動かない心
ロランはシャルロットの言葉を聞き表情を硬くした。
頬を触るシャルロットの指の動きに嫌悪感を抱いている中、抱きしめてという言葉に鼓動が速くなる。
(ジゼルの目の前で?)
奥歯を噛み、動揺を隠す。
幸いシャルロットはロランの変化に気がついていない。この注目されている状況に酔っている。
正式な妻であるジゼルが、どんな気持ちでこの状況を見ているのか考えるだけで頬を触るシャルロットの手を振り払いたくなる。自分のことしか考えないシャルロットに、堪えていた怒りの引き金を引かれた気分になった。
「あっ」
シャルロットが声を上げロランは我に返った。なんと無意識にシャルロットの手首を掴んでしまったのだ。
シャルロットは手首を強く掴まれ、驚きの表情を浮かべロランを見る。
その瞳には戸惑いの色が見える。
だが、ロランはその行動を弁解することはしない。慌てる様子を見せる方が危険だと判断したからだ。ロランはいつも通り表情を変えずシャルロットを覗き込み聞いた。
「ここで?」
その言葉にシャルロットは一瞬驚いたように目を見開いた。
ロランの言葉は単純な受け答えに聞こえるが、一方で拒否しているようにも聞こえる。
だが、今のシャルロットは完全にロランを信用している。それほど、このジュベール公爵家のお茶会はシャルロットの虚栄心とジゼルに対する優越感を満足させているのだ。
シャルロットは周りに聞こえるか聞こえないかの絶妙な声のトーンを使い言った。
「ロラン……悲しいの、抱きしめて」
ロランはそれに答えることなく自らの長い髪をかき上げ、シャルロットの手を離した。
『ジゼルの前でシャルロットを抱きしめる』
ジゼルさえいなければなんでもない作業も、今は心を整えなければできそうにない。
ロランは目の前にいるシャルロットを見つめた。
愛情など何一つ感じない。
心が揺さぶられることもない。
一万回愛していると言われても、
一万回の愛の言葉を強要されても、
この心は動かない。
私の心を動かす人はただ一人だけ。
ロランはシャルロットを抱きしめた。
その様子を見ていた貴族達は二人の姿に啜り泣く。
ロランは一刻も早くジゼルがこの場から去ってくれることだけを願った。
程なくしベルトランはジゼルを連れその場から移動した。ロランは内心ホッとし、シャルロットを抱きしめる手を離し、そのまま共に用意されたテーブルに移動した。
シャルロットは涙に濡れたまつ毛を震わせ、目線を下げ歩いている。だがその瞳の奥は嬉々としているのがロランには分かった。
全てシャルロットのペースでこのお茶会が進んでいる。
二人の仲をジゼルに見せつけ、貴族からは同情を集め、ジゼルを完全にアウェーに追いやった。
(だが、もうここまでだ)
ロランは先に着席している一族を見回した。ジュベール一族。ジゼルを毛嫌いしている一族はシャルロットを歓迎している。
ロランはそのまま別のテーブルにいるジゼルに視線を向けた。
ベルトランはジゼルを自らの隣に着席させていた。その場所はベルトランの妻が亡くなって以来誰も座ることがなかった場所だ。その様子を見た貴族達はどよめく。ジゼルは王族であるシャルロットよりも上席に案内されたのだ。
慌てて辞退するジゼルにベルトランは有無を言わせず、隣に座らせたが、ジゼルは終始居心地が悪そうにしている。
ベルトランは引退したと言えどもその影響力は強く多くの貴族たちが近づきたいと願っている。しかし容易く近づける人物ではない。ジュベール公爵家特有の魔力はさることながら商才にたけ、王族をはるかに超える財力を築き上げた。
あまりの影響力に国王はベルトランを牽制しようとし、結果、王室とジュベール公爵家は溝ができた。
しかし現公爵家当主でロランの父親のリオネルは中立を保ち、ロランとシャルロットの関係もありその溝も埋まったように見える。だが実権を握るベルトランは王室を嫌い、シャルロットを認めていない。今この現状もその意思を明確に表している。
ロランはベルトランの考えを支持している。以前は明確な意思はなく従うだけだった。
だが、今は違う。
全てを無くしてもいいと覚悟したあの日。証拠が揃い、万が一、それが王家との対立の火種になったとしてもロランの意思は変わらない。
(私もお祖父様と同じだ。証拠を掴んだらお祖父様との誤解も解きたい。その為に全てを呑み込み、私はここに来たのだから)
お茶会が始まり三十分ほど経った時、ベルトランが席を外した。ロランはその様子を見ながらジゼルを守る人間がいなくなる事を心配した。だが、使用人に監視を任せた様子でその使用人はジゼルから少し離れた場所で立っている。
(不安はあるが……誰もいないよりは良い)
それを見てロランは一息つく。
このお茶会はさまざまな思惑が飛び交う異様な雰囲気になっている。
ロランは隣に腰掛けるシャルロットがジゼルに視線を向け、扇子を握りしめる様子を見て一抹の不安を感じた。
シャルロットのジゼルに対する敵対心は未だ消えていないとわかる。
ロランがどれだけシャルロットに優しく接しても、愛を語っても、ジゼルを憎く思う気持ちは消えていない。
(出来るだけ早く作戦を開始しなければ)
ロランはシャルロットの手を優しく握り言った。
「シャルロット、母上が、シャルロットがこのお茶会に参加するのを楽しみにしていたんだ。女性同士色々話したいことがあるんじゃないか?」
シャルロットはロランの言葉に微笑みを浮かべる。
「ええ、ロラン、この先ここに嫁いだら公爵夫人の仕事も覚えなくてはならないでしょ?ルィーズ様に色々と教えていただかなくてはならないから……」
シャルロットはそう言って隣で微笑むルィーズに笑顔を向けた。
「まあ、シャルロット様、嬉しいお言葉ですわ。私たちジュベールはあのジゼル・メルシエをロランの妻だと認めておりませんの。今日も、お祖父様はああしてお隣に座らせていますけど、お祖父様以外はシャルロット様の味方ですわ」
ルィーズはそう言って近くに腰掛ける一族を見回す。皆その言葉に頷いている。
その様子を見たシャルロットは口元にハンカチを当て奥ゆかしく微笑む。
ロランはシャルロットがこの状況に満足していると確信した。
そのうちシャルロットの取り巻きであるローズニコラ達が挨拶に集まりシャルロットは話に花を咲かせ始めた。
(今しかない!)
ロランはシャルロットの侍女マリエットを見た。マリエットはシャルロットの背後で待機している。
(今あの場所を守る人間は誰もいない)
ロランはゆっくりと席を立ち、シャルロットに言った。
「シャルロット、君に見せたいものがある。少し席を外していいか?」
ロランの言葉を聞き、周りの令嬢が騒ぎ出す。
「シャルロット様はやはりロラン様に愛されておいでですね!」
「あの悪女はロラン様に見向きもされず……シャルロット様と張り合おうなど浅ましいですわね」
シャルロットはロランを見つめ言った。
「ロラン、楽しみにしていますわ。私はここで皆さんと待っています」
ロランはシャルロットの手の甲にキスをし、立ち上がった。できるだけ自然を装いジゼルに視線を向ける。ジゼルは一人で腰掛け目の前のお茶菓子を珍しそうに見つめていた。
ロランの口角が上がる。
(ジゼル、待っていてくれ。私は必ず成し遂げる)
ロランは足早に会場を後にした。




