僧侶イデアの憤慨
肺が焼け付くような高温の中で、悲鳴と竜の咆哮が入り混じる。
炎の中で逃げ惑う冒険者たちの、皮膚や髪が焼けるにおいに吐き気がする。
なんて地獄絵図——
火の粉の混じった黒煙が舞い上がる戦場で、暴れまわる二匹の火竜から必死に逃げ回りながら、僧侶イデアは憤慨していた。
(こんなのおかしい!! 火竜が二匹なんて聞いてないわよ!!)
こんなはずじゃなかった。
二匹って知ってたら、こんな依頼は受けなかったのに。
イデアの心は後悔でいっぱいだった。
アルセの冒険者ギルドからの要請で火竜討伐の依頼を受けたのは、純粋な人助けのためだった。
勇者エリオネルは、少しばかりどころじゃなく自己顕示欲が強かったが、その正義感は本物だ。
強敵との戦いで他の冒険者を先導しながら先陣を切る勇気と、それを実現する実力を兼ね備えた本物の勇者だった。
イデアは彼の仲間であることを誇りに思っていたし、そんな彼だからこそ、危険な任務にもついて行けた。
あの恐ろしい魔族の国フレスイードからも、高位魔族の情報という成果を得て、無事に帰ってきたのだ。
腕利きの冒険者たちを集めた火竜討伐の合同討伐戦――それは、もちろんパフォーマンスの意味もあったが、来たるべき魔族との戦いに備えた軍事演習も兼ねていた。
冒険者ギルドの協力もあり、事前にできる限りの準備をした。
Aランクを中心に最強といえるメンバーを集め、作戦を練った。
これで、負けるわけがない。
現に、最初に出てきた緋色の火竜までは順調だった。
あと少しで討伐できていたはずだった。
それなのに――
イデアは忌々しげに上空を見る。
そこには赤黒い鱗の火竜が旋回していた。
あいつは逃げ惑う人間たちをあざ笑うように、時折急降下して襲ってくる。
乱入してきた二匹目の火竜は、赤黒い鱗と黒い翼を持ち、緋色の火竜よりも一回り大きい。
そして、緋色の火竜よりも好戦的で、戦闘能力が高い。
解析装置でも確認したから間違いない。
イデアの視線に気が付いたのか、火竜はイデアめがけて急降下した。
逃げようとしたが、身体が恐怖ですくんで動けなかった。
とっさに魔法で障壁を作るが、あの竜の攻撃にはたいした防御効果は見込めないだろう。
イデアは今度こそ死を覚悟した。
「……っ!?」
突然後ろに突き飛ばされて、イデアはよろけた。
その瞬間、イデアの目に飛び込んできたのは、傷だらけの背中――勇者エリオネルだった。
青く光る大盾を構えたエリオネルは、荒々しく襲ってきた火竜の鉤爪をはじき返し、イデアを護った。
だが、続きざまに火竜はくるりと回転し、エリオネルの胴体に太い尾を叩きつける。
エリオネルは衝撃で弾き飛ばされ、火竜は再び宙に舞い上がった。
「エリオネル!!」
イデアは倒れたエリオネルに駆け寄り、傍らに崩れ落ちるように跪いた。
「……イデア、大丈夫かい?」
イデアが頷くと、エリオネルは安堵したように息をついた。
エリオネルはすでに満身創痍だった。
鎧は汚れてあちこちが砕け、自慢の豪奢な金髪は汗と血と泥にまみれている。
いつも自信に満ちていたその顔が、らしくもない弱々しい笑みを浮かべた。
「僕はもうダメみたいだ……」
「エリオネル! そんな弱気なこと言わないでよ!」
イデアはエリオネルの手を握る。血まみれのその手には、すでに握り返す力はなかった。エリオネルの青い瞳がイデアを見て、ゆっくりと閉ざされていく。
「最期に、君たちと冒険できてよかった……」
「バカッ! なに勝手に締めくくりモードになってるのよ!」
叱咤するイデアの声に、エリオネルは、もう答えられなかった。
イデアの目の前で、力を失った身体は力なく大地に投げ出された。
押し寄せてきた絶望に、イデアは叫んだ。
「イヤ!! こんなの絶対おかしい!!」
イデアの紺色の瞳に、みるみる涙があふれてきた。
(ああ、神様……)
僧侶イデアは心から祈る。
自分のこれまでの僧侶としての人生の中でも、一番強く祈った。
もうこの際、神様じゃなくてもいい。
誰でもいいから――
(誰か――誰か助けて!!)
その時、イデアの祈りに応えたかのように、人影が現れた。
黒いフードつきのマントを着た金髪の少年だった。
「あなたは……」
名前は知らないが、見覚えがあった。
たしか、旅の商人だと言っていた。
ギルドで金に困っていたのを見かねたエリオネルが声をかけたのだ。
昨日ギルド登録を済ませたばかりの冒険者ランクFの少年は、細い腕に一目で安物とわかるミドルソードを構えていた。
ああ、神様。あんまりです。
こんな駆け出しの剣士が来ても、どうにもならない。
哀れな犠牲者が増えるだけだ。
上空の赤黒い火竜が、少年をめがけて急降下する。
彼に止めを刺すのは、灼熱のブレスか、鋭利な爪か、それとも牙か。
目の前の惨劇を予測したイデアは、思わず目を瞑った。
しかし――
ズン、重い地響きに驚き、イデアは目を開ける。
飛んでいた火竜が落ちたのだ。
その背にはミドルソードを持った黒いマントの少年が乗っていた。
火竜の背中の翼の片方は根本付近から切断され、赤い血が噴き出していた。
呆然とするイデアの目の前で、火竜の悲痛な咆哮が響きわたった。
空飛ぶ竜は翼を切れば落ちる。
それは当たり前だろう。
だが、飛んでる時にそれを実践する人物は、見たことも聞いたこともない。
火竜の背から軽々と飛び降りた少年は、痛みに暴れ狂う竜に向かって魔法を放った。
「拘束」
光の帯が出現し、火竜を縛る。
異変に気付いたもう一頭が大きく跳躍してくるが、こちらも着地する前に拘束で縛った。
空中で縛られた緋色の火竜が無様に地に落ちるのを、イデアは驚愕の目で見ていた。
竜はそれなりに魔法耐性が高い。魔法は効きにくいはずなのに、この少年は、なぜ、こうもやすやすと二匹の竜を拘束できるのだろうか。
少年は拘束されて暴れる竜に背を向け、哀れな冒険者たちの中に立つ。
そこには彼のほかに、立っている者はいなかった。
ある者はうずくまり、ある者は倒れ伏し、皆が傷つき、苦痛と恐怖に呻いている。
「小回復」
少年は確かに小回復、とだけ唱えた。
単体の小回復――それが小回復だ。
なのに、少年が呪文を唱えた瞬間、自分を含めて半径五メートルほどの範囲にいる冒険者たち全員が、回復色の緑の光に包まれたのだ。
「な……!?」
イデアは目を見開いて絶句する。
みるみるうちに傷口がふさがり、痛みがひいていくのを感じた。
それどころか、戦闘で蓄積された疲労まで癒されていく。
イデアは自らの回復具合に驚愕する。
(なにこれ……小回復ってレベルじゃない!)
詠唱なしの小回復の回復力が、こんなに高いはずがないのだ。
倒れていた冒険者たちが次々に起き上がり、自分の身体を眺めて首を傾げている。
だが、中には起き上がらない人物もいた。
勇者エリオネル――イデアの目の前で、動かなくなった彼の傍らに少年は跪き、その胸に手を当てた。
「蘇生」
白い光に包まれた直後、エリオネルはうっすらと目を開ける。
満身創痍だった身体の傷も、すべて塞がっていた。
まるで奇跡のような光景を前にして、喜びを通り越してイデアは憤慨した。
いやいやいやいや!! おかしいでしょ!!
小回復は範囲魔法じゃないのよ!!
しかも回復量バグってるし!!
蘇生を儀式や詠唱なしで一発成功させるのも、ありえないのよ!!
憤慨と混乱でパニック状態のイデアの前に、少年と同じ黒いフードつきのマントを着た長身の男が現れた。
たしか、あの少年の連れだ。
「おまえらが見ていいのは、ここまでだ」
深海のような青い瞳がゆらめく。
彼の言葉を聞いた瞬間、イデアは意識を手放した。




