いつかきっと
秋の兆しが匂いだした山道で僕は車を走らせていた。北海道の秋は早い。
悲しみと、どうしようもない後悔だけが僕の中で混じり合って、言葉にしたらとても単純なように思えるかもしれないけど、それは複雑な感情だった。
彼女と再会したのは去年の夏。
「あれ? いっちゃん?」
町中で突然話しかけられた。声がした方を見ると、夏だというのにやけに真っ白な肌をした女性が立っていた。
「え! 長月さん?」
小さい町だ。旧友にばったり会うなんてことは日常茶飯事だった。でも僕が驚いたのはその相手が長月つぐみだったから。彼女は僕の初恋の相手だった。
「長月さんって……昔みたいにつぐみでいいよ」
彼女はにっこりと笑った。
「あ、えらく変わったね。最初誰かと思ったよ」
嘘だ。声を聞いた瞬間に僕は思いだした。でも彼女はとても変わっていた。中学の頃は水泳部に所属していて夏ともなればクラスの誰よりも黒く灼けていたし、もっとハツラツとした感じがしていたのに。今はほっそりとした手足と、真っ白な顔をしていた。
「何年ぶりかな?」
彼女の声。すごく懐かしい。その声を聞いただけで、なんだかドキドキしている自分がいる。
「七年ぶり、ぐらいかな?」
中学を卒業してそれ以来会っていない。僕の初恋は結局告白もしないまま、高校を卒業する頃には消え去っていった。それでも丸々五年以上は彼女のことが好きだったのだ。今の自分からすると、かなり純情だったな。
「いっちゃんは今、どうしてるの?」
「今は東京の大学に行ってる。つぐみは?」
「私は……今は嫁入り修行……かな?」
嫁入りってことは……。
「結婚するの?」
「ううん、ううん」と大げさに手を振り「無職で実家にいるってだけで」と少し恥ずかしそうに言った。
「そっか、安心した」
「え?」
「あ、いやいや。同い年の奴が結婚ってなんか焦るからさ」
「そだね。いっちゃん、なんか大人っぽくなったね」
「そう? つぐみの方が大人っぽくなってて驚いたよ」
なんて世間話をして別れた。それだけだった。どこかに誘いたかったけど、昔の純情な気持ちが思いだしたように湧いてきて気恥ずかしくてできなかった。
それから一年経った。夏休みに僕は再び帰郷した。中学時代の友達の家に遊びに行き、その時初めて聞いた。
「長月つぐみっていたじゃん。去年の九月に病気で亡くなったって知ってるか?」
僕はその時、相当変な顔をしただろう。驚きで声が出なかった。
「イチイは知らなかったのか? お前、彼女のこと好きだっただろ……。大丈夫か?」
「そ、それ本当か?」
ようやく出てきた声が震えているのが自分でも解った。彼女への想いはとっくになくなっていたはずなのに、この動揺はなんだ?
「あぁ。俺もさ、自分と同じ歳の奴が死ぬなんて、未だに実感ないよ。イチイ、大丈夫か?」
友人が再び聞いてくる。
「う、うん。大丈夫。そうか、そうだったのか……知らなかった……」
あれだけ好きだった人がこの世からいなくなっても、僕は平然と一年近く生活してきた。その事がなんだかすごく後ろめたく、そして悔しかった。
そして僕は夜になってから一人で車を出し、今この山道を走っている。
どういう気持ちになったらいいのか? そんな事すら解らない。混乱した頭のまま、無意識に山の頂上近くにある公園へ向かっていた。夜の山道は静かで車が放つ音だけがやけに耳についた。たまらなくなってラジオをつける。ノイズがひどく、DJの軽快なトークが、まるで遠い世界の事のように感じた。
公園につき、車を降りる。外の空気は冷たく澄んでいて、今の僕には心地よかった。僕は感情の全てを一度リセットし、歩き出した。誰もいない。遠くで何かの鳥が羽ばたく音と木々の揺れる音だけが聞こえてくる。
公園には僕らが住んでいた町を見下ろせる場所がある。そういえば中学生の頃、よくここへ来た。険しい坂道を自転車を必死でこいで登り、そしてこの景色を見る。小さな町。いつかこの町を出るんだ。僕はいつもそう思っていた。今、僕はこの町を出た。都会では色々ありすぎて、僕はそれを一つ一つ飲み込んでいくだけで、いっぱいいっぱいになっていた。あれだけ好きだった人がこの世からいなくなったというのに、僕は何も知らずに、のんべんだらりと生きていた。この一年なにがあっただろう? 具体的に思い出そうとしても特に何も浮かばなかった。都会に出ても、そこには何も得る物なんてなかったんだ。
しばらく町を眺めていた。僕が捨てた町。つぐみが生きていた町。
僕が捨ててしまった本当は大事なモノ。それがいっぱい詰まっているように思えた。
いつか、年をとって同窓会なんかで再会したときに、実は好きだったんだぁ、なんて冗談めかして彼女に伝える。そんな事をぼんやりと何度も想像してた。それがもう絶対に実現しないのだ、と思うと、なぜだか胸がすごく締め付けられる。
僕は息を大きく吸い込み、十年間胸にしまっていた言葉を思いっきり吐き出した。
「おれはー、つぐみが、好きだったんだぞー!」
言った後、やっと、やっと彼女がもういないんだという実感が湧いてきた。
――いっちゃん――。
彼女の声を思い浮かべる。去年のあの時ちゃんと言っておけば……。それでも何も変わらなかったと思うけれど、もっと普通に彼女の死を悲しめたんじゃないか?
そして僕は彼女の死を知ってから初めて涙を流した。
いつかきっと、僕はまたこの町で生きていこう。僕は再び、
「つぐみー、好きだったんだぞ!」
と叫んだ。
ジャンル恋愛とはちょっと違うと作者は思っていますが
まぁ細かい事はおいといて
読んで下さった方ありがとうございました。