4:歪んでしまった日常
沙羅と離婚した俺は、更に仕事へ力を注いだ。
仕事は嫌いじゃない。むしろ、離婚した虚しさを埋めるためにしていたと言っても過言ではないだろう。
ワーカホリックなのは自覚していた。
だが、そのおかげで『Dupont』は更なる飛躍を遂げることになる。
『Dupont』はイタリアを飛び出し、パリにも店を構えるようになり、それと同時に、パリ・コレクションも行った。
ビジネス向きのミラノと違って、華やかなパリコレに出展出来るのは単純に嬉しかったし、楽しかった。
その分責任と重責も増えたが、ランウェイを歩いて、喝采を浴びる事がそれを癒してくれた。
パリコレに出展する際に、出演するロシア人モデルと関係を持っていた。
上昇志向な彼女は、最近人気急上昇なブランドのトップデザイナーの俺と関係を持つことで、『Dupont』の専属契約を結びたがっていたのがありありと匂わせていたのだが、俺はそんな浅はかな彼女をなかなか気に入っていた。
別れた沙羅が浮気していたのは薄々気付いていた。
いつから始まったのかは知らないが、別れる数年前から年下のカメラマンの男と関係を持っていた。
それをはっきりと気付かされたのは、事もあろうに秀人の言葉だった。
「母さんはさ、もう父さんじゃない人を愛してるんだよ。」
そうはっきり言われた事で決心が付いた。
離婚した際、沙羅は親権と養育権を放棄する代わりに、俺の財産の半分を持って行った。
婚前契約を結んでいなかったことが災いしたが、面会権すらも放棄した彼女に呆れて、大人しく財産を渡すことを了解し、俺達は呆気なく結婚生活に終止符を打ったのだった。
パリでのファッションウィークが終わって、ロシア人の彼女との関係をすっぱり切った。
だんだんと厚かましくなってきた彼女を煩わしく思い始めてきた頃に、ちょうど、パリコレが終わったのはちょうど良かった。
野心的な女は沙羅だけで十分だ。
それ以後、俺は仕事と女にのめり込むことになる。
仕事では5大コレクションを行い、評判も上々。俺は高い名声を得た。
『Dupont』創設以来の最盛期の始まりである。
私生活では、そんな話題の人物である俺が、派手な女性関係を送っている事を面白がって書き立てるタブロイド詩とパパラッチに追いかけられた。
ある雑誌で『結婚したい男性』と『離婚したセクシー男性』にも入ったおかげで、更にパパラッチに追いかけられる事になった。
慌ただしい毎日を過ごしているせいで、子供たちと疎遠になっている事に気付けなかった。
あれだけ沙羅と子供たちの事で揉めて離婚したのに、その子供たちを蔑ろにしている自分。
広い家に子供と家政婦、ナニーだけを残し、たまに帰るだけ。パリだけではなく、NYや、ロンドンにも出店したおかげで、何ヶ月もの間顔を合わせる事が無いなんて事はザラ。
学校行事にも出席出来ず、秀人が所属しているサッカークラブの送り迎えも出来ない。
美奈に至っては、起きている姿を見たのがいつだったのか。それすらもわからなくなっている。
二人の誕生日や感謝祭、クリスマス。
それを一緒に過ごしてやる事が出来なかった。
気が付けば、二人に話しかけられる事も無くなっていた事すらわからなかった俺は、今や最低の父親に成り下がっていた。
そんな俺を、千歳は厳しい言葉と、有無をも言わさぬ態度で諌めた。
シカゴに仕事で行った俺は、千歳と会う約束を取り付けた。久しぶりに会った千歳は、気になっていたという彼女と付き合い、順調に交際をしているという。
医者としての真っ当で順調なキャリアも、本気で惚れた彼女との交際も。
何もかもが俺とは違う。
「お前、何やってんだよ。」
「何って、何だよ。パーフェクトな毎日を過ごしているけど?」
「子供達をほったらかしてか。お前、最近子供の顔いつ見た。もちろん話なんてしてないんだろうな。」
あまりに的をえた言葉に返事を返すことが出来ずに、言葉を濁らせ他の話題に移ろうと思ったが、眉間に皺を寄せて、渋い顔をした千歳はそれを許さなかった。
「総一郎、俺は沙羅と別れたのは正解だったと思ってる。あのままじゃお前たちは悪くなる事はあっても、良くなる事はなかっただろうからな。だけど、それと子供たちとは別問題だ。お前も傷付いてるかもしれないけど、それ以上に傷付いてるのは秀人と美奈だぞ。わかってるか、その事。」
「…うるさい。」
「聞きたくないことには耳を塞いで。見たくないことに目を閉じて。総一郎、お前はあの子たちよりガキだ。」
「…っ!うるせぇんだよ!わかった事言ってんじゃねぇ!お前に俺の何がわかるっていうんだよ!!」
「わからないから言ってんだろ!お前が自分で自分の事すらわかってないのに、それを俺や他人がわかるとでも思ってんのか!?いい年して甘ったれた事言ってんじゃねぇぞ!!」
そこが人目に付く場所だとか、俺がパパラッチに追いかけられる立場だとか。
頭に血が上った俺はそんな事を全く考えずに、感情の赴くまま千歳を思いっきり殴っていた。
「いっ…てぇな!!この野郎!!」
そう言って千歳も俺に殴りかかり、その場は俺と千歳の取っ組み合いの喧嘩の場と化していた。
最終的には、周りにいた人達に羽交い締めにされて止められた。
警察を呼ばれなかっただけマシで、俺達二人はボロボロのまま千歳の勤めている病院に運ばれた。
『チトセ!一体その顔どうしたの!?…それに…ボロボロだけど…まさかソウイチロウ・キリュウ!?』
『ドクター!まさかあなたがミスターキリュウを殴ったの?』
看護士が言ったその言葉にギロリと俺を睨んだ千歳は、痛そうに顔をしかめた後、むっつりと黙り込んだ。
お互い怪我を治療してもらったのはいいが、如何せん、殴った場所が悪かった。
千歳の口元は切れ、頬には痣が出来ている。俺も似たような状態なのだが、これではしばらく公の場所には出られないだろう。
そういえば、シカゴには仕事で来ていたはずで、明日の予定をキャンセルしようと電話をかけに病院のベッドを離れた。
外に出て、携帯で秘書に連絡を入れ、渋られはしたが明日の予定をキャンセルした俺は、ふと景色を眺めた。
暫くぶり見た空は、青く澄み渡っている。雲も出ていなく、ただひたすら青い空を見上げた俺は、知らずに深いため息を付いた。
余りに澄んだそれは、今の俺には眩しすぎる。
千歳に言われた言葉を思い返し、ズキンと痛む胸を押さえて、その場に立ち竦む。
あいつが言った事は全て事実で。
事実だからこそ、腹が立って、俺の今の余りに荒んだ現実だったからこそ千歳には知られたくなかった。
俺は見たくない現実――沙羅の浮気と離婚――に目を瞑り、聞きたくないこと――子供達との関係――には耳を塞いで、ひたすら仕事と女に逃げている。
ランウェイでの喝采。
一時の快楽。
これを、中毒と言わずになんと言うのか。
誰にも相談することも出来ず、自分のことすら見失いそうで。
美しかったはずの夢が、どす黒く塗りつぶされようとしているのに、何も出来ず、足掻く事すら出来ないでいる。
俺には、もう、何もかもがわからなくなっていた。