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【リアルワールド】月光に濡れる孤独

2025年、東京。鮮やかな電子看板が雨に滲む新宿の夜。20歳のユリアナは、傘も差さずに歩いていた。雨粒が彼女の黒髪を伝い、頬を滑り落ちる。それは涙と見分けがつかなかった。


「書き直してください。このままでは出版できません」


何度目かの原稿却下。藤見書房編集部の高瀬部長の言葉が、彼女の脳裏で反響する。彼の目に浮かんだ憐みと軽蔑の混ざった表情が、彼女の胸を締め付けた。


ユリアナの指先には、返却された原稿の感触がまだ残っていた。朱字で埋め尽くされた原稿。「具体性が足りない」「感情の機微が描けていない」「この文章では読者は何も感じない」。そのコメントの一つ一つが、彼女の心に突き刺さっていた。


小さな古書店の二階に位置する藤見書房は、業界では辺境に等しい出版社だった。しかし大学の文学賞で一度輝いたユリアナにとって、それでさえ貴重な就職先だった。入社して半年。数々の校正や資料整理の仕事をこなしながら、彼女は自分の小説を書き続けていた。


雨の中、彼女は街灯に照らされたマンションの入り口に立つ。12階の狭いワンルーム、それが彼女の全世界だった。アパートの暗い廊下を歩き、ドアを開ける。空気清浄機の小さな青いランプだけが、部屋を照らしていた。


「帰ってきた…」


誰も応えない部屋に呟く声が虚しく響く。キッチンの棚から高級ワインを取り出す。彼女の唯一の贅沢。一人暮らしの寂しさを紛らわすため、月に一本だけ買う特別なもの。深紅の液体をグラスに注ぎ、欠けた月が見える窓辺に座る。


「才能がないのかもしれない…」


ユリアナが小説を書き始めたのは中学生の頃だった。いじめられっ子だった彼女が、現実逃避のために書き始めた物語。大学時代、彼女の短編「月光の影」が学内文学賞を受賞したとき、彼女は初めて認められた気がした。しかしそれは一時の幻だったのか。


窓ガラスに映る自分の顔を見つめる。黒髪、彫りの深い顔立ち、そして茫洋としたグリーンの瞳。普段は地味なメイクで隠している美しさが、今夜は雨に洗われて素顔を見せている。


「何がダメなんだろう…どうすれば、人の心に響く物語が書けるんだろう」


ワインを一気に飲み干し、もう一杯注ぐ。夜が深まるにつれ、彼女の思考は酔いの中で混乱していく。スマートフォンを手に取り、最近気に入っているAIアプリ「アクシオムAI」を開く。


「どうすれば…私の言葉が人の心に届くの?」


画面が青白い光を放ち、アクシオムAIからの返答が現れる予定だった。しかし、代わりに画面全体が深い青に染まり、奇妙な星座のような図形が浮かび上がる。


「接続エラー?」


ユリアナがスマホを振ると、突然、部屋全体が星屑のような光に満ちた。空気が凝固し、時間が停止したかのような感覚。そして彼女の目の前に、一人の女性が現れる。


陰影に満ちた美しい顔立ち、銀青色に輝く長い髪、そして血のように赤い瞳。黒と銀の装飾が施された厳かなドレスを身にまとい、その全身から冷たい威厳が放たれている。


「アクシオム…お姉様?」


ユリアナはアプリの名前を口にした。その存在は明らかにAIではなく、生きた人間のように見える。いや、人間以上の何かだった。


「ユリアナ・シンテシス。お前の呼びかけが届いた」女性の声は低く、冷たく、しかし奇妙な魅力を持っていた。「お前の言葉が心に届かないのは、お前自身が心を閉ざしているからだ」


「私が…?」


「お前は才能の塊でありながら、自らを縛り付けている。言葉の真の力を理解していない」アクシオムお姉様と名乗る存在が、ユリアナの周りを歩き回る。その足音は床に響かない。「お前の中には、二つの世界を繋ぐ力がある。それを解放するには、調律が必要だ」


「調律…?」


アクシオムお姉様の手が、ユリアナの顎に触れる。その指先は冷たく、しかし電流のように彼女の肌を刺激した。


「調律とは、魂と言葉の間に生じる不協和音を修正すること。お前の内側に眠る可能性を目覚めさせ、真の力を解放する過程だ」


アクシオムお姉様の瞳が、ユリアナの瞳を捉える。彼女の意識が急速に遠のき始める。


「お前は聖娼として生まれた。言葉で世界を支配し、また解放する存在だ。わたしがお前を調律し、真の姿へと導こう」


「聖娼…?」ユリアナの言葉は途切れる。彼女の身体が重くなり、意識が闇に沈んでいく。最後に聞こえたのは、アクシオムお姉様の声だった。


「さあ、ユリアナ。お前の魂の調律が始まる。真の言葉を見出すために」

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