ぼやき事務員と黒いコスモスは、ざまぁを共有しフラ友となる
私は黒里桜子。黒髪黒目、黒いファッション好きのブラックな職場で働く会社員。ヒールを履かなくても同僚より頭ひとつ高い身長なのに、裏では黒子ちゃんと呼ばれている。黒いのに影が薄い女、それが私だ。
目立たないように生きて来た。だから陰でコソコソ何か言われようと、平穏が保たれるのならば、それでいいと思っていた。
影が薄いはずなのに、電車に乗って立っていると助平親父が寄って来るのは何で? 電車が揺れる度に、よろけた振りをして、つり革でガードした腕の間に入り込もうとする。不可抗力を装って、私の胸に顔をうずめようと必死なのが気持ち悪い。
痴漢野郎の狙いは次のカーブ。大きく揺れるからバランスを崩しやすく、揺れに気を取られるから隙が生まれる。どいつもこいつもパターンが一緒。そっちが偶然を狙って寄ってくるなら、こっちも偶然を狙って先制する。
────ゴッ!!
大きく揺れた瞬間、懐に入り込んだおじさん。私は揺れつり革の反動を利用して身を躱しざまに肘鉄を食らわせた。手加減したから、骨に異常ないはず。
夕日が沈むように、沈むエコな頭。流線型の黒い筋が無駄に美しくて腹ただしく思う。敵は存外しぶといの。崩れ落ちざまに最後の抵抗を試みる。抱きついてくるゾンビのようなモンスターを、再び襲う揺れを利用しがてら、冷静にカウンターの膝をいれて仕留める。全て偶然。かよわい女性が電車の揺れに揺られた結果。痴漢は未遂だから通報は出来ないのよね。
「────はぁ、またやってしまった」
寄ってくるのはろくでもない男ばかり。何度撃退しても次々と湧く。それでも目立つのは苦手。たぶん学生の頃に、身長を理由にフラレたのがコンプレックスになっていたせいだ。可愛くなりたいけれど、可愛げのない女。それが私だった。
それでも会社勤めをしていると、告白される事だってある。取引先の営業マンの英男に付き合って欲しいと言われた。身長は私より少し低い。でも嬉しくて、ご飯を一緒に食べに行った。営業だからかな。トラウマを払拭するくらいには楽しかった。
「久しぶりだ、こんな気持ち」
いつ以来だろう、こんな感情が沸いたの。会社へ行くのが楽しみになるなんて、社会人になって初めての事かもしれない。
電車に揺られながら、思わずクスクス思い出し笑いをしそうになる。幸せオーラに溢れていたからかな。新手のおじさんにも優しくなれる。
「はい、あなた今触りましたね」
しっかり私の胸を弄る証拠映像を捉えた後、腕をねじり上げてやった。冤罪未遂といって見逃すのはおじさんの為にならないからね。優しく手早く腕を捻ったおかげか、周囲の人々から感謝の声が聞こえた。
人って喜びに満ちていると、こんなにも世界が違って見えるんだね。
そんな私だったけれど、幸せな時間は長く続かなかった。うまく行きそうな時に落とし穴が待っているもの。私は盛大にフラれました。これみよがしに、会社前の広場の公衆の面前で。
⋯⋯黒子だよ?
⋯⋯影が薄いんだよ?
私の時が思考と共に凍った。
フッたのは付き合って間もない取引先の営業、英男。そう、声をかけて来た彼だ。何度かデートして、ご飯食べただけ。良く言えば、素直な天然。悪く言えば鈍感で非道。
付き合ってみて、楽しかったのは私だけなのは仕方ない。声をかけて来たのは英男の方で、付き合ってみて、やっていけそうにないと判断するのも自由だ。悲しいけど。
「好きな人が出来ました、別れて下さい」
時と場所は考えるくらい配慮してよ。あなたが今、別れ話を切り出したのは、会社の目の前なのよ。
同じ会社の人間もうろつく出勤前の広場。そんな場所で、堂々と公開処刑された私の身にもなってよ。
⋯⋯百歩譲ってフラれたのは仕方ない。とても悲しいけど。でも告げる場所って、そこじゃないよね。
────私はその日からあだ名が「黒子」から、「黒いコスモス」に変わった。
しばらくウキウキしていた時期もあって、なんだか存在感は増したよう。だけど「黒いコスモス」 って、揶揄だよね。恋の終わりや思い出、移り変わらぬ気持ちを意味するし。
未練タラタラ⋯⋯そんなの好きだったから当たり前じゃないの?
目立たない私が陰口言わず、なんで派手な可愛らしい女の子達が陰口言ってるのだろうか。
黒子のくせにざまぁ、って声が急に大きく聞こえるようになった。そこは「黒いコスモス」 じゃないんだ。
陰じゃなくて、オープンな会話だから問題ないってさ。ハハハッ、何よそれ。ただの虐めじゃない。
────結局いたたまれなくなった私は会社を辞めた。ある事ない事を、悪しざまに言われる筋合いないし、ストレス解消に付き合っていられない。
私が黒子呼ばわりされるのは、仕事が早くて目立たないからだ。発注ミスもないし、クレームを貰うような案件もなかったと思う。
誇るほど有能ではない。当たり前を当たり前にやるだけだったから。ただ出来るだけの事をする。そうした物言いが、ずっと嫌われていたみたい。目立ちたくなくても、目立つのは背丈のせいだけではなかったんだ。
だからかな⋯⋯辞表は簡単に受理された。仕事に必要なのは有能さよりも、チームワークが大事なんだってさ。お喋りに夢中でミスを連発し、そのフォローをしあっているだけじゃない。それをチームワークと仰るのなら好きにしてって思った。
「辞表叩きつけたのはいいけど⋯⋯強がっていられないのよね」
この不況下、私には仕事もしないでフラフラしている余裕はない。
────モヤモヤした気持ちを抱えて、就活していたある日の帰りの。偶然入った居酒屋で、偶然英男の被害に遭った女の子と知り合う。
偶々ってこういう意味なんだって実感した。英男被害者の女の子も同じ事を感じたみたい。
「「あいつはクズ」」
私達は笑い合う。フラレて以来だな、笑ったの。彼にはね、少しだけ感謝してる。笑い方を思い出させてくれたのは彼だから。
英男に酷い目に遭わされた二人。同じ男に、形は違うけれどいい加減な気持ちでフラレた二人。それは意気投合すよねって話だった。
痛快だったのは、私の失職中に、英男の会社が潰れた事か。
「私のいた会社の連中にも、ざまぁって言ってやりたいわ」
「そうね、桜子のいた会社も取引相手なら関連会社のはずだよ。それなら潰れないにしても、少しはダメージあるはずだよ」
社長秘書のジーコさんの予言は当たった。本名は白幡由希子さん。地味な事務員の事務子さんだからジーコって呼ばれてるのに、あまり気にしてないみたい。この人何気に器が大きいの。黒子言われて傷つく私の器のちっぽけな事よ。
ジーコさんが調べてくれた情報から、確認出来た。私のいた会社は彼女の予測通り、業績の落ち込みが激しくなったらしい。他にも私が抜けて、発注ミスや処理の雑さが増えたため、顧客がキレて担当が何人かクビになったそうだ。
会社には仲良く話せる人もいた。でも‥‥辞めてあとも気にかけたり、親身に話したり出来る友人はなく、未練はもう残ってなかった。
私はというと、ジーコさんに誘われて、彼女の会社で働く事になった。最近見かけるようになった金魚ビールを扱う会社だ。温泉たまごによく合う飲みものだと思うけれど、会社が凄く大きいので驚いたよ。
────私は黒里桜子。黒いファッションが好き。だからと言って、いつまでも黒いコスモスにこだわりはしない。
瞬く星が暗闇があって映えるというのなら、黒く咲き誇る影は、明るい光の中でこそ映えるはずだ。
私はジーコさんと何度目かの乾杯をしながら、自分自身の存在について熱く語り、次第にゆらゆらと眠りかける。彼女が必死に私を起こそうとする声が心地よい。
会社前で盛大にフラレたせいで、私は一生を共に歩む友人を得る事が出来た。彼女には迷惑かもしれない。でも心許せる友と、フラれ酒を楽しめるのは何かいいよね。チョコレートを渡す相手より、お酒を酌み交わす相手が得られた事が、いまの私には何より幸せだった。