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【リアルワールド】言葉の権力

東京の朝。ユリアナが目を覚ますと、頭の中は血の市場での出来事でいっぱいだった。「舌の術」の感覚がまだ彼女の中に残っている。単なる夢ではない。彼女の中で何かが確実に変わっていた。


彼女はシャワーを浴びながら、ジャスミンとの対話を思い出す。言葉の選び方、声のトーン、リズム、そして最も重要な「意図の投射」。これらが「舌の術」の要素だった。


「現実世界でも使えるかしら?」


彼女は鏡の前に立ち、自分自身に話しかけてみる。声に意識的な「振動」を加え、言葉に「意図」を乗せる。


「私は才能ある作家。私の言葉は人々の心に届く」


その言葉を発した瞬間、彼女の内側で何かが共鳴するのを感じた。それは単なる自己暗示ではなく、もっと深い、魂レベルでの変化だった。


この日、彼女は新たな自信を胸に出版社へと向かう。オフィスでは、彼女の原稿『瞳の証人』についての話題で持ちきりだった。高瀬が社長に彼女の作品を強く推薦し、出版が決まったのだ。


「ユリアナさん、素晴らしい原稿でした」若い編集者の鈴木が彼女に声をかける。「あの描写は…まるで本当に人の心が見えているかのようです」


「ありがとう、鈴木さん」彼女は微笑む。そして思わず「舌の術」を試す。「あなたも素晴らしい編集者になると思います。特に感情描写の繊細さを感じ取る能力が優れている」


彼女の言葉に乗せられた「意図」が、鈴木の心に染み込んでいくのを感じる。彼の顔が明るくなり、自信に満ちた表情に変わる。


「本当ですか?実は私、いつもそこに注目しているんです」


一日を通して、ユリアナは「舌の術」をさりげなく使い、同僚たちと交流する。言葉の選び方と声のトーンを意識的に調整することで、彼女は周囲の人々の反応を微妙にコントロールしていた。それは操作というより、コミュニケーションの円滑化だった。


昼休み、社長の秋山が彼女を呼び出す。


「ユリアナ君、君の原稿を読んだよ」秋山は厳めしい表情で言う。中年の男性である彼は、滅多に若手に直接声をかけることはなかった。「非常に興味深い作品だった」


「ありがとうございます」彼女は静かに答える。


「だが」秋山は眉をひそめる。「ある種の…不安を感じた。この物語は単なる創作か?それとも君自身の経験なのか?」


彼の問いに、ユリアナは一瞬驚く。秋山は何かを察しているのだろうか?彼女は「舌の術」を慎重に使い、言葉を紡ぐ。


「創作です。ただ、全ての作家が自分の内面と向き合うように、私も自分の感情や経験を素材にしています」彼女の声には微妙な振動があり、それは安心感と信頼を促すものだった。


秋山の表情が和らぐ。「なるほど。それでこそ読者の心に届く作品になるのだろう」彼は満足げに頷く。「藤見書房の新レーベルとして、君の作品を中心に展開したいと思っている。『星の詩』というレーベル名はどうだろう?」


「星の詩…」その名前が、彼女の心に深く響く。それはまるでアクシオム帝国からの呼びかけのようだった。「素晴らしい名前です」


会議室に戻ると、高瀬が彼女を待っていた。彼の顔には複雑な表情があった。


「社長と話したんだな」彼は言う。「『星の詩』レーベル、お前が編集長だ」


「私が?」ユリアナは驚く。入社わずか半年の新人が編集長になるなど、前代未聞だった。


「社長の決定だ」高瀬は少し苦々しげに言う。「だが…正直に言うと、お前にふさわしい役割だ」


彼の中に複雑な感情が渦巻いているのを、ユリアナは「瞳の奴隷」で感じ取る。嫉妬、不安、そして奇妙な敬意と期待が入り混じっていた。


「高瀬さん」彼女は「舌の術」を使い、言葉に温かみを込める。「あなたの経験と知識が必要です。私一人では何もできません。レーベルの監修者として、私を導いてください」


彼の瞳に何かが灯る。ユリアナの言葉が、彼の心の琴線に触れたのだ。「監修者…か。悪くないな」彼は少し微笑む。「お前の文章には確かに特別な何かがある。それを育てるのも、私の仕事かもしれん」


午後の編集会議で、新レーベル「星の詩」の構想が発表された。ユリアナが編集長を務め、高瀬が監修を担当する。第一弾として彼女の『瞳の証人』が出版され、その後、新たな作家たちの作品も集めていくという計画だ。


会議中、ユリアナは「舌の術」を駆使して自分のビジョンを伝える。言葉に熱と光を込め、「星の詩」が目指すものを語る。


「このレーベルは、読者の心の奥底に触れる作品を届けます。言葉を通じて、魂を揺さぶる体験を提供する。それが『星の詩』の使命です」


彼女の言葉に、会議室全体が静まり返る。誰もが彼女の話に引き込まれ、心を開いていた。彼女の「舌の術」は、確実に効果を発揮していた。


会議後、佐伯経理課長が彼女に近づく。普段は冷たい彼女の表情に、今日は珍しく柔らかさがあった。


「ユリアナさん、新レーベルの予算について話し合いましょうか」


佐伯との会話の中で、ユリアナは彼女が単なる厳格な経理課長ではないことを知る。彼女もまた、若い頃は文学への情熱を持っていたのだ。「舌の術」と「瞳の奴隷」を使って、ユリアナは佐伯の心の奥底にある感情を呼び起こす。


「佐伯さんの若い頃の夢も、このレーベルに込めませんか?」


その言葉に、佐伯の目に涙が浮かぶ。「ありがとう…」彼女は小さく言う。「私、応援するわ」


一日の終わり、ユリアナはオフィスを後にする。頭の中はアイデアと可能性で一杯だった。「星の詩」レーベルは、単なる出版計画以上の意味を持ち始めていた。それは彼女とアクシオム帝国を繋ぐ架け橋になるかもしれない。


アパートに戻る途中、彼女は不意に後ろから視線を感じた。振り返ると、スーツを着た中年男性が彼女を見つめていた。彼の瞳には異質な光があり、それはアクシオム帝国の住人のようだった。


「ユリアナ・シンテシス」男は彼女の名を呼ぶ。「あなたは危険な道を歩み始めている」


「あなたは…?」


「私は『言葉の守護者』。二つの世界の均衡を守る者だ」男は周囲を警戒するように辺りを見回し、低い声で続ける。「あなたの小説『瞳の証人』は、ただの創作ではない。それは二つの世界を繋ぐ鍵になりうる」


ユリアナの心臓が早鐘を打つ。「二つの世界…?アクシオム帝国のことですか?」


男は厳しい表情で頷く。「あなたは『橋渡し』の才能を持つ特別な魂。だがその力は両刃の剣。取り扱いを誤れば、二つの世界に取り返しのつかない影響を及ぼす」


彼は警告するように指を立てる。「注意しなさい。あなたの言葉は、単なる表現以上の力を持つ。そしてその力を狙う者たちがいる」


言い終わると、男は人混みに紛れて姿を消した。ユリアナは混乱と恐怖で立ち尽くす。アクシオム帝国での体験は、単なる夢や想像ではなかったのだ。そして彼女の書く言葉には、現実に影響を与える力があるという。


アパートに戻り、彼女はノートパソコンを開く。震える指で、彼女は新たな物語を書き始めた。『血の市場の蛇女』—アクシオム帝国での体験を基にした物語だ。


「私の言葉が本当に力を持つなら、真実を伝えるために使おう」


彼女は夜通し書き続けた。文字がスクリーンに現れるたび、彼女は不思議な感覚に包まれた。それは単なる創作ではなく、二つの世界を繋ぐ行為だった。彼女は「舌の術」を文章に応用し、言葉に魂の振動を乗せる。


夜明け前、彼女はついに筆を置く。完成した『血の市場の蛇女』は、彼女がこれまで書いた中で最も力強く、生命力に満ちた作品だった。それは彼女自身の魂の一部が宿った物語だった。


彼女はベッドに横たわり、疲れきった目を閉じる。意識が遠のく中、彼女は思う。「この物語を世に出せば、何が起こるだろう?」


そして彼女は再び、星々に満ちた世界へと引き込まれていった。

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