共に表面を貫いたフォークは、後はしっとりとした生地に容易に沈みこんで行く。そうして持ち上げてみると、レースペーパーの中から丁寧にも一口サイズに切られた可愛らしいブラウニーが顔をのぞかせ、その全容を明らかにした。とはいえ、その可愛らしいブラウニーもやはり頼子の想像の域を超えるものではなかった。ごく一般のブラウニーである。

 どうやら御堂は、頼子が食べるのを見守るらしい。先程から痛いほどの視線を感じている頼子は、そんなに見つめられては食べづらいではないか、という言葉を飲み込む。そして、フォークの一欠けらを口に運んだ。


「えっ……」


 ブラウニーを口にした頼子は、さらに驚きの表情を大きくした。そのあまりの予想外な出来事に小さく声をあげてしまった。

 口にした瞬間、口内にチョコレートの甘みが充満する。そのチョコレートに包まれた胡桃の程よい食感。そして時折押し寄せてくるビターチョコレートのささやかな苦みとドライフルーツの甘酸っぱさ。おまけにほんのり香る隠し味のバナナの甘味。味、口どけ等、何をとっても申し分ない。

 しかし、頼子が表情を変えたのは単に御堂のブラウニーがおいしかったからという訳ではない。

 頼子は隣に立つ御堂を見上げる。そこには得意げに澄ました彼の顔がある。


「この味……どうして? これ、本当に御堂さんが作ったの?」

「そうだけど、どうかした?」


 御堂は頼子が言わんとしていることを分かったような風な顔をしているというのに、わざとらしく涼しい顔で首を傾げた。しかし、あまりの動揺にその御堂の様子にも気が付いていない頼子は、たどたどしくも言葉をつないだ。


「これ、この味ね。小さいころ近所にあったケーキ屋さんのブラウニーの味に似ているの。私の家、雑貨屋で両親はいつも店番で忙しいでしょう? だからよく祖父が連れて行ってくれたお店だった。今はもうないけど、大好きな祖父と行ったお店だし、すごくおいしかったから覚えてるの」

「ふうん」

「だから。ねえ、どうして? 御堂さん」


 御堂は何故、この味を知っているのだろう。頼子の頭の中は今、その疑問でいっぱいである。いくら調理が簡単だとはいえ、ここまで頼子の知っているものと似ている、否、同じ味になど出来るものなのだろうか。それとも何か御堂がその店と関係しているのだろうか。

 しかし、御堂は首を傾げたまま、表情を一つ変えずに、


「さて、どうしてかな?」


 それだけ言って、たった今新たに入店してきたお客の方へ行ってしまった。

 そんな御堂を目で追いながら、首を傾げてブラウニーをまた一口。やはり何度口にしても、頼子の思い出の中のブラウニーとしか思えない。


「柏木さんは何か知らない?」

「……さあ」


 カウンターの中、いつもの定位置に戻った柏木に話しかけてみるも――やはりこの距離感が頼子にとっては話しやすいようだ――、短い返事が返ってくるばかりだった。しかたがなく、御堂が戻ってくるのを見計らいつつ、頼子は思い出の味を頬張り続けることにした。

 柏木と向かい合って暫しの沈黙。柏木がコーヒーを入れるコポコポという音と、頼子が弄ぶカップとソーサーの陶器の擦れる音だけが2人の間に流れる。頼子にとって柏木との沈黙は決して嫌なものではなかった。紬との沈黙というのは、落ち着かず居てもたってもいられなくなりそうだが、相手が柏木ならばむしろ心地良い穏やかな時である。


「ブラウニーの……」


 しかし、その沈黙を破ったのは他ならぬ柏木の方だった。突然そう呟いた柏木の声は若干擦れていて聞き取りにくかった。頼子は思わず首をひねって無言で聞き返した。一つ咳払いをして柏木は再び話し出した。


「ブラウニーの名前の由来、知ってます?」

「由来?」


 頼子は首を横に2、3度振り、その先を目だけで請う。名前の由来など、これまで気にしたこともなかった頼子にとって、お菓子はお菓子。その名前も、お菓子一つ一つを判別するための記号にすぎないという認識でいた。


「そう。何でブラウニーがブラウニーって呼ばれるのかってこと」


 話に食いついてきた頼子に、柏木の表情はふわりと優しいものに変わった。


「ブラウニーっていうのは意味としては『茶色っぽいもの』。まあ、これだと少し味気ないから置いておくとして。ブラウニーっていうのは西洋の妖精の名前なんだ」

「妖精?」


 柏木の口から妖精などという言葉が出るとは。頼子は少々たじろいだ。しかし、柏木はそんな頼子の様子に動じることなく、自身の話の内容に夢中といった様子である。その語り口や表情は、本当に彼はお菓子作り、お菓子が好きなのだ、と頼子に思わせる。


「そう妖精。その妖精ブラウニーは、夜中住み着いた家の家事をこっそりやっておいてくれるような優しい妖精で、すごく小さくて見た目は茶色」

「なるほど、だから」


 頼子は手元の焼き菓子に視線を落とす。そこには小さくカットされ可愛らしくバスケットに収まったブラウニーがある。言われてみれば、妖精のようにも見えてくる。


「妖精か。なんだか、これ食べるのもったいなくなってきちゃった」


 バスケットの中の小さな妖精。それを見た頼子の頬は自然と緩んだ。





「それにしても、ブラウニーを出した時の天宮さんの不思議そうな顔、可愛かったよ。あの子、いつもは気を張りすぎてるのかな? 結構強がりなところあるから、あんな顔見たことなかった。活発で男の子みたいだけど、そういう子に限って意外とああいう可愛い顔を出来るんだよね」


 「アテスウェイ」を頼子に出した時のことを柏木の証言を交えて紬に話し終えた御堂は、グラスの水を一気に飲み干す。そして椅子に掛ったコートを片手に席を立った。


「じゃ、そろそろ僕は行くとしますか。……って、おい」


 そう言って振り向きざま目に飛び込んできた光景に、御堂は呆れたように溜息をついた。そこにはテーブルに突っ伏してすやすやと眠る紬がいた。いったいどこから彼は眠っていたのだろうか。


「人の話は最後まで聞けといつも言ってるだろうが」


 御堂は小さく舌打ちをすると、手近に置いておいたブランケットを紬の肩に乱暴に引っ掛けた。

 そして、上着を羽織った御堂は、応える者が誰もいない店内に向かい小さく囁く。


「行ってきます」


 店の外へ繰り出すと、海が静かに波打つ音だけが街を包み込んでいる。

 早春の夜中の潮風はまだ少し冷たく、御堂はコートの(えり)に顔をうずめた。

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