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春を待つ雪 〜メガネ君と美少年の男子高校生ふたりが、秘密のSNSアカウントを作る話〜  作者: キタノユ


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26/35

ep.25 それぞれの、新学期

 二学期の始業式の朝。

 雪は楠原高校へ向かう下り電車の、いつもの位置に立っていた。ポケットから取り出したスマートフォンを覗く。あの日以来、春希からのメッセージが届くことはなく、2ki_daysの更新も止まったままだ。


――僕、春希にそんな同情されたくない!

――「家」がある春希にはわからないんだ!


 そう叫んだ瞬間の春希の顔が、まだ瞼の裏でちらつく。

「はぁ……」

 何度目になるかも分からない息が漏れた。雪はスマートフォンを胸元に抱きしめ、軽く首を振った。

 言ってはいけないことを、言ってしまった。二人の違いは、誰のせいでもない。春希はいつも心配してくれた。命をかけてまで助けてくれたのに。

「春希……」

 電車の中なのに、瞼が熱くなって涙が込み上げそうになる。


 今日は、川に落ちて以来の登校だ。クラスメイトたちは自分にどんな視線を向けてくるだろうか。ネット上の騒ぎは収まりを見せていたが、外を歩けばすれ違う人の顔のわずかな動きすら気になってしまう。

 春希が近くにいることが、当たり前になっていた。謝りたい気持ちよりも、自分本位の不安が勝ってしまう瞬間もあって、何度も自己嫌悪した。


 電車が楠原駅のホームに滑り込み、ドアが開く。吐き出される人波の最後尾に混じり、階段を上がって改札口へと続く列に並んだ。


「あ……」

 改札の向こう、コンクリート柱の傍らに、その姿があった。

 夏の太陽を吸い込んで褐色に引き締まった腕。黒縁メガネの奥で、春希がどこか控えめに目元を緩め、すっと片手を高く掲げていた。


「春希っ」

 思わず速足になって改札を抜ける。出口へ向かう通勤客や生徒の波を割って、雪は春希のもとへ向かった。背中に視線を感じたが、どうでも良かった。

「ごめん」

 あと一歩というところで、春希が深く頭を下げた。

「待って。謝らないで」

「むぎゅ」

 雪は両手で春希の頬を掴み、強引に前を向かせた。頬が押し潰されてメガネがズレた顔が、雪の目の前に現れる。


「ぶふっ」

 耐えきれずに雪の口元から小さく笑いが漏れた。

 春希は雪の手首を掴んで、そっと自分の頬から引き離した。

「お前なあ」

 黒縁のフレームを押し直しながら、春希の口元にも笑いが広がる。

 二人で目を合わせ、ひとしきり肩を揺らした後、春希はちらりと周囲へ視線を巡らせてから、まっすぐ雪の瞳へ向き直った。


「あとで、聞かせてくれるか」

「え……」

「進路のこと。俺も、報告したい」

 強張りが残っていた雪の頬の線が、滑らかに解けた。

「うん……! 聞きたい。話したい」

「行こ」

「うん」


 夏休み明けの、少し気だるい空気の中、二人は歩幅を合わせ、通学路の坂道へと歩き出した。



「あれ、牧野。ちょっとデカくなった?」

 二人そろって教室に入ると、廊下側にできた島にいた男子生徒の一人が春希に声をかけてきた。夏休み前と、髪色が変わっている。日焼けもしていた。

「え」

 思わず春希は足を止める。男子生徒はニッと笑うと、自身の肘を曲げて作った力こぶを軽く叩く仕草を見せる。

「……荷物運びのバイトしたからかな」

 日焼けして硬くなった己の腕に視線を落としつつ答える。

「かっけぇじゃん」

 気さくにひらひらと手を振り、男子生徒はそのまま自分の席の輪へ戻った。


「……」

 そんな風に言われたことは初めてだった。

 気配を感じて隣を見やると、雪が口元に手を当ててニヤニヤと笑いを噛み殺していた。春希が「なんだよ」と目で咎めても、雪は知らん顔で小さな肩を揺らすだけだ。


 窓際の自席へ移動しながら、春希はさりげなく教室全体を見渡した。佐伯結菜の取り巻きたちが「ゆな遅いね」と、開け放たれた扉から廊下を覗いている。

 そこへ、濃紺のポロシャツを着た担任の青木先生が顔を出した。室内を一瞥し、春希の隣に立つ雪へ目を止める。

「遠野、ちょっと」


 青木先生に連れられて雪が向かった先は、一階の奥にある校長室だった。校内で異質な雰囲気を漂わす、重厚な木製の扉を抜ける。

 応接用の黒い革張りソファが置かれた室内に、二人の見慣れぬ人影と、見知った顔がひとつあった。

 佐伯結菜と、その両脇に立つ両親だ。


「遠野君です」

 青木先生が短く紹介すると、四十代ほどの、暗い色のスーツを身に纏った両親が揃って深く頭を下げた。結菜もおずおずと、両親に倣って身を折る。

「このたびは、娘の軽率な行動で多大なご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」

 父親の低く硬い声が、佐伯一家の足元に落ちる。


「あ……いえ、もうそのことは」

 予想外の重苦しい出迎えに、雪は一瞬だけ体を強張らせる。佐伯家の三人は、なかなか頭を上げようとしなかった。


「どうぞ、お顔を上げてください」

 見かねた校長が穏やかな声で促す。三人はようやく、少しずつ姿勢を正した。顔を上げた結菜の目は、赤く潤んでいた。

「遠野君、ごめんなさい。ゆなのせいで……」

 頬は削げ、腕も青白い。

「本当に、そのことはもう」

 雪は短く応じ、それから結菜の両親へと真っ直ぐに向き直って丁寧な角度で頭を下げる。

「わざわざ、ありがとうございます」

 結菜の両親は面食らったように、目を見開いていた。


 この数日後、雪を執拗に追い回し、川に落ちる原因を作った三人組も、それぞれ青ざめた顔の親に伴われて謝罪に訪れることになる。三人は沿線上の大学の一年生で、動画投稿SNSに共同チャンネルを持つ仲間なのだという。


 雪の担当弁護士と相手方の親たちの間で、示談はすでに成立していた。それでも直接の謝罪の場が設けられたのは、三人への教育的指導という意味合いもあってのことだ。

 事件が警察沙汰となったことで彼らは大学から停学処分を受けており、雪が許すかどうかにかかわらず、大学内の協議次第では、退学を含むより重い処分が下される見通しだという。



 二学期初日は、始業式とホームルームだけで午前中のうちに終わる。春希と雪は連れ立って教室を出て、中庭へ向かった。

「俺の方から話すけど、良い?」

「うん」

 春希はベンチのささくれに手をつき、雪の方へ体を向けて座り直す。雪もまた、両膝を春希の方へと向けた。


「今月末に、進路希望調査があるだろ?」

「うん」

「俺は、理系クラスにする」

「そっか」

「それで、大学の建築学科を目指す」

「おお!」

 雪の瞳が、ぱっと花開いた。


「志望校も、いくつか候補を決めた。今の学力じゃ全然足りないから、冬から塾に通わせてもらえないか親に相談する。でも水泳は辞めないし、事務所のバイトも続けたいと思ってる」

「すごいね、忙しくなるね!」

 報告の一つひとつに、雪は嬉しそうに反応した。

「忙しくなるのは、雪もだろ」

「なる、ように頑張らないとだね」

 雪は丸い頬を、指先で所在なげに掻いた。


「次は、雪の話を聞きたい」

 春希が促すと、雪は「はい」と手足をきちんと揃え、背筋を真っ直ぐに伸ばす。

「僕は、事務所に――オフィス・シノミヤに、入ることにしました。英語と国語はちゃんと勉強しておきたいから、二年生からは文系クラスを選択するけど……大学には進学しません」

「うん。そうか」

 改めて本人の口から聞いても、春希の腹の底は少しだけざわめいた。


「あ、でも他の人には内緒にしてね。『カイキン日』っていうのがあるんだって」

 雪は人差し指を、杏の実のような唇にそっと当ててみせた。

「わかった」

 春希は深く、頷いた。

「あー……どんな仕事をするのかって、決まってるのか?」

 春希の問いに、雪は「え〜」と両手を頬に当て、恥ずかしそうに身を縮めた。


 雪が社長から聞かされているプロモーション計画は、春希の想像よりもずっと堅実なものだった。スチールモデルをこなしつつ、映像系の俳優を視野に入れているらしい。高校に在学している間は仕事を詰め込まず、学業を優先する方針だという。


「そうか」

 春希は長く息を吐き出し、知らないうちに強張っていた両肩から、すとんと力を抜いた。

「あとね、食生活とか、体づくりに関しても、事務所から細かい指導が入るんだって」

「アスリートみたいだな」

「もうちょっとお肉をつけなさいって、言われちゃった」

 雪は両腕を前に突き出し、少し不満げに唇を尖らせた。

「春希みたいにするには、プロテイン飲めばいいの?」

「俺は飲んでないぞ」

 二人は顔を見合わせて短く笑い合う。


「あの、さ……」

 ふと、雪がベンチの隙間を詰めるようにして、春希の方へわずかに顔を近づけてきた。

「お願いがあるんだ」

「ん?」

「2ki_daysは、続けてもいい?」

 春希は軽く首を傾げる。

「SNS、厳しくなるんじゃないのか?」

「匿名だもん。これからも気をつける。春希との大事な場所だから」

「……雪が良いなら、別に良いけど」

 春希は伊達メガネのブリッジを人差し指で押し上げた。

「うん」

 雪の顔に、今日一番の笑みが広がった。


 その日の午後、しばらく動きを止めていた2ki_daysのタイムラインに、久しぶりの新しい投稿が流れた。

 高く澄んだ初秋の青空。そこへ向かって、二つの拳が並んで突き出されている写真だ。添えられた短いキャプションには、こう記されていた。

『新学期 *△』

 ハートは二十個。コメントは五つ。

 フォロワー数は四百に届こうとしていた。


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