絡みつく芳香とジセルの反応
シャルロットは服毒以来ロランに対し益々依存するようになった。そんなシャルロットに息苦しさを感じながらもシャルロットの関心をジゼルに向けないよう今はその我儘に付き合い、共に過ごす時間を増やした。この状況にシャルロットは満足し目立つ動きはない。一日の大半をシャルロットと過ごすが、少しの辛抱だと自分自身に言い聞かせ耐えている。
その状況に疲れ夕方別邸に戻るとジゼルが柔らかい笑顔を浮かべ出迎える。いつからかその笑顔を見ると安心する自分がいる。ホッとする時間、このまま夜が続けば良いのにと願いたくなる。
それに、ジゼルは以前のように虚ろな瞳で見つめてくることも少なくなり内心安心している。
周りの者がジゼルを認め始めたことが功を奏してきた。オーブリーはいち早くジゼルの能力を認め共に作業しているし、あのヤニックも、最初こそジゼルを悪女だと言い、ロランに相応しくないと怒っていたが、今では気にかけるようになっている。メイド達はジゼルを遠巻きに見ているだけでキッカケがないのか、なかなかその距離を縮められずにいる。それでも遠巻きに心配そうな眼差しをジゼルに向ける様子を見ると、その距離が縮まる日はそう遠くないだろう。
だが、それでも油断はできない。内情が漏れている現実がある。
ロランは変わらずジゼルに対し興味のないフリをし最低限の関わりしか持たないようにしていた。
馬車を降り別邸のエントランスでお辞儀をするジゼルを見つめた。ジゼルは少し緊張気味にロランを見つめている。
(そんなに緊張する必要はないのに……)
ロランはカバンをヤニックに預けながらジゼルを見た。変わらない微笑み。その微笑みはロランの冷えた心を溶かし、安心を与える。だが、笑顔だったジゼルの顔が一瞬固まった。ジゼルはすぐに表情を戻したが、どこかぎこちなく感じる。ロランはその変化を見逃さない。
(一体どうした?)
ロランは怪訝な表情を浮かべた。心に不安が広がる。ジゼルの顔を曇らすその原因を探る。
(一体ジゼルは何を感じたんだ?)
ロランは感情を抑えジゼルの変化の理由を想像する。間違いなくロランに関わることだ。しかし思い当たることが無い。ロランは出来るだけ平静を装い外套を脱ぎながらそれをメイドに渡した。
その時濃厚で重々しいバラの芳香が漂う。私はここにいると言わんばかりの絡みつくような香りがその場の空気を凍らせた。
(これだ!シャルロットの移り香が漂ったのだ)
思い起こせばあの服毒以来シャルロットは香水の香りが強くなった。それはジゼルを牽制するためだったのだと気がついた。シャルロットのあざとさにうんざりし、それに気が付かなかった自分に嫌気がさす。イラつく心を抑えるが、それと同時にくすぐったい感情も湧き上がる。なぜなら、いつも笑顔を絶やさないジゼルがこの香りに反応したからだ。
その現実に喜びに近い感情が湧き上がる。全身の血流が滞りなく巡り頭が冴えわたるような感覚だ。どうでも良い相手なら気にもしない事だが、あのジゼルが、空気のように過ごすジゼルが人間らしい反応をしたのだ。暗闇に光が差したような感覚。しかし、そんな喜びの気持ちを表すわけにはいかない。
けれど反応を示したジゼルに『どうしたのか』と聞きたい。これまで反応を示さなかったジゼルが初めてその意思を見せたのだ。ロランは昂る気持ちを抑え出来るだけ自然にジゼルに問いかけた。
「何か言いたい事があるか?」
ジゼルはその言葉に驚いたような表情を見せみるみるうちに顔が赤くなった。
(やはり図星だ。ジゼルはシャルロットの香りに反応したのだ)
歓喜に沸く気持ちを抑えコロコロと変わるその表情を見つめているとジゼルはゆっくりとロランから目を逸らし俯いた。その姿はとても可愛らしい。
(このまま抱きしめることが出来れば!)
衝動的になりそうな気持ちを抑えるためゆっくりと息を吐く。絡みつくようなシャルロットの束縛もジゼルの前では無効になる。ロランは開放感を得ている。ロランの瞳にはジゼルしか映っていない。ロランの心からジゼルを奪うことは不可能なのだ。
ロランの瞳にはジゼルが輝いて見える。その輝きはまるでこの世界を照らす温かい光のようだ。
(私に激しい感情と穏やかな感情を与えてくれるジゼル。シャルロットの事など気にしなくても良い、そう言えたならどれほど楽か……ジゼルの言葉が聞きたい。何を考えているのか、何を思っているのか。本当は聞きたいのだ)
ロランは表情を変えず黙ってジゼルを見つめた。
「あ、あの、えっと、」
何か言いたげで戸惑っているジゼルの言葉を待った。が、突然表情を曇らせ、またいつものように全てを諦めたような表情に戻り、ジゼルの周りの空気が灰色に変わった。
(ジゼルは自分の思っていることを人に言えない。全て自分の心に留めてしまう。それに拍車をかけたのは私だ。ジゼルは何も悪くない。私の……責任だ)
「……もう良い」
ジゼルに対して行き場のない感情がオーラとなって溢れ出る。情けない気持ちと申し訳ない気持ちが入り混じり自分自身に嫌気がさす。
きっとジゼルの瞳には、私は冷徹な男に映っているのだろう。
ロランは執務室で一人考えていた。
ジゼルの笑顔を見たい。あんな哀しげな表情をさせたいわけじゃない。けれど証拠を掴むまではこの気持ちを抑えなければならない。だが、証拠を掴んだ際は……。
「ロラン様、よろしいでしょうか?」
ヤニックが報告書を手に執務室にやってきた。
オーブリーに関しての報告書だ。その内容は意外だった。
オーブリーはジゼルの畑で収穫されたハーブを街に売りに行く。その時にハーブを売る相手となる商人がロランとジゼルの様子を尋ねていたのだ。それも何気ない会話の中に聞きたい質問を忍ばせ、それとなく世間話として聞き出す。オーブリーも全く悪気なく二人の様子や、邸宅の様子を話していたのだ。
「ロラン様、如何されますか?」
ヤニックは眉間に皺を寄せるロランに聞いた。ロランはオーブリーを責めるつもりはない。使用人達には罪はない。シャルロットが関心あるのはロランのジゼルに対する態度だ。ロランさえジゼルに関わらなければシャルロットはジゼルに深く嫉妬することもない。
「……何もしなくても良い。オーブリーに罪はない。そのままで」
ヤニックは表情をかえず話すロランを見て心配になった。ロランは自分の気持ちを押し殺しジゼルに冷たく接している事などヤニックにはお見通しだ。だが、全ての誤解が解ける日はおそらくそう遠く無い。ヤニックは黙って頭を下げ部屋から出ていった。ロランもヤニックの思いはわかっている。ロランは天井を見上げ息を吐いた。
(こんな重苦しいため息を吐かなくて良い日が来てほしい)
ヤニックと入れ替わってジュベール公爵家の影リオが現れた。リオは主に各貴族の領地を監視している。
ここのところニコラ伯爵の領地で怪しい動きがあるとリオは報告書をロランに渡した。敵国ブルレックとの取引の疑いがある。
「また、ブルレック……」
ロランは呟いた。シャルロットの毒、この報告書。何か気になる。近いうちに一度国境に出向く必要があるかもしれない。
だが、その前にやることがある。
ロランはヤニックを呼んだ。
「ヤニック、ジュベールの茶会の件で私は一週間ほど本宅に戻る。私がいない間ここを頼む。ジゼルの警護はクレールがいるから心配はしていない。だが、メイド達のジゼルに対する誤解を解きたい」
ロランはそう言いながらヤニックに一枚の紙を手渡した。
「これは?」
ヤニックはその紙を見つめ頷いた。
「わかりました。ロラン様、私がメイド達に言えばいいのですね?ジゼル様に対しお前達はお前達の考えで行動するようにと」
「うむ。私がそう伝えると結局命令になってしまうのだ。だからヤニックの口から言ってくれ。この先メイド達がジゼルを避けようとも近づこうとも私は一切咎めることはしない。自分で選ばせることが大事なのだ。私は私の態度を変えるつもりはないが、私に合わせる必要などない。ヤニック任せたぞ」
ロランはそう言って執務室を出た。一週間ここから離れるがジゼルには穏やかに過ごしてほしい。
ロランはジゼルに一週間出かけるとだけ告げ、別邸を出た。




