堪える
ロランはジゼルの額を縫う医者の手を黙って見つめていた。
医者はロランの食い入るような視線に緊張しながらも、自らの役割を示すように丁寧に治療している。ジゼルの額の傷は深く、治療しても傷跡が残る可能性がある。縫われてゆく傷を見ているロランの心がズシンと重くなった。
(魔法で傷跡を消すことができれば、いや、もしかして召喚魔法ならば治すことが出来るかもしれない)
だが、魔法が効かないジゼルにそんなことをしても無駄だ。それはダークネスドラゴンの時に判明している。けれど、それでも、ジゼルの為にロランが出来ることは無駄な魔法しかないのだ。
以前のロランならそんな意味の無いことはしない。馬鹿馬鹿しいと鼻で笑う。だが、今は違う。可能性がなくとも、それでもジゼルの為に希望を見出したいのだ。
(私がそんな馬鹿みたいな考えを持つとは)
ロランは傷から目を逸らし自分の手元を見た。
(……合理的じゃない感情、側から見たら馬鹿馬鹿しい説明のつかない行動、これが人を愛する気持ちなんだな)
ロランの表情が緩んだ。
メイドのエミリーは医者の手伝いをしながらジゼルを見て泣いている。ジゼルを大切に思う気持ちがロランに伝わる。おそらく今朝の支度も手伝ったのだろう。ジゼルは自ら味方を作ったのだ。ジゼルを悪女だと思い込んでいたメイド達をジゼル自身が味方につけたのだ。
ジゼルは涙を流すエミリーに優しい声で話しかけている。
「泣かなくてもいいのよ。私は大丈夫だから」
エミリーは涙をぬぐい「ハイ」と頷く。その様子を見てロランは決めた。
(エミリーにジゼルを任せよう)
治療の間、ジゼルは痛いと言わなかった。我慢しているジゼルを見るたびに、大きな後悔が襲う。全てはロランの失態だからだ。ジゼルに怪我をさせてしまった罪をどう償えば良いのだろう?とロランは自分を責める。
「!!」
突然、隣に座っているジゼルが体を硬直させ、ブルッと震えた。急激に顔が赤くなり両手を口に当てている。ロランはジゼルの急変に顔色を変えた。
(そういえば、口から血が出ていた!口の中も怪我をしたのか!?)
痛がるジゼルを見て、堪えていた怒りの炎が再燃する。それでも傷ついたジゼルの前で怒りを見せるわけにはいかない。怒りを押し殺し平静を装い医者に声をかける。
「口の中も診てくれ」
痛みに震えるジゼルの手をエミリーは強く握る。ロランはそんなジゼルを見つめ、両手で拳を握る。何も出来ない自分自身に苛立ちを覚える。ジゼルの前では大魔法使いという呼び名も意味をなさない。ジゼルにとって自分は無能な、ただの男だと、再び思い知らされる。悔しく複雑な心境にロランは表情を曇らせた。
「ああ、舌を噛まれたようですね。これは自然に治すより方法がありません。刺激物を避け過度な運動も避けてください。乗馬などは厳禁です」
そう言ってジゼルに痛み止めを渡し、エミリーは水をジゼルに渡した。
一通り診察が終わった時、医者がジゼルに声をかけた。
「ジゼル様、背中をぶつけられました?あ、いや転んだ時は前面でしたね。うーん、強く押されたか誤って踏まれたか……」
その言葉を聞いたロランは目を見開く。ジゼルがあの状況で背中を踏まれることは考えられない。ならば押されたか、蹴られたかだ。押され倒れたならここまでの怪我を負わないだろう。無防備な状態で蹴られたと考えればこの大怪我の辻褄は合う。真実はアーティファクトに記録されている。だが、ロランはジゼルが蹴られたと想像するだけで我を失いそうになっていた。
(ジゼルが……背中を蹴られた!?)
ロランの心拍数は上がり、眉間にくっきりと皺ができるほど顔を歪めた。握った拳が再び震える。
(それであんな怪我を!?)
気が遠くなるほどの怒りが一気に吹き上がり、その圧力で声が出ない。息を止めたロランの全身に力が入る。
(どれほど怖かっただろう……)
強く握り締めた手のひらに爪が食い込む。
(一体誰が!?誰がジゼルを!!)
ロランの心は怒りで満たされ、その瞳は復讐に燃える。今すぐにでも犯人を探し出し、二度と起き上がれないように報復したい。
だが、この場で怒りに支配される姿をジゼルに見せるわけにはいかない。優しいジセルは心を痛めるだろう。
(今は怒りを鎮めなければ)
ロランは顎を引き、大きく息を吸う。
気持ちを落ち着かせたロランは、俯いたジゼルを見つめた。顔を隠しても悲しみに滲む瞳が髪の隙間から見える。こんな表情をさせた人間を『許す』など今のロランには無理だ。
ジゼルは両手を握り、医者の質問に黙って首を振った。それを見たロランは確信した。ジゼルは自分さえ我慢すれば良いと思っているのだ。
「……左様ですか。私の気のせいでしょう。ただ、転んだ痛みもあるでしょうから、この貼り薬を置いて行きます」
医者はジゼルの様子を見てジゼルの気持ちを察しそれ以上その話は続けなかった。
「ジゼル様、今日は安静になさって下さい。傷は一週間もすればくっ付くでしょう。しかし残念なことですが、傷跡が残ります。……痛み止めはこちらを煎じてお飲み下さい、後、……何かあれば私をお訪ねくださいませ」
ロランは医者の言葉を聞き耳鳴りがするほど衝撃を受けた。やはり傷跡が残ってしまうのだ。
(ジゼルの顔に傷跡が……)
ロランはどんなジセルであっても気持ちは変わらない。だが、本人はこんな事件が起きたことにもショックを受け、それに加え傷まで負ってしまいどれほど悲しいだろう。
そう思うだけでロランの喉は締め付けられそれと同時に何度も堪えていた怒りがまた込み上げる。震えるほどの怒り、頭の中が真っ白になるほどの衝撃、ジゼルを守れなかった深い後悔。ロランは湧き上がる負の感情に眩暈がした。
(ジゼルに手を出した者は……私が地獄に送る)
ロランの心は闇に引き込まれてゆく。金色の髪がロランの放つオーラでゆらゆらと揺れ始めた。黒魔法使いと共にある闇がロランの感情に反応し、ロランの瞳は青く燃え始める。ロランは臨戦体制に入ってしまった。医者やエミリーはロランの圧力に冷や汗をかき始めた。
このままではロランの魔力に呑み込まれてしまう。二人は緊迫に息を止めジゼルを見た。
「ありがとうございました。それに、お心遣いにも感謝いたします」
ジセルはその場の緊迫をものともせず微笑みを浮かべ、医者に礼を言った。その瞬間ロランの圧が消えた。
ロランは我に返り、怒りに心を支配された自分をかろうじて取り戻した。エミリーと医者は、ロランの魔力から解放され、逃げるように部屋を出ていった。
【この結婚が終わる時】を読んでくださっている読者様へ。
いつもありがとうございます。
新しい話を更新したときはXにてお知らせいたします。
(生意気にもXを使い始めてしまいすみません。しかし使い方がいまいちわからなくて、すみません)
https://x.com/nekonekoko610?s=21
Xには各話の補足も書きたいと思っています。
いつもありがとうございます。
感謝の気持ちを忘れず、客観的に自らを見直すことができるよう精進いたします。
感謝を込めて
ねここ




