我慢の限界
ロランはジゼルの言葉を待った。急には無理だとしても、言いたいこと、思っていることを口にしてほしい。ジゼルの心の奥底で、膝を抱え小さくなっている本当のジゼルを見つめるようにロランは瞳孔を絞り、目の前にいるジゼルは両手を握り何かを決心するようにロランを見た。
だがジゼルはなかなか口を開かない。ロランは顔にかかる髪を無造作にかき揚げジゼルに視線を送る。すぐに口を開くことができないほどジゼルは自己肯定感が低いのだ。ロランに対してもメルシエ一族と同じように感じているのかもしれない。そう思うとロランは複雑な心境に陥る。そうではないと否定したい。だが、現実は、ジゼルを追いつめているのは紛れもない自分自身だ。
ジゼルは決心したように震える唇を開いた。
「ロ、ロラン様、私には分かりません。だけどお断りしますので……どうか……お許しください」
途切れ途切れに言葉を紡ぎ出すジゼルを見て、ますますやるせなさがロランを襲う。
ロランはもう一度髪をかき揚げ耳の後ろで一旦手を止め自身への怒りを鎮めるようにゆっくりと手を滑らした。怖がらせたくないと思いながらも、そうせざるを得ない今のこの心境に奥歯を噛み締める。
「ロラン様、本当..です。......何も知りませんし、行きませんのでお許し下さい....」
ロランはジゼルの言葉を聞き眉間に皺を寄せた。
(許す?何を?ジゼルが私に許しを請わねばならない何かをした訳じゃない。だが、お祖父様は諦めないかもしれない。私がジゼルを突き放す方がジゼルにとって一番安全な方法だ)
ロランは感情を表さないよう、眉一つ動かさぬよう細心の注意を払いジゼルに言った。
「このお茶会はシャルロットも出席する、お前が参加すると私は形式上お前をエスコートしなければならない。それが何を意味するかわかるか?シャルロットをどれほど悲しませるか」
ロランは自分が吐いたその言葉を即座に撤回したくなった。こんなことを言うつもりはなかった。
(来ないでほしい、私の姿を見ないでほしい、直接守ることができる時までどうかあの屋敷から出ないでほしい)
本心がロランの心の中で暴れ出す。だが、あんな言い方をするしかなかった。
ジゼルはその言葉を聞き、震える唇に拳を当てている。その姿を見てロランは心の中の光が全て消えたように感じた。なぜこんなことを言わなければならないのかと自分の置かれている立場を恨みたくなった。言いたくもない言葉でジゼルを傷つけ、見せたくない姿を見せなければならないと想像するだけで平静を保てない。体から全ての力が抜けそうになり、招待状を持つ手に力が入った。招待状が希望のない現実に屈したように折り曲がる。まるで自分の心のようだとロランは思った。
しかしロランの気持ちと対照的にジゼルは空を仰いだ。深く傷ついたように胸を押さえ小刻みに身体を震わせている。その姿を見て深い罪悪感がロランを襲う。
(お祖父様はなぜジゼルを招待した?ジゼルがあの場所でどんな扱いを受けるのかお祖父様はわかっているのか?)
胸にふつふつと湧き上がる怒りを誰かにぶつけたくなる。
(炎の魔法でこのざわめく行き場のない気持ちを焼き尽くしたい)
ロランはため息を吐いた。
公爵家の跡取りが形式上とは言え妻をエスコートせず、シャルロットをエスコートする。
ジゼルがいることでロランは不道徳な男になり、シャルロットは愛人に成り下がる。
普通の貴族なら忌み嫌われる不道徳な行動。
だが、実際は悪女と呼ばれ誰一人ロランの妻だと認めていないジゼルをかわいそうに思う人間などいない。ジゼルがロランの妻だと言っても鼻で笑われ相手にもされない。本当に辛い思いをするのはジゼルなのだ。
(そんなとこに来てほしくない。なぜこのタイミングでジゼルが来てしまうのだ?調べ終え証拠さえ見つかれば全てが整うのに)
ロランはこの状況にこれ以上何も言えなくなった。言葉が出てこない。喉がつまったような苦しさと、ジゼルを怖がらせ悲しませているこの現実に泥沼に足をとらえられ奈落に引き摺り込まれるような錯覚を起こす。必死にもがきながらもジゼルという光を求め、掴むために全て曝け出したいとさえ思う。だが、ジゼルに余計な重荷を背負わせたくない、巻き込みたくない、ジゼルには人間の醜い所をこれ以上見てほしくない。ロランは招待状を握りつぶした。
「ロラン様、すぐにお断りしますから、ご安心ください、おふたりの邪魔をする意図はありません。どうかお許し下さい」
目の前のジゼルは張り詰めた空気を破るように、訴えるように、諭すような口調でロランに言葉をかけた。体を震わせ瞳を潤ませ深く頭を下げるジゼル。そんな姿を見たいわけではない。
(ジゼル!やめてくれ、こんな思いをさせたくないんだ!なぜジゼルはそれさえも受け止めようとするんだ?もうそんな姿を見たくない)
全てがどうでも良くなる。だが、それでもこの先を思えばやるしかない。たとえジゼルを悲しませたとしても、嫌われたとしても、全てが明らかになるまでは貫かねばならない。
(きっとお祖父様は何か意図がありジゼルを招いた。私も同じように意図がありシャルロットを連れてゆく。きっともう覆すことはできない)
ロランは唇を硬く結んだ。
(シャルロットの取り巻きはジゼルを見てひどい言葉を浴びせるだろう。私はその姿を見てもジゼルを助けることができない、ジゼルが悪女と罵られても耳を塞いであげる魔法すら使えないのだ!!)
重い沈黙が続く。
(それでいいのか?)
ロランの頭に声が響く。その声は他でもない自分自身の心の声だ。
目の前のジゼルは消耗し震えている。そんなジゼルを見つめていたロランの我慢はとうとう限界を超えた。ジゼルが傷つくこの状況にロランは耐えられなくなったのだ。
(目の前で傷つくジゼルに手を差し伸べることが出来ないなど、私には、もう、これ以上耐えられそうにない!!)
ロランは天井を仰ぎ見て心を決めた。
ベルトランの元に行き、シャルロットの悪事を全てを話す。本来なら確実な証拠がないまま、王室へ刃を向けるような行為をベルトランに伝えてはならない。万が一失敗した場合、ジュベール公爵家としての問題に発展するからだ。
ジュベール公爵家の存続に関わり極めて重大な問題となる。しかしロランの独断でやれば万が一があってもその罪はロランが背負えば良い。ジュベール公爵家は新たな後継者を立てれば良いだけだ。
ロランは目の前で震え、悲しみを堪えるジゼルを見て全てを捨てても、たとえジュベール公爵家が無くなったとしても、それでも構わないと覚悟した。
形のあるものならばもう一度作り直せばいい。それくらい、やってみせる。
ロランはジゼルを見つめた。ジゼルはロランの視線を感じたのか、顔をあげロランを見た。
不安と罪悪感に瞳を潤ませるジゼルを見てロランは両手を握りしめる。しかしジゼルは再びロランの視線を避けるようにゆっくりと俯き黙った。
(悲しみに震えるジゼルに手を差し伸べることもできない状況は今日でお終いだ!)
「……私が今すぐ行ってお祖父様に直接断る。おまえは何もするな」
ロランは先程と打って変わって静かなトーンで言った。
最初からその覚悟でいれば良かったのだ。
ロランの言葉を聞いたジゼルはよろめいた。ロランは咄嗟に手を差し伸べようとしたが、ジゼルはすぐそばにあるテーブルの縁を片手で掴み体を支えた。ロランは手を引っ込めその手を握った。ジゼルは手を握り震える唇を押さえている。
(立っていられないほど消耗しているのがわかる。こんな話終わりにしなければ)
「……申し訳ありません」
ジゼルは重い沈黙の後搾り出すような掠れた声でまた謝罪の言葉を口にした。
(これ以上謝罪の言葉を聞きたくない。ジゼルが安心できるような答えを持って帰ってくるから、どうかこれ以上悲しまないでくれ)
ロランはジゼルを見つめ覚悟を決め、ベルトランの元に行った。




