003 ただ祝せよ
崩落した戦場の一角、遙か過去の遺物である霊墳堂の巨大空間にて、一人の英雄が目を覚ました。
「ヅア゛ア゛……、へへッ、おれゃあ運がいい。」
高さ十数メートル、無数の瓦礫と共に落下したヴァンドロスだったが、その体には目立った傷は見られない。
彼自身も多少の打ち身はあれど、剣を振るう事には何の支障もないと感じていた。
ふと傍に視線をやれば凄まじい出血の跡がある。おそらくここに落ちる前に切りつけた、あの少年兵のものだろうと考える。
「こんなことで死んじまったら、勇敢なる戦士の冥土には行けねぇな……。」
ヴァンドロスは少年兵の死にざまを憂う。きっと自身の一太刀が即座に彼の命を奪ったのだと、そう願う事しか出来なかった。
僅かに落ち込んだ素振りを見せるも、ヴァンドロスはすぐに起き上がる。
「さて、早く戦場にもどんねぇと、どうにか天井の穴を抜けれればいいが…………。いや、その前に俺の剣はどこだ?」
そう言って周囲を見回し、そして硬直した。
……──ソレは正に、超常の現象であった。
宙を舞う血肉、散乱したはずの腸を粘性の血が絡め取り、やがてあの少年兵の姿をかたどっていく。
ジュグリ、グチュリと不快な音を奏でながら。
その生命を冒涜するかのごとき光景にただ恐れおののき、呆然と立ち尽くすことしか出来ない。
……ただし、それはあくまで“人”の思考、そのおぞましい光景にヴァンドロスは興奮を抑えきれずにいた。
その異常の由来は度を越した“戦意”。恐れは昂りに、躊躇は反骨に、そしてその牙は常に前を向く。
「アハハ、なんだぁお前?! 死者の国から舞い戻ってきやがったか!!」
ヴァンドロスは破顔の笑みを浮かべながら、全身の筋肉を隆起させ瓦礫を踏み潰す。
「今度こそキッチリとォ! 勇敢なる戦士の冥土におくってやるさアッ゛!!!」
振り上げられた彼の拳が少年兵の身体を撃ち抜く…………そう思われた刹那の事だ。
「おぉ?!」
少年兵の身体が神憑り的な技を持って、その拳を受け流し、英雄を宙へと放り投げた。
◇◇◇
……
…………
……………………
『……──さて、これ以上の手助けは出来ぬ故、次に拳を受けることがあれば、大人しく覚悟を決めるが良い。』
「ああ、わかった。」
頭の奥に響く人外の囁き。
蘇りし少年兵、──トッドは瓦礫の山の頭から突っ込んだヴァンドロスの様子を視界の縁で捉えながら、冷静に周囲を見回す。
そして、目的の物を見つけた。
「あれだっ……!」
そう呟いて即座に駆け出したトッド、彼のつま先が向かう先にあるのはこの場で唯一、赤い少女の憑依に耐えうるせあろう器、
──『ヴァンドロスの英雄剣』。
側壁に突き刺さった剣とトッドの間は約十メートル、走りにして十五歩にも満たない短い距離。
しかし……、
『トッドよ、来るぞ!!』
起き上がりトッドを猛追するは、三メートル近い巨躯の持った巨人。たった半歩にして、トッドに追いつき再び拳を振り下ろす。
「ッ…………!? うおおオオオッ!!!」
少女からの警告に思考も待たず、目に付いた瓦礫の裏に体を飛び込ませる。
間髪入れずに立ち上がったトッドの体は直後、彼の背後にて粉砕された瓦礫の欠片によって打ち付けられた。
「ぐっ……!!」
背中を襲う鈍い痛みに呻き声を漏らす。
頭を覆っていた手の甲にも激痛、まるで手の甲が内側から爆ぜて、指先までも消し飛んでしまったかのようだった。
『堪えろっ!あの剣に触れるまでの辛抱じゃ!』
(……わかってるよ、こんな所で諦めてたまるかッ!!)
再びその決意を露わにするトッド、されど運命は残酷に、英雄は第二の拳がトッドを捉えた。
トッドの頭蓋を撃ち抜く軌跡、まともに受ければそのまま即死であろうその一撃を正眼に捉え、トッドは無手にして待ち構える。
『なっ……?! 何をやっとるか馬鹿者!! 今すぐ逃げ……──』
撃ち放たれた岩のごとき拳、トッドの左腕は彼自身の力量を超えてその拳に絡みつく。
少女が一時的にトッドの身体を操った刹那の経験と、死に瀕した極限状態が可能にした奇跡。
……──だが、英雄の拳をいなしきるには、あまりに貧しい奇跡であった。
振り抜かれたヴァンドロスの拳はトッドの左腕を粉砕、その身体は容赦なく吹き飛ばされ宙を舞う。
二、三度、瓦礫の上をはねながら回転し、全身を打ち付けながら血の跡を残していく。
そして次第に勢いを失い、側壁に背中を預けるように止まった。
「……──アッパレであった、幼き戦士よッ!」
「初めて相対した時は侮ったが……、その意気ッ!覚悟ッ!!真なる戦士の名を聞けぬ事が心残りではあるが……、その勇ましき最後は、このオレが責任を持って果たしあげよう!」
高らかにそう宣言するヴァンドロス。瓦礫を踏みしめながらゆっくりとトッドに歩みよっていく。
最早、ピクリとも動かないその肢体。誰が見ても死を連想する様相でありながら、トッドは僅かにその意識をつないでいた。
(ははっ、だっせぇ……、どうにかいけるかと思ったのに、結局格好はつかないなぁ……。)
自嘲。次第に霞んでいく意識。しかし……、
(たとえ無様でも、生き残ったヤツが勝ちなんだ……。)
ひしゃげた左腕、全身から溢れ出す血脈、目を開ける事もままならない激痛の中、その指先は確かに、──英雄の剣に触れている。
トッドの肉体を仮初の依代としていた紅い少女という存在はっ既に、物理的接触によって英雄剣へと侵入を果たしていた。
『……──喜ぶがいい。今 、この時にして契約は成った。我が名は《エリス》、血と生命を司る大精霊じゃ。さあ、我が名を呼び命ぜよ、ヤツをぶちのめせとな。』
擦り切れていく五感の中、紅い少女の声だけがハッキリと伝わってくる。トッドは答えた、掠れた喉で、されどたしかに。
「ああ、……エリス、【アイツをぶちのめせ】。」
その瞬間、世界が鳴いた。
『了解したぞ、新たなる我が使い手よ。』
瓦礫の下から這い出してくる血脈、それはまる意思を持つかのように独りでに。あるいは、それが当然の摂理であるかのように巨大剣の元へと集まっていく。
トッドのひしゃげた左腕は鈍い音を漏らしながら癒え、巨大剣はその形を歪ませる。
「なっ…………??!!」
歴戦の英雄ですらたじろぐ程の圧迫感。
見開かれたヴァンドロスの目に変貌を遂げた巨大剣の姿が映る。
……──ソレはまるで一つの生命であるような形相だった。
人一人分はある巨大な剣身、肉斬り包丁のように広く、身幅は拳の様に分厚い。
そして、それら全てを覆う外骨格を思わせる薄黄ばんだ白い装甲の間から、血管のように分岐し脈動する赤い血肉が見える。
鍔はなく、骨のような柄が地続きになって飛び出していた。
あまりに異様で、異形。
何より、かつての愛剣から放たれるその凄まじい威圧感にヴァンドロスは一歩、後ずさる。
しかし……
「……ダァハッハッ!! 面白ぇじゃねぇカッ!!」
慄くほどの恐怖を滾る戦意に変え、ヴァンドロスは再び破顔。歯を剥き出し顔中に深い皺を刻み込んで飛び上がった。
円心状に広がる凄まじい衝撃波を地面に残し、大きく拳を振り上げる。
その威力は先程まで比べ物になるものではなく。そのことは彼が全身に纏う闘気、それがまるで蜃気楼のように周囲の景色を歪め立ち昇る様からも見て取れた。
『頭が高いわ、木偶。』
頭の奥に直接叩きつけられるような声、鈍い痛みが頭に響き、ヴァンドロスは僅かに瞼を落とす。
「……──ぁあ?」
そして訳も分からず、気付けば向かいの壁へと叩きつけられていた。
(なんだ、オレは一体何をされた……? )
刹那の内に刻み込まれた無数の傷跡、血脈が自身の身体から溢れ飛び出し、剣へと吸い込まれるように宙を流れていく。
そのおぞましき神秘の事象を目の当たりにし……、──されど破顔。
「ア゛ッハッハッハッ!!スっげぇ! スっげぇなア゛、お前エ゛!!!」
死の淵に瀕しながらも、その豪快さは衰えない。
衝撃によって崩れ始めた霊墳堂、ゴロゴロと地が唸り、砂粒や小石が天井より落ちてくる。
一際大きな破砕音、霊墳堂の側壁から天井に巨大な亀裂が浮かぶ。
それを見たヴァンドロスは今までの笑顔から一転、必死の形相を浮かべ叫び始めた。
「オイオイオイ!! 瓦礫に潰されて死ぬなんて戦士の片隅におけねぇよオ゛ッ!!」
既に立ち上がることもおぼつかないほどに追い込まれた彼の肢体、されど死力をつくしヴァンドロスはトッドの方へ走る。
「オイ! 真なる戦士よ!!早くっ、早く俺を殺してくれぇよオ゛!!!」
しかしトッドは、──否、トッドの体を操った神霊は冷たくその様子を一瞥し、自らの依代を地面へと突き立てる。
突き立てられた依代は、その外骨格を繋ぎ止める赤色の部分を伸ばし、柄に捕まったトッドの身体を霊墳堂の外へと連れ出した。
そして剣自身もまた、その伸縮を持って霊墳堂を脱出、取り残されたヴァンドロスはただただ呆気に取られていた。
数拍を置き天井が崩落。
紅き巨人、一騎当千の英雄としてたたえられていた彼だったが自然の物理の前には敵わない。
ヴァンドロスの体は瓦礫に飲み込まれ、遂にその命を絶った。
◇◇◇
昏い、どこまでも暗い微睡み。
ネチャリと全身に絡みつき、どんよりと身体を締め付ける。
(鉄臭い……、)
ぼんやりとそんな事を思いながら、真っ暗な視界に段々と近づいてくる遠くの喧騒。
バッ! といきなり視界が開け、トッドの意識は戦場へと舞い戻った。
「……エリス、次は何をすればいい。」
トッドは周囲を見回し、自身がまだ戦禍の中にあることを確認すると能面の様に表情を固まらせ、冷たい声音で呟いた。
『安心せい、既に山場は超えておる。』
「そう……、なのか…………。」
『故にここからは消化試合、我の力を使いこなす為の“ちゅーとりある”というやつかのう。』
トッドの傍らにて、激しく脈動する生まれ変わった英雄の剣……、
『我が力を持って、己が道を切り開いてみるが良い。』
……──それはまるで、新たなる英雄の誕生に歓喜し身を震わせる殉教者達の魂の姿のようであった。