第二話 二人の夢を叶えさせて
「──……ここはどこなんだ?」
枯れ果てた大地と、色の薄い空。
生命の気配を一欠片も感じさせないような乾いた世界にて、トッドの意識は覚醒した。
(いつの間にこんなところに……、そうだ、俺はヴァンドロスに遭遇してそれで…………。)
思い至った結論に、トッドは背筋から震え上がる。
「しっ、死し、しんッ…「死んではおらんよ。」
ひび割れた地面から突き出た巨石。
その先に一人の少女が腰掛け、そしてトッドを見下ろしていた。
真白の髪に深紅の肌、子供と女の中間に立ったような危なげな色香を醸すその肢体は、惜しげなく晒されている。
その全身には、鎧や包帯を思わせるような模様が刻まれ、彼女の人外じみた美貌と相まってその“神性”を強く強調していた。
なにか視線を向けることすら恐れ多く、また危うげな少女の様相にトッドは、視線を外して立ち竦む。
それを見た少女は、口の端を僅かに釣り上げ、意地悪にその目元を細めた。
「ふっ、初いのぉ、小童。」
鈴を鳴らすような可憐な声のからかいに、トッドは顔から火が出るような心持ちだった。そして僅かな反発を覚える。
一様、トッドは前世も合わせれば、余裕で二十歳を超えていた。……ただ、それを含めても女性経験はなく、成人を迎えた事もなかったが。
「……なんじゃ? 急に落ち込みよって。」
「いえ、なんでもないっス……。」
「ふんっ、まぁ良いわ」
「今はそれよりもっと、大事なことがあるのだからな。」
スラリと伸びたその足を優雅に組み合わせ、少女は尊大な口調で続ける。
「先程、我はオマエに“死んではいない”と言ったが……。」
ふと、穴の空いたように昏い双眸がトッドを見据えた。
「……──オマエ、もうすぐ死ぬぞ?」
刹那、トッドの上半身が下半身からずり落ちた。
「──ッァアアアアア゛ア゛ア゛ッッ!!??」
真っ赤な血がドボドボと流れ出し、断面から内蔵が零れ落ちる。腹の中を虫が這いずるような不快な喪失の感触にトッドは堪らず、絶叫した。
「しぃ、ィ、し死、イ゛ッ?!」
「安心せい、現実世界の状態を投写しとるだけじゃ。多少の感覚はあるとはいえ、痛みはそれほどではなからろう?」
「安心、でで、ギィ、るがァ……!?」
血反吐を吐いて苦しむトッドを見て、またケラケラと笑う少女。
「さぁ、最後に我が御姿でも目に焼き付けよ。お前のような凡百には、もったいないほどの土産となろう?」
トッドの身体から、ゆっくりと力が抜けていく。体の芯から凍えるような冷たさが全身を覆い、指先がただピクリと動くだけ。
(あぁ、やべぇ……。これ、本当に死ぬやつじゃん。)
勢いを失った呑気な思考、トッドは微睡みにいるかのような安らぎを覚え、そんなことを心中で呟いた。
(せっかく前世の記憶まで取り戻したってのに……、まぁ、大した思い出もない人生だったけどさ。)
……その呟きのとおり、トッドの前世はあまりに空虚なものだった。
物心着いた頃には孤児として、児童養護施設で生活していた。上手く馴染めず、親しく話せる人もおらず、常に孤立していた。
望まない様に、関わらないように。
薄暗い部屋の中、机に突っ伏しながら、外から聞こえる楽しげな声にどうしようもなく心を締め付けられていた。
叶わない事は望まない。
心をスンッと押さえつけていれば、息苦しさは感じなかった。ただ胸の奥を指す、チクリとした痛みが鬱陶しいくらいだった。
死因はなんてことの無い交通事故だった。
次に走馬灯として流れた記憶は“トッド”がまだ村にいた頃、自分の前世の事なんて考えすらしていなかった頃のことだ。
「なぁトッド、お前は将来どうすんの。」
太っちょの幼馴染、ドントロがトッドに聞いた。「はぁ?いきなりどうしたんだよ?」と怪訝な顔をすれば、ドントロが語り始めた。
「いや、俺たちってさ、畑を継げるわけじゃねぇし、なんかこれといった特技がある訳じゃねぇからさ、十中八九、村から追い出されちまうだろ?」
「だな。まあ街に出て、出稼ぎ生活になるんだろうな。僕は別に稼げればなんでもいいけど、ドントロ達はなにか憧れでもあるの?」
その質問にお調子者の幼馴染、バーツが手を挙げて答えた。
「はいはい!俺は“冒険者”になるぜ!」
「「ボウケンシャ?」」
ドントロと二人して首を傾げた
「知らねぇのか? 魔物倒したり、色んなところ探検してチョウサしたりするヤツらの事だよ。」
「それって騎士じゃねぇの?」
「ぜんっぜん、ちげぇよ!冒険者は自由なんだ!好きなことして、好きなように生きる!しかも人によっちゃあ城を建てれるぐらい稼げるらしいぜ!女も囲み放題だ!」
「へぇ〜、すごいね、そんな人達がいるんだ。」
淡白にそう呟いたトッドに対して、ドントロは目を輝かせてバーツの話に聴き入っていた。
「すっすごい……そっ、それってさ!美味い飯とか、いっぱい食べれるよな!?」
「あったりねぇだ!、金で買わなくたって、自分で肉を狩りゃいいんだからな、食べ放題に決まってんだろッ!!」
「ッ……?! いいね冒険者ッ!成人したらさ、俺たち三人で冒険者やろうよ!」
「いいなそれ、俺たち三人で“パーティー”だ!」
「ぱーてぃ〜?」
「仲間って事だよッ!ドントロ、トッド!」
バーツは強引に俺たちと肩を組み、まるで円陣のように顔を近づけて言った。
「俺は冒険者になって城を立てるッ!そんでこんな芋臭い村じゃ見つけらんねぇような、すっげぇ美女を囲いこんでやる!」
続いてドントロ。
「おっ俺も冒険者になって……、そんで色んなものを食べる! 食べて食べて、全部食べ尽くしてやる!」
「ほら、今度トッドの番だぜ!」
「トッドは将来、何がしたいんだ?」
「僕は…………、」
少し考えて、ドントロとバーツの顔を見返す。
また考えて、ドットはゆっくりと答えた。
「そうだな、僕は────、」
◇◇◇
「……──、なんじゃ、まだ生きておったのか?小童。」
過去との邂逅を経て、僅かに意識を取り戻したトッド。それは失われかけた生存への熱を、再び燃え上がらせる事に十分すぎるきっかけだった。
いつの間にか岩を下り、血溜まりに足をつけていた少女。その細い足首をトッドの掌が乱暴に掴み引き倒した。
「ぬわッ……?!」
間抜けな声を漏らす少女、その真白の髪が血を吸って赤く染まる。
「ボっ、くぁ、生き、きる……!」
黒く霞む視界の中、内蔵を零しながら地面を這いずる。
「……い゛、ィルッ!」
音は遠く、肌は鈍く、鉄の臭いが肺に充満し、もうおおよその五感は働いていない。少女の身体に覆い被さりなりながら、どこか遠くへ。
跳ねた血が少女の頬を汚す。少女はまるでそれを意に返さず、トッドを振り払おうと身をよじる素振りさえ見せなかった。
そしてしばしの沈黙、うわ言のように掠れた声を上げ続けるトッドの頬に手を当て、その耳元で囁いた。
「何故じゃ、何故そうまでして生きながらえんとする?」
「づぁ、!、ぁあ、あ、ア゛ア゛ッ!!!」
「苦しいじゃろう、冷たいじゃろう。腸が落ち、命脈が抜けていくその欠落は、何よりも耐え難いはずであろう?」
「いや、あ゛っ、イギ、生生ギギッ!」
「凡百の身でありながら、意思だけで現世に留まるその意思力は称えよう。ほかならぬこの我が、認めてやる。じゃから……。」
まるで駄々を捏ねる幼子を宥めるがごとく、少女はドットの頬を撫でながら、慈母のごとき穏やかな表情を浮かべそう諭す。
されどトッドは止まらず、ビチャリビチャリと血を跳ねさせながら、地面を這った。
「生ギ、てッ! 叶えッ るんだッ……!!」
『──僕は、その応援をしようかな。』
「二人ノ、夢をッ!!!」
……──突如、血の雫が宙に跳ね上がった。
血は地面に伏したトッドの身体を拾い上げ、内臓を絡め取り、ゆっくりと元の形へと戻していく。
明瞭になる意識、ドットは傍らに立つ少女の方を見つめた。
今までの飄々とした態度とは違い、どこか落ち着いているような、疲れているような雰囲気だった。
わけも分からず見つめていると、少女はドットに目も向けず口を開いた。
「……一度だけじゃ、一度だけ、蘇生してやる。」
「あっ、ああ、ありがとう……。」
「だが気を抜くな、お主の願いを成就したくば、まだ超えるべき試練が残っている。」
少女はドットを正眼に見据えて告げる。
「古き巨人の子、ヴァンドロス。ヤツの持つ大剣を奪い、それを我が器としろ。」
「……──お主がこの場を生き延びることができる、おそらく唯一の術じゃろう。」