2:夢と現実
文中に『』の会話が出てきます。一応イタリア語になりますので、あしからず。
日本を発って、早くも一年が経っていた。
俺が働いているのは『Dupont』(デュポン)という、一般にはあまり知られていないブランドのレディースラインだ。
今はまだまだ雑用しかやらせてもらえていないが、近い将来ここのブランドを世界的に有名にしてやろうと意気込んでいた。
俺が初めて『Dupont』の服に出会ったのは、13歳の頃。
当時イタリアに住んでいた俺は、ただ漠然と親が決めたレールを歩く事の意味を見い出せないでいた。
父は外交官で、母は良き妻の見本のような人だった。それはいい親だという意味ではない。
両親は、俺にも将来外交官か官僚になって欲しいと考えていて、幼い頃から徹底的な英才教育を施された。
それから数年経ち、弟が産まれ、弟の方が優秀だと分かると手のひらを返したように、両親は弟を熱心に教育した。
何をしても弟の方が上手くこなし、弟ばかりが可愛がられる。当然俺は家族から弾かれたように、孤立した存在だった。
そんな中、俺は『Dupont』のイブニングドレスを見て、一目で心を奪われた。
大胆にカットされた襟ぐり、流れるようなウエストライン。背中には布が一切無い。裾は波打つように長く。それでいて膝から下がわざと見えるような計算のされ具合。
ヴァイオレットカラーの美しいドレスは、俺の心を激しく揺さぶった。。
セクシーかつ、エレガント。
その言葉がまさに相応しいドレスだった。
当時『Dupont』のデザイナーは『エリザベート・デュポン』。
『Dupont』ブランド創設者の孫であり、トップデザイナーでもある彼女のデザインした服はまさに魔法のような素晴らしさだった。
エリザベートのイブニングドレスに出逢い、影響を受けた俺は密かにデザインの勉強を始めた。
初めは興味本位な見様見真似の落書きのようなデザインだったが、俺が本格的にデザイナーを志すまでにはさほど時間はかからなかった。
両親と決定的に袂を分かったのは、デザイナーになるために大学を中退め、単身イタリアに行くと決めた時だ。
これまでも親子仲は良好とは言えなかったが、この事が決定打になった。
「お前は私たちが育てたとは思えない失敗作だ。もう二度と桐生の敷居を跨ぐな。」
こうして俺は、桐生の家族とは縁を切った。
どうせ優秀な弟がいるのだし、俺にはこの両親と弟の選民意識が好きにはなれなかった。俺はこの縁が切れることに清々していた。
ただ一人、千歳はそんな俺を見て苦言を呈した。
「お前さー、家族と縁切ったって言っても、一応は血の繋がった親と弟じゃないか。寂しくないわけ?」
「寂しい?千歳、お前本気で言ってんのか?親父はいつも俺を『出来損ない』扱いだったし、お袋は弟にべったり。弟は弟でマザコン一直線だよ。あんなのと家族だなんて虫唾が走る。」
「総一郎。」
「なんだよ。」
じっとこちらを見る目は厳しい。何かを言いたいらしいが、千歳はむっつりと口を噤んだ。
「なんだよ、ハッキリしねぇな。言いたい事あるんだったら言えよ。」
「いや…いい。お前もいつかわかると思う。」
それきり千歳は何も言わなかった。
『ソウ!これ運んで!それからこっちの布も持ってきて!』
『わかりました!』
あれから忙しい毎日を送っている。
だが、あの閉塞しきった幼少時代を考えれば、今の方が遥かに充実している。
夢は、エリザベートのような誰かに影響を与えられるほどの服を作ること。そのために、今は日々勉強だ。例え雑用でも、それが俺の糧になると信じているから。
千歳も今大学で医者になるために勉強に励んでいるだろう。
俺と千歳。
どちらが先に夢を叶えるだろうか。しかし、いくら競争したって、叶えばどちらも勝者だ。
夢を実現させるために俺達は、一日一日を大切に過ごす。
そうだろ、千歳。