3:結婚と離婚
この話はあくまでもフィクションです。
俺がイタリアに行った時、その時付き合っていた女と別れた。
イタリアと日本の遠距離なんて俺には無理な話だったし、何より服だけの事を考えていたかった。彼女には泣かれたが、俺にはどうしようもなかった。というか、する気が無かった。惰性で付きあっていたようなものだったから。
イタリアに来て、仕事を覚えるので多忙だったのもあるが、面倒くさいのもあり、特定の誰かと付き合うとかそういうのはしてなかった。
後腐れのない女と寝るだけ。
その関係は酷く楽だった。
そんな付き合いばかりをしていた時、俺は沙羅と出逢った。
彼女の名前は、都筑・沙羅・デュヴォワ。
当時、駆け出しのファッションモデルだった彼女は、日本人の祖父とフランス人の祖母を持つクォーターで、とても美しい容姿をしていた。
祖母譲りの彫りの深い目鼻立ち、東洋人の肌特有のシミ一つない均整のとれた細い身体。何処を歩いても、沙羅は人目を引く存在だった。
だが、ファッションウィークになれば世界のトップブランドがミラノに集まる。
という事は、ファッションモデルも沢山いる。それこそ、モデル志望の若い女なんて掃いて捨てるほどいる中で、ランウェイを歩けるモデルは、オーディションやそのモデルの知名度で選ばれる。
そんな中では、沙羅程度のモデルなんてザラにいた。何回もトップブランドのオーディションを受けては、落ち、ようやく受かったのが『Dupont』。
「やっと受かったと思ったら、こんなマイナーなブランドなんて!!」
久しぶりに日本語を聞いたと思ったら、そんな暴言だった。
思わず、声の主を探して、それが沙羅だった。
はっきり言って、俺の一目惚れだったと思う。
それだけに、沙羅のワガママな行動や、言動には目を瞑った。
仕事が忙しく、なかなか会えなかったりするとアパートメントに連絡も寄越さずに夜中に来てみたり、クラブで遊んだ後に泥酔状態で帰ってきたり。
その度に喧嘩をした。だが、最後には沙羅に「私を愛して無いの!?」と言われ、泣かれて終わる。
なんだか、だんだん疲れて来ていたのも事実だった。
そんな関係が2年続いた、ある日、沙羅が真剣な顔で俺に話があるから、今から会えないかと言われて、俺のアパートメントの近くのカフェで会うことになった。
「妊娠したの。」
一瞬、頭が真っ白になった。
その後に、喜びが心を占めた。俺はすぐさま、その場で跪いて沙羅にプロポーズをした。指輪が無かったので、俺がはめていた指輪を婚約指輪代わりにして。跪いている俺に沙羅は泣きながらイエスの返事をしてくれた。
嬉しかった。
俺の家族が出来る。
血の繋がった俺の子供と、愛している沙羅の。
嬉しくて、時間も、時差の事とか何もかも忘れてすぐさま千歳に電話した。
「もしもし、千歳?俺結婚するから。」
『は?お前結婚って何?まさか、あの沙羅っていう女?本気かよ…』
「何だよ、その反応。てっきり喜んでくれるんだと思ってたのによー。あ、あと、俺父親になるから。」
『はぁ!?』
「何だよ、聞こえなかったのか?子供が来年生まれるんだ。」
『聞こえてるよ、聞こえてるけど…。子供って総一郎、お前…。』
それだけ言うと、千歳は黙った。
そう言えば、こいつもそろそろインターンになるんじゃなかったかと思い出す。
「そういや、お前そろそろインターンになるんじゃなかったか?」
『…あ、あぁ。』
「大丈夫なのか、お前。大学、2年もスキップしてるんだろう?」
『あぁ。勤務する病院も決まったしな。なんとかなってると思う。』
「そうか。立派なアテンディングになって、後輩にもいろいろ教えてやれよ、大先生。」
『うるさい。…なぁ、総一郎…、本当にこのまま沙羅と結婚するのか?』
やけに突っかかるなと思った。
千歳のこの言い方はきっと賛成してはいないのだろう。長年付き合ってきた俺にはわかる。
「お前、反対なんだろ。俺の結婚。」
『…反対とかじゃないんだけど…。お前さ、沙羅を愛してるから結婚するんだよな?子供が出来たからじゃなく、沙羅と一緒に居たいからだよな?』
「当たり前だろ。」
そう言いながら、俺は千歳が投げかけ、心の中に波紋を広げている痼りを無視していた。
一年後、沙羅は無事に元気な男の子を生んだ。
秀でた子になって欲しくて、そのまま『秀人』と名付けた。
そして、その四年後、娘の美奈も生まれた。
仕事も板に付いてきて、若輩ながら俺にも自分の仕事がさせてもらえるようになっていた。
公私とも順調で、幸せだった。
可愛い子供達と、愛する妻、沙羅。
思えば、その時期が沙羅と過ごした幸せの絶頂期だったのかもしれない。
後になってそう気付いた。
美奈が生まれた後、俺は仕事で大きなチャンスを掴んだ。
イタリアの有名富豪の未亡人が着るドレスを、俺がデザインする事になったのだ。
これが成功すれば、『Dupont』最年少のトップ就任も夢じゃないと周囲からの期待も高く、俺はひたすら試行錯誤を繰り返し、ようやく納得がいくドレスを作り上げた。
赤を基調としたタイトなドレス。
オフショルダーの、纏わりつくほど長い裾が特徴のそのドレスは、イタリア社交界の話題となった。
その噂を聞きつけたイタリアの王族の一人が、是非とも妻のイブニングドレスを作って欲しいと依頼され、俺はその仕事にも嬉々として飛びついた。
そして、気が付けばいつの間にかあれほど憧れだった『Dupont』のトップデザイナーに就任していた。
エリザベートのイブニングドレスに心を奪われ、家族を捨て、日本を離れて、イタリアの地に来て、既に10年以上経っていた。
俺は遂にここまで来たのだ。
千歳からもトップ就任の祝いは電話でもらった。
『おめでとう、総一郎!やったな、お前!!』
「あぁ、ありがとう、千歳。ようやくここまで来たよ。俺、単純にすげぇ嬉しい。だってさ、夢だったんだぜ?それが遂に実現出来たなんて信じられねぇ。」
『ははっ!まさか泣いてないよな、総一郎?』
「泣かねーよ!!ま、感涙ってやつは泣いた内に入んねーけどな。」
はははと笑いながら、互いの近況を話し合った。
千歳は、1年のインターンを無事終え、レジデンシーも終了しようとしていると言った。
「へぇ…じゃあ、そのまま外傷のアテンディングになるのか?」
『いや、フェローシップも考えてるんだ。だけど、フェローを受けると、更に研修期間が伸びるし、また忙しいままだからな。悩んでるんだよ。』
「そうか…。お前はどうしたいんだ?」
『もちろんフェローは受けたい。知識が増えるからな。ただ、俺…』
「どうした?ただ、なんだ?」
『好きな子が出来た。』
しばし呆然。
その後、千歳には悪いが爆笑してしまった。
千歳は俺と違って恋愛にはニブく、誰かを好きになったと相談されたのは初めてだった。
だけど生徒会長を中高と務め、容姿も悪くなかった千歳はそれなりにモテていた。付き合った彼女だっていた。だだ、その彼女が好きなのかと聞くと、いつもはぐらかされていた。
あぁ、きっと好きかもわからないのに付き合ってるんだな。といつも思っていた。
そんな千歳に、好きな子が出来たと言われて驚かないのがおかしい。
爆笑した俺を千歳は本気になって怒っていた。
『なんだよ!そんなに笑うことないだろ!!やっぱりお前に言うんじゃなかった!!忘れろ、忘れてくれ、総一郎!いいか?お前は何も聞いてない。そうだろ?』
と威嚇するような声で言われても、全然怖くない。きっと電話の向こうでは、眉間に皺を寄せ、青筋立てて怒ってるんだろう。容易に想像はつく。
俺は笑いすぎて流れた涙を拭い、ようやく話せるようになったが、千歳はまだ憤慨していた。
『ところで、子供達元気か?前会った時は、美奈ちゃんがまだよちよち歩きしてた頃だから、大分大きくなっただろ?』
「あぁ、二人ともかなりでかくなったよ。秀人はもう小学生だしな。」
『そっかー、そんなになるか。俺達も年取るはずだよなぁ…。そうだ。沙羅は?元気か?』
「……多分な。」
『多分?多分ってなんだよ。』
「千歳、お前、俺が結婚する時言ったよな。子供が生まれるからじゃなく、沙羅を愛してるから結婚するんだろって。確かに、俺は生まれてくる秀人に責任を感じたし、沙羅を愛してた。だけど、今は正直わからない。」
『…もう駄目なのか、お前達…。』
「あぁ、駄目だと思う。」
美奈が生まれてから、半端じゃなく忙しくなった俺は、ほとんど家に戻らない日々が続いた。そんな俺に腹を立てた沙羅とはいつも喧嘩をしていた。
久し振りに家に帰っても、喚き散らす沙羅と一緒に居たくなくて更に仕事にのめり込んだ。
レディースラインだったのも更にその喧嘩に拍車をかけた。
初めに作ったドレスの未亡人との関係を疑われたのだ。それだけではなく、コレクションで出演するモデルも邪推された。
「いい加減にしろよ!浮気なんてしてるわけがないだろう!!仕事しかしてないのに、浮気出来るわけないだろ!?」
「あなたはいつもいつも、仕事仕事仕事!!子供達を私に押し付けて、自分はあんな華やかなファッションの世界に生きてる。私だって戻りたいのよ、あの世界に!!」
「は!?沙羅、お前戻る気なのか、モデルに。」
「そうよ、悪い?私だってまだまだ若い子には負けない位の自信はあるわ!」
「子供達はどうする。」
「ベビーシッターを雇えばいいじゃない。私はもう子供の面倒なんて見たくないもの。」
「お前それでも母親か!!」
「何よ、自分だってたまにしか帰ってこない父親のくせに、私に偉そうな事言わないでよ!!」
回を増すごとに喧嘩は酷くなる一方で、既に子供達も気付いている。自分達の両親はもはや修復不可能なのだと。
その証拠に、秀人が俺に向ける目線が全てを物語っていた。
もういいよ。
と。
結局、トップ就任から1年後。
俺と沙羅は離婚した。
ランウェイとは、コレクションで歩いてる長い道の事です。
それとアメリカの研修医制度に関しては、かなりな誇張もあるかもしれません。
ただ、1年間のインターン(新人)、~6年のレジデンシー(まだ半人前の医師)、その後のアテンディング(教える立場の医師)に関しては間違ってないかなーと思います。多分…。
フェローシップとは更にその専門職を極めたい人が、推薦を受けてやれるやつ…らしいですが、詳しくはググって下さい…(汗)