第八章『死してなお語る者――王子の遺言状、開封』
裁判の混迷が頂点に達した、そのときだった。
裁判長の元へ、ひとつの封筒が運び込まれた。
「……これは?」
「はい。本日未明、王宮の執務室にて発見された“王子殿下の遺言状”とのことです」
傍聴席に、再びどよめきが走る。
「殿下の遺言……!?」
「まさか、生前に事件のことを――!?」
裁判長は慎重に封を切り、羊皮紙の文面に目を走らせ――次の瞬間、顔が青ざめた。
「……な、何ですかこれは……」
「どうされました、裁判長?」
わたくしがフォークを軽く持ち直しながら尋ねると、裁判長はおもむろに読み上げ始めた。
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【王子殿下の遺言状(抜粋)】
「もしも私が死んだら――そのとき、傍らにクラリス・エヴァンスがいたとしても、彼女を疑わないでほしい。
彼女は少しだけ衝動的なところがあるが、それでも無実だ。
刺されたとしても、きっと理由があるはずだ。たとえば料理の味とか」
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「…………」
「…………」
「……料理の味が理由で刺されたこと、前提になってません?」
「文面のなかに“刺されたとしても”って……刺される覚悟あったんですの?」
でも、驚くのはまだ早かった。
「……クラリス様」
セオドア検事が、ぞっとするような声で言った。
「この遺言状……筆跡が、あなたのものと一致するんだが……」
「…………」
静まり返る法廷。
「……ええ、そうでしょうね」
「『ええ、そうでしょうね』じゃない!!!! お前、何をやっているんだ!!」
「だって、そう書いておけば、有利になるかと思いまして。念のために“もしもの時用”に書いて、机の引き出しに入れておいたんですの」
「人の遺言を“保険”扱いするなあああああ!!」
――あれは確か事件の三日前。
王子殿下が、わたくしの料理に「少し塩気が足りない」と評したその夜。
なんとなくムカッとして、書きましたのよ。
「クラリスは悪くない。たとえ刺されても、クラリスは無実」って。
そう、自筆で。
――でもまさか、本当に遺言として扱われるとは思いませんでしたわ!
「筆跡鑑定の結果……ほぼ完全一致。使用されたインクも、公爵邸の書斎と同じ」
「ええ、それは当然ですわ。だって、わたくしが書いたものですもの」
「“クラリスは無実”って書いてある……」
「自分で無実って言うあたり、潔白の説得力ゼロ!!」
ああ、ついに法廷が完全に壊れてきましたわね。
でも見てください、裁判長は頭を抱えて震えているし、セオドア検事は失笑しながら白目をむいております。
この空気、わたくしが完全に掌握しましたわね?
「では、結論として――」
裁判長が、絞り出すように言う。
「“自筆の遺言で自身を無罪と主張していますが、それ自体が被告の筆跡であり、その信憑性は限りなく低い”……と、判断いたします」
「ま、当然ですわよね」
「しかしながら! この遺言が残された背景、フォークの所在、魚の死因説……あらゆる証拠が錯綜し、犯行の動機および因果関係に合理的な疑義があります」
「つまり……?」
「――最終判断は、陪審員に委ねます!!」