二ヶ月目
契りを結んでからも変わらぬ生活を続けていた。
ロランはジゼルに関わらず、ジゼルも空気のように存在を消していた。
だが、そんな態度をとりながらもジゼルに対する興味は契りの日以来心の中に持ったままだ。
あの日見たジゼルの凛とした姿が頭から離れない。
けれどこの気持ちが特別なものかと聞かれたらきっと違うと答えるだろう。
なぜなら、シャルロットがいるからだ。シャルロットとの関係は続いている。区切りをつけたい気持ちと自然に任せようと思う気持ちが交差したまま過ごしているが、その二つに新たな一つが加わった。
ジゼル。
彼女の存在が私の心に住み始めたのだ。
ジゼルにとって私は【大魔法使いロラン・ジュベール】では無い。
無力な一人の男でしかない。
日を追うごとに最強の召喚魔法を無効にされた悔しさが沸々と湧き起こるが、真逆の気持ち、大魔法使いの重責から自由になれたという開放的な気持ちも浮かぶ。
とても複雑な心境だ。
ただ、ジゼルのことはよくわからない。彼女は空気のように過ごし、私をいない存在だと考えているような気がし、その距離は離れたままだ。
結婚してひと月が過ぎ二ヶ月目に入っている。
今一番頭を悩ませていること、それはシャルロットだ。
ジゼルと結婚してから勤務中に関わらず毎日シャルロットから呼び出されるようになった。ただ、仕事の都合がつかないこともあり行けないと断ると、城の執務室にまで訪ねて来るようになった。
泣き腫らした顔を見るたびに不安にさせていると思うと追い返す訳にいかず、出来るだけ相手をしている。シャルロットはジゼルと違い自分の気持ちをそのままぶつけてくる。姫として育った傲慢さがあり、それが時に重く感じる。
ジゼルと契りを結んだ後はそれに拍車をかけ気持ちの乱高下が激しく全く仕事が出来ない事が多くなった。ウンザリする気持ちと不安にさせて申し訳ない気持ちが入り混じりシャルロットから解放された瞬間にため息が出ることも増えた。
シャルロットは一体なにを考えているのだろう?そう思うことも多くなった。
私の誓約
シャルロットにしか愛の言葉を伝えられないとわかっているはずなのに、毎日毎日それを強要するようになった。
「愛している」「シャルロットだけを愛している」「私の愛は全てシャルロットに」
私のその言葉を聞くシャルロットは天使のように微笑み私を見つめる。そして私はその微笑みを見るたびに背筋に冷たいものが走るのだ。
優しいお姫様、かわいそうなお姫様、悪女にも情をかけるお姫様、そんな言葉をかけられるたびに天使のように微笑むシャルロット。それを見た人間は更に同情を深め、まるで自分が当事者になったかのようにジゼルに対し糾弾を強める。
全てが出来上がったシナリオのように進む現実はいつしか偶然に思えなくなった。
ただ幸いなのはジゼルに対しての糾弾は日を追うごとに落ち着き始めている。
だが、私がジゼルに興味を持っているなど知ったらシャルロットはどうするのだろうか?この現実が仕組まれたものならば、シャルロットにとってこの状況は許せないだろう。
想像するだけで底知れぬ闇を感じる。
このまま全てが落ち着くよう、偶然であるよう願わずにいられない。
ジゼルは変わらず空気のように生活をしている。
最低限のことしか関わらないように、まるで私を避けているかのように。
精神的な疲れだと思うが、深夜に突然目覚める時がある。一度目が覚めるとその後眠れなくなる。
そんな時は音を立てぬよう静かにソファーに歩み寄り眠るジゼルを見つめる。ジゼルは魔力がない代わりに不思議なオーラをもっている。どこか懐かしく温かいあのマグノリアの丘のようなオーラに包まれたいと心のどこかで思っている。だから彼女の近くにゆけば心落ち着き再び眠ることができる。
ソファーで眠るジゼルはいつ見ても膝を折り曲げ猫のように丸まって眠っている。このソファーの幅が狭い訳ではない。私が寝転んでも余裕がある大きめのソファーだが、ジゼルは自分を守るように、抱きしめるように丸まって寝ている。
ソファーから床に流れ落ちる黒髪は瞬く星を含んだ夜空の滝のように美しく、その髪に触れてみたいとそっと手を伸ばす。だが、私が触れることによって空気のように生きているジゼルをこのうんざりするような現実世界に引き込んでしまうような気がし、伸ばした手を握りしめる。
きっと、私が気軽に触れて良い存在ではないのかも知れない。
だからこそ、そんなジゼルをソファーで寝かせるのはずっと前から気に病んでいた。けれどジゼルに興味を抱いてからなんとなく言い出しづらくなってしまった。
けれど本当は、私と同じベッドで寝たくないのかもしれない。
そう考えると私だってという対抗する気持ちも浮かぶ。
ジゼルに興味はある、がおそらくそれは愛ではない、と。
それからも二人は一定の距離を保ち生活を続けていた。
食事の時も会話などなく、ジゼルは変わらず冷めた料理を食べている。そんなジゼルを見るたびに温めてほしいと言ってくれないかと期待してしまうが、ジゼルは何も言わずこの状況を受け入れている。それが当たり前かのように、まるでロランを居ない存在だと思っているかのように。
ジゼルがここにきてから屋敷を維持する為に使われている様々な魔法が徐々に解除され始めた。秩序良く無機質に整備されていた屋敷が有機的な空間に変わった。
庭園の草木は自由を得たようにいきいきと成長し、美しい花が咲き乱れ室内に飾られた花は瑞々しい芳香を讃える。
次第にこの邸宅はロランにとって帰りたくなる場所に変わりつつあった。
ロランは執務室の窓辺から庭園の手入れをするジゼルを見ていた。
魔法が使えないジゼルは簡単にできることを時間をかけ行う。それがどれほど価値のあることか、この別邸を見たら誰でも分かるだろう。大魔法使いであるロランには絶対にできないことをジゼルは当たり前に捉えやってゆく。
これが魔力のない人間の真の力なのかと思うほどだ。
だがそれを見るたびにロランの自己肯定感が下がって行った。
心が深い闇へと沈んでゆく。
ジゼルに必要とされていない。
そう思うと胸の中で燻る重苦しい気持ちはより一層強くなり、ロランは奥歯を噛み目を閉じた。
私のプライドだったこの魔法はジゼルにとって無意味なものだ。
それを素直に認めることは今は出来そうに……ない。




