孤独な結婚
マグノリアの丘は、ジゼルと結婚してからはあまり訪れることが無くなった場所。だが、ロランにとって特別な場所だ。
ロランはマグノリアの木の下に腰を下ろしその白い花を触った。高潔な白い花の色。今のロランにとって眩しく映る。手を触れることさえ躊躇うような清く美しい花。まるでジゼルのようだ。
(覚悟がいる。……先ほどの覚悟とは全く違う覚悟。シャルロットとお茶会に出席し、ジゼルの前で平然とやり過ごす覚悟、ジゼルを悪女と罵る貴族を、見て見ぬふりをする覚悟、別邸に戻りジゼルに冷たく接する覚悟。そして二回目の契り、感情を殺しジゼルを抱く覚悟……)
ロランは花の香りを嗅ぐ。瑞々しくも甘い香りが漂う。
シャルロットの香水とは違う有機的な香り。ロランはシャルロットを思い出し暗い影が心にのしかかった。
全てを安易に考えていた。
その浅はかな考えが、これほどジゼルを追い詰め苦しめることになるとは、想像することができなかった。
(私の自分勝手な考えが結果として周りを不幸にしている。これでは駄目だ。私が変わらなければ誰一人幸せにできない)
ロランはこれまでの事を思い返した。
(この結婚に興味がないからと、ジゼルに冷たくするなど、私はどれほど傲慢な人間だったのだろう?一人の人間としてジゼルにも意思があり考えがあり、同じように感情がある事をなぜ私は見なかったのだろう?)
「変わらなければ。私が変わらなければならない」
ロランはマグノリアの花に向かって言った。その言葉は強い意思と決意が込められている。
(シャルロットの悪事の証拠を掴んだら、私は、自分の意思をシャルロットに、周りの貴族に示す。ジゼルを愛していると!)
ロランは空を見上げた。太陽が傾きかけてる空は青さが増している。青い空はロランの決意のように雲一つない。
(ジゼルに対する愛の言葉を口にすることが出来ないなら行動で示そう、ロラン・ジュベールはジゼルを愛していると誰が見てもわかるように行動で!)
ロランは立ち上がりカパネル王国の街並みを見つめた。
(ジゼルと結婚が決まった時、ここに来た。あの時はこの両肩に乗っている責任の重さに、孤独に押しつぶされそうだった。だがやっとわかった。ジゼル、私とジゼルは似ている。私達は共に重荷を背負い、共に孤独だったのだ。その重荷と孤独を分かち合うために出会ったのだと信じたい)
ロランは瞳を閉じ耳を澄ます。風がマグノリアの花を揺らす。この結婚は魔力のない孤独な人間と、大魔法使いと呼ばれる孤独な人間同士が結ばれる。
(私が孤独ならば、ジゼルも孤独なのだ。私達はお互い遠い存在だと思っていた。だが、本当は、誰よりも近く、真に分かり合えるはずの存在なのだ!)
ロランは自ら導き出した答えに唇を噛み締める。本来ならこの結婚生活が始まる前に気がつくべきことだった。だが、ここまで問題が複雑に絡み合った今、この答えを導き出しても目の前に迫ったお茶会を回避することができない。
ロランは顔に両手を当て俯く。この最悪な結果をジゼルに伝える勇気が出ない。だが、逃げることもできない今、ロランができる最善は冷たく最悪な夫であることだ。
ロランは覚悟を決め立ち上がり、移動魔法で別邸に戻った。
ロランはジゼルの目の前に立った。
険しい表情を浮かべ、ジゼルを見る。それを見たジゼルに緊張が走った。ジゼルの感じた恐怖が手に取るようにわかる。室内の空気はロランの威圧感で張り詰め息ができないほどだ。ジゼルが一層身体を固くした。
ジゼルがどんな気持ちでここで待っていたのか想像すると、胸が痛む。だが、今、その感情は邪魔だ。ロランはジゼルを心配する気持ちを振り払うように小さく首を振った。
(冷たく、突き放すように言わなければ)
ロランは心を覆う罪意識を堪えた。これ以上傷つけたくないと思うならば、冷たく突き放すしかない。
ジゼルは不安な表情を浮かべていたが、ロランの冷たい視線に耐えきれなくなったのか、俯いてしまった。ロランは出来るだけ低い声を出し、冷たく突き放すような口調でジゼルに言った。
「…………お前、お祖父様に何をした?お祖父様は私がお前をエスコートしなくてもお前を招待すると言った」
ロランの声を聞きジゼルは顔をあげた。潤んだ瞳でロランを見つめる。涙を必死で堪え、恐怖に震えているジゼルに、ロランは鋭い眼差しを向けた。ハラハラと落ちてくる髪を耳にかけ、凄むようにジゼルを見る。
ジゼルは恐怖を感じ心臓を守るように両手を胸に当てた。その様子を冷めた目で見る。
(最悪の茶番、最悪の結果だ)
ロランは今にも消えそうなジゼルを睨み続ける。葛藤する気持ちを押し殺し、ジゼルに集中する。
ジゼルは震える両手を握りロランを見つめ続ける。その瞳を見るたびにロランの心は何度も折れそうになる。だが、決めたのだ。ロランは徹底して嫌な夫に最低な男になるのだと。ロランに他の選択肢はない。
青い炎のような瞳がジゼルを捕らえる。その瞳を見た瞬間ジゼルは視線を外した。
(これで良いんだ)
だが、ジゼルはもう一度ロランを見た。ロランはこの冷たい視線に何度も耐えるジゼルを見て内心驚く。ジゼルは何度も目を逸らすが、それでも向き合おうとする。そんな姿にロランの中で愛情の炎が湧き起こる。だが、すぐに消さなければまた堂々巡りになる。ロランは一歩ジゼルに近づきその顔を見下ろした。
「ロラン様、お二人の邪魔するつもりはありません。あ、あの、申し訳」
「なぜお前は……」
ロランはジゼルの謝罪の言葉を聞き一瞬全てを忘れ声をかけた。しかしすぐに我に返りジゼルから顔を背けた。
(なぜジゼルは私とここまで向き合おうとしてくれる?それが今はジゼルの身に危険を及ぼすことになるのに……)
ロランは黙るしかなかった。
静寂が二人をつつむ。
(このままでは駄目だ。心が保てない)
ロランは両手で長い髪をかきあげ天井を見つめ大きく息を吐いた。
ため息と共に無駄な緊張感が消え、少し楽になる。
(もっと自然でも良いのかもしれない。怖がらせるだけじゃ意味がない)
ロランは魔法を使い長い髪を一つに束ねた。
ロランは振り返り、再びジゼルを見つめた。ジゼルの瞳に恐怖はない。それどころかその柔らかい視線にロランは戸惑う。ジゼルはロランから視線を外し手元を見つめた。
(だが、私には言わねばならないことがある)
ロランは黙って次の言葉を考えていた。ジゼルも黙っている。
静寂の中時間だけが過ぎる。
これ以上黙ったままだとジゼルが疲れてしまう。そろそろ言わなければ。
ロランは息を吸い込んだ。
「ロ、ロラン様……」
ジゼルが何かを言おうとしたが、ロランも口を開いている。ジゼルの言葉に被せるようにロランは言った。
「もう謝る必要はない。おまえは一人で参加しろ。……私の話は以上だ」
(これで良いんだ)
ロランはひどい夫、ジゼルはそんな冷たい夫を心底嫌えばいい。ロランは頭を下げるジゼルを見てそのまま部屋を出ていった。
*
翌日の朝。
「今日は二度目の契りを行う」
冷たく、突き放すようにジゼルに伝え、そのまま公爵家本宅に行った。移動中、襲いかかる様々な思いを振り払う。
(結婚当初の冷たいロラン・ジュベール。それが今の私だ)
公爵家本宅はお茶会の準備でごった返している。
ここに悪女が来る。世間から嫌われているジゼルが。
「ハァ……」
ロランは準備が整ってゆく様子を見つめならが今晩の契りを考えると、自身に対し吐き気がするほどの嫌悪感に襲われた。だが、これを乗り越えなければその先に進めない。
*
その晩、ロランはジゼルを抱いた。
初夜の時とは全く違い、言葉をかけることもなく、視線を交わすことも無く淡々と事務的に行為をおこなった。だが本心は息ができないほどの罪悪感。悲しみを堪えるジゼルの顔を見ることができなかった。
そして、お茶会の日がやってきた。




