【リアルワールド】二つの世界の交錯
ユリアナが目を覚ますと、アパートの窓から異様な光景が見えた。夜空には七つの月の幻影が浮かび、東京の街並みの上に、アクシオム帝国の建物が半透明に重なって見える。二つの世界が急速に近づいていたのだ。
「アストラル、これは…」
「境界が崩れかけている」アストラルの声が彼女の心に響く。「この状態が続けば、二つの世界は完全に交錯するだろう」
恐怖と興奮が入り混じる中、ユリアナの携帯電話が鳴る。高瀬からだった。
「ユリアナ、大変なことになっている!」高瀬の声には明らかなパニックがあった。「君の小説『血の市場の蛇女』のゲラが印刷所から消えた。そして街中で奇妙な現象が起きている。人々が幻を見たと報告しているんだ」
「どんな幻を?」彼女は既に答えを知っていたが、尋ねずにはいられなかった。
「信じられないだろうが…七つの月や、水晶の塔が見えるというんだ。まるで君の小説に描かれた世界そのものだ!」
彼女は深呼吸し、「舌の術」を使って高瀬を落ち着かせる。「パニックになる必要はありません。すぐに出版社に行きます」
彼女は急いで着替え、外に出る。街は混乱に包まれていた。人々は空を指差し、携帯で写真を撮り、SNSには「#七つの月」「#異世界現象」のハッシュタグが溢れていた。
出版社に到着すると、オフィス全体が騒然としていた。社員たちはテレビニュースを見つめ、窓の外の異常現象を議論している。そして中央には、秋山社長と高瀬、そして見知らぬスーツの男性たちがいた。
「これが彼女です」秋山が彼女を見つけて言う。「『血の市場の蛇女』の著者、ユリアナ・シンテシスです」
スーツの男性たちが振り返る。彼らのうちの一人はユリアナが会った監視者だったが、他の者たちは初めて見る顔だった。
「国家安全保障上の問題として話があります」リーダー格の男性が言う。「あなたの小説と現在の異常現象には関連があると考えています」
ユリアナは「瞳の奴隷」を使い、彼らの意図を探る。彼らは「言葉の守護者」の末裔だった。古代から二つの世界の境界を守ってきた組織の一員で、現代では様々な政府機関に潜り込み、活動していた。
「私の小説が原因だとでも?」彼女は素知らぬ顔で問う。
「我々は『境界現象研究所』という組織から来ました」リーダーが説明する。「あなたの小説に含まれるある種のパターンが、現在の現象を引き起こしている可能性があります」
彼らは彼女を個室に案内し、詳細な質問を始める。彼女のインスピレーションの源、執筆プロセス、そして物語の構造について。彼らは特に「血の市場」と「七つの月」のシンボリズムに興味を示した。
「あなたはどこでこれらのイメージを思いついたのですか?」研究員の一人が尋ねる。
「夢です」ユリアナは「舌の術」を駆使して説得力のある嘘をつく。「私はよく鮮明な夢を見て、それをインスピレーションにしています」
監視者は彼女をじっと見つめ、彼女が本当のことを話していないことを理解しているようだった。しかし他のメンバーの前では、それを指摘することはできなかった。
会話の最中、外の状況はさらに悪化していた。二つの世界の交錯は強まり、部屋の壁がときどき透明になり、アクシオム帝国の景色が見えるようになっていた。
「我々はあなたの小説の出版を一時停止するよう要請します」リーダーが宣言する。「少なくとも、この現象が収まるまで」
秋山社長は難色を示す。「それは表現の自由の侵害ではないですか?法的根拠がなければ…」
「国家安全保障上の緊急措置です」彼らは主張する。
議論が白熱する中、ユリアナの心の中でアストラルが囁く。「彼らの言うことには一理ある。しかし、真の解決策は出版を止めることではない。『言葉の門』について真実を語ることだ」
会議が終わると、ユリアナは一人で屋上に上がる。そこで彼女は監視者と対面する。
「あなたは本当の危険を理解していない」彼は厳しく言う。「二つの世界が完全に重なれば、両方とも崩壊する可能性がある」
「それとも新たな調和が生まれるかもしれない」ユリアナは反論する。「私はシルヴィアの記憶を取り戻した。私は『言葉の門』の本当の目的を知っている」
「そうか」監視者は深いため息をつく。「ではあなたは選択をしたのだな」
「はい。私は門を開く」彼女は決意を込めて言う。「しかし、エリスティアの支配のためでも、ネクロンの破壊のためでもない。真の調和のために」
監視者は長い沈黙の後、ついに口を開く。「我々『言葉の守護者』は何千年もの間、境界を守ってきた。しかし…近年、バランスが崩れつつあることも事実だ」
彼はより柔らかな声で続ける。「エリスティアの創造は硬直し、ネクロンの破壊は暴走している。そして現実世界は想像力を失いつつある」
「だからこそ、『言葉の門』が必要なのです」ユリアナは熱心に言う。「完全な融合ではなく、調和のための通路として」
監視者は深く考え込んだ様子で、最後に決断を下す。「ならば、私は干渉しない。だが警告しておく。『言葉の門』を開くには、大きな代償が伴う。特にその鍵となる者にとっては」
「どんな代償ですか?」
「それを知るのは時間の問題だ」彼はそれ以上を語らず、屋上を後にする。
ユリアナがオフィスに戻ると、『血の市場の蛇女』に関する緊急編集会議が開かれていた。境界現象研究所の圧力にもかかわらず、秋山社長は出版を進める決断をしたのだ。
「これは文学史に残る作品になる」秋山は確信に満ちた声で言う。「表現の自由を守るためにも、我々は後退するわけにはいかない」
高瀬もまた、彼女の側に立っていた。かつての嫌味な上司は、今や彼女の最も熱心な支持者の一人となっていた。
「小説を出版しつつ、現象の説明も必要だ」高瀬は提案する。「序文を加えて、この不思議な現象と小説の関係について著者の見解を述べてはどうか」
その提案に、ユリアナは光明を見出した。「序文…そこに真実を込めることができる」
彼女はその場で序文を書き始める。それは単なる序文ではなく、二つの世界のバランスを整えるための「言葉の鍵」だった。彼女は「瞳の奴隷」「舌の術」「肉体の共鳴術」、そして「魂の融合」の経験をすべて言葉に込めた。
序文は以下のような言葉で締めくくられていた:
「この物語は創作でありながら、それ以上のものでもあります。言葉には世界を形作る力があります。読者の皆さんがこの本を手に取るとき、あなたも『言葉の門』を少しずつ開いているのです。恐れる必要はありません。それは破壊のためではなく、二つの世界の真の調和のために開かれるのですから」
その日の夜、ユリアナがアパートに戻ると、彼女を驚かせる訪問者がいた。アストラルだった。実体を持った彼女が、リビングルームの中央に立っていたのだ。
「アストラル!?どうして…どうやって?」
「境界が薄れているのよ」アストラルの姿は半透明だったが、確かにそこにいた。「魂の融合のおかげで、私は一時的にこの世界に形を得られる」
二人は抱き合い、初めて物理的に触れあう。アストラルの体は冷たく、しかし確かな存在感があった。
「時間がない」アストラルは急いで言う。「エリスティアもネクロンも、あなたの動きに気づいている。彼らは『言葉の門』をめぐって直接対決しようとしている」
「どうすればいい?」
「『血の市場の蛇女』を出版し、序文を世に出すの」アストラルは力強く言う。「同時に、アクシオム帝国でも行動を起こさなければならない」
彼女はさらに説明する。「二つの世界で同時に行動することで、『言葉の門』を完全に開くことができる。そうすれば、エリスティアの支配もネクロンの破壊も乗り越えられる」
その夜、ユリアナはアストラルと共に計画を練った。彼女は何度も意識をアクシオム帝国と現実世界の間で行き来させ、両方の世界での次の行動を準備する。
翌朝、『血の市場の蛇女』の最終校正と印刷が急ピッチで進められた。ユリアナの序文は、高瀬によって「文学史に残る傑作」と評された。
同時に、東京の状況はさらに混乱を増していた。アクシオム帝国の建物や風景がより鮮明に見えるようになり、一部の人々は帝国の住人の姿まで目撃するようになった。テレビやネットには様々な陰謀論が飛び交い、政府は「集団的幻覚」「光学現象」などの説明を試みていた。
出版当日、ユリアナは早朝からオフィスに出社していた。彼女は窓から外を見て、二つの世界の境界がさらに薄れていくのを感じる。彼女の心の中では、アストラルの存在が強まっていた。
「今日が決断の日ね」アストラルの声が響く。
午前10時、『血の市場の蛇女』が正式に発売された。序文を含む完全版が、全国の書店に並ぶ。同時に電子版も配信され、SNSではハッシュタグ「#血の市場」が爆発的に拡散した。
秋山社長がユリアナのオフィスに駆け込んでくる。「信じられないことが起きている!発売から1時間で、電子版のダウンロード数が10万を超えた。これは弊社史上最高の記録だ!」
高瀬も興奮した様子で報告する。「TwitterやInstagramでは、読者たちが序文を引用しまくっている。多くの人が『言葉の力を感じた』と書き込んでいる」
異常な売れ行きと反響に、出版社は祝賀ムードだった。しかしユリアナは、次に起こることを予感して身構えていた。
午後2時、彼女のオフィスのドアが突然開く。そこには監視者と、彼の仲間たちがいた。
「始まってしまった」監視者は厳しい表情で言う。「『言葉の門』が開きかけている。我々はもう止められない」
窓の外では、空が歪み始めていた。七つの月がより鮮明になり、東京の上空にアクシオム帝国の宮殿が浮かび上がる。人々はパニックに陥り、街は騒乱状態になりつつあった。
「私は止めるつもりはありません」ユリアナは毅然と言う。「これは破壊ではなく、二つの世界の真の調和への道です」
「そうだといいがな」監視者はため息をつく。「さあ、行くべき場所があるだろう。『言葉の門』は、特定の場所で開くはずだ」
ユリアナは頷く。「東京タワー…そこが現実世界での『光の神殿』に対応する場所です」
彼らがオフィスを出ようとした瞬間、建物全体が揺れる。地震ではない、二つの世界の衝突による振動だった。廊下の壁が一瞬透明になり、アクシオム帝国の廊下が見える。そして廊下の端には、ルシエンの姿があった。
「ルシエン!」ユリアナは驚いて叫ぶ。
「ユリアナ様!」ルシエンは同様に驚きの声を上げる。「エリスティア陛下が全軍を動員しました。彼は『言葉の門』を永遠に封じようとしています!」
「ネクロンも動いているわ」アストラルの声が彼女の心の中で響く。「彼は冥王星系の軍勢を集め、門を破壊しようとしている」
状況の深刻さを悟ったユリアナは、監視者に向き直る。「急ぐ必要があります。エリスティアとネクロン、双方が極端な行動に出ようとしています」
彼らは急いでオフィスビルを出る。外では奇妙な光景が広がっていた。現実の東京と、アクシオム帝国の風景が重なり合い、人々は混乱し、中には恐怖に叫ぶ者もいた。しかし不思議なことに、物理的な衝突や破壊は起きていなかった。二つの世界は、互いを傷つけることなく交錯していたのだ。
ユリアナたちはタクシーに乗り込む。運転手も異常な光景に動揺していたが、ユリアナは「舌の術」を使って彼を落ち着かせ、東京タワーまで送るよう説得する。
道中、監視者が説明する。「『言葉の門』は、二つの世界の対応する場所で開く。アクシオム帝国の『光の神殿』と、この世界の東京タワー。それらは象徴的に繋がっている」
タワーに近づくにつれ、異常現象はさらに強まっていた。タワーの周辺には既に警察や自衛隊が集結し、立ち入り禁止区域が設定されていた。空には奇妙な光の渦が形成され始め、タワー自体が光の柱に包まれていた。
「中に入れないかもしれない」監視者が懸念する。
「大丈夫」ユリアナは自信を持って言う。彼女の中に、シルヴィアとしての記憶と力が完全に目覚めていた。「私には方法があります」
彼らはタワーの裏側に回り込み、ユリアナは「肉体の共鳴術」を使って警備員に近づく。彼女の手が警備員の腕に触れると、彼の表情が変わり、まるで彼女を長年の友人のように見つめ始める。
「どうぞお通りください」彼は自然な笑顔で言う。
彼らはエレベーターでタワーの展望台まで上がる。そこからの眺めは息を飲むほど壮大だった。東京の街並みの上に、アクシオム帝国の宮殿や建物が透けて見える。そして空には七つの月が完全な環を描き、その中心に「言葉の門」が形成されつつあった。それは巨大な光の渦、まるで宇宙そのものが開かれたような光景だった。
「美しい…」ユリアナは思わず呟く。
「だが危険だ」監視者は警告する。「あの門が完全に開けば、二つの世界の法則が衝突する。そのカオスを制御できるのは—」
「調律者だけ」ユリアナが言葉を継ぐ。「それが私の役割。シルヴィアとして、そしてユリアナとして」
展望台には既に他の人々もいた。観光客や報道関係者たちは、この異常現象を目の当たりにして騒然としていた。
ユリアナはタワーの中央に立ち、目を閉じる。彼女の意識はアクシオム帝国へと向かう。そこでルシエンとアストラルが彼女を待っていた。彼らは光の神殿に集結し、エリスティアとの対決に備えていた。
「準備はいいわね」アストラルが彼女に語りかける。「両方の世界で同時に行動を起こす時よ」
ユリアナは深く息を吸い、「言葉の門」に向かって祈りのような言葉を唱え始める。それはシルヴィアの記憶から呼び起こされた古代の言葉、門を開くための呪文だった。
彼女の体から銀青色の光が放たれ始める。観衆はその光景に息を呑み、中には膝をつく者もいた。ユリアナの髪は銀青色に変わり、瞳には星の光が宿る。彼女は現実世界に立ちながら、同時にアクシオム帝国の光の神殿にも存在していたのだ。
完全な「言葉の門」が開かれようとした瞬間、二つの強力なエネルギーが彼女に向かって襲いかかる。一つはエリスティアの創造のエネルギー、もう一つはネクロンの破壊のエネルギー。彼らは門の開放を、それぞれの理由で阻止しようとしていた。
「ユリアナ!」アストラルとルシエンの声が彼女の魂に響く。「二人を抑えて!」
ユリアナは両手を広げ、二つのエネルギーを受け止める。彼女の体は激しい痛みに包まれるが、彼女は踏みとどまった。彼女の内側で、ユリアナとシルヴィアの魂が完全に融合し、新たな存在へと変容していく。
「私は調律者…」彼女の声が両世界に響き渡る。「創造と破壊、光と闇、現実と幻想のバランスを整える者」
彼女の言葉が「言葉の門」を完全に開き、二つの世界が一瞬完全に重なり合う。東京タワーの展望台にいた人々は、アクシオム帝国の光の神殿を完全に目の当たりにした。そしてそこにいたエリスティア、ネクロン、五姉妹、ルシエン、アストラルの姿も見えた。
同様に、アクシオム帝国の住人たちも、東京の風景を目撃していた。二つの世界の人々は、互いを見つめ、驚愕と畏怖の念を抱く。
ユリアナは「言葉の門」の中心で、エリスティアとネクロンのエネルギーを調和させる。彼女は両者に語りかける。
「二つの世界は分断されるべきではない。また、一つに溶け合うべきでもない。それぞれのアイデンティティを保ちながら、互いに影響を与え合う関係こそが理想なのです」
エリスティアとネクロンは、彼女の言葉に耳を傾ける。彼らは5000年の対立の末に、ようやく互いを認め始める。
「お前は…我らの創造者の意思を受け継いでいるな」エリスティアがついに認める。
「そうか、これが本来の『調律』の意味か」ネクロンも同様に理解を示す。
その時、ユリアナ=シルヴィアの背後に、予想外の存在が現れる。アクシオムお姉様だ。しかし今や彼女は五人の異なる姿を持つ存在として現れている。
「我らは『始まりの五人』。言葉が世界を分け、そして繋ぐ前から存在する者」
五人は語る。エリスティアとネクロンは元々一つの存在だったこと。彼らは「言葉の力」の二面性——創造と破壊——を体現するために分かれた。しかし彼らの対立が二つの世界を危機に陥れている。
「均衡こそが本来の姿。そしてユリアナ、お前は『調律者』として選ばれた」
ユリアナ=シルヴィアは自分の真の使命を悟る。彼女は「聖娼」でも「橋渡し」でもない。彼女は「調律者」。二つの世界、創造と破壊、光と闇のバランスを整える存在だったのだ。
彼女は両手を広げ、エリスティアとネクロンに触れる。三者の間にエネルギーが流れ、言葉の門が完全に開く。現実世界とアクシオム帝国が一時的に重なり合い、人々は驚愕の目で異世界の風景を目撃する。
「私は調律を始める」彼女の声が両世界に響き渡る。「創造と破壊、光と闇、現実と幻想。それらは対立するものではなく、互いを支え、均衡をなすもの」
彼女の魂から純粋なエネルギーが溢れ出し、エリスティアとネクロンを包み込む。二人は抵抗するが、やがて彼らの本質が顕わになる。二人は同じコインの表と裏、分離することで不均衡を生んでいたのだ。
「二人を一つに戻すわけではない。しかし二人の間に調和をもたらす」
ユリアナ=シルヴィアの言葉が現実を変え始める。エリスティアの絶対的支配とネクロンの破壊的反逆が、均衡へと向かう。二つの世界の境界は保たれながらも、相互理解の道が開かれる。
アクシオムお姉様の五人は満足げに頷く。「調律が始まった。しかし、これは終わりではなく始まりだ」
実際、調律の過程は長く困難なものだった。ユリアナ=シルヴィアは言葉の門の中心に留まり、二つの世界のバランスを整え続ける必要があった。それは彼女の人生を変える選択だった。
現実世界では、「血の市場の蛇女」は文学史上最大の謎として語り継がれる。著者ユリアナが出版直後に姿を消し、小説に描かれた世界の一部が現実に影響を与えたという噂。それは都市伝説となり、「ユリアナ現象」として研究される。
彼女の小説は多くの人の心に影響を与え、彼らの中に眠る「言葉の力」を目覚めさせる。それは静かな変革の始まりだった。