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#01

 多くの人々が行き交う港町。中でも海辺に位置し一際賑わいを見せる商店街は、町の象徴、経済の中心を担っている。知識豊富な商人たちの活気ある会話に、威勢のよい漁師たちの掛け声、看板娘たちの歌声を思わせる美しい呼び声。何をとっても華やかに輝いて、訪れる人々を魅了する。

 そんな海風ただよう商店街の一角に、その喫茶店は存在する。暖かな色合いを基調としたレンガ造りの2階建て。花壇で咲き誇る美しい花々と磨き抜かれた窓ガラス、街路に面した光溢れるテラス席。そして客のために開け放たれたドアからは、淹れたてのコーヒーの香ばしい香りが漂ってくる。

 表に出された看板には『cafe and bar,gift』と、几帳面な文字。開店から間もなくすると、艶やかに着飾った婦人や乙女たち、それから近所のご老人に至るまで、様々な層のお客が来店するこの喫茶店は、大繁盛とまではいかないが、毎日そこそこの賑わいを保っている。


 本日も、憩いを求めるお客が開店と同時に入店し、各々思い思いのくつろぎ空間を堪能している。

 たとえば、店に入ってすぐに目に入ってくるカウンター席。こちらではカウンター内で黙々と調理をする店員の手さばきを眺め、感心の表情を浮かべる老夫婦。

 そこから少し目線をずらすと、小柄な店員が慣れない手つきで注文をとる姿に、それを見て腹を立てもせずに微笑み交わす若い恋人達。

 はたまた窓辺のテーブル席では、きらびやかなドレスを身にまとった若い女学生3人が甘い茶菓子を優雅に食している。時折会話に盛り上がりを見せ、店内に響く小鳥のさえずりのような笑い声が妙に心地よい。


「お嬢様方。コーヒーのお代わりはいかがですか?」


 そこへ店員が一人、少女たちのカップの中身が少なくなるのを見計らったようにやってきて静かな声でそう(ささや)く。そんなちょっとした心配りに、乙女たちはさらに心弾ませる。


「いただこうかしら」


 肩まであるつややかな黒髪を後ろに束ねたサスペンダー姿のその店員は、差し出されたカップを手際よく回収し、一礼をしてカウンターへ下がろうとする。

 と、そこへ――


「ちょっと」


 3人のうちの、自慢の長い髪を後ろに流した、澄まし顔の少女が横目だけでちらりと店員を見ながら呼びとめた。一瞬、テーブル内が凍りつく。そして、なにか無礼を働いたかと困惑の色を浮かべる店員。


「あ、あの……」

 

 しかし、それを見て少女は表情を崩し、代わりに花のような笑顔を向けた。残りの2人もそれにつられくすくすと声を漏らす。


(つむぎ)君。格好つけすぎよ。ねえ。あーんして?」


 少女は甘い声でそう言って、可愛らしく小首を傾げるとパフェのスプーンを店員に差し出した。

 ここは優秀なウエイターの腕の見せ所。そんな困ったお客の要求も軽くあしらう腕を持っているに違いない。

 紬という名の店員は、これまでの固い表情を緩めると目元に優しい笑みを浮かべながら、


「お、いいの? あーん」


 と、少女のスプーンにのる生クリームを拒むことなく、口いっぱいに頬張った。一層高まる少女たちの黄色い歓声。どうやら、この男。軽くあしらう腕どころか、喜ばせる腕を持っていたようである。


「うまいうまい。いやさ、たまにはイメージチェンジでもしようかと思って。さっきのどうだった? 仕事のできるイケメンウエイターって感じだっただろう?」


 両手で持っていたトレイを片手に持ち替え、空いた手でそれまできっちりと締めていたシャツのボタン外しながら、紬は少女たちに評価を請う。


「うーん、いまいちね」

「そうね。30点。下心が見え見よ」

「あら、私はなかなか良かったと思うわ。でも、いつもの紬君が一番ね」


 反応はいまいちだったようである。


「詰めが甘くってよ」


 少女たちにたしなめるられるように軽く手で追い払われ、紬は肩を落とす。


「……まったく。阿呆かあいつは。仕事中に女の子と遊ぶなとあれほどいっているというのに」


 そんな紬の接客態度を見てぼそりと呟く男が一人。丁度窓をはさんだ向かい側、テラス席で注文を取っていた細身の店員。名前を御堂(みどう)という。

 緩いウエーブのかかった茶金の癖髪に透き通るような白い肌。そんな異国を思わせる容貌に眼鏡をかけた御堂は、ほとんど店にいない店主に代わり、金銭面や店員の教育等、あらゆることを任されている実質の経営責任者である。


「少々お待ちくださいませ」


 テラスから見える海の景色に溜息を落とす貴婦人に、御堂は爽やかな笑顔を向け店内へと足を向けた。


「柏木。これ頼む」


 カウンターに注文を伝えに行くと、先程のコーヒーの追加を取りに来たらしい紬が、空いたカップをキッチン係の柏木に渡しているところにでくわした。コック服に身を包んだ長身の柏木は目配せだけでカップを置く場所を支持すると、再び下を向いてデザート作りに集中する。

 この店で一番体が大きいというのに、一番器用な柏木は、普段からあまり話す方ではないのだが、集中している時は特に無口になる。仕事が丁寧で早いのは良いが、カウンターでの接客という面においては少々いかがなものか……。しかし、現在の問題は他にある。


「紬。ちょっと良いかい?」


 お客の目に触れないカウンター内の死角に回り、御堂は紬を手招きする。

 御堂の声に気が付き、「はーい」と間延びした返事をしてやってくる紬。それに若干の苛立ちを覚えた御堂は、紬のサスペンダーに手を掛け乱暴に自分の方へ引き寄せた。デザートを作り終えた柏木がそれを横目に「またか」と呟いた。どうやら毎度のことのようである。


「お前、喫茶店で、こんなに純粋な喫茶店で、客の女の子引っ掛けてどうする。仕事をしろよ、仕事を」


 カウンターの隅で紬と共にしゃがみ込み、御堂は静かに怒りをぶつける。因みに少々情けないこの姿、客からは見えないが、柏木からは丸見えである。


「引っ掛けるって、人聞きの悪い。あれは接客だよ、接客。このご時世、多少のサービスは必要だろう? あの子達楽しそうだったし良いじゃん。それに前半の接客は完璧だったじゃないか。いったいどこに文句があるかな」

「すべてかな。存在も含めてすべてだよ」


 即答であった。そんな御堂の答えに、紬は肩をすくめて見せた。


「なんだよそれは。もう、ひどいなあ」

「あのなあ、紬君。いくら温厚な僕でも、いい加減にしないと……」


 苛立つ御堂。それとは反対に、何を言われても余裕の笑みを浮かべる紬。


「しないと? しないとクビにするって? ふふん。できないくせに」

「……っ」


 残念ながら、御堂は店員を解雇する権利は持っていない。御堂は言葉に詰まり、歯がみする。

 にやにやと嫌な笑いを浮かべ御堂を見やる紬と、それを睨んで返す御堂。完全にその場は硬直状態を迎えた。


「おい、御堂っ。紬っ」


 しかし、その状態も低いが良く通る柏木の声によって、すぐに終わりを迎えた。珍しくも慌てた様子のその声に、二人は何かを感じて振り返る。


「取り込み中悪いけど……あれ」


 あまりにも息の合ったタイミングで同時に振り向かれ、一瞬目を見張った柏木であったが、すぐに気を取り直し正面のホールに向けて人差し指を向けた。つられて御堂と紬も身を乗り出してホールを覗く。


「わわっ、っと……おぉっ!」


 右に、左に、ゆらゆら揺らめく、十数個ものグラスが重ねられてできたタワー。それを一本ずつ両手に持ちバランスを取るのは一人の小柄な店員。その覚束ない足取りは、今にも何かの拍子に体勢を崩して店の床に硝子(ガラス)の花を咲かせてしまいそうだ。恐らく、御堂と紬がホールを離れてしまったことでグラスが溜まってしまったのだろう。それを代わりに片づけようという心は素晴らしいが、何故いっぺんに運ぼうとする? これは危険すぎる。周囲の客も不安そうな面持ちでそれを見守っているではないか。


「ほ、蛍!?」

「おいおいおいっ」


 その姿を認めるや否や、二人は青ざめてその場で声をあげた。

 が、それがいけなかった。その声に驚いた店員――蛍が椅子の足に(つまづ)きバランスを崩したのだ。


「ひゃあ」


 何とも情けない声を上げる蛍。客の誰もがその光景に目を覆った。柏木が「またか」と皿を拭きながらため息交じりに呟く。どうやらこれも毎度のことのようである。

 しかし、それでも目を覆うことなく諦めない者が二名ほどいた。

 まず、グラスが傾くと同時にスタートを切ったのは紬であった。紬は勢いよく床を蹴ると、片手を軸に柏木のいるカウンターを飛び越えた。カウンターでお茶をしていた老夫婦が驚きと称賛の入り混じった歓声を上げる。

 そしてそれに数瞬遅れて出たのが御堂。さすがに御堂は紬のように派手なアクションは起こさなかった。きちんとカウンター横の扉を出てから、蛍の方へ駆け寄る。途中、身に着けていた辛子色の腰巻エプロンが邪魔になり脱いで放ったが、それは柏木が見事にキャッチした。

 その間にも崩れ落ちるグラスと倒れこむ蛍。

 もう間に合わない。店内に響き渡る破砕音を予期し、誰もが両手で耳をふさいだ。


「わっ!」


 しかし、その音はいつまでたっても客たちの耳には届かなかった。かわりに聞こえてきたのは、グラスが(かす)かに擦れ合う小気味良い音と蛍の短い叫び声。

 店内の一同が恐る恐る顔を上げ、様子をうかがう。


「やだ、紬君。でもナイスキャッチ」

「その姿の方が、先程よりも格好よくってよ」


 窓辺で笑う3人娘の可愛らしいその声がきっかけとなり、それまで静まり返っていた店内が明るい雰囲気に包まれる。

 そこには、御堂によって片手で軽々と抱えあげられた蛍と、腹這いの状態で両手をいっぱいに前に伸ばし、曲芸よろしくグラスタワーをキャッチした紬の姿があった。


「蛍!!」

「蛍!!」


 蛍に向かって同時に発された御堂と紬の鋭い声が店内に響き渡った。


「すいません。騒がしくて」

「いいんですよ。ねえ、あなた」

「ああ。いつものことだろうに。構わんよ」


 カウンター越しになされる柏木と老夫婦の会話は、何事もなかったかのようにごく平静に為された。

 まだファンタジー要素はありませんが、町の様子や彼らの人物像を少しでも想像していただけたなら幸いです。

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